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1:堕ちる新妻2
投稿者:
まさ
「ははは、半分くらい冗談、かな。奥さんはまだ新婚だから自分で人妻って意識はないでしょう。」
「はぁ…まだあんまり実感がないんです。働いてるし…。」 「そうだろうね。浮気したくなったらいらっしゃい。奥さんなら大歓迎だよ。」 マスターは笑って立ち上がり、窓のカーテンを締め始めた。 「あ、今日はもう終わりですか?」 「うん、少し早いけどね。今日はもう店じまい。」 「あ、じゃあ、あの、おいくらですか?」 「今日はいいよ、サービス。」 「えっ、でも…」 「そのかわりまた彼と来て下さい。」 「どうもすみません。」 「売上の計算してくるから、もう少しゆっくりして行くといい。」 マスターは気さくにそう言うと、里美を残してカウンターの奥に引っ込んだ。 一人になって、里美はもの憂げにため息をついた。喫茶店だとはいっても密室であることには変わりがないし、そんな所で仮にも男性と二人きりでいるのだ。できれば早めにこの店を出たいと思った。 それに里美はとても健介に会いたくなった。家に帰れば健介からまた電話があるかもしれないし、里美が電話を切ってしまったことで心配をして帰って来てくれるかもしれない。 (健ちゃんに…、抱かれたい…) 健介に、いつものように優しくいたわるように抱きしめてもらいたかった。健介のいないこの三日間、里美はずっとそう思っていたような気がする。健介がしてくれる熱い口づけ、そして健介の手の平が里美の肌を愛撫する感触を、里美はふと思い出し、思わず顔面が熱くなった。 (こういうのって…欲求不満、っていうのかな…) 席を立って、レジの横にある公衆電話の受話器を取った。テレホンカードを入れ自宅の番号をプッシュする。出る前に留守番電話にしてきて良かったと思った。公衆電話から録音されたメッセージを聞くことができる。きっと健介が何かしら伝言を残してくれているだろう。声が聞きたかった。 『0件です。』 しかし、受話器からは無情にも冷たい機械の音声が、メッセージが録音されていないことを告げた。里美は受話器をゆっくりと置いた。 (無理もない…か) とも思う。さっきの里美の言葉は、考えてみれば思いやりに欠けていた。 でも一人で眠らなくてはいけない里美の淋しさを、健介だって少しは理解してくれてもいいのに、という気持ちもある。今、もしも健介と話ができたら、里美はきちんとさっきの発言を謝るけれど、健介にも謝ってほしい。 健介がこんなに忙しい日々は、結婚して初めてのことなのだ。 仕事なんだから仕方がないというのはわかるけど、里美の淋しさだって当り前のことのはずだ。 ともかく家に帰って健介からの電話を待とう、と里美は思った。 だが里美は注がれた二杯目のワインを残して帰るというのも気が引けた。それにマスターが出てくるまでは黙って帰るわけにいかないとも思った。 あらためて店の中を見回すと、マスターの雰囲気に似合わず可愛らしい女性的な装飾品や置物が目立つ。時には今の里美のような女性の一人客が小さなため息をつきながらこんな風に座っていることがあるのかもしれないと思ったりもした。(あのマスターって、どういう人なのかしら…) 里美は意を決してグラスを取り、ゆっくりとその紅いアルコールを飲み干した。 そう広くない店内は静まり返っていて、型の古いクーラーの音だけが響いていた。ワインのグラスが空になった途端、猛烈に孤独感が襲ってきた。一人きりで座っている自分がなんとも悲しくなった。 (不倫しちゃっても知らないから…) ふとそんなことを思ったりもした。今からマスターに口説かれたら、なんだがその気になってしまいそうで不安だった。心のどこかで、男性の硬い肌に触れたいような気もしている。一夜限りの危険な経験なんて、ちょっと憧れてしまう。 (でも…) 里美は結婚するまで、自分は性的な欲求の少ない人だと思っていた。健介も、同年代の男性の中では淡泊な方なのだと思っていた。スポーツで発散するタイプなのか、いわゆる婚前交渉はあったけれど、会うたびにとか、何をおいてもという感じではなかった。それが最近、里美は少しずつ大人の女の悦びがわかりかけてきているように思う。頭の中が真っ白になるような感覚も、結婚前には数回しか感じたことがなかったのに、ここ数ヶ月は抱かれるたびに昇りつめる感覚がある。そしてそんな時、里美は人を愛することの幸せをより強く思うのだった。 (やっぱり健ちゃん以外の人なんて考えられないな…) 今夜もし健介から電話があったら、きちんと謝って、明日は帰って来てくれるように頼んでみようと思った。そうしたらきっと明日の夜は、健介の腕の中で眠れるだろう。 やがてマスターがカウンターの奥の部屋から現れ、エプロンを外しながら里美の席の方に歩み寄った。 「じゃあ、申し訳ないけど。」 「あ、はい…。」 里美は少しホッとした。喫茶店のマスターが店に来た女性客とどうかなるなんて、テレビドラマの世界の話で、現実には聞いたことがない。たとえ一瞬でも、ふしだらな考えをしてしまった自分に心の中で苦笑した。 「マスター、どうもごちそうさまでした。」 愚痴を聞いてもらったことがなんだか照れくさくて、マスターの顔を見られなかったけれど、里美は礼を言って席を立った。 立ち上がろうとした。 が、思ったよりワインが効いているのか足元がふらついてうまく立てなかった。同時に軽いめまいを感じた。 (あ…あれ…?) 里美は椅子に尻餅をつき、眉間を手で押さえた。頭が重かった。普段ならこのくらいは飲んでも酔うようなことはないのに、今日は感情が昂ぶっていたのだろう。やっぱりワインは一杯にしておけばよかったと今になって後悔した。飲みやすい口あたりについ油断してグラスを空けてしまった。 「大丈夫?」 マスターの両手が後ろから里美の両肩を掴んだ。 「ええ…、大丈夫です。すみません。」 肩を支えてもらって里美は立ち上がった。だがすぐにバランスを失って背後のマスターにもたかかるような格好になった。 (なんだか…体が…熱い…) 頭の中もぼんやりとして意識がはっきりしない。 「あんまり大丈夫でもなさそうだね。」 耳元でマスターの声がして、次の瞬間、里美にとって信じられないことが起こった。肩を支えてくれていたマスターの手が離れたと同時に、太い腕が里美の細い体を後ろから抱きすくめたのである。 「あ…なにを…」 マスターの腕の力は強く、少し体を揺すったところで逃れようがなかった。きつく締めつけられた。背中に頑丈そうな体格のマスターの体重がかかって、倒されそうになる。 (あっ…!) マスターの手が里美の胸に移動した。ポロシャツの上から、胸の二つの膨らみが手の平に包まれた。 「あ…あの…やめてください…」 誰もいない喫茶店。里美の目の前に大きなミラーがあった。 薄く化粧をして髪をポニーテールにまとめ、白いポロシャツにベージュ色のスラックスという軽装の里美自身が、鏡の中で背後から男に抱かれている。 男と鏡の中で目が合った。マスターは、とてもさっきと同一人物とは思えないようなギラギラとした目で鏡から里美を見つめていた。心優しく、お人好しのように見えたマスターの豹変が、里美にはいっそう不気味に思えた。だがなぜか、ミラーから目を背けることはできなかった。 恐ろしい光景だった。後ろから、まるで双乳の量感を確かめているかのように胸を包んでいる手は、夫のものではない。まだ二回しか会ったこともない、しかも恋愛感情など全くない男性なのだ。鏡の中にいるのは自分ではないように思えた。 「奥さん…」 マスターは瞳を輝かせて首筋に唇を這わせてくる。なま暖かいような冷たいような、ザラザラとして濡れた感触…。耳に熱い息がかかる。里美は体を固くしたが、思うように力が入らない。 「きれいだ…」 されるままになっている里美の顎が、マスターの熱い手に包まれた。その手の力で顔が後ろを向かされた。 「あ、や…」 そこにマスターの顔が近づいていた。マスターはゆっくりと里美の唇を奪った。 「う…んんっ…」 まるでいけない夢でも見ているようだ。ゾクッと全身が震える。夫とは違う匂いに、鳥肌が立つほどの激しい嫌悪を感じた。 けれどその時、里美の心の中に広がったのは、嫌悪感ばかりではなかった。夫に冷たくされても自分に優しくしてくれる男の人がいる、という思いが、脳裏をかすめていった。頭の中がじーんと痺れて、徐々に抵抗しようとする気持ちが失われていく。 「…ん…あ…」 里美は鼻から甘い吐息を漏らした。長く、巧みなキスだった。 舌先が唇をくすぐるようにしながら、少しづつ里美の口を開かせていく。歯を固く閉じているつもりなのに、いつの間にか隙間ができてしまう。 「…んっ!」 舌先が入って来た。里美の小さな舌に優しく絡んでくる。 (あ…だめ…) 里美は腰くだけに崩れそうになった。夢中で振り返り、マスターにしがみつく。そのスマートな肢体をマスターの厚い胸がしっかりと抱きとめる。ヒップはマスターの大きな手の平に包まれて、撫で回されている。膝の震えが抑えられない。 マスターが長いディープキスの後、今にも倒れそうな里美を軽々と抱え上げた時、里美は意識が朦朧としてマスターの腕にしがみついたままでいた。気の遠くなりそうな濃厚なキスがひとまず終わったという安堵があって、事態がさらに悪い方向に進もうとしていることがよくわからなかった。 マスターは抱き上げた里美をカウンターの裏にある小部屋に連れ入った。里美の実家のリビングと同じ、八畳くらいの広さだろうか。店の方の大きさを考えると、少し意外に思うほどに広い。スチールの事務机に事務用の椅子、それに木のフロアテーブルと革張りのソファー。事務室兼応接室のような部屋である。 マスターは里美をソファーの上まで運んで行って座らせた 。そして自分も斜めに里美の方を向いて腰をかけた。マスターは何も言わない。まっすぐに里美を見つめている。耳鳴りがしているのか、周りの音があまり聴こえない。黙って見つめ合ったまま、数分が経った。正確には数秒だったのかもしれないけれど、とても長い時間に感じられた。 驚きと、戸惑いとで、声が出ない。 マスターの視線が、里美の瞳からはずれ、下の方に動いた。口元から首筋、そして胸まで下りていった時、マスターの片手が伸びて来た。いきなり、胸に手が置かれた。ポロシャツの上で、その手がゆっくりと動く。 乳房を揉まれているのだ、ということを自覚したのは、乳首の所に彼の指が触れ、里美の体がピクッと震えたときだった。急に里美は恐ろしくなった。強い拒絶の心が湧いてきた。 マスターは初めは柔らかく、それからだんだん強く、里美の胸を揉みほぐすように愛撫する。 数年前、女子大の同級生達と温泉に行った時、里美の胸をまじまじと見た級友に「里美って着痩せするタイプなんだ」と言われた。体は細いのだけれど、Dカップのブラがちょっぴりきつい感じがする。 里美は目をつぶった。冷静になろうとした。逃げなくては、と思う。まるでこれではマスターにこんなことをされるのを容認しているようではないか。 (私、こんな女じゃない…) 夫婦喧嘩をしたからといって他の男に体を許すような、ふしだらな女ではない。たしかにこんなことを、一瞬期待しかけたのも事実だけれど、里美はもう人の妻なのだ。少し愚痴をこぼしたけれど、健介を愛している。これ以上は断固として拒まなくてはいけない。夫を裏切ることは絶対にできない。 (でも…)
2008/08/22 12:16:19(AKa3of/8)
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