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hollyhocks occulted 26
カテゴリ: 官能小説の館    掲示板名:空想・幻想小説
ルール: あなたの中で描いた空想、幻想小説を投稿してください
  
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1:hollyhocks occulted 26
投稿者:
ID:jitten
〜まえがき〜
⚠書いた人はオタクです⚠某刀ゲームの二次創作夢小説です⚠暴力などこじらせ性癖の描写多々⚠自分オナニ用自己満作品です⚠今回エロなし回ごめんちゃい、めっっちゃ考えてレースのとこはしょったりしてみたけどやっぱりうまくまとまらなくて(´;ω;`)⚠ゲームやキャラご存知のかたは解釈違いご容赦ください⚠誤字脱字ご容赦ください⚠たぶんめちゃくちゃ長くなります⚠未完ですが応援もらえたらがんばります優しいレス歓迎⚠エロじゃないストーリー部分もがっつりあります⚠似た癖かかえてるかた絡みにきてください⚠
—----------------------
翌昼間、鈴原が業者を引き連れて大きなモニターを搬入しに来た。
「うれしいお返事をありがとうございます。」
名刺を取り出した鈴原に、伊藤が目を細めて答える。
「いえ、私は、店舗のことにあまり口出ししませんので、彼らなりに考えたのであれば、なにも。」
伊藤にとって三池兄弟は、息子のような、年の離れた弟のような存在であった。
居抜きでDJバーかナイトクラブができるような物件を探しているんだと電話を受けたときのことを、鮮明に思い出せる。
まだ成人したばかりの弟は快活で頭の回転が速く、人懐っこくてされど妙に現実主義者だった。
後に会った3歳年上の兄は、逆に、物静かでミステリアスな雰囲気で、とっつきにくい風ではあるが、案外と直線的思考の夢追い人だったから驚いた。
タロットカードのワンド2とワンド3のように、姿かたちはそっくりなのに、内包している人生の意味や立ち位置がまったく異なっているのが魅力的だった。
経営者としての経験ももちろんなく飛び込んだ新しい世界を、足を踏み鳴らして進む若い兄弟が眩しかった。
だから、このたび、自分たちでスポンサーになり得る企業を捕まえて、今後のことも考えて協力協賛していこうと思うんですけど、と、そわそわとして相談されたとき、ああ、こうして育って巣立っていくのだな、と感慨深く心打たれたのだ。
あらかたの説明を聞いて、怪しい会社でもない、例の、兄の恋人であり、自身の新たな後援先である女性レーサーも関わったことのある企業だというし、うまくいけば、なんならオースクルターレリアとしても絡んでいける可能性を見ていた。
「いいんじゃないか、こちらからも挨拶に伺おう。」
それに三池兄弟は経営者とはいえ20代の青二才である、保護者面で後方からプレッシャーをかけておいて損はないだろう、と出向いた次第である。
「今期から空知選手のバックアップもされるとか。」
「ええ、せっかくできたご縁ですからね、おかげさまでカー用品メーカーさんから多数お声がけいただいておりまして、さっそく効果は抜群ですよ。」
「まあ、空知選手はちょっと特殊な目立ち方してますからね、デビュー当時から技量は抜きん出ていたと思うのですが、いかんせん女性には世知辛い界隈で。」
大人同士のなにか腹に抱えたような会話を横で聞きつつ、兄弟はモニターのセッティングを進める。
テーブル席エリアを挟んでステージとは反対側の壁に据え付けることにした。
今回はステージパフォーマンスを披露するタイミングとモニターにレースの模様を映すタイミングが完全にずれるので、両方見たい、という要望には応えなくていいだろう。
ふだんこのサイズのモニターを利用しようと思えば、ステージ映像を流すとかが一般的だろうから、そうすればホールのスタンディングの波に混ざらなくても、カウンターやテーブル席からも演奏の様子を楽しめるという案配だ。
「すっげぇ、でっけぇなぁ、てんちゃん喜ぶだろうなぁ!」
征羽矢がはしゃいでいる。
女がアニメや2.5次元作品のDVDを持ち込ませろと迫る未来が見えるようだ。
98インチ、横幅が2メートルあるわけで、テンションもむやみに上がる。
「明日の朝にはまた来るので、なにかご希望や疑問点があれば電話してください、できる範囲で用意しますから。」
「りょーかいっす!おれら不在にしてますけど、城本が対応しますんで。」
征羽矢が敬礼のポーズで背筋を伸ばした。
「んで、取材とか、お客サマの迷惑にならないよーに、ってのと、ユキちゃんのプライベートにはツッコまない、ってのは、マジお願いしますね?」
少しだけ、冷めた声で、言い含める。
だが鈴原は気にも留めていないようだ、さらりと返事をする。
「心得てます、もちろん記事も写真も掲載前に校正と確認をお願いしますので、そこでNGあれば必ず伺います。」
「スズハラさんが来るんすか?取材。」
「私はいわゆるデスクという役職であまり現場には出ないんですけど、明日はね、記者に付いて来ます。」
半開きの扉から差し込む太陽の光が、舞い上がる細かな塵埃に反射して輝く帯になり、ぴかぴかのモニターを照らしている。
光世はこれまでゆっくりと時間の帯の上を歩んできた。
だから。
展開が速すぎる!
まだ女と邂逅してからひと月も経たぬのだ、信じられない。
目まぐるしく過ぎていく景色は、まるであの女の運転するスポーツカーに乗って、助手席から窓越しに眺めているようで、平衡感覚を失いそうになる。
振り落とされそうに、なるのだ。
くだんの、hollyhocksの曲が頭の中で流れ出す。
ホリホック、和名、タチアオイ、立葵。
別名、梅雨葵。
奇しくも、懐古せずにはいられない、あの本丸の庭園を。
景趣は審神者の不思議な力で完全に自由に模様替えされる。
真冬に夏の浜辺にするだとか、一年中花見ができる桜の季節にするだとか、変わった趣味の審神者もいるとか噂には聞くが、あの本丸の主人は毎年、春が終わって蒸し暑くなるとすぐに色とりどりの立葵が乱れ咲く夏至の景趣に変えてしまう。
ずぼらなのか気に入っているだけなのかなんなのか、秋口までそのままで過ごす。
近侍の乱藤四郎は自分に似合うと言われてご機嫌だから、二十四節季についてうるさく指摘したりはしない。
主人が彼のために仕立てた軽装は鮮やかな水色の浴衣。
その華やかな装いとは裏腹に、乱藤四郎はひどく神妙な顔をして、自身のレベルのカンストと同時に第一部隊に配属された大典太光世を呼び止めた。
『あるじさんはあんまり現世に帰らないほうがいいと思うんだよね、気付いてる?大典太さん。』
縁側に並んで座って、西瓜を食べながら問うた。
『たまに、すごく、心の中に変な棘が刺さって戻ってくるんだ。あと、とっても気持ち悪い臭い匂いがするよね。』
ぷ、と種をひとつ口から飛ばす。
少女のような容姿なので行儀が良くないふうに見えるが、年ごろの少年らしいといえばそれまでだ。
『あるじさんは、現世で、きっと辛い目に合ってる…』
気付いているかと詰められれば、気付かないわけがない。
定期的に現世での勤めがあるからと本丸を離れるが、まれにすさまじく淀んだ神気を纏わせて戻るのだ。
そんな日の審神者の素肌はたいがい爛れ打ち身にまみれていた。
そして夜伽の際に触れ合う瞬間、萎縮してわずかに震えたりするのだ。
気付かないものか!
だが。
『…おれには、どうすることも…』
そんなか弱い風体で不安げな瞳で見上げられれば、反対に武器としての加虐心が悲鳴を上げるだけであった。
できることは、ない、と。
ただ、想像はする、誰に、どのように、いったいなにを、こんなふうに反応してしまうほどに、手ひどいことを、おそらく暴力的ななにかを、ほどこされたのかを、ぐるぐると、ただ想像するのだ…
『大典太さんの意気地なし!』
白い肌に刻まれた、なにかの、烙印は、情交の儀式に縁のない短刀が知る由もない。
目を閉じると、まぶたの裏に描かれるそれについて、わざわざ教えてやる必要もない…
意気地なしで大いに結構だ…
愛なんて知らない、永久近侍様も兄弟も勝手に盛り上がりやがって、好きにしろ、と思う。
愛など、知らないのだ、自分は、自身が仕舞われていた蔵の屋根にとまろうと羽ばたいてきた小鳥を、落として殺すような陰気臭い呪われた刀だ。
ほんとうは意気地がないんじゃない、差し伸べたいこの手が、悲しいかな、祟られていると、自覚している、だけ、だ、よ…

土日の昼間、ライビュはワンドリンクとテーブルチャージという名のわずかな入場料で開場することにした。
誰も来なくても別にいい、くらいの気概で、身内で集まって常連の女ドライバーの応援をしようぜ、という軽いノリ。
火を使う調理はせず、乾き物とチーズや果物、日持ちのする缶詰やピクルスを用意した。
大会は昼をまたいで行われるので、昼食が必要になれば、近所の蕎麦屋に頼んで注文分を配達してもらえることになった。
「面白そうなことやるんだねぇ、若いっていいねぇ。」
蕎麦屋の親父は日に焼けた顔で、がっはっは、と笑った。
なおレースの模様の配信は朝9時から始まる。
ふだん夜行性気味のナイトクラブの客層にとっては未知の時間帯である。
コーヒーや紅茶をはじめ、ソフトドリンクを多めに準備することにする。
過去の動画によると、レースが始まるのは10時ころで、最初の1時間は選手紹介とコース紹介と、採点基準の説明やスポンサー企業のコマーシャル、といったところで、昼にも1時間ほどのインターバルもあるし、夕方の表彰式前にもそれなりに待ち時間が発生していた。
現地はお祭り騒ぎでキッチンカーが集まり、関連企業の出店ブースがあったり、ファンイベントがあったりするようだが、その点、配信勢には虚無タイムがあるようだった。
となると昼間ということを配慮したとして音量を抑えたDJパフォーマンスで盛り上げる余地もある。
コンビニプリントで大量に刷ったフライヤーは飛ぶように捌けた。
あんがい入るんじゃね?と征羽矢が勘定しようとするので、光世がやんわりとたしなめる。
今回はあくまでもトライアルイベント、うまくいってもいかなくても、儲けはなくていい。
「前日祭も無料配信してるんか、映してみよーぜ!」
タブレットで配信サービスアプリの動画をキャストする。
美人なレースクイーンたちが、際どいミニワンピに高いヒールでイベントブースの間を闊歩している。
出場選手について当たり障りのない雑談をしながら、ちょうど、ダークブラウンの幟が立っているテントの前で足を止めた。
「あっ、てんちゃんとこ!」
カメラワークは企業ロゴのステッカーや大会限定のパーカーとキャップを紹介して、所属選手の使用するタイヤを大写しにする。
『空知ちゃんにコメントもらいましょー!』
ツヤツヤロングヘアのレースクイーンのひとりが、奥の横幕の中で隠れるようにして息を潜めていた女を呼んだ。
固形の栄養補助食品を咥えていて、とても、とても嫌そうに顔をしかめた。
『ノースガレージBチームの空知由希ちゃんでーす!女性でベスト16に残ってるのは空知ちゃんだけなんですよ、ねー!ちょっとひとことくださーい!』
さらに奥にいる誰かに押され、女が渋々出てきた。
「てんちゃん、顔、顔、」
征羽矢は笑っている。
『あしたへの、意気込みを!』
『えーっと。はい、がんばります、雨が降ったら、たぶん、勝ちます。』
『そーなの!空知ちゃんはジットジトのウェット路面だーい得意なんですね!オススメのグッズの紹介も!お願いします!』
『ええ?急に、困りますね…なんですかね…』
『じ、ぶ、ん、の!ブロマ!通販では売り切れてましたけど、現地で買えまーす!』
『それは、べつに、どうでも…あっ、』
掌より一回り大きいくらいのトナカイのぬいぐるみを手に取った。
『ノースガレージ公式キャラ、れいじくんのボールチェーンぬい、は、かわいいので、おすすめ…』
『わあっ、かわいいですねっ!みなさーん、ぜひ買いに来てくださいねーっ!ノースガレージブースから空知由希選手でしたぁ!』
仏頂面にわずかにわざとらしい作り笑いを貼り付け、気力なく手を振る女を、光世は呆れ半分に見ている。
心の声が聞こえてきそうだ、さしずめ、なんでわたしがこんなことを、もっと適任がほかにいるでしょう?といったところか。
「…もう少し、愛想とか、なにか、ないのか…?」
「いやいや、だいぶ頑張ってたほうでしょ、さいしょ顔ヤバかったもん、こんな。」
征羽矢が女の真似をして眉間にぎゅうっとしわを作って見せる。
悪意がある。
「おーい、三池兄弟、明日、朝、6時には出るからな、用意して待っててくれよ?」
モニター設置を完了した業者と鈴原が撤収したのを見送り、伊藤も帰り支度を始めた。
明日はオースクルターレリアの運転手付き社用車でサーキットへ行くのだ。
車内では寝ていていいと伊藤は言うけれど、そんなに居心地が良いこともないだろうから光世としてはやや憂鬱である。
そのあたり、征羽矢はぐうぐうすやすや眠っていそうだ、すでに羨ましい。
「りょっす!」
そう、こう愛嬌があってハキハキしていて少し軽薄そうでもあり、いつも笑顔でいて悪口や陰口に縁がなく、ほとんど誰からも好かれる、警戒されない、そんな弟が、光世はほんとうに羨ましいのだった。

『ゆきたんネイルかわいい!』
図らずもまた話題になっている。
ぬいぐるみを掴んで、カメラにどアップに映るよう近付けたシーンの切り抜きが拡散されているのだ。
『ゆきたんのファンになってドリフト好きになりました、ネイルはセルフですか?どこかお店ですか?教えてください!』
コメント欄に似たような質問がいくつか来ている。
『ワカナさん、なんか教えていいSNSないです?ファッション系のアカウントあったら、そこ誘導しますよ。』
今夜は若菜のスマホに電話がかかってきた。
「ある!ネイルの写真あげてるとこ、あとでDMで送るね、友だちの友だちとかまでは、やったげることあるけど。」
『まあ、変な人いるかもだから相手は選んでくださいね、お金とるかどうかはよく考えて、』
ババ臭い説教を垂れかけたところを雑に遮られる。
「分かってるってばぁ!ねぇ、あした、レースなんでしょ?早く寝なさいよ、もう今日だよ?」
『はいはい、お気遣いどうも。みなさんによろしくお伝えください、では。…おやすみなさい。』
また、さ、と言いそうになったのだろう、妙な間があったが、就寝の挨拶をうまく滑り込ませた。
こうやって徐々に変わっていく、いけばいい、と、若菜の正面、カウンターの内側に立って電話の音漏れを聞いていた光世は思った。
「よろしくだって!ミツヨとソハくんも、早めに閉めたりしないの?」
昨夜、土曜のライビュに来れたら来ると、乗り気が過ぎる口約束をして帰宅したというのに、けっきょく今夜もCLUB thunder boxでくだを巻いている。
今月カードがヤバい!と騒ぎながら、乳酸菌飲料ベースの甘いカクテルたったの1杯で、すこぶるご満悦の姫は、よくよく考えてみれば女のいない夜は光世を独り占めできる、と息巻いてのご来店である。
「金曜の夜に早じまいはできねーかなぁ、」
さすがに年下のおきゃんな娘に酒をねだったりしない、征羽矢は勝手についだ生ビールをもったいなさそうに啜る。
ステージから戻ってさっそく、忙しくにぎわうドリンクサイドの仕事をこなしながら、城本は征羽矢の首根っこを掴んだ。
「こら、くっちゃべってないで。オーダー、高菜ピラフとドライカレー。なあ、専務さん、俺だって帰らずにこのまま昼の部に突入するんだよ、ドーピングが要るんだけど?」
「へいへい、好きなもの飲んでくださいよ、すみませんね、奥さんに怒られないっすか?」
シャツを腕まくりして肩をすくめる。
城本がDJとしてもバーテンダーとしてもホールスタッフとしてもあまりにも優秀なので、彼の夫婦関係の安寧がこの店の要と言ってもおおかた間違いはない。
「それがさ!聞いてよ!てんちゃんの話したら面白がっちゃって、去年の動画とか見ちゃっててさぁ、かっこいいって言うんだよ?どうしよう…」
どうしよう、と戸惑いつつも手は要領よくジントニックを作っている。
DJってどいつも手先が器用だよなぁ、と征羽矢は感心している。
キャップを被り、カウンター内のシンクで丁寧に両手を洗う。
「てんちゃんって、ほんっと、なーんか、まわりをどんどん巻きこんでくよなぁ、不思議と。」
「やっぱりちょっと怪異っぽいよな…5、6番さんだよ。」
まだなにか言いたそうな顔の征羽矢の背中をキッチンへと押し込んだ城本を、若菜は驚いたように見つめた。
「えっ?シロくんもユキさんのこと好きなの?」
どんな聴覚だよ、と城本は苦笑して、自分用に小グラスにビールを注いだ。
今夜はこのままバックヤードのソファで仮眠して、朝になったらまた労働に勤しまなければならない、飲酒運転の心配はない。
「話聞いてた?それに!俺は!結婚!してます!」
「ふーん、ミツヨはライバル多くてたいへんだね、いつでも若菜に乗り換えていーよ?」
「…話、聞いていたか…?」
今度は、スタンバイのために立ちかけた光世がぎょっとして言った。
きゃはは、と若菜は楽しげに声を上げる。
カクテルグラスの華奢な足を持ち上げる指の爪は、あの女に施されていたモノトーンのデザインによく似ていた。
「…あんたこそ、あれが、ずいぶん気に入ってるんだな…」
おそろいってやつか、と、ふふ、と思わず柔らかな笑みがこぼれ、若菜はガタンとイスを鳴らして前のめりになる。
「笑っ!た!ミツヨが!」
しまった、と、べつに不都合も不具合もないのだ、しまったことなど、なにひとつないのだが、口元を手のひらで押さえて隠した、しかし、遅い。
「目に焼き付けた!今日きた甲斐あったぁ!」

閉店後、イベント開場まで5時間もない、城本を仮眠させるためにバックヤードへ追いやり、すぐに店内清掃をすませてドリンクの補充をする。
巨大モニターの接続と設定を確認して、急きょでこしらえた軽食のメニュー表をラミネートした。
「じっさい今のところそんなに準備しなきゃいけないこと、ねーな?開けてみねーと分かんねーし。」
征羽矢があくびをしてスマホ画面を点灯させた。
「おれいったん帰って風呂入ったりするから、」
配車アプリでタクシーを調達し、時刻表で始発の時間を調べて言った。
「6時ギリ間に合うわ。伊藤サンに待たしてごめんっつっといて。」
光世が頷くのを見て、勝手口から出ていく。
征羽矢は正直とても疲れていた。
もともと仕事においても私生活においても気を回しすぎなところがある自覚はあった。
ところが、とくにあの女が来るようになって、こと兄と付き合うだなんだのとなってから、考えるべきことが倍以上に増えた実感がある。
スキャンダラスなSNSの記事への対応、それに頓着のない兄の突飛な行動を窘め、またはフォローし、女の元恋人だかセフレだかの動向を気にし、女の節操のない人間関係に警告し、どんどんと周囲を巻きこんで大きくなる他企業との連携についてマーケティングと実行力が求められ…
一方で肝心の兄は、しっかりしているように見えて実は脳内お花畑がちで、困りごとは征羽矢に頼りっぱなしのところがある。
それが嬉しいから不満はないが、羨ましいと思ってしまうのは致し方ない。
どんな思考回路でいれば「これは今やっちまったらヤベーな」とか思い付かないでいられるのだろうか。
環境にとらわれず自由で強欲で、それなのに無駄に無口で儚げでミステリアスな雰囲気を醸し出していて、人は遠巻きにその個性と才能を評価するのだ、そんな兄が、征羽矢は猛烈に羨ましいのだった。

起きてこなくても良いのに、律儀に顔を覗かせた城本は目をこすりながら言った。
「てんちゃんにがんばってねって言ってね。」
「おう!留守は任せたぜ!」
征羽矢とグータッチをする。
「売上最高額たたき出してやるよ。」
そうイキってはみたが、それが本気で叶うとは思ってはいない。
「言うね!まんがいち実現したとてよ?そりゃてんちゃん効果だかんな?」
「ははっ、たしかに。」
もう2時間もすれば濱崎と堀江も出勤してくるだろう。
あらかたミックスの構想は練ってきてあるが、堀江が例のゲームミュージックを駆使したインパクトの強い演出をすると張り切っているから、自分が霞んでしまわないようになにか方策を練りたいところである。
若者に負けてはいられない。
兄弟を見送ったあと再びソファに寝転んで、イヤホンを耳にねじ込み、メディアプレーヤーの再生ボタンを押した。
心地よいまどろみがビートに乗ってゆらゆらと揺れる。
初めての試みである昼の部を終えたあとは通常の営業も待っている。
それも要となる経営者兄弟不在で、である。
不安もあるが、やってやろうじゃないのよ、という闘志も燃えるというものだ。
城本の長い1日が始まった。

道中、ほんとうに征羽矢は3列シートの最後部座席に横になってぐうすか眠っていた。
それはそうだ、突如としてライビュ営業することになり、毎日あれやこれやと奔走していたのだ、さぞ疲れているだろうし、睡眠時間は足りていなかったのだろう。
自宅に帰ってからも、きっと光世の知らないところで気をもんでいたに違いない。
「なにか、やることがあれば…」
と言いかける光世に、パタパタと手を振って笑う、
「兄弟はなーんも心配すんな、明日も熱いパフォーマンス見してくれよ。」
鈴原とのやりとり、ドリンクとチャーム、軽食の準備、昼食の配達の手配、フライヤーとドリンクチケットの作成、近隣の昼営業の店への挨拶をかねてイベントのPR、SNSとHPでの発信…
たしかに、光世としては、これらをやってくれと指示を受けたとてうまくこなせそうもない。
頼られないのはさみしいけれど、そのあたりが征羽矢の合理的な思考でもあるのは承知だ。
しかし疲労など表情に出さず、はつらつとした笑顔を崩さず、きびきびと動き回る、心配するなと言われても、弟のそんな様子を察知することができるのは自分くらいだと思っていたから、つい目で追ってしまうのだ。
「光世くんも寝てていいのに。」
助手席で伊藤が言ったので、頷き目を瞑ってみたけれど、なんとなく緊張して眠れそうにはない。
秘書の男の運転はたいへんに丁寧で、社用車は当然に乗り心地が良い。
サスペンションはヘタっていないし、シートはふわふわだ。
車内空間はゆったりと広く、エアコンは快適に効いていて、排気音量はいたって静かである。
世の自動車とはこうあるべきなのに、どうにも落ち着かない。
臀部から振動がダイレクトに伝わってくるような、それか、胸をビリビリと痺れさせる爆音が鳴り響くような、天井に髪の先が触れるような、隣に座るあの女との距離が異様に近い、ほかの誰にも邪魔されない、あんな、車が、自分は、自分も、好きなのかもしれない。
オーディオは、伊藤の趣味なのだろう、往年の洋楽ポップスを控えめに歌っている。
軽快なメロディーが征羽矢の寝息と重なって窓ガラスを震わせていた。

あまりにも快適なドライブだったので、先日と同じ道程を来たとも信じがたい。
今日は身体の節々がどこも軋んだりしない、あのときと大違いだ。
入場待ちの人々の間を通り抜け、エントランスで関係者用のスタンプが押されたチケットを差し出すと、こちらへ、と一般客と違うルートを案内され、パドックの裏側を歩いていく。
先の方で、レーシングスーツ姿の女が大きく手を振っている。
「クッソイケメン歩いてくるなって見てました、誰かと思いましたよ、髪、かっこいいですね。」
いつもはおさまりの悪いハーフアップに、長い前髪を雑に流していて右目がほとんど隠れているのだが、仕事絡みの相手に出会うこともあろうからあまり野暮ったい髪型では印象がよろしくないと、額をしっかりと出したポニーテール風に結わえていた。
「えー?なにそれ、ずっる!俺もたまにヘアスタイル変えよ!」
征羽矢が不満げに口をとがらせた。
「…が、がんばれよ…あの、じ、事故、など、せぬよう…」
「あはは、気をつけますね、でもクラッシュしたらブチ盛り上がりますよ、それはそれで。」
ぐぐっ、と手のひらを組んで伸ばしてストレッチをしながら、女が物騒なことを言うから、光世は少しだけ怒ったような声で咎めた。
「冗談でも…!そんな…そんな、ことを…」
「はいはい、ごめんなさいでした、安全運転で参りまーす。」
ペロ、と舌を出し、伊藤へと向き直る。
「今日は遠いところをお越しいただいて、ありがとうございます。」
「いやぁ、こういったレース観戦は初めてなんですよ、楽しみにしていますよ。本当に、事故には気をつけて。」
改めて握手をする。
そこへパドックの中から森下が顔を出した。
「ミツヨきゅん、ソハヤきゅん、あらまあ、何度見てもいい男ね。こっちよ。関係者席じゃなくてごめんなさいねぇ、きみたちふたりはノースのファンシートなのよ、はい、コレ。」
ノースガレージカラーの濃いブラウンの応援うちわと、空知由希カラーの眩しいピンクのマフラータオルをそれぞれ手渡される。
「ちょいちょいカメラで抜かれると思うからヨロシクね!あっ、そうね!コレも、持ってて!」
パイプ椅子に座っていたひとかかえほどのサイズのトナカイのぬいぐるみも押し付けられ、光世は呆然と立ち尽くす。
空には厚く雲がかかっていて蒸し暑い。
天気予報通りの曇りだが湿度が高く、光世の束ねた髪の先はうねうねと四方八方へと跳ねていた。
雨が降るのかもしれない。
襟付きのポロシャツにサマーニットのカーディガンを羽織ってきたが、既に背中は汗でびっしょりと濡れていた。
標高が高い分か、猛暑とか酷暑というほどではないのだが、女が電話で涼しいから上着が必要だと言っていたのは嘘になった。
まるで終わりがけの梅雨のような空気で、そうだ、雨なら勝てるとロートーンでのたまっていた、自信があるとかじゃなく、淡々として、当然のように、それ以外ないとあらかじめ知っているように。
先を歩いていく征羽矢が振り向いて光世を呼んだ。
「なにやってんだよ、迷子になるぜ?」
まださほど観客は多くない。
マイナーなスポーツだと女も森下も木庭も星野も鈴原も言うけれど、この大会に関しては特定の層がこぞって集まる一大イベントのひとつだそうだから、今からどんどんと混雑してくるのかもしれない。
さすがに迷子にはならないと思うが、光世は足早に征羽矢の後を追った。
開幕まで1時間、スタンド席の外側にはずらりと企業ブースのテントとキッチンカーが並んでいる。
スピーカーからはテンポの速いヒップホップ調の曲が流れている。
どこかに音響設備があり、誰かがそこを守っているはずだ。
興味があった。
あとで周りを散歩してみようとひとりごちる。
店は準備は順調に整っただろうか。
電話連絡がないところを見ると問題ないのだろう。
気にはなるが、あまりこちらから口うるさく問うのも嫌がられそうで、放っておくことにした。
無駄に強面の経営者と神経質な専務が不在で、自由に楽しくやっているに違いない。
なんで自分はこんなところに、山奥のサーキットなんかに、いるのだろう。
むしょうに胸がざわつく。

ファンファーレが鳴り響き、花火が打ち上がり、コース上のレーシングカーたちがいっせいにエンジンを吹かした。
光世と征羽矢はキッチンカーで買った唐揚げをつまみながらビールを飲んでいる。
ノースガレージのファンシートだと森下が言っていたが、なるほど、まわりはすっかりチョコレート色に染められていた。
トナカイのマークが入ったキャップをかぶった少年に、光世が膝にかかえているぬいぐるみと同じものを抱いた少女、レプリカのレーシングスーツに身を包んだ青年、お手製とおぼしき横断幕を掲げた若いカップル。
司会がこれまでの累計成績の順に出場レーサーを紹介していた。
拍手と歓声と口笛と指笛が飛び交う中、女は後ろの方でふてくされたような表情で、ハチロクのボンネットに浅く腰掛けてグローブの具合を直している。
ハチロクは白い車体に色とりどりの企業ステッカーが全面に貼られていた。
目を凝らすと、給油口のあたりにオースクルターレリアのシンプルなロゴが見えた。
バックストレート沿いに設置された巨大モニターに、女の仏頂面が大写しになる。
『カーナンバー4!チームノースガレージB!空知ー!由希ー!トヨタAE86!NAの亡霊!FRPの棺桶!滑り出し速度は断トツピカイチの現在総合15位!生き残った唯一の女性ドライバー!得意のここ全畑でポイントを稼いでランキングを上げたいところ!天気が味方すればワンチャンあるか!?』
亡霊だとか棺桶だとか、そんな不穏なワードよりも、ポイント獲得について『ワンチャン』と表現されたことにカチンときたようだった。
向けられたマイクを引っつかみ、カメラのレンズへと睨みをきかせる。
「降りますよ、全員ビビリちらかすでしょうね!トトカルチョなら『ワンチャン』うちのハチにベットしろ!」
女の怒声とともにスタンド席の野次が爆発した。
「ヒュー!言ったな!」
「ゆきたんかっこいーっ!」
「時代遅れ女がナマほざくな!」
「ブチギレゆきたんたすかる!」
『あー、えーっとね、空知ちゃん、トトなんとかーとか言わないでね、怒られちゃうよ?』
司会の男性が慌てて両手を広げて、これ台本にないやつ、というふうにカメラへアピールした。
「キレッキレだなぁ、あんなんじゃ敵が多いんじゃね?」
征羽矢が心配そうにビールを啜った。
だが他の男性レーサーたち、ほとんどは中年以上で、数人は20代くらいだが、彼らはにこにこと笑みを浮かべている。
困っているのは司会とカメラマンと解説席の運営チーム、それとノースガレージ以外のスポンサー勢だけのようである。
あの態度が通常運転だからなのか、女だというだけで生あたたかい目で甘く見られているのか、どちらなのかは微妙なところだ。
客席のざわめきに合わせてBGMのボリュームが大きくなり、同時にテクノ寄りの曲へと繋がった。
実に荒っぽい移行ではあるのだが、なかなか肝は分かっている感がある。
レーサーたちがおのおの開け放たれたドアから手を振りながら、いったん退場していく。
どうやらレーシングカーというのは窓が開かない仕様のようだ。
女は態度悪く拳を空に向かって突き上げ、煽るように人さし指を一本立ててぐるぐると回した。
また激しく歓声が上がる。
「こういうのが、逆に、うまみがあんのかね…」
なにを話しかけても一向に返事をしない兄をまったく気にせず、征羽矢は唐揚げをまるまるひとつ口に放り込んだ。
ぼんやりと見ていたモニターに、突然、その膨らんだ頬が映る。
「…っ!ゲホッ…!」
思わずむせて咳き込んだが、開場の数千の視線がモニターの征羽矢に突き刺さっていた。
同じファンシート区画の観客たちは振り返って笑っている。
隣に座っていた家族連れの母親が楽しそうに言った。
「ほら、写ってるわよ!」
しかたなく照れ顔で手を振る。
少し画角が引かれ、光世の姿も映るが、こちらはすっかり固まってしまっている。
野球やバスケットボールの試合なんかでよく見る戯れであるが、実際に自分が巻き込まれるとうまく立ち回れないものだ。
カメラはすぐに次のターゲットにシフトしていった。
「…やべ、なんかもっと、タオルとかバーンってやればよかった…」
征羽矢はどうにも悔しくて奥歯を噛んだ。
光世はまだ目をシパシパさせている。
それに森下にヨロシクと念を押されていたのに、あとで怒られそうでバツが悪い。
そうこうしているうちにルーティンのルール説明が始まり、観客たちがポツポツと席を立ち始めた。
光世も、征羽矢へトナカイのぬいぐるみを押し付けて立ち上がる。
「…そのへん、ぶらぶら、してくる…」
「おう、んじゃ、もいっぱい買ってきてくれよ。」
無言で頷き、あたりをぐるりと見渡した。
開会式前にキッチンカーが集まる広場のほうはひと通り見て歩いたので、企業ブースのテントのほうへと足を向けた。
タイヤやよく分からないなにかのパーツを販売している間を、人混みをかき分けて進んでいくと、見つけた、お目当てのものを。
周囲の企業のイメージカラーに彩られた派手なテントに挟まれて、ぽつんとひとつ安っぽい白いテントが立っている。
その中には、見慣れたようなオーディオの黒い箱がいくつも積んであり、幾束もの配線に繋がれている。
折りたたみの簡素なテーブルには、コンパクトな持ち運びできるタイプのDJコントローラが据えられている。
錆びたパイプ椅子にはサングラスをした青年が座っており、タイムテーブルか選手名簿らしきファイルを懸命に読み込んでいるようだった。
歳の頃は光世と同じくらいだろうか。
こんなにたくさんの人間がいるのに、彼を注視する者はいない。
華やかなレースの世界に浸り、高級なタイヤを撫で回し、サインをしてあげるよと言う選手に群がり、ビールを飲んで脂っこい料理を頬張るのに、会場に馴染むように考え抜かれている音に耳を傾ける者がいないのだ。
馴染むように。
そう、だから、耳を傾ける者が、いない、ことこそ、至高の状態ではあるのだが。
やはり少しさみしい感情は拭えない。
光世はお節介と知りながら、その青年に声をかけた。
「…あの…そ、空知選手の、紹介のときの…ドンと音が変わるわりに…シームレスで、とても、良かったと…思います…」
青年がぱっと顔を上げ、驚きとまどった様子で光世を見あげた。
「ん?え?あ、あ!」
そしてくしゃりと破顔する。
「どうも!ありがとうございます!いやぁ、空知ちゃんのことだから、どうせまたなんかやらかすだろうなって思ってて、『フゥーッ!』ってなったらやってやろうって準備してたんで!うわぁ、嬉しいなぁ!聴いててくれるひとがいるんだなぁ!」
立ち上がりナチュラルに握手を求められ、どぎまぎと応えた。
「もしかしなくても同業です?」
「…ええ、まあ…」
「俺フリーなんだけど、毎シーズンこのイベント呼んでいただいてて。」
名刺を交換すると、青年はサングラスをくいと持ち上げて素っ頓狂な声を上げた。
「thunder boxの!てことは空知ちゃんの!」
すっかり有名になったものだ。
光世はやれやれと肩を落とした。
「お噂はかねがね!お会いできて光栄です!」
そう言われるとくすぐったくて落ち着かず、ひとことふたこと定型文な挨拶を重ね、そそくさとその場をあとにした。
柄にもないことをしてしまったな、と反省している。
だがせっかく持ってきた名刺がまったくの無駄にはならなくて良かったとも思う。
あの女が部外者のくせに次から次へと仕事の話を持ってくるから、なぜだかちょっと負けたような気分になっていたところだ。
たまたま知り合ったフリーのDJと名刺交換したくらいでは営業とはとても呼べないだろうが。

両手にビールのプラスチックカップを持って席に戻ると、征羽矢は見知らぬ女性とひきつった作り笑顔でなにか話していた。
「…すまん、遅くなった…」
遠慮がちに声をかけると、はっと振り向いてほっとしたように表情を崩した。
「あっ、おにーさん?さっきモニター映ってたっしょ?やっば、ガチかっこいい!ねぇ、あっちでいっしょに観ない?ツレもいるんだけどぉ!」
いわゆるナンパか、光世は気怠げに首を振った。
「ごめんて、おれらはノースガレージさんにお世話になってんの、ここから動くつもりはねーのよ。」
征羽矢が、数度目であろう、優しめに断りを入れる。
このへんで撤退しておかないと怖い目を見ることになるなんて、この派手な女は知っているはずもない。
「だれも見てないっしょ?へーきだよぉ、ね、行こ?」
「…すまんが…たぶん、ここらで諦めたほうが、いいかと…」
光世が親切心からそう忠告するが、聞きはしない。
勝手に光世の座るべき席に座り征羽矢の腕に絡みついて、粘っこくねだる。
「ノリ悪ーい!いいじゃーん!」
はあ、と、冷ややかなため息が征羽矢の口をついて出たから、まずいぞ、と光世は身構えた。
「…あんなぁ!キョーミねぇっつってんだわ!ジャマだからどっかいってかくんね?てかなにしに来てんの?レース観ねえの?男漁りに来てんの?」
女の手を乱暴に振りほどき、氷の弓矢ような視線でにらみつける。
「あー、男ばっかのコミュニティだもんなぁ!オンナノコが来てたらチヤホヤされて入れ食い状態だろ?」
「…兄弟!」
光世が思わず口を挟んだが、けっきょくは征羽矢も、聞きはしない。
どいつもこいつも!
光世は下唇を噛んだ。
「他所で食われてこいよ?おれら、あんたみてーなのは、ちーっと口に合いそーにねーな。」
辛辣な言葉に、ナンパ女は顔を真っ赤にして打ち震えた。
豪速のビンタでも飛んでくるかと覚悟したが、ちらりとピンクのタオルを一瞥して吐き捨てる。
「…っ、調子こいてんなよ!あんだよ空知由希推しかよ!あのキモオタアピール女のどこがいーんだよ!?」
投げつけられたのは負け惜しみの捨て台詞だった。
「あいつこそ!オンナだからって!たいして上手くもねーくせに!」
兄の恋人を貶める発言に、征羽矢の黒目がぞろりと横に動いたが、その無礼な女は気付いていない。
「どーせ審査員相手に!下品なやりかたでポイント稼いでんだろ!?枕とかぁ!?」
ぶちん、征羽矢の堪忍袋の緒が切れた音が聞こえた気がした、しかし、それより、半瞬早く、光世が征羽矢の握り込んだ拳を押さえていた。
まさか女性相手に手が出るとは思わないけれど、あの女のこととなるととっさの判断を誤りがちであることは否めない。
「…それ以上…空知について…確証のない…侮辱を…口にしてみろ…」
光世は絞り出すような低いうめき声とともに、ゆっくりと、ごく、ゆっくりと、目を合わせていく。
「…ッ…テンション下がるわ…!」
ナンパ女は、怒りと屈辱と、なにか未知の存在に対面したときのおぞましさに似た奇妙な恐怖の混じり合った面持ちで、踵を返しスタンド席の階段を駆け下りていった。
「…面倒を、起こすなよ…」
「不可抗力ですぅ。」
2人は少しこぼれてしまったビールで軽く乾杯の素振りをして、苦笑いを浮かべて顔を見合わせた。
あんなに、車を、運転することを、愛していて、少なくない財をかけてでも走ることを諦めず、環境にも年齢にも負けずに身体を鍛え、苦手な人間関係もなんとか努力で培い、まあ、酒癖と男癖についてはフォローできない部分も多々ありはするが、その鋭意精進している姿をおそらく見たこともないくせに、言い掛かりが過ぎる。
そして、この業界において性別が女であること、それは、あの女自身がたぶん相当に気にしている点でもあるのだ、見も知らぬ他人に憶測で大仰に騒がれるなんて、あまりにも惨たらしい。
さて、日は昇りきり、気温がますますもってぐっと上がってきた。
分厚い雲で蓋をされた山間地の湿度はいよいよ80パーセントに達し、自分たちは熱帯魚であっただろうかと錯覚するほどに、脳はまるで煮えているようだ。
今にも雨が落ちそうではある。
第一走者の出走まで、あと、15分。
運命の雨、か。
光世の頭の中で、また、雨を歌う音曲が流れ出す。

『ああーっ!とうとう降ってきたねぇ!こーれは!いっちばん嫌な!ドライウェット状態で大会がスタートします!』
「どらいうぇっと?どっちだよ、ドライかウェットか、どっちかだろ?」
「…俺が、知るかよ…」
解説の興奮した嘆きと征羽矢の疑問の両方を適当に聞き流し、スタート位置についた紫色の車両を見る。
丸みを帯びた流線型のフォルム。
女のハチロク以外にあんなに角張っている車両はいない。
レトロと表現すれば聞こえがいいが、古くさいデザインなのだ。
あらためて問うてみると、かれこれ40年近く前に作られた車だと言うから衝撃的だった。
まわりのレーサーたちは流行と技術革新の波に抗わず、新しい機能や強いボディを求めて乗り換えていくのに、女はいにしえの思い出に取り憑かれたまま、何台ものハチロクを乗り継いでいるという。
『時代遅れ女』と野次られるのも仕方がない。
いまだに、えぬえー、が何かは知らないが、『亡霊』と揶揄させることも、しようがない。
まずは、単走。
1台で走る。
スピード、ドリフトの角度、指定ゾーンを通過しているか否か、ラインの美しさ、車両操作の完成度、そして観客を沸かせるエンターテインメント性を採点して順位をつけるのだ。
シグナルの青ランプ点灯と同時に紫の車両がけたたましいエンジン音を巻き上げて走り出す。
路面は、水たまりこそできていないが、濃い鼠色に濡れていた。
ストレートで加速して、第一コーナーでコンパクトに小ぎれいにドリフトを決め、振り返し、第二コーナーへと侵入する。
『まずは1本目、様子見か?ちょっと思い切りが足りないか?ゾーンは踏んでいますね、減点は最小限ですが、うーん、これは、どうですかねぇ、伸びないか!』
後輪が白煙を上げるが、すぐにグリップが戻った。
『2本目に期待ですね!』
女が煽った、全員ビビリちらかすだろうと、その挑戦的なイントネーションが記憶の奥底でリフレインしている。
次は、赤い車がスタートを切る。
ドライバーはずいぶんと若く見えた。
十二分に速度はのっているが。
「おおっ…怖っ…」
征羽矢が固唾をのみ込んだ。
案の定、第二コーナーでリアが完全にコースアウトしてダートを引き摺り、そのまま減速もコントロールもできずにスピンしてタイヤガードへと突っ込んだ。
『あーっ!!いった!さっそく!やりました!踏みすぎたなぁ!雨路面ってこと考えましょー!』
がしゃん、と非音楽的な悲鳴を上げて、車体はようやく停止した。
『これは…!フレームは…?イッてないのか?エアロだけか?メカニックが頭を抱えております!調整は2本目に間に合うのか!?』
救助班が駆けつけるよりも先に、運転席のドアが開いて、半笑いでドライバーが降りてきた。
スポンサーのファンシートの方角へとペコペコと何度も頭を下げ、両手のひらを顔の前で合わせて、ごめんなさいのジェスチャーをしている。
さいわい怪我はないようだが、やはり、耐性のない兄弟にとってはかなりヒヤっとする場面だ。
『イベント物販会場では今大会限定デザインのウィンドブレーカーやレインコート、バスタオル、マフラータオルの販売もしています!傘は後方のお客さまの視界の妨げになりますのでご使用をご遠慮くださいますようお願いします!』

それにしても異常なほどに蒸し暑いのだ、とても雨模様とは思えない。
森下がスタッフ用のレインコートの余りを持ってきてくれたから着込んだが、ますます熱がこもってしまう。
とっくにカーディガンは脱いでいたけれど、衣類も髪も、汗と湿気でじっとりと肌に張り付いてくる。
帰りの運転があるのだろう、ビールを飲んでいる大人は全体の半数もいないが、かき氷のカップを持っている者が多い。
光世も征羽矢もアルコールばかり飲んでいたら脱水してしまう。
やや割高な自動販売機でペットボトルの麦茶を買って戻ると、そろそろ女が出走するところであった。
「はやくはやく!」
征羽矢が手招きしている。
これまでのパフォーマンスは、やはり濡れた路面の影響か、いまひとつ盛り上がりに欠けるようで、解説者はまた女が機嫌を損ねそうなコメントをしている。
『ここにきて!カーナンバー4ノースガレージB空知!雨が降ると断言したな!?もはや呪い!叩き出すのか!?最高得点!』
呪い。
そうか。
あれもまた、呪言の、言霊の、ひとつ、だったのかもしれない。
雨が降る、と、女が口に出せば、降る、それだけなのかもしれない。
そんなわけがないのに、光世の思考は無秩序に乱れ咲く。
エンジンを唸らせ、ハチロクが走り出す。
これまで見てきた車両と比べると、ストレートの速度自体はそこまで速くないように思えた。
くん、と鼻先がカーブの方向と逆に、ほんのわずかに振られた、ように見えた。
減速?
したか?
いやブレーキランプは一瞬は灯っていた気がする…
熟考している時間などない。
後輪が盛大なスキール音と水飛沫を上げて滑り出す。
『おっとぉ!このスピードで突っ込むのが空知!NAならではの挙動が懐かしい!そーのーまーまー!?流れるように第二コーナーへ!』
鮮やかに振り替えし、外枠いっぱいを使い、車体は完全に横向きになったまま、すさまじい騒音をまき散らして進んでいく。
「これ上手いんじゃね!?」
征羽矢が興奮して光世の膝をバンバンと叩いた。
『頭の!ネジが!吹っ飛んでる!空知!怖くないのか!?慣性の法則って知ってるか!?摩擦係数って知ってるか!?踏んだまま!フィニッシューッ!こーれーは!たまんないっ!文句なしの!暫定1位でしょーっ!』
カメラが運転席を覗くと、バサリとヘルメットを脱いだ女と目が合う。
にま、と不気味に笑い、それと不釣り合いな幼い仕草でピースサインを掲げる。
客席は喝采と拍手で溢れかえり、ピンクのタオルが宙を舞った。
「…よく、分からんが…すごいんだな…」
「…ね。すごいんだなぁ、知ってた気になってたけど、知らなかったな、てんちゃんって、ほんっと、すごいんだ…」
兄弟は2人揃って語彙力をなくして、ただモニターに映し出される得点表の一番上に躍り出てきた女の名前を凝視していた。
『有言実行!空知由希決勝戦確定ー!これによりランク外に落ちてしまったのは…』

2走目も1巡したが、さきの女の記録を超える数字を出せる選手はいなかった。
『予選トップ通過は!空知ー!由希ー!念願の今シーズン初決勝戦!NA車の決勝戦進出は1年ぶり、もちろん前回も空知ちゃんのハチロク!とのこと!午後の追走にも期待が膨らみます!』
叫ぶ実況に合わせて、グラマラスな効果音とBGMが破裂する。
『空知ちゃん!気分どう!?』
「どう…と言われましても…なんだろ…」
くしゃくしゃの前髪を掻き上げて、歯切れ悪く言い淀む。
『明日への意気込みを!』
「えーと…クラッシュしないように気をつけます。」
わははは、と客席から笑い声が巻き起こった。
「さっきの威勢はどーしたよ!」
征羽矢は少し酔っているのか大声を張り上げた。
と同時に、カメラが兄弟を抜いた。
今度こそ、と、ショッキングピンクのタオルを両手で頭のうえに広げて見せる。
金髪王道イケメン渾身の満面の笑みが巨大モニターに映し出され、なぜか、キャーッ、と黄色い悲鳴が上がった。
その隣で光世はなるべく縮こまって、トナカイのぬいぐるみで顔を半分隠していた。
女が運転席から2人に向かって手を振った。
その顔は汗だくで濃い桃色に高揚している。
決勝戦は明日の午前中に行われるそうで、ちなみに明日の天気予報は、曇り時々晴れ、である。

雨は霧のような小降りのまま、昼のインターバルに入った。
女がファンシートの下まで歩いてきて、大きく両手を振ってから、深々とお辞儀をした。
竜巻のように拍手が起こり、おめでとー!と声が飛ぶ。
「みなさんの応援のおかげで頑張れました!午後も、そして明日も、どうぞよろしくお願いします!」
他の観客たちに混じって手を叩いていた光世の脇腹を、隣の席の壮年男性が肘でつつく。
「あんた、空知ちゃんのカレシだろ?なんか言ったれや。」
だが光世は目を白黒させて黙り込んでしまった。
「ほれほれ!」
その男性の傍らにもビールのカップが数枚重ねられているところを見ると、気分よく酔っているようであった。
困って征羽矢へと助けを求める視線を送る。
だが。
「ユキちゃーん!きょーだいが!ひとこと!」
面白がって片手を上げて叫んだ。
そうだ、征羽矢も、らしくなく雰囲気に呑まれて酔っているのだった!
光世は眉をひそめたけれど、既に注目が集まっていて、どうにも逃げられそうにない。
ここでだんまりを決め込んだりしたら、せっかくブチ上がっためでたいムードに水を差すことに、なるのか?
「あ、あの…おめ、でとう、ございます…」
「あんだよそれ!立て!声張れよ!なんかもっと気の利いたこと言え!」
征羽矢と隣の男性に背中を叩かれ、きゅっと唇を結んだ。
こんなこと!
なぜ!
俺が!
だが向けられた期待を無碍にすることもできず、渋々と立ち上がり、キョロキョロとあたりを見回してから、息を吸い込んだ。
「…か、かっこ!よかった!」
ひゅーっ、と指笛が鳴り響いた。
女はさほどうれしそうにするでもなく、指をピストルの形にして光世の方へと向ける。
「惚れ直しました?」
どかん、とまた歓声が上がった。
そういう、ところだよ…
光世は恥ずかしさと煩わしさが半分ずつの心持ちで着席して、レインコートのフードごと頭を抱えた。
—----------------------
〜27に続く〜

 
2026/01/05 20:35:51(YzyCn3t.)
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