―後日話―
「いやぁ~わざわざご足労戴きまして申し訳ない」
恰幅の良い男が扇子で扇ぎながら微笑んでいる。如何にもな愛想笑い、相当の場数を踏んだ者だけが纏うオーラ、これはかなりのタヌキ爺…いやベテランなのだろう。
「いやいや、今をときめく新進気鋭の若社長様がお忙しい中、素直に応じて戴けるとは思いませんでしたよ」
僅かに嫌味を篭めた丁寧なセリフと値踏みする様な視線が向けられる。
ここはいわゆる取調室、最近紙面を賑わせた事件に僕に係わった人間が関係しているらしい。
「こちらの男性はご存知ですよね」
差し出されたのは一枚の写真、業界の人間なら知らぬ者はいないだろう。
「泉堂さんですね。最近はお見掛けしていませんが…」
あの一件以来、業界を追われた元敏腕プロデューサーが路地裏で刺○体で発見された事は知っている。その言動から彼に恨みを持つ人間は多く、怨恨による犯行ではと報じられている。
「成程…ではこちらは?」
もう一枚差し出された写真、そこに写っていたのは忘れよう筈の無い少女だった。
「以前お世話になっていた事務所に所属していたタレントです。私がマネージャーを担当していました…」
「おやぁ~、あまり驚かれないのですね?そう浅からぬ仲とお聞きしているのですが…」
職業柄この様な言い方になるんだろうがあまり気分の良いものじゃないのは確かだ。
「ある程度は私の耳にも入っていますので…。確かにお調べ済みの通り、彼女とは幼馴染みですし、一時お付き合いもしていましたが…それが何か?」
実のところ、僕自身も驚いてる。あの二人が○んだというのに何の感情もわかないのだから…。怒りも哀しみも嘲りも…。
「いやいや、失敬、失敬。流石はお若くして業界最大手を取り仕切られているだけはある」
「ただ受け継いだだけで、実状イッパイイッパイですよ。ところで私の何をお知りになりたいのですか?腹の探り合いはビジネスだけで充分です」
動機だけでなら僕には充分過ぎる程ある。裏切った恋人に寝盗った男。よく三流ゴシップ誌がネタにしないものだ。
「フ…流石に胆が座ってらっしゃる。では先ずは事件当日のアリバイなど…」
刑事さんの話では僕が容疑者という線は薄いと思っている様だ。事実彼女達には会っていないし、証拠も無い。状況証拠や目撃証言からも性交の後、彩乃が泉堂を刺○、その後ビルから飛び降り自○としか判断出来ない。警察が疑っているのは僕が第三者を使い、ゴタ消しを行ったのではないかという可能性だけだ。
「いやいや、本当に助かりました。もしかするとまたお伺いする事もあるやもしれませんが…」
「構いませんよ、いつでもお出でください。社長なんて名ばかりの印鑑捺し係なんで、ずっと部屋で閉じ込められてますから…」
もう何度繰り返したかも判らない冗談混じりの営業スマイルで警○署を後にする。
「感情の読めない奴でしたね…逆に恐ろしいと感じる位ですよ」
「見た目の華やかさとは裏腹にドロドロとした闇が蠢く芸能界…長く居るとああなってしまうのかもな…」
そう呟きながら窓のブラインドの隙間から背中を見送る。
「ヤレヤレ…とんだ時間のロスだ…」
逝って尚、僕に面倒を掛ける彩乃に辟易する。実際今の僕の心配事いえば恋人一人にすら上手く立ち回れなかった自分にタレント、スタッフ、関係各社併せて数千人規模の相手が務まるのかという事だった。
「お疲れ様です、社長」
丁度扉を開けた車の前で芹亜さんが待っていてくれた。僅か数週間前なら僕の役目だった…。
「有り難う…」
しかし、余程この世界はルールを守れない輩が多いのだろう。警官が慌ただしく動き、電話も引っ切り無しに鳴っていた。自分から此処に来るのは免許の書き換え等の届け出くらいか…。
「大東亜興業社長…○○さんですね」
近付いてきた一人の青年が声をかけてきた。見た目もそうかわらない、キャップを目深に被っているが声からしても同年代だろう。
「ああ、そうだけ……」
「…!。警部、アレ、何かおかしくないですか?」
「…ッチィ!!」
「…ッグ!?」
「し…社長ッ!?」
答えた瞬間、腹部から全身を駆け巡った鋭い焼け付くような痛み。押さえた左手が真っ赤に染まっている。
「ハ…ハハ…ザマアミロ!貴様さえシッカリしていれば彩たんは…彩たんは…」
血が滴るナイフを強く握り締めたまま震えている。
(ああ、彩乃にはまだこういう狂信的なファンが居たのか…)
周りが慌ただしい中、僕が考えたのはそんな事だった。
「大人しくしろッ!」
「抵抗するんじゃない!」
「は…放せ!俺は正義の鉄槌を降したんだ!放せ、放せーッ!」
薄れゆく意識、僕の名を叫ぶ芹亜さんの顔と声が段々ぼやけていく。
そして全てが黒一色になった…。
・・・・・・
「お目覚めですか?社長」
再び意識が戻った時に最初に視界にあったのは淡くピンクがかった白い天井と芹亜さんの顔。
「ここ…は?」
即座に医師が呼ばれ、色々と検査された。医師の話によるとかなり危なかったらしい。幸い処置が早く助かったが、あと数ミリ刃がズレていたら…。
「いやはや、とんだ災難でしたねぇ…」
あの時の警部まで居たのか…。刺されたあの日から意識を取り戻すまで4日が経っていた。僕を刺した彩乃ファンはその場で取り押さえられ、○人未遂の現行犯逮捕されたらしい。
「白昼堂々、しかも警○署の敷地内で暴挙に及ぶなど最近の若者は何を考えているのやら……あ、これは失礼」
どちらの用件で来たかは知らないが警○署敷地内での事もあり見舞いに来たのだろう。
「それではゆっくりお休みください、お仕事もたまってしまうでしょうから」
「そうですね、ウチには優秀な秘書が居ますからノートパソコン位持ってくるかもしれませんね」
冗談めかして笑うと芹亜さんが笑って返してきた。
「あら、社長。私がそんな鬼に見えます?ただ溜まった書類に捺印して戴くだけですわ」
「ほらネ…」
簡単な決裁だけなら可能だろう。緊急を要する案件ならパソコンカメラを使った会議でもいい。無理をしなければ何とかなるだろう。部屋はこの病院でのVIP専用特別個室だそうだからマスコミに追われる事も無く養生出来そうだ。
「仕方ない、暫くは景色と看護師さんのお尻でも眺めて過ごすとするよ」
軽いジョークのつもりだったのだが…。
「まぁ、社長ったら。私のお尻ではご不満ですの?」
「……エッ?」
普段クールな芹亜からは想像出来ない返し技だった。僕の頭に手を廻して抱え込むようにその胸元に抱き寄せた。
「私が…私がどれ程心配したと思って…」
僕の頬に落ちては伝う芹亜の涙、さっきの冗談が彼女の緊張の糸を切ってしまったのだろう。
「芹亜さん…僕は…」
「解っています。社長の理念が[商品に手を出さない、出させない]という事は、ましてあの様な後では…。ですが私はもうこちらに参った時のプロダクション所属のアイドルでも、大東亜のタレントでもありません。愛する男性と行動を共にする只の一人の女です。それでも駄目ですか…?」
「芹…亜…」
僕の言葉を芹亜の柔らかい唇が遮る。それは今までせき止めていた感情が決壊したかの様な情熱的なキスだった。
「も…申し訳ありません。私とした事がはしたない…」
自分が何をしたか、それに気付き、顔を紅潮させ狼狽える彼女。そんな姿を素直に可愛いと思ってしまった。
「残念だな、これでお終い?」
「こ…これ以上は傷痕に障り…」
そこまで言って更に顔を真っ赤にして慌てている。セキュリティ万全の個室に二人きり…そんなシチュエーションが彼女を少しだけおかしくしたのかもしれない。
画面の中や会社で見る理知的でクールな女性は実は存外面白い少女だったようだ。
「と…ともかく今はお怪我の治療に専念し一刻も早く復帰出来るよう努めて戴くよう進言します」
咳ばらいを一つした後、いつものクールさを取り戻そうとしていた。
「ウン、そうだね。このままじゃ芹亜さんとデートも出来ないし」
せっかく戻った秘書としての顔がボンっと湯気をたてる様に赤くなる。
「わ…私はご不在の間、し…仕事が滞るのがし…心配なだけで」
何だろうこの感覚…、少しイケナイ趣味に目覚めそうだ。
「だったら毎日逢いに来てくれるよね?書類を持って」
「し…仕事でしたら…仕方ありませんわ」
意外とツンデレ属性らしいのは新たな発見だ。
「それではまた"明日"参りますので大人しくしていてくださいね」
そう言って軽くキスを交わした後、静かにドアを閉めて帰っていった。心なしか足音がリズミカルだったのは気のせいだろうか。
翌朝、これまでの報道各位の内容を確認すると相変わらずゴシップ誌は大袈裟に書き立ててはいたが、業務や株価に悪影響が出る程では無かった。
秘書の芹亜を始め、社の皆が上手く立ち回ってくれているので順調に事が進み、大部と助かっている。
どうやら僕は大量な書類や報告書を持って彼女がやって来るまでに"特別ボーナス"について色々思考を巡らせる必要がありそうだった。
―FIN―
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