あの夏を忘れない。
セミの鳴き声だけが聞こえていた、
あの夏を。

オカン、覚えてるけ？
暑い日やったなぁ。
夏休みももうすぐっていう７月の18日、
学校はもう短縮授業になっていて、
暑い中ほっつき歩くなんてオレは嫌やから、
いつも通りに昼過ぎに帰ったよな。

オカンは昼前から掃除していて、
汗だくになって、
ベトベトしていて気持ち悪いから、
水浴びするつもりで洗面所にいたらしいな。

オレはカバンを下ろそうと、
自分の部屋に行こうとして、
ふと洗面所に目をやって、
下着姿で、
髪を束ねようとしているオカンに気がついた。
頭の後ろにまわした両腕の付け根には、
黒々とした脇毛が生えていて、
オレは思わず息を呑んだ。

目の前の鏡の映ったオレに気づいて、
「あっ」って声を上げて、
胸を両腕で抱えて座り込んだオカン。
まるで恥じらう乙女のようで。
物音に驚いた野ウサギのようで。
オカン。
ホンマにかわいかったで。

「哲ちゃん、いつ帰ったの？」
オカンは少し上ずった声で、
「あ、今やけど。玄関が開いていたから…」
オレも多分変な声になっていた。

なかなか洗面所から出ていこうとしないオレに、
オカンは少し困った顔をして、
「哲ちゃん、ママは今から水浴びをするから…」
そんなこと、知らん。
一歩足を前に出した。
「哲ちゃん…？あの、ママは今から…」

「オカン、オレも汗だくや」
カバンを足下に置いた。
「一緒に水浴びして、ええけ？」
多分、もう、引き返せないと分かってた。

「…な、何を言っているの、哲ちゃん」
明らかに動揺しているオカン。
「もう哲ちゃんは大人でしょ？」
どこかしら弱々しげな笑顔で言葉を継ぐ。
「それに、二人で入るにはウチのお風呂は狭いわ」

「そんなことあらへん」
オレはちょっとムキになって反論する。
「オレはまだ子供やもん」
オレは服を脱ぎながら、
オカンに近づいていった。
「そんな、もう高校生にもなって…」
「オカンと風呂に入りたいねん」
夏服なんてすぐに脱いでしまえる。
オレはブリーフ一丁になった。
「なぁ、オカン。ええやろ？」
壁際までオカンを追い詰めて、オレはささやいた。
「オカンの全部を見たいねん」
「…哲ちゃん、私達は親子なのよ」
この期に及んで。
「それに、こんな事、お父さんに叱られるわよ」
アイツのことなんか、口にすんな。
オレよりアイツの方が好きなんか、オカン。
「うるさい、オカンはオレのもんや」
自分の声がどこか違うところから聞こえたことを覚えている。
頭の中が真っ白になって、
気づいたら、オカンはオレの体の下で
恥ずかしい声を漏らしていた。

オカン、オレだけのオカン。
オレはオカンの体にむしゃぶりついていた。
オカンの体はとても柔らかくて、
汗臭い筈なのにいい匂いがして、
オレは何度も何度もオカンの体をなめ回し、触り続けた。

17年前にオレが通ったオカンの大切なところは、
とてもいやらしく濡れていて
それなのに清らかで、
幸せな匂いがして、
いつもオカンが作ってくれるどんなご馳走よりも美味しくて、
叶うならば、
もう一度オカンのお腹の中に戻りたい、
そう、オカンともう一度ひとつになりたいって気持ちが
オレの気持ちの全部になって、
ぎゅっと抱きしめて、
精一杯大人ぶった声で、
オカンの耳元に、
でも多分ガキの頃よりももっと甘えた声で、
「オカン、ええやろ？」
オカンはぎゅっと目をつぶったままで、
何も言わないままだったけど、
その顔はもうオレの知っているオカンの顔じゃなくて、
オレとともに最後の頂に登っていこうとする、
女のそれになっていた。

「オカン…。」
静かに呼びかけつつ、オレはオカンとひとつになった。
オカン。
大好きなオカン。
誰のものでもない、
弟のものでも、
妹のものでも、
ましてや、
オヤジとかいうアイツのものでなんか絶対ない。
オレだけの、オカン。
オレの為だけにオカンはいて、
オカンの為だけにオレはいる。

オカン。
オカン。
オカン。
オカン。
オカン。

必死で腰を動かしながら、オレは何度「オカン」と叫んだか分からない。
いつの間にかオカンも「哲ちゃん」と連呼していて、
二人の声は家の外からでも十分に聞こえるぐらい大きく響いていて、
何だか妙に喧しかったセミの鳴き声が、
不意に静かになったとき、
オレとオカンだけの世界は終わりを告げた。

息が荒いまま、
ぎゅっとオレを抱きしめているオカンのおでこに、
オレは軽く口づけをして、
そしてとびきりの笑顔で
「順子、良かったで」
ちょっとクサ過ぎるけれど、
これがオレなりのケジメ。

セミの鳴き声だけが聞こえていた、
あの夏の思い出。