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1:凌辱者たち(1)
投稿者:
古
「少し遅くなってしまったわね」 駅の改札を出た弓子はそう大学生の娘に話 しかけた。 お茶の家元の先生に誘われた、若手バイオリ 二ストの演奏会が終わったのは 午後九時を回っていた。
アンコールが入った為、時間がずれ込んで いたのだ。 弓子は歳はすでに四十代後半に差し掛かって いたが、美貌と若々しさのため三十代にしか見えない。 それも、お茶やお花の習い事や近所の奥様 方を集めた料理教室など、常に衆人の目に晒され活動的な毎日を送っ ているせいであろう。 有名私立の女子大の一年生になる遥も今年から家元の元に通っていた。 夢をみているような瞳が母親似で、健康美 が醸し出す美しさは 異性の憧憬を惹きつけてやまない。 それでいて親しみやすさと気品が同居して いるところも、 母親と相通ずるところである。 母親の弓子の目からみても遥は教養と女 性としての魅力を兼ね備えた娘に 成長していた。 弓子にとっても若くして銀行の支店長にまで登りつめた夫にしても、一人娘の遥はいくら慈愛を注ぎ、溺愛し てもたりるということはない 存在なのである。 その日は休日ということもあり比較的駅は閑散とし、駅前の店の多くは灯りをおとして、 バスを待つ人々と暇をもて余したタクシー が列をなしているだけであった。 「おいっ、このくそジジイっ!」 ドスを含んだ若者の声が突然家路を急ぐ人たちの脚を鈍らせた。 バスの待ちの長いすの上で胸ぐらを掴まれ た八十を過ぎたかと思われる老人が、 顔を恐怖に引き攣らせ、両手を振って何かを訴えようとしていた。 「わたしは‥‥‥何も‥‥‥」 白い髭をヒクつかせながら弁明をこころみるが喉が詰まって声にならない。 「俺が先に乗って悪いのかよ?ぶち殺すぞ、このやろう!」 家路に向かう人々がバスに乗車するため列 を成していたところへ、 二人組みの少年たちが現れ横槍をいれた のを、一番前のイスに座っていた老人がたしなめたのが発端であった。 胸倉を掴み上げた小太りの方はジーンズに Tシャツという身なりで頭を金髪に染めていた。 それを笑いながら見ているもう一人の長身 の痩せ型の少年は髪を茶髪に染め鼻にピアスを通している。 二人とも年齢にすると十七、八といったと ころだろうが 高校には行ってはいないだろう。 半グレ予備軍という類の少年たちだ。 小太りのほうが髪を掴み絞り、 揺さぶりたてると、ピアスが痩せて筋肉の落ちた老人の外腿のあたりを蹴り上げた。 老人は苦痛の悲鳴さえ上げる間なくイスから転がるように滑り落ちた。 その無様な横転にお笑い番組でも観ているかのような笑い声を上げた二人はさらに鳩尾の辺りを蹴り上げた。 「ぐううはっ‥‥‥ううう‥‥‥」 老人は目を剥き、呻きながら黄色い吐瀉物を口から吐き出した。 その場には数人の男女がいたのだが誰も止めようとしない。 これが人間の弱さなのか巻き添えをくうのが恐ろしく動けないのだ。 「やめなさい、何をしてるの!」 突然、静寂の空の闇を衝くように怒気を含んだ女性のソプラノが響いた。 一人の美しい婦人が列をなす人の間を縫って、椅子のたもとに蹲る老人の足元に少年を押しのけるように駆け寄った 。 「おじいちゃん、大丈夫?」は蹲る老人の頭の下に腕を入れ、顔を 起こして呼吸が楽な上向きの姿勢に移し変えた。 いたわりの声を掛けつつ、バックからハン カチを取りだして口の嘔吐物を拭ってやる。 婦人は二人の少年の方に視線を投げ、澄んだ瞳を怒りに滾らせながら凛とした 表情で口を開いた。 「あなたたち、お年寄りにこんなことして 恥ずかしくないの!」 「なんだと!あんたには関係ないんだよ !」 小太りは婦人の言葉にやや怯みながらも恫 喝を弛める気配はない。 「あなたたち、まだ未成年でしょ?何処の学校なの?」 しかし、婦人もまったく臆することなく逆に二人に詰問の言葉を投げかけた。 この言葉が学歴にコンプレックスを持つ少 年たちの胸を抉った。 ピアスの少年が顔を赤らめ、凄みを利かせた目で婦人ににじり寄る。 「おやめなさい!」 二人の後ろから女性の声が響いた。そちらの方を振り向いた二人の顔に瞬く間に恐怖が張り付いた。 たぶん、歳の頃は三十前後だろうか。 普通のOLでないことだけは濃く引かれたルージュやアイラインで誰の目にも分かる 。 美しいといえば美しいのだがどちらかとい うと人工美に近い感じだ。 痩せぎすで身長は女性としては高く170センチ位はあろうか。 色白で小さな顔は能面を思わせた。 半グレ予備軍の二人を射る眼差しは、氷の冷たさを湛えている。 小太りとピアスが唇を震わせ泣き出しそうに なりながら呻いた。 「蓮華さん‥‥‥」 小太りはその女性をそう呼んだ。 その時、誰が通報したのかパトカーのサイレンの音が 次第に大きくなって伝わり始めていた。 二人の少年は蓮華と呼んだ女性に媚びる ような、否、哀訴するような 眼差しを一瞬向けた。 能面の顔から返された視線は非道と冷酷さをブレンドさせて、二人を射抜いている。 小太りとピアスは顔を恐怖に強張らせながら、全速力で走り去った。
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2015/02/15 10:04:12(GkurT/3a)
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