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hollyhocks occulted 13
カテゴリ: 官能小説の館    掲示板名:空想・幻想小説
ルール: あなたの中で描いた空想、幻想小説を投稿してください
  
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1:hollyhocks occulted 13
投稿者:
ID:jitten
〜まえがき〜
⚠書いた人はオタクです⚠某刀ゲームの二次創作夢小説です⚠暴力などこじらせ性癖の描写多々⚠自分オナニ用自己満作品です⚠ゲームやキャラご存知のかたは解釈違いご容赦ください⚠誤字脱字ご容赦ください⚠たぶんめちゃくちゃ長くなります⚠未完ですが応援もらえたらがんばります優しいレス歓迎⚠エロじゃないストーリー部分もがっつりあります⚠似た癖かかえてるかた絡みにきてください⚠
—----------------------
「ぜんぜんすいてました。フリータイムで走っていいって言われちゃいましたよ。」
ハンズフリーの通話を終えて、ほんの少し嬉しそうにする。
「…良かったな…」
「思ったんですけど、先帰ってていいですよ?カリーナ自宅で、バスで帰ってくださいよ。そしたらお仕事よゆーで間に合うじゃないですか。」
「…まだ、寝ぼけているのか?…それとも、阿呆なのか?それを俺が、許すと、思うのか…?」
湿度の高い目線を、女の横顔へと送る。
しかし女は女で、渋い顔で不満を口にした。
「毎日オトコ同伴で来てると思われるの、きっついな…せめて走ってくれないです?」
「…むりだ、やめてくれ…」
目を合わせるのを諦めて、窓の外を眺める。
街を離れて海沿いの県道を走っていた。
遠浅の波の向こう側でサーフィンをしている人影がいくつかある。
「あっ、いいこと思いついた!スーパー駐車レッスンvol.1、やっててください、シオハマは舗装してあるし、セッティングしておくので!」
さては、先日訪れた山あいのサーキットにあった、やたら広くて何もない広場でぐるぐると三角コーンの周りを走らされた、といっても、ほとんどクラッチワーク走行だが、あの感じで特訓させられるのだな、と覚悟する。
思えば、あのときに十数年ぶりにマニュアル車を運転したのだ。
それを考えると、ずいぶん上達したのでは、と自身を評価する。
「…いつかvol.2が、ある予定なのか…?」
たまにはくだらない言い回しとじゃれ合ってやってもいいな、と適当に言葉を返したが、
「ドリフトのある人生じゃなくても、駐車はスムーズにできるに越したことはないですよ、どうせガラ空きらしいですし。」
完全にスルーされる。
もてあそばれている…
ドリンクホルダーの缶コーヒーを取って咥えるけれど、中身はすでに飲み干していた。

駐車場の隅の方に数台の車があるが、全てがスポーツカーというわけでもない。
従業員のものだろうか。
他には女の乗ってきたノースガレージのキャリアカーと、他のものが1台、サポートトラックが1台、大型のスペースに停まっているだけだ。
女は手早くハチロクを降ろし、さっと乗り込んだ。
わざわざアクセルを空ぶかしして、大音量を鳴らしながらパドックの裏手へと走っていってしまう。
ぽつん、と残された光世は、手持ち無沙汰にカリーナに寄りかかった。
「…あんたの、弟も、なかなかヤンチャだな、お互い、苦労、するな…」
ボンネットをそっと撫で、そして、うっかり無機物に話しかけてしまった自分に驚く。
さらに、ヤンチャなのはハチロクではなくそのオーナーであることに気がついた。
どちらにしろ、ともに同じ女の所業で苦労しているのは事実だ。
鼻先をすいすいと触っていると、また爆音を轟かせて女とハチロクが戻って来た。
助手席と、シートを取り払ってドンガラになった後部にぎちぎちに、加えてトランクリッドを開け放してそこにも山盛りに、赤いパイロンが詰め込まれている。
車から降りると、妙に手際よくそれを降ろして並べていく。
ラインに沿ってだったり、延長線を描くようにだったり、適当に見えるが、きっと意図があるのだろう。
「このスペースにバックで止めてください。ここ、このパイロンは、壁です。こっち側には侵入できません。車体を振る角度をいろいろ試してみてください。」
「…ぶ、ぶつけてしまい、そうだ…」
急に不安になってきた。
コンビニの駐車場を思い出している。
駐車スペースを通り過ぎる形でリアの位置を調整することができない。
「ぶつけないように、やってくださいませ?」
にこ、と意地悪な笑みを浮かべ、女は手を振って運転席に戻る。
「とりま30分くらい走ってくるんで、がんばってください!」
颯爽と走り去っていく…
と、思いきや、その場でギャギャギャとタイヤを鳴らしてドリフトを決める。
1周だけ、ぐるりと円を描き、今度は本当に走り去る。
スタンド上に設置されている放送用スピーカーから怒鳴り声が響いた。
『空知ーっ!そこでやるなボケーっ!』
その背後に、わはは、と数人の笑い声も小さく聞こえた。
どこかから監視カメラか何かで見られていたのだ。
今日は仲の良いスタッフがいるのだな、と、光世は少しうらやましく、妬んだ。
もやもやする頭を、ごつん、と、ひとつ叩いて、カリーナに乗り込んだ。
コースを走らされるより100倍マシだし、ここにいれば、万が一、招かれざる客が来たらすぐに分かる。
キーを捻ってセルを回した。

『知り合いの不動産関係の子の紹介だから、良くしてくれるよ、来週にでも入れる。』
征羽矢はPCで新しいフライヤーのデザインを考えていた。
ざっくり雰囲気だけ作って堀江に回せば、いい感じの完成形にしてくれる。
「マジすか、さっすがシゴトはえぇっすね。」
いったん手を止めて立ち上がり、窓辺へと移動した。
窓から路地を見下ろす。
うららかな、というには暑すぎる昼下がり、人通りは少なく、にらにらと陽炎が立ち昇っている。
まだまだ当分エアコンはつけっぱなしで活躍してもらわねばならない。
実はさっきようやく起床して、鉛のように重い足を引きずってなんとか階段を上り、倦怠感と闘いながらシャワーを済ませたところであった。
伊藤が気遣わしげに言葉を続けた。
『ただね、閉店後、だるいよ?始発まで。』
それに対して、征羽矢は乾いた笑い声を上げる。
「のんびり片付けしたりしますよ、やることはいーっぱい、あるんすよね、これが。」
『ソハヤくん、身体壊すタイプだね、俺はそっちのほうが心配だ。』
電話の向こうで姿は見えないけれど、肩をすくめて目を細めているに違いない。
その想像を脳裏へと押しやって、窓から離れて冷蔵庫の扉を開けた。
缶ビールを手に取る。
「契約、どーしたらいっすか?」
片手で器用にプルタブを上げ、会話の隙間に口に含む。
順調に引っ越し計画が進んでいる。
来週…あと数日。
このぐちゃぐちゃに絡まった心と決着をつけることが果たしてできるだろうか。
できるはずない。
しばらくは壁紙の匂いのする部屋でひとりきり、孤独感に苛まれながら自慰を繰り返すだろう。
想定できるから飲まずにはいられない。
たかが缶ビール1本くらいで現実逃避もできないが。
『メールで書類一式と、そいつと店の詳細送るから、書けるとこ書いて免許証とハンコと通帳持って行って。いつ都合つく?』
「昼間ならいつでも。明日でもいーっす。」
投げやりなわけではない、事実だ。
だが伊藤はわざわざ勘ぐって、声のトーンをひとつ下げた。
『…本当に、ぶっ壊れるよ?いつか、きみ…』
いっそぶっ壊れてしまえたら、どんなにか、救われるだろう。
ぶっ壊れるって、どうなったら正解だろうか。
記憶が消し飛んで別人に生まれ変わる?
感情の針を振り切って兄と想い人の関係を祝福できるようになる?
理性を失って欲望のままに、その、獲物を、喰らう?
「…そのが、楽なんす…」
内臓の底に隠した自分ならざる自分に魂を売り渡して、その、名前を、呼んで、捕える?
『…スケジュールを詰め込むほうが?余計なこと考えなくてよくて?』
伊藤が余計な脚注を加えようとするのを、征羽矢は零度の声色で凍らせた。
「…なんすか、それ。」
なぜか、通話に、ジジ、と、ノイズが軽く入る。
『…いや、ごめん、忘れてくれ。では、明日、13時に枠を取っておく。港駅のそばだ、地図を添付しとくよ。』
威圧したつもりはなかったのだが、伊藤はもう一言なにか言おうとしたのを尻込みしたようだった。
「…なにからなにまで、ありがとうございます、恩、お返しできるよーに、店、頑張ります。」
『俺はね、もう十分、返してもらってる。気負うな。』
ゆるやかにアルコールが体中に染み渡っていくのを感じている。

不審な奴が現れなくて良かったが、結局、1日中、駐車場をあっちに行ったりこっちに行ったりしていた。
1時間に1度ほど、女が見に来て、あれこれ注文をつけてパイロンを並び替えたり、車の動作に縛りを加えて、なにか気まぐれにアドバイスをしたり、ダメ出しをしたり。
光世は光世で、女がコースに戻れば適度にサボりつつ、与えられたクエストを少しずつクリアできていた。
「あとは周囲に他の車両が動いてる場面で、慌てずに状況判断できるかどうかなんで、経験積むしかないですね、上達したと思いますよ、頑張りましたね。」
パイロンを片付けるのかと思いきや、ずらり、と一直線に並べ出した。
車両1台分を左側と前後をみっちりと囲う。
「さて、ここからはエキシビションです。少し離れてご覧ください。」
ハチロクに乗り込み、ぐるりと場内を大回りして戻ってきて、直線でアクセルを踏み込んだ。
年末年始のテレビ番組の驚きの映像スペシャルとかで見るやつだ、と光世は思う。
ジャジャっ、という軽いスキール音を轟かせて、コンパクトにドリフトさせ、狭く区切られたスペースになんとも上手に滑り込んだ。
だが本人は不服そうだ。
「ありゃ、ちょっとはみ出しちゃった、まだまだですね。」
夕空に、怒声が響き渡る。
『空知ーっ!そ、こ、で!や、る、なーっ!出禁にすっぞバカチンがーっ!』

ハチロクをキャリアカーに積み終え、女は光世のほうへと振り返った。
「では、さよなら、ご安全に。」
いつものことだが、その物言いの冷たさに喉がひゅっとなる。
これまでは甘んじて飲み込んできたが、今日は腹立ち紛れに言葉を返した。
「…また、あとで、と言えよ…」
さよならは、あまりにも寂しすぎるし、不穏すぎる。
「…そう、ですね、では、また、あと、で。」
女は、くすぐったそうに背中を震わせて、そう言い直した。
高いステップに足をかけて、よいしょ、と運転席に登る、その後ろ姿に、少し大きな声をかける。
「…待ってろよ…!」
バタン、ドアが閉じられ、エンジンがかかり、窓が開いた。
「当たり前じゃないですか、ビートも回収しないとなのに。」
そういうことを伝えたいのではないのだが、と、光世は難しい顔をする。
だが、もう、いい。
女に妄想の主人を重ねて慕っているだけだと思われても、単に身体の相性がいいという理由でキープしていると思われても、もう、いい。
今は、いい。
重たげな駆動音を引きずって走り去る積車を見送り、自身もカリーナに乗り込んだ。
ハンドルを、ポン、と優しく叩いた。
「…帰りも、よろしくな…」
つい、また話しかけてしまった。
誰が聞いているわけでもないのだが、恥ずかしくキョロキョロと辺りを見渡した。
車の事を、相棒とか友人とか、戦友とか、恋人とか、よく言うよ、光世は苦笑いする。
こいつら、ライバルだ、恋敵だ、女の生活や思考の中の大半を占めている。
自分が入り込む隙はごく狭い。
負けるかよ、今度は、心の奥底で、呟く、宣戦布告を。

途中までは積車を追いかけて並んで走っていたのだが、信号のタイミングが合わなかったり、わずかな車間に車線変更してくる奔放な車がいるせいで、とうとう姿を見失ってしまった。
まあ、こんなところでストーカー男と邂逅することもないとは思っている。
油断は禁物ではあるのだが、普段の生活圏をひとりでウロウロされるよりは心配は少ないし、運転している以上は安全値が高い。
ガソリンスタンドに寄ったとき、電話をしてみようか、と頭をよぎったけれど、どうせ運転中はドライブモードだ。
ハンズフリーの用意はあるが、自分がかける場合以外の使用は全く考えていない。
しかし、セルフのガソリンスタンドに立ち寄るのも、実は初めてで、モニターの前で固まっているところを、店員に助けられた。
世の中にはまだまだ経験したことがないことがたくさんある、当たり前のことを、最近、思い知る。
きっとこれからも、様々な初めてを、かの女に手を引かれて知ることとなる、夢を見る。
一緒にテレビゲームをするのもいいだろう、おすすめのアニメを鑑賞するのもいいし、一晩中向かい合って座って、されど無言で20巻超えの少年マンガを全巻読破したりするかもしれない。
街で酒を飲み歩く、行ったことのない遠くまでドライブする、いずれ、ドリフトの真似事を指南してもらう日がくるのだろうか。
全てを、知りたい、何を、したいのか、何を、してきたのか。
同じ気持ちでいたことが、嬉しかった。
たくさん音楽を聴こう、ピアノもギターも教えよう、B級のサスペンス・ホラーを身体を寄せ合って観て、酒を飲みながら考察しよう。
古書店巡りに付き合ってもらいたいし、朝早く起きれた日には散歩がてら鳥を探しに行こう。
鳴き声を思い出しつつ図鑑と見比べて、それから朝食を食べるのがいいんだ。
何者でもいい。
審神者でなくていい。
なにも回顧しなくていい。
今このときを生きていてくれればいい。
確かに、愛じゃなかった、はずなのに、ただの、執着だった、はずなのに、それは、少しずつ、形を変えてしまった。
声に出していいのだろうか。
伝えてもいいのだろうか。
ビジネスカップルという体で、この距離感で、心地よい、この関係を、壊しかねない、恐怖。
縛り付ければ、逃げる、追いかければ、遠ざかる、かといって、一歩引いたとて、縋られるあてもなく。
守りたいし、救いたいのに、力が及ばない。
想いが届かない。
どこまでも続くかのような、並んだ街灯の明かりを数えながら、ただ、走る。

ノースガレージの整備工場で木庭と女が、なにやらタブレットの画面を見ながら談笑しつつ、光世の到着を待っていた。
海老江インター店のすぐ近くではあるのだが、大通りから中に入った区画に位置していて、女があらかじめスマホの地図アプリで目的地設定してくれていたけれど、少し迷って辺りをぐるぐると周回してしまった。
「お疲れー!カリーナ似合うね!」
木庭が缶コーヒーを買ってくれていたのを、ありがとう、ございます、と小声で礼を言って受け取った。
「ですよね!完全同意!」
女が笑う、光世とカリーナを見比べている。
「U12もハマりそうではあるなぁ、確かに。」
いいなぁ、色気があるから旧車が似合うんだ、と、ぶつぶつ言いながら、すいすいっと画面をスクロールしていく。
「安くして下さいよ?これは崇高な布教活動なんです。」
飲み終わったつぶつぶオレンジの空き缶を、バスケットのフリースローのアクションでゴミ入れへと放る。
カシャン、と音を立てて、ゴールが決まった。
その距離感が十分に認識できるくらいなら、もう目はなんともないようで安心する。
「らじゃほい。利益度外視右から左でもいい。フリペの『今月の納車おめでとう』コーナーで顔出ししてくれたら、もうそれで回収できる気がする。」
「ですね、専属モデルへの道、第一歩。」
一客が中古車をこの店で購入したからといって、それがどんな宣伝効果があるのか見当もつかない。
と本人は思っている。
陰鬱な雰囲気はさておき、自身の顔面の良さを甘く見過ぎではある。
たとえば、人気アイドルが新商品のCMに出れば売れゆきが伸びるというのは想像できるのだ、新規女性客が取り込めるというのも、なくはない話だ。
「…あまり、勝手に、盛り上がるなよ…」
困ったように俯く。
「ちな、運転、見てて、ぜんぜん不安ないです、もう。ま、うまいというより、丁寧、ですかね。」
「ユキちゃんが言うなら信用できるね、これ、落とそう。ほぼノーマル、事故歴なし、は本当か分かんないけど、あとキョリは11万超えてるけど、俺らが面倒見るんだから当分イケるっしょ。」
「ミツヨさん、これ、この子、ブルーバード、どう?」
眩しいタブレットの液晶を覗き込む。
白い、目つきの悪い、レトロな形の車体。
「…どう、と…言われても…」
歯切れの悪い返事しかできない。
中古車といっても100万、ポンと払える額でもない、維持費だってバカにならない、兄弟にも相談しなければ…
「まいーや、とり、落として下さいよ、それから考えましょう。ミツヨさんがいらなかったらわたしが買います。」
木庭が呆れて笑う。
「税金どんだけ払う気?」
「これ4WDのバージョンですよね?四輪も1回やってみたいじゃないですか。必要経費ですよ。」
「勉強熱心なことで。」
嫌味のようにつぶやき、そして立ち上がり、しっしっ、と、邪魔者を追い帰す仕草で手を払った。
「今からハチロク見るから、帰りな、ミツヨくん仕事だろ?」
「そうでした、のんびりしてちゃダメなんでした。ハチをよろしくです。」
女もパイプ椅子から腰を上げた。
「ドリチャレ賞金100万ですよね、俄然やる気!」
気に入る車が見つかってテンションが上がっているようだ。
「コバさん、さよなら、」
そう言ってから、ぴた、と、止まる。
「?」
木庭が不思議そうに顔を上げて女を振り返った。
「…また、次の、現場で。」
「…!?」
驚いている木庭の姿と、恥ずかしくなって赤くなる女の顔を順番に見て、光世は思わず吹き出した。
くっくっと湧き上がってる笑い声を堪えられない。
「…店も、また来て、ください…お礼、するんで…」
そう言う光世の背中を、女がポカポカと叩いている。
だいたいどういう経緯があってのこの展開なのか予想がついた。
微笑ましい。
あのユキちゃんが。
無愛想サービス精神皆無つっけんどんな、あの。
お似合いでたいへんけっこうだ。
手を振って、走り去るカリーナとビートを見送った。

2台で自宅へ。
誰もいない。
光世はほっとする。
もし次にあの男に出会ったら、衝動的に殺してしまうかもしれない。
そうなったら兄弟に怒られてしまう、人間でいるうちは、殺さないと約束したから。
「着替えてきます、時間まだ大丈夫です?」
「…大丈夫だ…2部には、ゆうに間に合う…」
あがり框に腰掛けて、外を見張る。
もう月が変わるというのに、夏は終わらない。
なんともなしに、旧畳の6畳の和室を振り向いて眺めた。
懐かしいような緑色の土壁もやたら重厚な柱も梁も、経年による染みだらけで、住宅の築年数がうかがわれた。
台所は今どき土間でサンダルを履いて降りる仕様だし、トイレは万有引力式だ。
この分では風呂場もバランス風呂釜に違いない。
空き地込みで家賃が格安だと言っていた。
年頃の、35歳を年頃と言うとまた皮肉を言われそうではあるが、女が一人で住むイメージの家屋ではない。
大きめの3面スクリーンと本格的なゲーミングチェアが置いてあるが驚くほど不似合いだ。
女が入っていった襖の向こうはもう一部屋、4畳半があり、でかい車のなにかのパーツが転がっていて、こちらも場違いな組み立て式の簀子のベッドがあったのを思い出す。
ぞわぞわっ、と光世の背中が粟立った。
もしか、しなくとも、あの、ベッド、で、あいつ、と?
おもむろに靴を脱いで、部屋へと上がる。
そして断りなく、スパン、と襖を開けると、着替えようと下着姿になっていた女と目が合った。
「…モラルどーなってるんです?」
その余計なことをほざく唇を自身のそれで塞ぐ。
足元にごちゃごちゃと落ちている鉄の塊たちを避けつつ、そのままベッドへと押し倒した。
「…こ、こで、あいつと、ヤってたん、だろ…?」
「あ、そーいう?ミツヨさんも意外としょーもないこと気にしますね?」
くす、と、されど目が笑っていない顔で愉しげな声を上げた。
「…抱かせろ…収まらん…」
「ま、なんて下品なこと。」
収まらないのは、性欲ではなく、怒り、に近い、かもしれない。
「お店、間に合えばいいんですけど?」
「…案ずるな、あんたが運転、すれば、10分だ…」
おどろおどろしい記憶のある寝所で、自分に組み敷かれることによって、また恐怖を植え付けてしまう、そう考えられないわけじゃなかったけれど、もう一方で、女が『上書き』を望んでくれていることを期待していた。
腫れ物に触るがごとくそっと優しく大事に、よりも、悪夢を忘れるほどの現実を。
昨夜のように小動物然と震えられたりしたら話は別だが、今なら。
問答無用で下着を剥ぎ取って、満ちた自身を突き刺した。
「…んっ、い、きなり、すぎる…」
「…時間が、ないからな…」
肩に噛みついた。
「…すきに、して、いいか…?」
「ふふ、いいですよ、ね、ミツヨさんの、すきに、して、くださいよ?」
その女の答えが、理性を食いちぎる。
両手が首筋に添えられる。
「…あ、これ…」
女が、とっさに光世のその手首を掴んだ。
光世は舌打ちして一度離し、無言でパンツのベルトを抜き取り、それで女の両手首をくくってベッド柵へ繋ぎ止める。
バックルをきつく締めるとき、ベッドがみしみしと軋んで音を鳴らした。
深く、腰をグラインドさせるように動かすと、女は恍惚として身じろいだ。
「…ん…これ、ばっかじゃないですか、ほかに、もっと、なんか、ないんですか…?」
「…うるさいな、俺は、本来は、こんなひねくれた願望はないんだよ…!」
光世は本気でそう思っている。
女の趣味に付き合ってしかたなくしてやっているだけだと。
「…ミツヨさんの、うそつきっ、ぃ…」
「…あんたが、変態なのが、悪いんだよ…」
ふ、と、ごく優しげに微笑んで、改めて首をゆっくりと絞めていく。
下半身の動きにつられて、親指の爪がぐいと喉に食い込んだ。
「…は…ゃ…あ、いぁ…ぐ、が…」
喘ぎと悲鳴が混ざった非文学的な呻きを漏らす。
秘所はこれまでとは比べものにならないほどに窮屈にうねり、光世を締め上げた。
「…ふっ…は…いい、な、やはり、あんた…こうする、のが…」
ぎし、とベッドを鳴らし、いっそう体重をのせて気道を狭めてやると、ぴく、とまぶたが痙攣する。
「…がっ…ば…ぁだ…」
よだれが泡立って滴る。
頬が赤黒くなっていき、わずかに覗く瞳はがくがくと揺れている。
革のベルトはギリギリと鳴いている。
「…ぎ、ぼ、ぢぃよぉ…ぼっ、ど、づよぐ…」
その要望に応えて良いのか、もはや分からない、プレイという一線を越えるのでは?
「…ぼっど、づよぐ、じでよ…ごど、じで、ごど、ばば…」
なんと言っている?
声帯が押しつぶされてまともに発声できていないから聞き取れない。
まさかな、まさか、そんなこと、いくらなんでも、言わないだろ?
「…じに、だい…じだ、でで…?」
まさか!
空耳に違いない!
だが、情事のあとで、あれはなんと言っていたのかと確認は、したくない…
「びづ、お、だ…びづお、ぎぼぢ、い…ずっ、ど、ごど、ばば…」
血が巡らないのなら顔色は蒼白になりそうなイメージだが、実際はむくんで熱を持っていくのだということを知った、知りたくもなかった。
女はなんとも幸せそうではあるのだが、ここはさっさと切り上げないと、いよいよ、危ない、これ以上は…
「…惜しいな…今は、時間が、ない…っ!」
ごぽ、と、卑猥な音を立てて、精液が溢れた。
我慢できずに、というムーブじゃない、早くこの手の力を抜く口実が必要だった。
「……つまらん…」
情緒なく身体を引き抜き、結んだベルトを解いた。
もちろんそんなふうに思ってなどいないが、光世にとってはちっともおもしろくないプレイだと相手にも自身に言い聞かせなければ、どんどん堕落していくことは想像に難くない。
「つまらんて…サイテーなコメント…」
女が首についた赤い痣をさすりながら答えた。
そうしているうちに、光世は手早く身支度を整えてしまう。
「…いつまで、そんな格好でいる…早くしろ…俺は、仕事なんだ…」
「勝手にもほとがある…!」
荒いため息をついて、急いで身体をタオルで拭う。
下着を替えて、先に脱ぎ捨てたツナギと一緒に洗濯機に放り込んだ。
朝に仕上がるようにタイマーをかけ、そのまま洗濯場に干してあったTシャツとワイドでゆるいサルエルパンツを着込んだ。
「首、跡になってるじゃないですか。」
洗面所の鏡を見て、文句を言うのが聞こえた。
「…それは、すまなかった、な…以後、注意する…」
ぜったいに以後も注意を払うつもりはないという声色を意識して返事をして、光世は先に靴を履いた。
情緒を乱されているなんて勘付かれてはならない気がしたからだ。
外に出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。
隣家の明かりが灯り、換気扇が回っている音がする。
そこまで密集した住宅地ではないが、この時間にこれだけ人気がある。
一昨日の夜は叫び狂っていた男を通報するくらいの常識もある。
ここで、長年の間、繰り返し繰り返し暴行が行われていたとしたら、周りの住人たちはそれを感じていたのでは?
もやもやと考えていると、女が出てきて扉に鍵を閉めた。
「じゃ、ミスターで行きましょうか!」
「…みすたー…?」
「この青い子。きれいな色ですよね…すごく、きれい…」
女のしなやかな手が、サイドミラーを艶めかしく撫でる。
瞳はうっとりと潤んで、まるで恋する乙女のような顔付きで、するり、と流線型のボディをなぞっていく。
自分とセックスするときだって、あんな表情はしないというのに。
「乗って。」
言われるがままに助手席へと乗り込む。
相変わらず狭い車内空間だ、長身の光世にとっては特に。
エンジンが唸り、すぐに背中がじわりと熱くなる。
「10分、言いましたね、時計、見とけよ?」
アクセルを、踏み込んだ。
どうも運転席に座ると、車好きの人間全員に言えることではないのかもしれないが、口が悪くなる。
こっちが素だろ、と思い、スマホで時間を確認した。

『ころして、このまま、しにたい、しなせて』
耳の奥に張り付いて剥がれない喘ぎ声をエンジン音がかき消してくれる。

「…一般道で、ドリフトを、しては、いけない…!」
光世がこめかみを苦しげに押さえながら帰ってきた。
「おけーり!ギリ…でもねーけど、さっさとスタンバイしてくれ?」
征羽矢が素早く小グラスにビールを注いで光世に手渡した。
「や、ビートもミッドシップだけど、ぜんぜん動き違うでしょっていうのを、体感してもらいたかったと言いますか。」
女がなにやら言い訳している。
征羽矢には分からないが、また突拍子もないことをしたんだろうということだけは想像できる。
光世は一気にビールを飲み干し、バックヤードへと姿を消した。
女はけろりとして、カウンターのいちばん端の、お決まりの席に座った。
「まーじムカつくんですけど、何しれっとどーはんしてんの!?」
甲高い声に、ふと横を向くと、若菜がこちらを睨み付けていた。
「こんばんは。今日もかわいいですね。」
ふわりと巻いた柔らかそうなオレンジ色の髪は手入れが行き届いていて艶々としていて、大きな花柄のブラウスは派手だがよく似合っている。
「ワカナさんに、なにか1杯。」
自分は注文せずとも出てくる定番のジョッキを受け取りながら、征羽矢に言った。
「聞いてる?ここにいるときのミツヨはみんなのミツヨなのよ?ワキマエてもらわないと!」
「はいはい、それはたいへん失礼しました。」
キーキーとがなる若菜を適当にあしらい、ふたつ空いていた席をナチュラルに詰めた。
征羽矢がギロリと目を光らせる。
「なにか飲んでくださいよ、乾杯したいです。」
また断りもなく、人さし指で若菜の前髪をそっと分けた。
征羽矢が、ばっ、と手を出して2人の間を遮った。
「おさわり禁止!…若菜ちゃん、おごってくれるってよ、弱めの甘いやつ作ろうか?」
「…グレープフルーツ系のがいい!なんか、甘いのだと、負けた気がする…!」
ふは、と女は吹き出した。
若菜のささやかな反抗が愛らしすぎて、笑わずにはいられなかった。
さすがにビールには懲りたようだ。
「おっけ。ちょい待ってて。」
若菜に軽快なウインクをして見せたあと、それと温度差の酷い怖い顔をして、女へと忠告する。
「なぁ、ほんと、セクハラ、禁止だぜ?健全な店なんよ、うちは。」
「分かってますよ…」
女はさも面倒くさそうにビールをすすった。

おおかたの準備を終えて、光世が女の隣に座った。
「そいや、あした、curse cage、ヘルプの日だかんな、忘れてねーよな?」
「…忘れてない…」
クラブやらパブやら、そういった店は夏が終わる前にイベントを詰め込みがちなのだと言う。
知り合いの店に応援やゲストとして演奏しに行くことはよくあるらしい。
「かーすけーじ、」
すごい名前だな、と思って、小声でリピートした。
直訳で、呪の檻、か。
「港の近くのDJバーだよ、小さい店だけど、店長のセンス尖っててサイコーなんだ。」
尖ってる、と聞いて納得のネーミングだ。
パンクやロック寄りの趣味が色濃いのかもしれない。
そして港の界隈は外国人在留者が多い地区だ、陽気な夜の飲み屋はさぞ賑わっていることだろう。
あの人見知りオーラ全開の光世が、征羽矢のいないところでどんなふうに人と交流するのか、たいへんに心惹かれる、が。
「…来るか…?」
光世が、おずおずと申し出る。
「オトクイサマを他所の店に連れてくのやめてもらえます?」
それを征羽矢が一刀両断する。
「行きませんよ、そんな、男に付いてくとか、痛い。」
「さっすがてんちゃん、ブレねー。」
「わっ、若菜は、行くよ?前売り買ってるんだから!」
若菜が会話に割って入った。
ホールのテーブル席周りを周遊していた濱崎もそれに参戦してくる。
「カスケのてんちょ、バチクソイケメンだから、お客さん女性多いっすよ、ミツヨさん、浮気したらダメっすよ?」
そう言いながら、若菜の頭をぽんぽんと優しく叩いた。
やんわりと牽制してくれているのだ。
濱崎も、タイプ的には征羽矢に近い。
意識してやっていることかどうかは知らないが、他人に気を回しすぎるきらいがある。
「…きょうみも、ない…」
光世は、ふん、と鼻を鳴らし、女の前に置かれたまま手つかずの水のグラスをあおった。
「ミツヨもイケメンだもん!」
若菜がくってかかる。
「種類が違うじゃん!あっちは光属性!ミツヨさんは闇属性しょ?」
濱崎は例えが分かりやすくて助かる。
「集まってくるジョシの種類も違うんすよ、あっちはギャルとかキレイ系、こっちはサブカル系てーんすかね?わかにゃんはもともとあっちぽいよな。」
そこで、ハマちゃーん、と呼ばれ、ひら、と手を振ってテーブル席の方へと業務に戻っていった。
征羽矢はとうにその場を離れて、カウンターの反対の端の方で若いグループとなにやら盛り上がっている。
若菜の視線が女を飛び越して光世の顔を見上げた。
「ミツヨ、この人と付き合ってるってマジ?」
女は肩をすくめた。
光世がなんと答えるかも楽しみだが。
「…ま、まじだ…」
どもりながら、どうにか返事をする。
少し気の利いた感じで、なんならうまく言いくるめてくれ、なんて期待していた自分がバカだった、と苦笑いでジョッキを空にする。
そしてそれを聞いて、若菜は女に噛みつくように言った。
「こないだ付き合ってはないってゆったクセに!嘘つき!」
「…いろいろ事情があるんですよ、状況は刻一刻と変わるんです。」
「うわーん、やだー!」
若菜が駄々をこねるけれど、どうしてやることもできない。
なぜこんなに可愛らしい若い娘さんをこれまで無碍にしてきたのか、女には光世の思考回路が理解できない。
ビジネスカップルなのに、ごめんね、などと、思う。
「やだけど!諦めないもん!これからも通いまくってアピってくから!」
若菜も、グラン・ブルーを勢いよく飲み干して、グラスを掲げた。
「ソハくん、おかわり!」

光世のことでけんけんといい争い、というより、一方的に文句を投げつけられてはいるのだが、存外仲良く酒を飲み交わしているから、女という生きものは面白い、と征羽矢は遠巻きに見ていた。
若菜は確か21歳か22歳だったな、と考えている。
ひと回り以上も離れているが、若菜も物怖じせずに喋るし、女も偉そうに講釈を垂れるわけでもなく、さりげなく聞き上手に徹していた。
カウンターの上でファッション雑誌を開いて、化粧品やスキンケア用品をしきりに勧められ、ちょっとターゲット年齢が違うんじゃないですかと、のらりくらりと誤魔化している。
「ミツヨの横、歩くならちゃんとしてよね!ユキさんお化粧したらぜったい化けるタイプなのに!」
すっかりちゃっかり名前で呼ばれて、まるで姉妹のように腕に縋られている。
頼むから兄弟の演奏も聞いてやってくれよな、と思いつつも、問題が起こらないのならそれでいいかと放置しているところだ。
忙しいのだ、次から次に入るオーダーをこなし、陽気に悪気なく絡んでくる酔っ払いたちをあしらい、そのうえで女のしようのない蛮行を見張るなんて難易度が高すぎる。
だいぶしばらく放っておいたが、光世のステージが終わり、ぽつりぽつりと帰る客が出てくるころ、ふいに女が手を上げた。
「タクシーお願いします、お会計と。」
征羽矢がペンを回しながら近づいてきた。
「え?どーゆーかんじ?」
その質問には女は答えない。
「あ、会計2人分です。いちお車の鍵は預けときますね、好きに乗ってください。」
ゲームのキャラクターの、まあまあ大きなぬいぐるみがぶら下がった鍵をカウンターに置いた。
「…いやいやいや…どこ行くの?」
光世はさきの演出になにか気になることがあるのかスタッフルームからなかなか出てこない。
さらさら、と合計金額を書き込んで、2枚の伝票をホッチキスで留めて女に見せる。
「ワカナさんち、泊めてもらうことになりました。」
「えっ!?」
征羽矢の手が止まった。
渡すべきお釣りの札を思わず握りしめ、ぐしゃぐしゃになってしまった。
前科があるのだ、これはいだたけない、と渋い顔をする。
「若菜ちゃん、断っていーんだぜ?」
「ちがうもん、若菜が泊めたげるってゆったの。」
若菜が、髪を手櫛でとかしながら首を傾げた。
征羽矢は嫌な予感を払拭しきれない。
「ええ…?だいじょぶそ?」
「もうエッチなことはしないもん。」
「シーっ!若菜ちゃん声おっきいって!」
カウンターの隣のグループの男性がちらりとこちらを見たような気がして、ソハヤは人さし指を口の前に立てて声をひそめた。
しわくちゃになった札を女に返し、じろりと睨んだ。
「うちの大事なお客サマに変なコトしないでくれる?」
「しませんしません、誓います。」
女はわざとらしく両手を上げてその手のひらを見せた。
「ミツヨさん談義で盛り上がってきますよ。」
どうだか、とツッコミつつ、タクシー会社に電話をする。
若菜はさっさと扉の前へ移動して、甘えた声で女を呼んでいる。
「ユキさーん、コンビニでなんか買ってこーよ?」
にこ、と作り笑いを征羽矢に向けた。
「ミツヨさんによろしくです。じゃ、さよな」
そう言って、止まる。
なかなか、長年の癖は抜けない。
口をついてでるのは、慣習になっている冷ややかな別れの言葉。
ら、と言い淀み、訂正するように続けた。
「…また、あした?」
明日の予定は分からない。
疑問形になって語尾の音が上がる。
照れくさくて、ぱっと立ち去る。
征羽矢のびっくりした顔を、面と向かって見ることができない。
扉が閉まる。
征羽矢こそ、カウンターを飛び出して追いかけてその肩を掴んで振り向かせて、どういう風の吹き回しかと問いたかった、そんなことできるわけないが。
にやける口元を右掌で隠す。
ふー、と指の隙間から、長く息を吐く。
かわいい、かわいすぎる。
誰の入れ知恵かと考えれば、それは兄の、ではあるのだろうが、反則だ。
こっちは必死に我慢しているというのに!
人の気も知らず!
ワックスのついた前髪をつい掻き上げる。
別れ際に、また、と言われる、それだけで、舞い上がってしまう、なんとも幼い心だ。

「…それで、逃がした、のか…?」
光世は不機嫌だ。
部屋に戻ったとたんに、征羽矢に詰め寄った。
「いや、ちがっ、逃がっ、逃がしたとかじゃねーだろ?」
強い眼力で凄まれて、征羽矢の台詞が言い訳じみる。
ちなみにもちろん征羽矢のせいではない。
「…明日の、予定についてなにか言ってはいなかった、か…?」
「よろしくとしか…」
チッ、と聞こえよがしに舌打ちをして、電話をかける。
数回のコールののち、眠そうな鼻声が光世の鼓膜を揺らした。
『…もし?なんか用です?』
思いのほかすぐに繋がったので、少し怒りに似た感情を解いた。
征羽矢が投げてくれたミネラルウォーターのペットボトルをキャッチする。
「…明日、朝、どうするんだ…?」
『朝ぁ?…あ、ケーサツかぁ…』
ふあ、とあくびを挟む。
「…思い出したか、顔くらい出したほうが、いいんじゃないか…?」
『あーね…じゃ、9時に銀河町の五叉路のスパ銭まで迎えに来て下さいよ、分かります?』
「…分かった、調べる…」
電話の向こう側で、若菜が騒いでいるのが聞こえる。
アッシーにしてんなよ、みたいなことを言っているようだ。
「…困っては、ないか…?」
『ワカナさんち、ちょー快適です、同棲したい。』
そりゃあ、あの家にくらべたらだいたいの部屋は快適だろう。
欲しい返事は聞けそうにないので、適当に通話を切り上げた。
「なに?ケーサツて?」
征羽矢がそわそわとして問うので、今朝の出来事をかいつまんで話した。
「…城本は、被害届を出すのも、いいと…だが、俺たちの、こともあるから、だろ…あれが、乗り気でなくて…」
「ばっかじゃねーの?俺らは俺らでなんとでもするって、なんで言ったらねーの?」
征羽矢が声を荒げた。
「…俺たちは、いいさ…オースとのことなんか、考えるんだろ…あんな、なんでもないような、顔、しといて…」
光世が警官に名刺を出したとき、あんなにドスの効いた、あんなに苛立ちを含んだ物言いを、初めて聞いた。
自身のことについて憤る時とは、また系統の違う、矛先が他に向けられた怒り。
「はぁー?意味わかんね…つまり?逆に俺らが訴えられたりして?騒ぎが大きくなって?オースに見限られたら?店が困るでしょ?的な?…何様だよ…」
征羽矢は征羽矢で、勝手に思い詰めて勝手に解決しようとする女に並々でなく立腹している。
「…一理は、あるんだ、そう言うなよ…あれも、悩んでる、だろ…」
「悩んでねーよ、自分が背負い込めば済むと思ってっだけだっつの。美化しすぎ。」
本人がいないからかいつになく容赦ない。
「…どう、なんだろうな、次の、レースまでは、こらえたいとは、思ってる、と、思う…」
被害届がどのように提出されるべきでどのように受理されるのか、見たことも聞いたこともないが、きっと一朝一夕で片付くものでもなかろう。
なんども聴取を繰り返したりするのだろう、過去になにがあったか、根掘り葉掘りほじくり返されることもあるだろう。
フィジカルに、メンタルに、制約が付けられる。
多額の賞金が絡む公式戦の前に、あまりかんばしくないのは間違いない。
「…明日は、さわりだけ、説明して…まあ、少しでも、目を光らせてくれるなら、それはそれで…」
だが、女も警察官を煙たそうにあしらっていたから、素直にこの公的機関に頼るとも思えない。
「…やはりあのときころしておけばよかったな…」
その言葉が支離滅裂であることには、気付いていない。
そんなことをしてしまえば、もはや日常になど二度と戻りようがないのに。
「…ふーん、ま、だいたい、じょーきょー分かった。この際だからケーサツ、うまく利用しない手はねーから。それは任せたぜ?」
きゅ、とペットボトルの蓋をきつく閉め直す。
そして、それを、刀のように、す、と、光世の喉元に、突き付けた。
ちゃぷん。
水が揺れる。
蛍光灯の明かりが水面を透かして落ちてきらきらと輝いて、光世の視界はかまびすしい。
身体は微動だにしなかったが、ほんのわずかに目を細めた。
「それはそれ、だ、兄弟、首絞めは、もうやめろよ…?」
かすかに痣になった喉に、三日月型に残った爪の形が脳裏に焼き付いて離れない。
店内は薄暗いし、一般的に女性のさらけ出された首回りをあまりじろじろ見るものではないだろうから、他に誰が気付いているかは知らないが。
「…なぜ…?」
光世は、温度を感じさせない機械のような声音で聞き返した。
「…なぜって!そのうちほんとに死んじまうぜ!?あーゆーのは、エスカレート、する!今までは、俺いたし、いざとなったら止めてた…でもこれからは…そーはいかねーだろ!?」
「…だが、求められる…」
そう答えてから、この度は光世から望んだのだったと、ふと思い出して、しかし首を振った。
言い出したのは光世だが、女が本能でそれを欲していることは十二分に承知している。
「それをいなすのも、パートナーの役目だろ!?」
「…いいこぶるなよ…いや、前にも同じことを言ったな…?おまえも、きっと…望まれたら、逃れられない…」
自身が持っていた空になったペットボトルで、べちん、と、征羽矢が構えているそれを叩き落とし、俯いた。
必要なことはもう伝えた。
これ以上話すことはない。
シャワールームへ向かう。

睡眠時間はやや足りないが、しかたない。
昨夜から預かりっぱなしのみすたー?の鍵を握りしめて、部屋を出る。征羽矢は眉間にしわを寄せて眠っている。
ちょっとした口争いはしたが、征羽矢の言う事がだいたい正しいことは分かっていた。
自分よりは若干まともな弟が引っ越してしまって、妙な性癖を持つ女と2人きりになれば、リミッターが外れるかもしれないとは、危惧していた。
ただ、理解していても、実際にその選択が迫られる場面に遭遇したとき、正しくあれるかどうかは、別問題だ。
さて、国道は通勤ラッシュの時刻である。
銀河町はオフィスビルの多い繁華街だ。
目的地のスーパー銭湯は、演劇場やシアターやカラオケ、ゲームセンターやマンガ図書館までを備えた巨大な娯楽施設で、駐車場はゆったりと広いので、辿り着きさえすればなんとでもなると思うのだが、そこまでの道のりは光世にとっては厳しいものになりそうだった。
運転席に乗り込んで、ステアリングをぎゅっと握る。
「…運転、下手くそで、すまん…あれを、迎えに行きたいんだ…頼むよ…」
もう、話しかけるのが当たり前になってきた。
返事をしてくれるわけじゃない。
おまじないみたいなものか?
セルを回す。
「…あんたたちは、利口だな…」
ゆるりと動き出し、マイペースにチェンジする。
運転するのは初めてだが、不思議と不安はない。
車そのものに、だいぶ心を開いてきた。
ふと思い出して、女がやっていたように、軽くアクセルを煽ると、すこん、と気持ちよくギアが入った。
ようやくタコメーターを見る余裕が出てきたこのごろだ、回転数を合わせる、の意味がじわりと身に染みる。
「…安全運転で、いくからな…」
とんとん、とシフトノブのてっぺんを、優しく叩いた。

「朝からミツヨに会えたら元気出るぅ!お仕事頑張れちゃう!」
若菜が嬌声を上げた。
「もー急ぐから、ばいばい、だけど夜、カスケ行くからねー!」
大きく手を振りながら、最寄りのバス停へとハイヒールで駆けていく。
「デパコスの販売ですって。接客業、尊敬します。」
女は、心底信じられない、というような顔でそれを見送った。
どうやら光世が迎えに来ると知って、一目でも会いたいと待ち合わせ場所まで付いてきたらしい。
「車、多くてしんどかったですね、ミスター初めてでよく来れましたね?」
「…来ない、選択肢は、ないだろ…」
空いていれば30分の距離なのだが、曲がりたいところで右折車線に入れなかったり、逆に真っ直ぐ行きたいのになぜか左折レーンにいて回避できなかったり、ずいぶん遠回りしてしまった。
「港署かぁ、昔、いろいろ、お世話になった、ような…」
運転を交代した。
右に左にちょろちょろと動き回る他の車両を意に介さず、片側3車線の真ん中を突き進む。
今回出向くのは交通捜査課ではなく生活安全課だし、もう十数年前のことであるから、見知った警官がいるとは思っていないが、あまり気は進まない。
「…昨夜、どうだった…?」
「どうもないですよ、ワカナさんとおしゃべりして、メイクとかおしえてもらって、あ、ほら、見て、これ、やってもらったんです。かわいいでしょう?」
手をパーにして見せる。
短く揃えられた爪が彩られている。
ラメの入ったブラックからグレーのグラデーションで、ところどころにゴールドのビーズが光るデザインだ。
「仕事柄、これ以上は伸ばせないけど、ちょっと、嬉しいです。」
ふふ、と静かに笑った。
そのとき、女のスマホが震えた。
ちら、と画面を見て、光世に手渡す。
「ホシノさん。出てください。たぶん物販の件です。」
光世はあわあわと通話ボタンを押した。
「…え、そ、空知の電話…」
『あっ、ミツヨくん?おはよー、星野だよ。今日の12時から先行販売開始だからって言っといて、それだけ。いつまで経っても既読つかないから!』
「プッシュ通知で読んだから!ごめんなさい!」
電話の向こうに聞こえるように、女は大声で言った。
『あは、聞こえた。ぜひ買ってねー。じゃーねー。』
慌ただしく通話は切れる。
そうか、あの、なんともいえない、あの写真、とうとう世間様の目に触れるのか。
光世が、きゅ、と唇を結んだ。
「別にノルマもなにもないんですけど、売り切れるまでメンタルきっついんですよね、なんとなく。」
女も口をへの字に曲げている。
だが、理由もなく、光世は確信している、この度のブロマイドは少なくとも、そうだ、女の言い方を借りるなら、一瞬で枯れる、安心しろ、と。
-------------------------
〜14に続く〜
 
2025/09/28 19:05:02(XTdSBch3)
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