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〜まえがきのまえがき〜
⚠定期的に挟まってしまうエロ要素ナシ回だよという告知⚠光世さん、わたしに振り回されててかわいそうが過ぎるな⚠ 〜まえがき〜 ⚠書いた人はオタクです⚠某刀ゲームの二次創作夢小説です⚠暴力などこじらせ性癖の描写多々⚠自分オナニ用自己満作品です⚠ゲームやキャラご存知のかたは解釈違いご容赦ください⚠誤字脱字ご容赦ください⚠たぶんめちゃくちゃ長くなります⚠未完ですが応援もらえたらがんばります優しいレス歓迎⚠エロじゃないストーリー部分もがっつりあります⚠似た癖かかえてるかた絡みにきてください⚠ —---------------------- いま電話鳴らしたら野暮だよなぁ、と、手に取ったスマホを、またカウンターに置いた。 あのデカい図体をなんとかトイレから引きずり出しはしたが、完全に床で寝こけている。 吐くものは吐いたようだし、始発までまもなくではあるのだが、放って帰るのも忍びない。 普段からある程度は飲酒の習慣があるのだ、急性アルコール中毒というほどでもなかろうが、いかんせん自分の方が年上で。 その自分には弟がいて、まあ、こんなにイケメンじゃあないし、甘ったれで、とてもこの好青年とは似ても似つかないが、とにかく四半世紀以上を、兄として弟を守らねばと刷り込まれて生きてきたのだ。 せめてバックヤードのソファまで運んでやりたいのだが、なにをどうしたらこの筋肉の塊みたいな重量を動かせようか。 そのうちに目が覚めるだろ。 諦めて、自身の筆跡が散乱するカレンダーの裏紙を眺める。 征羽矢が壮大な嘘をついているとは思わない。 妄想癖があるとも思わない。 なにより、ときおり見せる焔の色の瞳や、刃物のように鋭く研ぎ澄まされた視線、会話の端々に零れ落ちる征羽矢ではない何者かの言葉遣い、それらが、このファンタジーがもしや現実なのかもしれないぞと迫るのだ。 あのとき、首を絞めてくれと乞うた女の、不気味な色気が呼び起こされる。 今ごろ、この真上の部屋で抱かれて喘いでいるに違いない… 想像してしまう、あんな陰気そうでコミュニケーション能力低めの光世と、スンとして甘い台詞なんて交わしてくれそうもない女とが、ねちっこくまぐわっているエロティックな光景を。 きっと普段から絞首プレイに興じているのだろう、でなければ、ああは、ならない… 手のひらに感触が蘇る。 なめらかな肌、脈打つ血管、震える声帯、沈み込んでいく親指、に当たる骨の硬さ、なぜか、止められない猛烈な殺意と色欲… あのフェロモンみたいなものが、審神者という職人の適性というか資質なのかもな、と仮定する。 日本刀、と検索して出てくる有名どころの刀について、現在の所在地や、かつての所有者、それにまつわる物語を流し読んでいると、うう、と唸り声がした。 ふと画面の時計に目をやると、1時間も経っていた。 親指と人さし指の腹で両のまぶたを軽く押さえ、くるくると回すようにマッサージする。 「…ソハヤくん、起きれそう?」 立ち上がり、冷蔵庫の中からミネラルウォーターのペットボトルを手に取った。 寝転がって呻いている征羽矢の傍らに膝をつく。 「ほら、いったん起きてよ?」 「…カラダ…いっ、ってぇ……アタマも…」 征羽矢はめいっぱい顔をしかめて、前髪をガシガシと掻き上げた。 「…水…」 城本はわざとらしく肩をすくめてペットボトルを手渡した。 小声で礼を言い、それの半分ほどを一気に喉の奥へと流し込む。 「なぁ、俺、なんか、余計な話、した…?」 「だいぶしたよ、おもしろかったよ。まだ聞きたいけど、帰らなきゃ。」 腕時計を見る。 「げ、んな時間かよ…クッソ…タイムカードやらねぇと…」 月が変わった。 本来の給与日が休日なので2日も前倒しされるのだ、振込予約を早く済ませておかねばならない。 金曜だから夜は忙しくなるだろうし、そして社長である兄が言うには、明後日の日曜にはスポンサー企業の代表と、今後の付き合い次第では支援協賛してくれる可能性のある会社のゼネラルマネジャーが飲みに来るという。 普段通りでいいよ、と伊藤はいつも言うが、そういうわけにもいかない、ちょっと念入りに掃除したりグラスを磨いたり、予定しているミックスに使用する楽曲の予習もしておきたい。 月曜には引っ越しだ。 まだ荷物は3分の1程度しか片付いていない。 「二日酔いで目ぇ覚ましてそれ言えるってすごいな、よっぽと経営者っぽいよ。」 ぐらぐらと鈍痛に揺れる頭の中で、まあ、兄弟はこーゆーの苦手だからなぁ、仕方ないだろ、と言葉を紡ぐが、口を動かすのが面倒で、意味のない会話を切り上げた。 「…お疲れっした…夜も、頼んますね、すんません、足止めしちまって…」 脱力した両足では立ち上がることもできず、冷ややかな床にへたり込んだまま、こみかみをトントンと叩いた。 ウイスキーの飲み過ぎでくらう二日酔いはパンチが強い。 城本は不敵に薄く笑って、リュックを背負う。 「まぁ、自業自得ではあるから。お疲れさまでした。また夜に。」 はっ、と顔を上げる。 そもそも、天然タラシの従業員にお灸を据えようとしたのが発端なのに、すっかり呑まれてしまった。 「…そうだった…!とにかく、てんちゃんにちょっかいかけるのは、やめろよ…!」 悔し紛れにがなった台詞は、不思議と自身の胸にも突き刺さる。 城本はそれを見越して答えた。 「分かってるって、もうしないよ、二度と。ソハヤくんもね?」 その疑問符のついた語尾の余韻を残して閉まった扉へ、ようやく毒を吐く。 「…うっせーな…一緒にすんなし…」 とにかく頭が痛い。 迎え酒なんて根拠のない民間療法に頼るくらいしか、打開策は思いつかない。 はいつくばって移動して、カウンター下のコンテナ在庫の、低アルコール果実リキュールの瓶を鷲掴んだ。 見慣れたノースガレージの作業用のツナギに満足している。 スニーカーは、普段履いてるものじゃない、レース本番で願掛け半分の気持ちで着用する、ショッキングピンクのハイカットスニーカーだ。 光世の前でこれを履いていたことはなかったように記憶しているのだが、どこかで見て知って印象に残っているということだろうか。 光世が手にしている白い無地のノーブランドのヘルメットは、初めてサーキットへと連れて行ったときの同乗走行で、光世が被ったレンタル品だ。 それを差し出すので、女が受け取ろうとして手を伸ばすと、つい、と引いて、渡してはくれない。 「…あんた、俺が…好き、なのか…?」 ヘルメットと交換だ、とでも言いたげに問う。 バーボンに酔ってふにゃふにゃになって、やっと本人の口から聞いた、あの告白は、演技や嘘じゃなく、適当なゴマすりでもなく、本当に本心なのか、光世はまだ信じてはいなかった。 女はヘルメットを奪い取ろうと、バスケのディフェンスのように腕を広げた。 「フツー面と向かって聞きます?デリカシー死んでます?」 心底、嫌そうな顔をされ、光世のメンタルが挫けそうになる。 やはり、あれは単なるご機嫌取りだったんじゃないか。 予想はしていたじゃないか。 ぬかよろこびだと、言い聞かせたじゃないか… 「…なんでもない…聞かなかったことに、してくれ…」 覚悟はしていたじゃないか、所詮は、少し仕事で利害の絡むセフレ程度の関係… 渋々とヘルメットを手渡す。 女は、それをぎゅっと胸に抱き、俯いて、唇を、尖らせた。 「…好き、ですよ、なんかね、理由とか、よく分かんないですけど…」 光世がぱっと顔を上げた。 表情に光が差す。 「…!そ、う…か…」 この際、理由なんてなんでもいい、なくてもいい。 浮足立つ。 が、女は暗い目をして、斜め下、付け焼き刃のアスファルトの路面に視線を這わせている。 「…だから、謝ったじゃないですか。申し訳ないと思ってますよ、こんな…」 謝る。 そうだ、確かに謝っていた。 好きでごめんとか、愛していてごめんとか、ほざいていた。 意味は分からなかったが、とりあえず謝るなとは伝えた。 許しを請わねばならぬほどに、光世にそういった情感を抱くことは気が咎めることなのか。 その疑問が光世の心臓の奥にひっそりと影を落としていた。 「…なぜ…?」 誰の許しも必要ない。 どうして、なんの罪悪感に苛まれるのか。 「…だって、」 女はしどろもどろに単語を探る。 ヘルメットを抱えた腕がかすかに震えている。 「だって、こんな、えっと、なん…え?…と、年増の、芋女に、ガチめに好きとか、言われても、キショいし…」 いつもの強気な物言いはどこへ。 「…キショくない、俺は、あんたを…あんたが、好きだ、俺も。」 光世が、ゆっくりと、言葉を選んでいく。 だが女はそれをたやすく否定する。 「…いえ、だって、ほら、前に、愛とか恋じゃないってイキったクセに、ダサいし…」 「べつに、ダサくない…」 自己肯定感の低さは十分知っていたが、卑屈が過ぎる。 「だっ…だってミツヨさん、かっこいいし、たぶん優しいし、お仕事、プライド、さいのう?すごいし、セックス強いし、ほかにかわいい子がいくらでも好きになる…」 「俺は、あんたが、いい…」 苛つく。 夏の幻では暑かった、日差しと地面から立ちのぼる熱とに挟まれて汗が滴る。 光世が頭上に手のひらを掲げると、空にさぁっと雲がかかった。 「わ、わたし、なんて、こんな、き、きたなくて、」 女の前髪は厚く、俯く目元を隠している。 光世は、その髪をかき分けて額に触れた。 「汚くない!なんの、話を、している…!?」 泥水のような濁った瞳がふたつ、ふらりと宙を彷徨っている。 「…え?…でも、わたし…ね、分かるでしょう?じゅ、十何年も?あの、あいつに!あいつを…ゆ、許してきた…きっ、きっと、また、目を。目を、合わせて、め、めいれいされたらにげない…また、おなじこと、きっと、」 静かに呼吸が速くなる。 時間が流れるだけ当たり前に年を取っただけで、その内界は、まるで少女のままで。 囚われて凍りつかされているままで。 光世は吠えた。 「…それは、ただの、洗脳…マインドコントロールだ!あんたに…!非はない…!また、など、二度と、そんな目には合わせない…!俺が…!俺が、いる、守る…!」 殴られて脅されて犯されるのを幾度となく繰り返してきて、パブロフの犬のように、条件反射で、暴力に反応して身体は熟れて男を迎え入れる準備を整えてしまう。 それを脳は快感と判断して屈辱的な奉仕を強いる。 自分で気付けない、そういうふうに、躾けられただけだと。 そいつの欲求を満たすためだけに育てられた愛玩動物、よもや、奴隷だと。 荒んだ命がチリチリと燻ってなんとかかんとか、終わりかけの線香花火が如く燃えている。 ほら、いのちのじゅうでんをしろよ。 走れよ。 女の背後へと目をやる。 レース仕様のハチロクがたたずんでいる。 駆動系の構造など知らないが、いちど運転したことがあるから、まあ、あれでいいだろう。 走れよ。 「…走れよ、踏めよ、踏め。」 神の御業をぞんざいに扱われるのは本意ではないが、燃料もタイヤも減りはしない。 今回ばかりは甘やかしても然るべきか。 思う存分に、走って、踏んで、笑って、欲しい、と、願う。 願う。 「お風呂!お風呂にしてください!」 バサリとヘルメットを脱ぎ去り、乱れた髪をぐしゃぐしゃとかき回した。 光世に背中を押されてハチロクに乗り込んだ直後は、まだ不安そうな顔をして、好きとか愛とか恋とか語ってしまったことについて後悔しているような素振りをしていたが、なんの、コースへ送り出せば、ほんの数周を走るうちにみるみる調子を取り戻した。 コースのかたちは、スタンド席から日がな一日眺めていたシオハマサーキットのものを模したつもりだ。 次の公式戦は全畑サーキットで開催されるのではあるが、くだんのコースは広く複雑な形状だったし、助手席に座って2周ほど周回しただけ、あとはレストランの窓からぼんやりと見ていただけなので、あまり覚えていなかった。 そうだ、あのときは、人生で初めてサーキットという空間に足を踏み入れて、数年ぶりにハンドルを握ったのだ。 森下が伊藤に話をつけて、スポンサー契約をするとかどんどんと展開が進んで、おかげでビジネスカップルを演ずる羽目になって、まさかこんなに車に縁のある暮らしをすることになろうとは夢にも思っていなかった。 最初の1周を終えて、女はドアを開けて指をさして言った。 「第2コーナー、あそこね、もう、もーうちょぴっと、カーブきつくできます?」 元気そうで、楽しそうでなによりだよ、光世はため息をついた。 ぐるぐると何度もコースを周回する。 速度はだんだんと速くなる。 トラクションが強くかかってサスペンションスプリングが軋むのを見た。 後輪がゆっくりと滑り出す。 白い煙が立ちのぼり、スキール音が鳴る。 光世が下に向かって手を振ると、パイプ椅子がいつの間にかそこにあり、それに、どさ、と身体を沈めた。 疲れた。 女のマゾヒズムに付き合うのも、気ままな言動を真に受けてうろたえるのも。 わたしなんて、わたしなんか、を繰り返す精神をフォローするのも、その原因を作った男に対して怒りを燃やすのも。 なにもかも終わりにしないか、と、大典太光世が囁いている。 もう一度、じっくりとあの女を壊して、もう元に戻さなければ済む話だ。 サーキットの奥に見える空や山々はただの飾り、絵画のようで、雁が飛んでいくこともなければ、雲が流れていくこともない、風に木々が揺れもしない。 スタンド席に観客はない、パドックにクルーもいない。 便宜上?排気ガスの匂いと焼けたゴムの匂いはするけれど、すべては光世のイメージの域を出ない。 何時間経過しても太陽の位置は変わらない、光世の、気まぐれ次第。 永遠が、ここには、ある… かつて女を、逃さない、と脅したことがあったし、今となればそれが可能ではあるのだが、これ以上リカーシブさせて、なんの意味がある? 長いときをひとりで過ごすのには慣れている。 ほんとうに、のぞみどおりに、ころしてしまおうか。 そうすべきだ、大典太光世が半笑いで頷くのを、頭を振ってかき消す。 女の気が済んだら、帰さなければ。 と、煩悶していたところに、戻ってきて唐突な風呂の要求であった。 「…俺は、もう、疲れた…風呂は、帰ってからで、いいだろう…?」 ジグソーパズルを壊すように、景色が千切れて、流れていく。 光は滲んで、霞んで、瞬いた。 まばたきをすると、そこは、ベッドの上の、綿のへたった布団の中であった。 ブラインドの隙間から、縞模様の太陽光線がフローリングに落ちている。 「…あれ?いま…」 女は上半身を起こした。 ずいぶん飲みすぎたが頭痛も胃痛もない。 昨夜晒した醜態については考えたくもないが、飲み屋で働く男たちにとってはよくある話かもしれない、さほど誰も気には留めていないかもしれない、と言い聞かせた。 そして、五体は、満足だ。 「…昼過ぎだ、兄弟は、まだ店か…?」 光世がスマホを手に取り、電話をかけてみるが、コール音が響くだけ。 「…寝ているのか…」 受話器マークを押してアプリを閉じ、女へと振り向く。 「…興が乗っても、死にたい、とか、殺してくれ、とか…言うなよ、兄弟にも…たぶん、同じことが…できる、だろ…」 「言わないです、ちょっと凝りました。」 女は肩をすくめた。 「ハードなSMしたいときにはまたお邪魔しますね?」 「…そういうのも!…やめた、ほうが、良いように思うが…」 光世は呆れて、首の後ろに手を添えてゴキリと鳴らした。 「…次こそ…帰せるか、どうか、自信はないぞ…?」 布団の上でゆるりと身体を斜めにして、しどけなくはない目線で光世を見上げる女の顔を、手の甲でそっと撫でる。 「カミサマムーブ。」 ムードなく茶化され、むっとして、かがんで口づけた。 今のは、夢? するり、と腕を光世の背中へと回す。 その腕はじっとりと汗ばんでいる。 ちょうど眠って起きるくらいの数時間が経っていた。 アルコールはほぼ抜けていて、眠気はない。 光世の言う通り、少し疲労は残っているが、それはまあ、もう若くない、毎日のことだ。 もしまだ東雲前で玄関で寝転がっていて泥酔していたとしたら、夢ではなく幻?と仮定していただろう。 「…来週、水曜から、会場、前乗りするので不在にしますからね。」 おでこを、コツン、とぶつけて、突如として予定を伝える。 光世は目を丸くした。 「…それは、まさか、ひとりで行くわけじゃあ、ないだろ…?」 「ノースのみなさんと一緒ですよ、ご心配なく。他のドライバーさんとメカニックさんと、広報さんもですかね。」 『なぜスケジュールを逐一報告してもらえると思うのか』と、いつか征羽矢に冷たく言い放ったことを思えば、たいへんな進歩である。 仕事が目白押しだ。 来週末の公式戦2日間を終えたら、ファッション誌のインタビューと撮影があって、それが済んだらオースクルターレリアから依頼の広告モデル。 疲れている暇などない。 SNSを更新しろと、森下から口うるさく催促されている。 どうだろうか、ましてや、バイトしている暇もなければ、既婚者と不倫している暇も、もちろん、ないのだ。 「ふふ、」 意味ありげに不穏に笑った女を、光世は気味悪そうに見つめた。 征羽矢と連絡がつかないまま、そろそろ出勤の時刻となる。 階下の様子を見に行っていた光世が戻り、首を傾げた。 「…いなかった…」 大の男がほんの半日ほど電話に出ないからといって騒ぐこともない。 マンガ喫茶かどこかで眠っているだけかもしれないし、出かけた折に映画を観に行っているとか、久しぶりの友人に会いに行っているとか、そんなところだろう。 「珍しいですね、でもたまにはお休みしてもいいんじゃないです?」 女が酔っ払って部屋に上がり込んだがために帰宅できず、それでどこかへ出かけているのは確定だ。 申し訳ないと思うし、それならばついでに羽を伸ばしてきて欲しい、と、願うことで罪悪感を軽減させる。 「…そうだな…開店、準備、してくる…」 「私も行きます、ソハヤさんこっちに帰ってきたら、またややこしいことに。」 「そう、か…」 さいわい、濱崎がオープンから入っている日だ。 仮に征羽矢が欠勤してもカウンター業務はどうにかなる。 光世がメッセージアプリで、休んでも大丈夫な旨を伝えた。 返信はない。 ぼちぼちと店内を掃除して、レジを立ち上げドロアに札と小銭を用意する。 征羽矢であれば酒の在庫棚卸をしたりフードの下拵えをしたりするのだが、勝手がわからないのでしかたなく音響装置のサウンドチェックを始めた。 「おっはよーございまーっす!」 そうこうしているうちに、元気いっぱいに濱崎がドアを開けた。 「…おはよう、さっそくですまんが、カウンターまわり、見てくれ…兄弟が、遅れる…」 「おっけーっす!」 ビールサーバーのクリーニングを手早く済ませて、キープボトルを整理する。 冷蔵で提供するドリンクを補充して氷を準備していると、バタバタと賑やかな足音が近付いてきた。 征羽矢が慌てた様子でやって来たのだ、手には数種類の生花を持っている。 「ごめん!遅刻!」 「おはよーございます!表だいたい終わってまっす!」 「うわ、さんきゅ。助かり。」 ふと見ると、征羽矢の左頬が見事に紅葉している。 「どーしたんすか、それ。」 濱崎が面白がっているふうに尋ねた。 征羽矢は、花を、手持ち無沙汰にホールのテーブルを拭いていた女へと手渡す。 適当に花瓶にさしといて、と、言わなくても、通ずる。 カンパニュラとスターチスとトルコギキョウとカスミソウだ。 カンパニュラとトルコギキョウのふわふわとした花びらが愛らしい。 「んー…知らない女のコにひっぱたかれた…」 「!?」 その場の全員が思わず振り向いて、征羽矢の顔面を注視した。 「いやー、起きてさ、朝風呂?昼だけど、入ろって、表通りの銭湯行く途中でさ、」 人さし指で、ポリポリと、赤くなった頬を掻く。 「ナンパされたから、ラブホ行って、しょーがねーから1発ササッとヤッて、あと夕方まで寝ててさ、やべ、帰るわっつったら、殴られて出てかれた。」 女が呆れて征羽矢を睨みつけ、吐き捨てるように言った。 「さいってー。」 「だろ?おごってくれるっつったのにさ。」 着ていたしわくちゃのシャツのボタンを上からはずしながら、顔をしかめた。 昨夜から着ている、酔った女がひどく胸ぐらを掴んだから、襟元がみっともなく乱れたままのシャツである。 それには目を合わせないように、女はじっとりとした視線を送った。 「いえ、ソハヤさんが、ですよ、最っ、っ低。」 「俺?」 征羽矢は、心から意外そうな、びっくりしたような顔をする。 「常識人かと思ってたんですけど、なんなんですかね、この、興味ない事象に対しての破滅的な無頓着さ、というか、無礼さは。」 女がテーブル席に据えてある花瓶を持ち上げカウンターに置くと、濱崎がさっと流しで水を入れ替えてくれる。 引き出しから用意してくれた花切狭を受け取り、花を包んでいる新聞紙とビニールを破り捨てた。 「俺、べつに、好きなひとじゃないひととセックスしたくねーもん、疲れるし。」 女が手際よく花を束ねて長さを整えていくのを、じっと見つめ、征羽矢は面倒くさげに唇を尖らせた。 そんなことは分かりきっている、それが正常だ。 ではなぜホイホイとついて行ったのか、という話なのだが、本人はいまいち理解していない。 かわいそうな女の子に殴られてしかるべきである。 かつて光世のことをポンコツだと笑ったけれど、征羽矢もなかなかに曲者ではある。 「とりま着替えてくるわ、ごめんけど、濱崎、米炊いといて?」 「りょーっす。」 シャツを脱ぎ半裸で裏口から出ていく、その背中に生々しい爪痕とキスマークを見て、またもやその場の全員がごくりと唾を飲んだ。 そのうち覚えのない女性に刺されでもしたとて、やむなしか。 見るからに征羽矢狙いの、週に2、3回来店する女性客のグループと、カウンター越しにゲラゲラと笑い声を上げている。 あのルックスであのキャラクターで、モテないはずがないのだ。 恋人がいないというほうが信じ難いくらいだ。 先の話もそうだ、昼間っからナンパなんてするくらいだから、相手の女の子も、まあ、軽いタイプではあるだろう、が、誘って、同意して、抱かれて、夢見心地だったところに、一気に冷めた態度を取られて。 その怒りは至極もっともである。 会話の流れでか、征羽矢が、そのうちのひとりの、揺れるピアスに触れた。 安易に思わせぶりにボディタッチをしたりもする、ああいうのが相手を勘違いさせるのだということを、本人は知らない。 出番を終えた光世は、女の隣に座って静かにビールを飲んでいる。 すぐそばで無表情でグラスを傾けている光世の顔を見る。 カウンターに肘をついて派手めの女の子たちと談笑している征羽矢の顔を見る。 その横で器用にシェイカーを振っている濱崎の顔を見て、遠くDJブースの中で俯き加減にリズムに乗っている城本の顔を見る。 「この店、レベル高…」 それは顔面偏差値とモテ度についての呟きだったのだが、光世は満足そうにステージ上の城本を眺めた。 「…そうだな…城本は、ヤンキーから脱却した、かな…」 今夜のミックスも、これまでのウケ重視のセクシーなR&Bなんかとは違う、オルタナに寄った余白の多い曲を縒っている。 「ヤンキー?シロモトさんが?」 「…なにか思い違いを、しているな…?」 光世が少し口角を上げた。 「…音楽作りの、傾向、だよ…あいつは、空気を、読みすぎるきらいがある…逆張り、違和感…を広げる才能が、たぶんあるのに…」 「へえー。ホリエさんは?」 「堀江は…まだ、若い…これから、だろ…」 音楽性の解釈と技術のレベルが高いと称賛されたと思っているらしく、非常にご機嫌である。 そしておそらくその通りではあるのだろうが、それについて言及するには、女には知識も経験も足りない。 勝手なポジティブな誤解は放って置く。 「クラブの経営者っぽいこと言いましたね。」 「…クラブの、経営者、なんだよ…」 不規則なビートと光世の低い声が心地よく胸に響く。 客は多く、ざわめきもほどよい。 素晴らしい夜だ。 生きているからこそ出会えた、新たな夜。 を、何度、これから、越えるだろうか。 面倒なことが多いし、消し去りたい記憶も多い、けれど、とりあえずもうしばらくは生きていてもいいかなと思い直している。 殺してほしくなったときは、すぐに実現してもらえる安心感と頼もしさもある。 あんなすごいことができるカミサマなのに、ちゃんと勉強して努力して経営者として労働していて、偉いなぁ、ととんちんかんな感想を抱いた。 もし自分が神だったら、きっと気の向くままにリストラクチャを繰り返し、世界を翻弄して遊び暮らす自信がある。 「ね、また、かしてくださいよ、お庭。」 「…庭、と、言うなよ…!」 移動も燃料もその他の消耗品も、もしかしたら、時間さえも、なくとも心ゆくまで走れるなんて、天気、つまるところ路面状況さえ自由に操れるなんて、とんでもない理想郷だ。 もっと女にとっての理想郷の解像度を上げるためには、様々な車を運転させて、様々なゲームセンターへと連れ歩き、様々なマンガを読ませてアニメを鑑賞させるべきだな、とほくそ笑む。 自身の好きな食べ物を一通り食べさせて再現を可能にしておくのも必須だ。 と、そこまで考え、思い至る。 そのためには現実でずいぶん濃密なデートをたくさんこなす必要があるわけで。 ちら、と光世の横顔を覗き見る。 「…なんだよ…?」 「いえ、なかなか思うようにはいかないなっていう気づきです。」 いったいなんの話だ、と言いたげな口元はビールに濡れて色っぽい。 「お疲れっした。」 「しゃーしたーっ!」 城本と濱崎が定時で退勤。 閉店作業もおおかた終え、女が征羽矢に言った。 「引っ越し準備しないとなのに、昨夜、申し訳なかったですね、今日はちょっと出てきますので。」 日報をつけていた手を止めて顔を上げる。 「どこに?」 「どこに、って…ことも、ないんですけど、まあ、ぶらぶらしようかな、と。」 少し車で寝て、それから家で洗濯と風呂だけ済ませて、エアコンの効いたファミレスで読みかけの本を読むか、未クリアのゲームの続きでもするか。 それに飽きたら、環状線を少し走るか。 「だめだってば、ひとりで出歩いたら。」 征羽矢が眉を寄せた。 女は不満げに視線をそらしてボディバッグを背負った。 「…おまいう案件。」 「?」 「酒の抜けてない悩ましい顔でふらふらしててナンパにノッたくせに、かわいい女の子に辛い思いさせて、そんなことばっかしてると、そのうち誰かに報復されると思いますので、重々お気を付けて。」 踵を返そうとする女の前に、光世が無言で立ちはだかった。 征羽矢が代弁する。 「それとこれとは違うだろ?」 「同じですよ、わたしもそのうち報復される、かもしれない、って思ってるでしょう?」 「てんちゃんのは報復とかじゃねーじゃん。ストーカー野郎の過激行動じゃん。」 女は、つい、と背伸びをして、仁王立ちで行く手を阻む光世の首に腕を絡めた。 「…報復ですよ、一種の。」 軽いキスをする。 どいてくれないかな、という意味である。 「…何に対する?」 ようやく光世がしゃべったけれど、それには答えない。 その答えを追求したことはない。 あの男が自分の人生をめちゃくちゃにしたのと同時に、自分が、あの男の人生を破滅させてもいる、と、うっすらと勘付いているだけだ。 征羽矢が、ふう、と息をついて肩を落とした。 「いつまでこんな生活続ける気?来週のレースが終わったら、被害届出すか?」 「こんな生活を続けてるのはあなたたちであって、わたしは、べつに。」 ラブホで寝こけていて幻滅されたとは言ったが、征羽矢の表情には疲労が見られる。 わたしのことなど放っておいて、きちんと自室で眠ったほうがいい、女は老婆心をのぞかせる。 優しく伝えればいいのか? 『心配をかけてごめんね?あなたの言う通りにするから、だいじょうぶ、どこへも行かないよ?』 想像するだけで鳥肌が立つ! けっきょくドライな物言いしかできない。 「…そうだったな、ほんっと、めんどくせー…」 「こっちのセリフですよ。」 小競り合いに痺れを切らして、光世が割って入った。 「…絃歌堂に、行ってくる…あんた、暇なら、付き合え、荷物が多い…」 げんかどう。 と、言われても、それがどこで何をしに行くというのだろう。 荷物が多い、ということは、荷物持ち要員か、あるいは、車両が目的だ。 それならば悪くない。 もともと予定があるわけじゃない。 「お、予約してたやつ入ったんか!じゃ、ついでに、これ頼む。」 征羽矢が光世に買い物メモを渡した。 家族経営の店を維持するためには、実労働時間外もやらねばならぬことがたくさんあるのだ。 それこそ疲れている暇はない、よその店でバイトしている暇もないし、恋人を神域に閉じ込めてイチャついている暇も、本来は、ない。 「光世くん、いらっしゃい。えらい繁盛してるらしいじゃん。これ、注文の分な。中、目通して。」 絃歌堂というのは、繁華街の外れにあるレコードショップであった。 口ひげが立派な壮年男性が、大きな段ボール箱を持って来た。 光世はていねいにお辞儀をして礼を言う。 「…ありがとう、ございます…いつも、無理を聞いてもらって…」 「きみのリクエストの音盤探すのはけっこう楽しいんだぜ。S.yama.Jのオリジナル発掘するのに骨だったけどな。ちょっとパッケージの端が折れてるけど、勘弁な。」 箱には大量のレコードやCDが入っている。 それを1枚1枚、表裏とケースの中身を確認していく。 「…ぜんぜん、問題ないです…」 女は興味深げに店内を見渡した。 男性と、ぱち、と目が合った。 メロイックサインを掲げる。 「レーサーのカノジョさん?どう?楽しんでる?」 「?」 「人生!音楽のある人生、光世くんの音楽のある人生!楽しんでるか?」 一瞬、悩んでしまう。 物理で殺してくれと懇願するくらいには、昨日は人生に嫌気もさしていた。 だが適度な嘘は方便であることはよく知っていた。 「あ、はい、楽しいです。あんま分かんないんですけど、ミツヨさんの音、好きです。」 光世の態度を見るに、この男性も音楽関連の業界でそこそこ以上に重鎮、といったところか。 ショップの店長ではあろう。 しかし各種音源に精通しているだけではあるまい、可能性とすれば、ベテランのDJやもしれない。 「いーね!ゆっくり見てってよ、聴きたいのあったら、聴いてって。」 そう言ってレジカウンターの奥のカーテンの向こうへと姿を消してしまう。 年齢の割に軽薄そうではあるが、どことなく品と知性がある。 光世が懐いている様子なのも納得だ。 「サブスク全盛の時代に、エモいですね。」 ワゴンに乱雑に平積みにされているCDを1枚手に取った。 なんとなく目についた、夜を思わせる真っ黒な背景に、白と黄と橙と赤の光が滲んで流れている写真は、運転席から見る光景にとてもよく似ていた。 アーティストの名前は知らなかったが、日本のポップスバンドのようだ。 「最近は、クオリティの高い音源、ソフトも…充実しているし、な…」 光世は、女が見ているCDを覗き込んで言葉を続けた。 「…気になるなら、一緒に支払う。」 「中身聴いてないですよ。」 「…ジャケ買い、も、大切なインスピレーション、だ…こういうのは、出会い、だから…」 自身も、注文していたものの他に数枚を選んで店長を呼ぶ。 ボールペンでA4サイズの納品書に追加を書き込みながら、ふと問われた。 「ちょっと重いけど、大丈夫そう?」 光世は、こくり、と頷く。 「…車、なんで…」 「got't!」 店長は、なぜだか嬉しそうに、ぱちん、と小気味よく指を鳴らした。 征羽矢に頼まれていた買い出しを済ませると、カリーナは荷物でいっぱいになってしまった。 4シーターではあるのだが、昨今の車内空間の広い車とは違う。 「ねっ、車って、便利でしょう?」 女が得意げにハンドルを切る。 たとえ荷物持ちが1人いたとして、これだけの買い物をいっぺんに片付けることはかなうまい。 「…ああ、助かったよ…」 女の自宅へと向かっている。 朝に干した洗濯物はきっと強い日差しで既に乾いているだろう。 それに、やはり少しでも、布団できちんと眠ったほうがいい。 「…あんた、もう、その…サーキットへ、れんしゅう?行かなくても、いいのか…?」 「練習するに越したことはないですけど、タダじゃないですからね。交通費も、燃料も、タイヤも、オイルも…」 渋い顔をしている。 こういう顔が、ほんとうによく似合う。 「自費、なのか…?」 「アマチュアですから。全畑次第で、正式にチームに入れてもらえるらしいです。」 SNSなどでは、Team North Garageと一括りにされていたようだが、待遇には随分と差があるようだ。 「プロ、に、なるのか…」 いわゆる、プロスポーツ選手になるのか、と考えてみる。 人気のアスリートは、ほぼ芸能人だ。 ゴールデンタイムのバラエティ番組に出たりもする。 ただでさえ、光世とのキスシーンが拡散されて以来メディア露出が増えて、知名度がうなぎのぼりに上昇しているのだ。 自分とは住む世界を分かつことになってしまうのでは、という不安が押し寄せる。 が、それが表情には出ないので、こと色恋沙汰に鈍い女に汲み取ってもらえるはずもなく。 「…わたし、組織に属するの、苦手なんですよね…」 よく分かる。 そろそろ通い慣れてきた、生垣に囲まれた狭い生活道路を進むと、ボロい長屋が見えてくる。 憎い白い車はいないので、ほっと胸を撫で下ろした。 あいかわらず雑多な物置倉庫のような寝室で眠っていた光世が目を覚ますと、女は隣室で昨シーズンのドリフトのグランドプライズの動画を見ていた。 華やかなレースクイーンたちの自己紹介からのほほんと始まり、続いてマシンが1台ずつサーキット上をゆっくりと走行していく。 選手はそれぞれ、開いた運転席のドアから人さし指を天に向かって突き出したポーズで、観客たちを煽る。 実況がこれまでの戦績や所属チームについて説明したり、ドライバーのキャラクターをコミカルにいじって会場の笑いを誘ったりする。 その間、ずいぶんと長い時間、BGMが流れているのを聴いていて、女の背中越しにぼんやりとモニターを眺めていた光世が鼻を鳴らした。 「…大雑把な繋ぎ方だな…」 玄関のガラス戸から眩しい日差しが斜めに差し込んで畳を白く染めている。 昼寝などしてしまうと、夏はとくに、時刻が分からなくなる。 女は振り向かずに問うた。 「?…もしかして音楽の話してます?」 「…それ以外、なにがある…」 光世はゆっくりと身体を起こして、丁寧にバスタオルを畳んだ。 「へぇ、こういうの、つなぐ?ミックス?してる?ってことになるんですね?」 「…まあ、広義で、いえば…」 「そりゃ、音楽のイベントではないですからね、本職のかたの眼鏡にかなうのは、無理ぽ。」 「…少し、3分くらい、戻せ…」 ベッドから立ち上がり、女の背後からマウスを奪った。 シークバーを左方向へと引っ張る。 キーボードとマウスを操作して、動画のほかに立ち上げた特殊なブラウザで音を記録しているようだ。 「…ここ…」 ほんの1分ほどの作業を終え、再生マークをクリックする。 曲が変わる個所、ぷつん、と、半瞬の無音で途切れている。 「…おれなら、こう…」 女には分からない、なにか、ちょこちょこっとドラッグドロップを繰り返すような動作をして、それから再び再生の三角を叩くと、さきにはブツ切りだった曲の切れ目が、滑らかにナチュラルに結びついていた。 「…これは…現場で、この音量で、鳴らしてるんだろ…?」 「そうですね、音響ブースがありますね。DJって感じじゃないですけど、実況が解説してないときは…えーとね、たとえば、キッチンカーとか来るんですよ、その紹介したり、グッズの宣伝したり、たわいない雑談したり…こう、深夜のラジオみたいなテンションでしゃべってますよ。」 光世は、ほう、と感心したような息をついた。 「…それは、立派なDJなんだよ…」 自分が知らない世界で、自分と同じように音を生業にしている者がいて、陰ながらイベントを支えていると思うと、くすぐったいような気分がした。 「そっか、この人って、DJだったんですね…」 女は女で、あの店にたどり着くまではDJなんて縁遠い人種、職種で、脳裏によぎることもなかったのに、身近にあって自身の界隈を盛り上げてくれていたと知って、少し驚いていた。 光世は、机の上の冷めたコーヒーを取る。 半分ほどが残っているので、許可なく唇を寄せる。 色気のないインスタントの香りと味である。 「…あまり面白みはないが、な…いや、トークの内容は、知らん…音の、話をしている…」 壁の時計を見ると、そこそこしっかり睡眠がはかどっていたことが分かった。 「…風呂、借りる…」 勝手に飲み干して空になったマグを持って、サンダルをつっかけて土間へ降りる。 それを流しに置き、横の風呂場のうっすらとカビた扉を引くと、ぎぎっと音を立てて軋んだ。 手早く風呂桶を洗い、水を張る。 女がこの家を手放さないと言うのなら、光世が越してきてもよかったのだが、契約の入居人は単身と定められているらしい。 蛇口からほとばしる激しい水音の奥に、きっと腹立たしいだろうエンジン音が聞こえてこないか、神経を尖らせて耳を澄ませるしかない。 そうだ、そもそもは、あの男を、拒否あるいは抵抗する意思があった。 それが脅迫そして懐柔され、正常な思考は破壊されて、飼い慣らされ、心を殺され、疑問や嫌悪感を抱くことさえ奪われて。 なんとか、あの雨の夜、捕まえた、けっして女のせいではないが、間違っていると、認めさせた、こんなこと、許されるわけがないと、恐怖がないわけがないと。 さらに、脳や内臓を蝕む希死念慮に、迫った。 光世にとっては本意ではなかったけれど、自身の精神世界で、そのとっかかりを掴んで、呼び止めた、つもりだ。 土間から、いつもどおり平然としている後ろ姿を見やる。 髪はぼさぼさに乱れているし、着ている寝間着替わりのTシャツは襟ぐりが伸びてだらしない。 みっともなく口を開いて大あくびをして、ひどく顔をしかめて眉間にしわを寄せている。 理由は分からないけれど好きだと、女は光世に言ったが、光世だって、分からない。 審神者の魂を重ねて見ているだけかもしれないと冷え冷えとした覚悟をしながら、違う、という確信に近い思いもある。 吐出口まで水が貯まった。 点火ハンドルを回す。 初めて見たときにはどのように支度するのか想像もつかなかったのに、今となっては手慣れたものである。 「…あんた、来いよ?…頼むから、ひとりに、なるな…」 「えっ、もう沸きました?入ります入ります。」 「…風呂の話じゃない、夜、店…」 こんなに心配しているというのに、本当に伝わっていないのか、気付かないふりをしているだけなのか。 「わかってますって、うるさいですね。」 不満げな声とともに、ぐぐっと伸びをする。 逆光にそのシルエットが濃く浮かび上がっている。 これのなにが、他の者を惹きつけるのだろう、例のDV男然り、弟然り、同性である若菜も、ドリフトレースのファンたち、どうだろうか、おそらく、既婚の城本も、そしてあの本丸の刀剣男士たち、そして、なぜか、敵、時間遡行軍の連中… 軽い目眩にまぶたをつぶる。 奪われるくらいなら閉じ込めてしまおうと大典太光世は唆してくるけれど、まだ、尚早か。 しばしこめかみを抑えてから、雑念を振り払うようにシャツを脱ぎ捨てた。 若菜が女の手を取って、リスのように頬を膨らませる。 「欠けてるじゃん!気にならないわけ?」 女は、しまったなぁ、というふうな苦笑いを浮かべた。 「ほんのちょこっとじゃないですか。ぱっと見わかんないですよ?」 その言い訳に、美しく几帳面にアイラインの引かれた目尻が、きゅうっと吊り上がる。 「誰かに見せるためにしてるんじゃないのよ!ジブンをアゲるためにしてるんだから!」 「なるほど?」 こてん、と首を傾げた女に、まったくもう、とため息をついた。 「…ズボラなんだから…おーきゅーしょちだからね?」 そう言って、ポーチの中からラメ入りの紫色のマニュキュアを取り出し、三角形に割れて失われたネイルの先に厚めに塗る。 元が濃いグレーなのでまったくの別物なのだが、ラメが乱反射しているためかさほど違和感はない。 「またちゃんとやったげる。」 女は、カウンターの上の薄い明かりに、キラキラと光る爪を透かした。 手のひらの形の影が顔に落ちているのを見て、若菜の心臓が跳ねた。 想い人と恋仲の年増女なんて邪魔以外の何者でもないのに、その一挙一動に不思議と胸が高鳴るのだ。 「自分をアゲる、ですか、」 ふむ、と、女は考えるようなポーズをする。 たしかに、このきらびやかな装飾を施してもらった日は、年甲斐もなく心がうきうきと弾んだ。 存外とプラシーボ的な効果はあるかもしれない。 「もうすぐ、がんばりたいレースがあるんですよ。」 「いーね!何色にする?」 そんな女同士の会話に口を挟む隙はなく、光世はこの夜も静かにバーボンの水割りを舐めていた。 堀江がとっつきやすいメロディーのポップスの数曲を細切れにして繰り返し組み合わせて、何度も寄せて返す波のように耳に残るアレンジで聴衆の意識を掻っ攫っている。 若く、自由な発想で、大胆に、されど計算し尽くされた角度で、遊び心もふんだんに、かき鳴らし踊り歌う。 まだ拙い部分もあるが、光世がはっとするほどに、才能があった。 午前中に女が選んだ1枚のCDを仕事の前に聴いていたのだが、自身ではチョイスすることのないタイプの曲だったので少し悩んでいた。 堀江ならうまく練り上げてくれそうだな、と、ぼんやりと考えていたのだ。 明日には、店の運命を握っていると言って過言でない重要人物、伊藤と森下が来店するという。 ハズレのないように無難にパフォーマンスしたい気持ちもあるが、ホールに入っている観客たちをどっと沸かせて見せつけてやりたい欲も、ある。 カリスマだとかパイオニアだとか囃し立てられていても、こういったアーティスティックな業界には完成というゴールは存在しない。 1部が終わったら堀江に意見を求めてみよう、と、ひとり頷いた。 「え、水曜には行っちゃうんでしょ?じゃ、今夜またおいでよ、若菜あしたお休みだし!」 「再々お邪魔してはご迷惑では?」 「ぜーんぜん!ミツヨのプライベートのお話聞かせてよー!」 ふと不穏な台詞が聞こえてきて、光世は我に返った。 「…おい、あんたら、俺をだしにするなよ…」 若菜が、いたずらっぽく光世を見上げる。 「ふふん、ミツヨが若菜のこと好きになってくれないなら、ミツヨのユキさんを若菜がとっちゃうんだから!」 女は困ったように、しかし照れくさそうに眉を下げている。 本当に! 自分相手にはそんな緩んだ表情を見せることなんてめったにないくせに! 光世は女に対して苛ついて、すぅっと目を細めた。 「…まぁ、いいだろ…なぁ、知っているかもしれないが、これに…なんだ、その…ちょっとした、付きまとい、が…」 「知ってる、元カレかなんかにストーカーされてるんでしょ?うちオートロックだから、心配しないで!」 若菜が光世が話すのを遮って言った。 「夜泊まってさぁ、明日は小州のアーケードぶらついてカフェでお茶してぇ、プリ撮ってカラオケ行って焼肉行こっ!」 「35歳にもなるとそんなバイタリティないんですけど。」 そうぼやいて、若菜のグラスが空いたのを見て、征羽矢を呼ぶ。 「ワカナさんに、おかわりを。」 「てんちゃーん、俺には?」 征羽矢が作りものめいた高い声で空のタンブラーを傾けて見せたので、女は半笑いで、横髪を耳にかけながら俯いた。 「はいはい、どうぞ、なんですか、そんな甘えかた、」 光世はキープボトルで飲んでいるから便乗できなくて唇を噛む。 俺には、と、肩を掴んでやりたいが、それでは、ちょっと、格好がつかない。 光世と堀江が、パフォーマンスの間に、なにやら真剣な顔をして話をしていた。 片手で、ぽん、と堀江の肩を軽く叩いてステージ脇へと向かった光世を、若菜は熱っぽい視線で見送った。 堀江は征羽矢から水のペットボトルを受け取って、若菜の座っている席のふたつ隣に腰掛ける。 「なに話してたん?」 会話がほんのりと聞こえてくる。 若菜は壇上に上がった光世を注視しているので、ようやくおしゃべりがやんで静かになったのだ。 「この曲、知ってます?これの、アレンジ、あれこれ、どんなふうに捉えたらいいか、考えてるんですって。」 「へぇ、いや、知らないバンドだな、『Hollyhocks』か、ちょ、見せて。」 「さっき裏で聴かせてもらって。面白いですよ、純国産ポップスですけど、妙にフォークっぽくて、初めて聴くのに、なんか懐かしい?20年くらい前のインディーズらしいです。」 征羽矢がケースを開いて、歌詞カードをざっと流し読む。 「ふーん、草食系の失恋ソングって感じだな、兄弟の趣味じゃねーぜ?」 不思議そうに呟いた。 女が横から割って入る。 「それ、わたしがジャケ買いしたやつなんですよ、結果、わたし、好き系です。歌詞の意味、分かります?」 なぞなぞを出すように、楽しげに問いかけた。 「意味?…うーん、たしかに…やたら情景が具体的なわりに、よく分からんワードチョイスだな…」 独特の言い回しが多い詞であった。 恋人と別れる、もう会えない、気持ちを切り替える、でも少し引きずってしまいそうだ、さみしいけれどきみの未来の幸福を祈っているよ、みたいな、生ぬるいストーリーではある。 が、そこに不釣り合いな単語がちょこちょこと挟み込まれているのだ。 考え込む征羽矢を見て、堀江が得意げに微笑んだ。 「俺は、たぶん、気付きましたよ、これ、車、ですよね?」 「あっ!そうか…!車運転してるときの動作とか挙動とか視界…!」 征羽矢は悔しそうに唇を噛んだ。 「わたしも知ってる訳じゃないので、おそらく、ですけど、これ、運転好きなかたが書いてるなって。」 『橋』は、たとえば、恋人との思い出についてや出会いの象徴として描かれているならありがちだが、そうではない、唐突に『橋』が別れの時が近付いているのをカウントダウンする、などという擬人法が用いられている。 「『橋』って、車で走ると、等間隔で振動するんですよ、ジョイント…継ぎ目で。」 『左手』は、指輪について言及するなら月並み、しかし、『左手』を押し出すたびに恋人と遠ざかっていく、なんて、まさか、物理的に手で押しやって距離をとるなどと解釈ができるはずもない。 「この『左手』は明らかにシフトチェンジしてるでしょう?」 『明かり』は照らしたり光ったり差し込んだりしないで『千切れて』いるし、『雨音』は切なく響くことはせず、あくまでも『騒音』扱いだ。 そう思って読めばどんどんと景色が見えてくる。 「知らねーで買ってコレ?引き強くね?」 「ジャケ写、たぶん、夜のドライブの、フロントガラスから見た、イメージじゃないですか?第一印象、そう思ったんですよね。」 「そー言われてみれば、そーかも?」 納得がいっているようないっていないような、どっちつかずの顔で、征羽矢はそのデザインをじっと見つめた。 黒地に滲んだカラフルな丸がいくつか重なり合っているだけの、記号的で概念的な画だ。 取りようによってはどうとでも取れる。 「ぶっちゃけ俺も、光世さんからてんちゃんさんが選んだって聞いてなかったら分かってなかったかもっす。」 堀江がそう言うのと同時に、光世の演奏が始まってホールの気温が一気に上がった。 光世の名を呼ぶ黄色い声が飛び交い、若菜も席を立って人波をかき分けて行ってしまった。 「あした、どうにか使いたいんですって。今夜ふたりでいろいろ試してみようって。だいぶ揉めて騒ぐかもしれません。」 堀江はずいぶんと嬉しそうに歯を見せて笑った。 揉める? 女には理解できないし想像もできない。 音楽に係る業界も各人が激烈な熱情でぶつかり合うものなのか。 「好きにしてくれ。そんなんしてて論文だいじょーぶか?」 大学の課題そっちのけで徹夜で討論とかするのだろうか、このおとなしそうな青年が? あの陰鬱で無口な彼と? ステージに目をやる。 普段の緩慢でのっそりとした様子とかけ離れたラフなダンスで音に乗っている。 若菜曰く、このギャップがまた萌えるらしい。 「ま、たまになら、息抜きですよ。それに光世さんが熱くなるの、久々見たいですもん。」 その邪魔はできない。 ひとりで自宅に戻ると言えば、またお節介を焼こうとするだろう。 若菜に甘えて泊まらせてもらい、言われるがままに雑貨屋街を巡って、そうしてお洒落なカフェでコーヒーをおごって、なんなら焼肉もごちそうするべきかもしれない。 しかしどうにも、プリクラやカラオケは、無理だ。 ------------------------- 〜20に続く〜
2025/10/14 19:51:06(JRJvD6mt)
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