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hollyhocks occulted 12
カテゴリ: 官能小説の館    掲示板名:空想・幻想小説
ルール: あなたの中で描いた空想、幻想小説を投稿してください
  
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1:hollyhocks occulted 12
投稿者:
ID:jitten
〜まえがきのまえがき〜
⚠かんぜんにクルマ編に入っちゃったなぁ、エロを求めてる人は飛ばしてくだせぇ⚠あいかわらずずぶとメンタルで書いてます⚠

〜まえがき〜
⚠書いた人はオタクです⚠某刀ゲームの二次創作夢小説です⚠暴力などこじらせ性癖の描写多々⚠自分オナニ用自己満作品です⚠ゲームやキャラご存知のかたは解釈違いご容赦ください⚠誤字脱字ご容赦ください⚠たぶんめちゃくちゃ長くなります⚠未完ですが応援もらえたらがんばります優しいレス歓迎⚠エロじゃないストーリー部分もがっつりあります⚠似た癖かかえてるかた絡みにきてください⚠
—----------------------
ほくほくとした、笑顔に近い表情だ。
「…雨のほうが、嬉しそう、だな…?」
「タイヤ減らなくて儲けたって感じです。ウェット路面の挙動楽しいですし。」
小一時間走り、休憩と言ってスタンド席へと上ってきて光世の隣に腰かけているのだ。
「…雨、滑りやすくて、危険…か…?」
「滑りやすいですけど、逆に低速で突っ込むから、むしろ安全では?」
光世の耳からワイヤレスのイヤホンの片方を奪い取り、自分の耳にねじ込んだ。
タイトルは知らない洋楽だが、よくコンビニの有線で流れている曲だ。
「…難しいな…」
滑りやすいから気をつけろ、と、滑りやすいとむしろ安全、は、どうやったら両立するのか。
「退屈じゃないです?」
「…退屈なくらいが、助かる…」
もっとも懸念している、ストーカー野郎が乗り込んでくる事態が起こったら、退屈しのぎどころじゃない。
「ほんと、心配し過ぎですよ。」
「…あいつも、あんたが、よくここに来ていると…知っているんだろ…?」
「あのですねぇ、わたしがよく行く場所なんて、何個あると思ってるんです?そこで鉢合わせるなんて、どんな確率です?」
でも、つい一昨日、危なかった、とは、口には出せない。
危機感は持ってもらいたいが、不安を煽りたいのではないから。
「…守ってもらおうなんて、考えてませんから…」
先日の、自宅で遭遇してしまったときのことを言っているのか、そっぽを向いてイヤホンを外して、それを光世の耳の中へと突っ込んで返した。
殴られても、蹴り飛ばされても、無理やり身体を開かされても、きっと、自分に、助けを求めたり、してはくれない、光世は思っている。
だからこそ。
「よっしゃ、もうひとっ走りしてきまーす。」
ツナギのポケットから、シュワシュワする飴を2つ取り出して光世に押し付けた。
「次はね、追走の練習やりますよ、今、あそこ走ってる車、あの青い子、あの子と、こう…ぴったりくっついて?ドリフトするんです。」
動画で見た。
見ている方はハラハラする競技だ。
接触して車両が壊れるシーンも見た。
スピンしてタイヤガードにぶつかるシーンも。
ドライバーたちは幸い怪我なく、皆一様にあっけらかんとしていたけれど、一歩間違えれば大事故になりうるだろう。
「ビタっとキマると気持ちいいんですよね、見ててくださいよ。」
たたたっ、と雨の中、小走りに階段を降りていく。
近くにいるようで、まだ、遠い。
捕まえたいのに、逃げていく。
大切にしたいのに、酷くしてしまう。
でも、今のところ嫌われてはいないようで、出会った頃に比べれば打ち解けている気もする。
どこかで隙をついて足を切り落とすか、せめて腱くらいは裁っておくべきだ、と大典太光世が囁くけれど、それを押しやって、左手の薬指のリングに、触れる。

「ラスト、キマらなくて鬱!」
走行終了の時間になっても雨はやまない。
ウィンドブレーカーのフードを目深にかぶって、ずぶ濡れになりながら、キャリアカーに積んだハチロクを固定している。
光世は小さな折りたたみ傘をさして、肩身狭そうにそれを見ている。
なにか手伝いたいが、手を出す余地がない。
「よーしおっけー。ミツヨさん、雨、気を付けてくださいね?ガム、要りますか?」
眠気覚まし用のミントが辛いガムを、未開封の包みごと握らせた。
「…どうする、つもりだ…?」
「うーん、どうしましょうかね、とりあえずノースの工場寄って積車返さないとです。」
「…昨夜は…どうして、いたんだ…?」
どんどん雨は強くなる一方だ。
光世の呟くような声はすでに聞こえづらい。
「…ふつーに家に帰ってましたけど…?」
はぁ、とため息をつく。
「…あいつは、来ないのか…?」
「鍵かえてもらいましたから、安心ですよ。」
女は湿気でくるんとカールした前髪を触る。
前髪を、触る。
なんだ、今の、なにが気に障った?
怒り?
違うか?
…嘘、か?
…まさか…!
いや!
そもそも!
『来ないのか』の問いに対して、『来た』とも『来なかった』とも、答えてはいないのだ!
「…なぜ…逃げた…?」
はしる動悸をこらえて、ずっと抱え込んでいた疑問をぶつける。
「逃げたんじゃないですって、いろいろ準備があるんですよ、人聞きの悪い…」
「…兄弟には…きちんと…」
そう言いかけた光世の、自分の目線と同じ高さの胸ぐらをむんずと掴んだ。
「ソハヤさんのせいとかじゃないですよ、分っ、っかんないかなぁ!?」
女のフードからボタボタと雫が滴り、光世のシャツをびっしょりと濡らした。
スタンド席の上にあるライトは眩しく、悪天候ですっかり暗い夕方の終わりの空に浮かび上がっている。
そして光世と傘の影が、女の身体にぴったりと重なって、その表情がうまく読み取れない。
「…昨夜は、どこへ…?」
乱暴に掴まれたまま、冷ややかな目線で、もう一度、同じことを、問う。
「家ですよ!うざい!帰ります!」
女は、手を離すと、どん、と光世の胸を押した。
ぼとり。
傘がぬかるみの中へと落ちた。
光世が、両の腕で、女を抱きすくめたのだ。
「放して…!」
逃れようと身をよじるが、敵わない。
「…家に、帰ったのは、本当だな…?」
耳元で光世が囁く。
「放せよ…!」
それについては言及せずに、女は低くがなった。
光世の声は、泣きそうに掠れている。
「…来たんだろ…?」
「…なんなんだよ!?なんでそんな…もう!…構うなよ…!」
頭を押さえ込まれて、ぎゅうっと、ただ、抱き締められる。
2人分の心臓の拍動を感じた。
「…っ、部屋には入れねーよ!?なんか、外でずっと、騒いでたけどっ!だれか近所の人が通報したんじゃね!?朝になったらなんか、連れてかれて居なくなったし!ぜんぜん、なんとも、ないんですけどっ!?」
一息にまくし立て、光世の硬い腕の中でもがく。
「…そう、か…怖い、思いを、させて…すまない…」
苦しげに紡がれる言葉が、震えている。
そんなこと、光世のせいでだってあるはすがないのに。
「だから!ぜんっ、っぜん、平気なの!わたしは!だから!もう、ほっといてよ!?」
もはや、ウィンブレを着ている意味もないくらいに全身びしょ濡れだ。
叫びながら、なぜか涙が、ポロ、と零れて流れたけれど、それも雨に紛れた。
「…ほっといてよ…!」
玄関の引き戸をガシャガシャと鳴らされて、時すでに遅しと知りながらとりあえず電気を消した。
『小賢しいマネしてんなよ!?出て来い!ぶっ殺してやるよ!』
『おい!聞いてんのか!?クソアマ!火ぃ着けっぞテメェ!』
『あれが全部だと思ってねぇよなぁ!?晒すぞ、あぁん!?』
『なぁ…悪かったって、謝ってんじゃねーかよ、もう二度とさ、殴ったりしないし、な?出て来てくれよ?』
『こっちが下出に出りゃ、舐め腐りやがって!調子こいてんなよ!?おら!出て来いよ!』
『ぜっ、ってぇ、殺す…!覚えとけよ…!殺してやるよ…!殺してやる…!』
ガラス戸は頼りなく、本当に後先考えずに破壊しようとすれば、たやすく押し入られていただろう。
メディアプレーヤーの有線のイヤホンを、ぶるぶると震える手で耳に差し入れ、ボリュームを最大にした。
それでも、ガラスが叩かれる独特の音は脳内に直接響いて、何度もビニール袋の中に嘔吐した。
ただ部屋の鍵を変えただけで、ただ、とんでもなく久方ぶりに、拒絶しただけで、感じたことのない?いや、かつて、かつて感じていた恐怖と嫌悪を知るところとなった。
そう、殴られても、無理やり身体を広げられても、今となってはなにも思わなかったのに。
もう、いっそ、鍵を開けて、部屋へと、招き入れたら、楽に、なれそうな、錯覚。
めちゃくちゃに殴られて、骨が折れたりして、ダッチワイフのように暴力的に抱き潰されて、心ごと殺されたら、楽に、なると、知っている、気がして。
だめだ!
なんとか思いとどまる。
スマホのロック画面を解除する。
110番…でも…
あの兄弟が男に不利益を与えたのも事実だ…
揚げ足を取られたらまたややこしくなるのでは…
怖い…殴られるのと同じくらい、怖い…
これ以上、あの兄弟に、えいきょう、したくない…
電話帳…
ミツヨさん…
だめ、なんて言うつもりだ…
助けてとか、むりだ…
うまく動かない指で、なるべくいつもの雰囲気の、たわいないメッセージを打ち込む。
わたしは、平気だから。
きっと腹を立てているだろう。
反応が欲しいんじゃない。
怯えて縮こまった自分なんて存在していないと、偽りたい。
一種のアリバイ工作…
送信の、紙飛行機のマークを、押した。
『生存確認。』
わたしは、生きてるから、平気だから。
また胃からぬるぬるした透明の汁が湧き上がってくる。
もう、吐けるものも残っていない。
走馬灯のように、フラッシュバックする。
「…ほっといて、よ…」
女の全身は、そこで脱力して抜け殻のようになった。
「…分かった…分かった、から…」
光世が、繰り返した。
なにが、分かったというのか、分かるはずない…
その瞳は濁って、光世の姿を映してはいなかった。
腕の力を抜き、女の手を引いた。
サーキットの入場口の軒下に移動して、木庭へと電話をかける。
『おつかれ、どした?』
「…あの…ハチロクと、せきしゃ?…明日、回収でも、いい…でしょう、か…?」
『えっ、そっちがトラブっちゃった?クラッチでも落ちた?』
クラッチが落ちるの意味は不明だが、そうではないことは確かだ。
「…いえ、その…運転が…」
『ん?ユキちゃん?怪我した?』
「…そ、ういう、わけでも、ないん、ですが…」
この精神状態でこの天気の中、このサイズの車両を運転して欲しくない、それを余計なことは言わずに伝えるには、どうしたら…
口ごもる光世に、木庭は柔らかい口調で答えた。
『あー、よく分かんないけど、いいよ、後日取りに行こう。サーキットのスタッフにそう言っといて。ロードスター、ミツヨくんが運転?』
「…はい、安全運転で…帰ります、から…」
『りょ。ミツヨくんちまで乗って帰ってきてくれる?またごはん食べに行ってるから。近くまで来たら電話して?』
女の目の焦点はまだ合っていない。
恐怖とトラウマに苛まれて、それなのにそれを隠して、取り繕って。
いったいどれだけの間、ひとりで、闇の中にうずくまっていた?
薄暗い蔵の中で長い間しまわれていた大典太光世の記憶が重なる。
恐れられ閉じ込められ、重くかたい扉が開くのを、だれかが開いてくれるのを、何十年も待っていた…
『…あんたは、俺を、封印、しておかなくて…いいのか…?』
『めんどくさそうなかたですね、そんな実戦向きの仕様でつまんないこと言ってないで、ほら、早く出てきてください、』
呆れたような半笑いで埃臭い手を掴んだ、その人間の背中越しに、すっかり忘れていた外の光を見た、だから今度は、自身が、すくい上げる…!
『…ユキちゃんを、頼んだよ?』
「…っ!…はい…」
頷いて、女の頬に触れた。
濡れて冷えている。
それが雨なのか、涙なのか、光世には区別がつかない。

ハチロクを置いて帰るというのを、どう説得したものか、と考えあぐねていたのだが、女は素直に従った。
少し落ち着きを取り戻してきていたが、その瞳孔は普段よりも大きく見えた。
よくも悪くも、運転に関しては生半可な扱いができないのだろう、今の状態で、可能か不可能か、それを客観的に判断することはできるのだ。
濡れた服でシートに座るのが忍びなく、光世はコンビニのビニールを、女は自前のバスタオルを敷いた。
「…ゆっくり、はしるからな…?」
「…ふふ、分かってますよ、文句言ったりしませんよ。」
静かに、ほのかに笑った。
大丈夫か、と問いたいが、それは機嫌を損ねるような気がした。
それに、もし大丈夫だと答えられても、嘘だと思ってしまうし、大丈夫じゃないと言われた日には、光世のほうがどうにかなってしまうだろう。
ワイパーをフルパワーで動かす。
慎重に発進する。
雨が横に流れていく。
チェンジアップする。
シフトレバーの動作がぎこちない。
「ほら、リラックス。そんなに握りしめなくてもいい…」
女の右手が、光世の左手と、重なり、指輪がぶつかって、かち、と鳴った。
「…ありがとう、ございます、きょう、来て、くれて…」
女は窓の外を見ている。
光世はフロントガラスから目を逸らせない。
「…勝手なことを、して、すまないと…思っているよ…」
「…いえ、ほんとはちょっと、心細くて。でもいまさら言えないなって思ってたから…ほっと、したんです…」
その言葉に、思い出す。
押しかけてやってきて、怒っていないかと聞いたとき、べつに、とそっけなく言われたけれど、あのとき、腹立たしくて髪を触ったのではなかったのだ。
良かった…!
改めて安堵を噛み締める。
「…ロドスタ、いいですね、乗り心地…」
女は目を閉じた。
「ホイールベース、少し、短い…?コマみたいな動き、しそうですね…」
その声がとろりと溶けそうに甘くくぐもっている。
昨夜一晩中、震えて過ごしていたというのならば、今朝からアスリートとして集中もしていたところ、そろそろ眠気が限界だろう。
「…眠れよ、運転、気をつけるから…」
「…うん…」
すぅっ、と、すぐに女の気配が薄くなった。
前走車のテールライトが水滴に滲む。
女の、ぽってりとした唇が、赤い光を反射する。

木庭はハンバーガーを食べていた。
傍らにあるのはコーラ。
食事をしにくると言ったのは本当だった。
「…きょうは、ありがとう、ございました…」
光世は鍵を差し出しながら頭を垂れた。
「うん、おつかれ、長かったね、道。」
「…少し、緊張して、疲れたが…ロードスターは、良かった…好き、だ、です…」
「…!ミツヨくんて、好きとかあるんだ!嬉しいな!」
光世の大きな図体の後ろに、隠れるように女が立っている。
道中ぐっすり眠ってしまって、メンタルもフィジカルも多少は回復していた。
「ユキちゃん、どーだった?雨のシオハマ、得意じゃん?」
「コバさん…!困りますよ、こんな…」
木庭をなじってもしようのないことであるとは分かっていたが、光世の手前、ドライめの反応をしておかないと気恥ずかしい。
それを見透かしたように木庭は笑う。
「でも、ヘロヘロだね?帰り、ミツヨくんが運転してくれて良かったんじゃないの?」
「…それは結果論ですよ、自力でもぜんぜん、帰れましたし。」
濡れたツナギはすでに自然と乾いていたが、雨の独特の埃っぽい匂いがしている。
シャワーを浴びて着替えてビールを飲んで誰かとセックスして寝たい。
「事故ってもらったら迷惑なんだよ。それより、どうだったか聞いてる。」
木庭は仕事モードで女を問い詰める。
「…いつも通りですよ、タイロッドは折れましたけど。あとサスけっこう締めてます。雨ヤバかったんですよ。」
予報通りだったので準備があったから助かった。
セッティングし直しが簡単な状態にしておいてくれていた木庭にも頭が上がらない。
「タイヤは?」
「早いうちから降り出したので、換えなくて済みました。」
征羽矢が女に向かって人さし指を立てて生?と無言で尋ねるから、ふるり、と首を左右に振った。
「駆動系は?」
「たいへん良好です。問題なしです。」
紙ナプキンで口の周りをていねいに拭いて、食事を終えた木庭は満足気に頷いた。
「明日ヒマ?ハチロク回収行く?現状見たいんだけど。」
「あー…そうですね、行きます。車出せますか?」
「森下サンに相談してみるよ。えっと明日は…」
スマホを取り出し、たたた、と指を走らせた。
「せっかくなら予約しとこうかな…少しでも走りたい…」
女が誰に言うでもなく呟いた。
「平日だし大丈夫じゃない?」
「…ですかね、明日の朝、電話で聞きます。」
液晶画面から視線を上げ、木庭は光世と征羽矢の顔を順番に見比べた。
「というわけで、明日は俺がユキちゃんを独占しますがよろしいですか、三池兄弟?」
「よろしいもなにも…」
征羽矢が狼狽して目を泳がせた。
そこへ、ずっと黙っていた光世が必死の様子で割って入った。
「…よろしく、ない場合は、どう、すれば…?」
木庭がきょとんと目を見開いた。
そして、ふはっ、と吹き出した。
「そーかそーか、よろしくないかぁ!そーきたかぁ!」
くくく、と込み上げる笑いをこらえ、こんどは女のほうへ向き直る。
「ミツヨくんに送ってもらえよ?車なんかかしら余ってるだろ?」
「余ってるって言うなし…」
女は木庭を睨んだ。
「一日保険かけといてやるよ、書類の問題だろ?どうとでもしておくから。どれで行く?カリーナ?」
「実車確認て言ったじゃないですか…」
「問題ないなら帰ってきてからで上等。」
女はおずおずとミツヨを見上げた。
「…や、ちょっと待ってください、ミツヨさんの予定!仕事してくださいよ!?」
質問を声に変換しようとして気が付いた。
光世は経営者であり店舗のためのひとつの歯車でもある、それも重要な大きな。
女のように好き勝手に時間にルーズに暮らしているわけではないのだ。
「夜までに帰ればいいじゃん。今日も走ったんだから、テーパーリング。」
「には、早すぎるんですよね、まだ2週間あるんですけど。」
女が頬を膨らませた。
「2部に間に合えば、良しとしましょう?」
征羽矢が恩着せがましく言った。
「働きやすく、休みやすい、ホワイトな企業、CLUB thunder box、アルバイト募集中!」

ツナギのポケットの鍵を探る。
チャリ、軽い金属音に、ふと我に返る。
今音を立てたのは積車のものだ。
「そうでした、ビート、ノースの工場じゃないですか…」
頭が働いていなかった。
「征羽矢さん、タクシーお願いしたいです。」
「えっ?そんなことある?」
「だって車ないんですもん、バスもうないですし。」
自分で頼んでおきながらにあるまじきしかめっ面である。
「家に帰るつもり?やめとけよ、兄弟に聞いたぜ?俺、店で寝るから、部屋泊まってけよ?」
「あ、そのパターンはありなんですね。」
「自宅帰るときは一人になるなよ、ほんとに刺されても知らねーよ?」
「…」
これまでだったら、めんどくさいですね、くらいの返事をするところなのだが、珍しく言い返してこない。
さきほど電話で兄から報告を受けていた、昨夜は自宅に男が訪れたようだと。
幸い接触はなかったとのことだったが、分からない、およそ洗脳に近い精神支配がなされているのだ、そのうちおのずから男を招き入れかねない。
「逆にこれまでどーしてたの?」
木庭が呆れて、コーラを飲み干してチェックの合図をした。
「もともと車で飲みに出る族なので…車中泊がデフォルトですよ。」
これまでがどうだったかは知らないが、この店に出入りするようになってからはだらしのない、されど夢のような共同生活だったはずである、しれっと嘘をつく。
征羽矢が数字を書き込んだ伝票をちらりと確認して、財布から数枚の札を出す。
「俺が送ってやってもいいけど、それだと1人になっちゃうからな、今日は甘えろよ?」
たった今返却されたロードスターは2人乗りだ。
店まではモノレールで来たのだ。
恋人を同乗させてやることもできない。
「なんか、でも、あんまり、良くないかも、って…」
「刺されるよりはマシじゃん?」
「刺されは、しないですけど…」
「もしまたつまんない、というか、面白い写真と記事が出たらちゃんと証言してやるよ。じゃ、明日、頼むね、ミツヨくん。車カリーナね。」
きちんとカウンターチェアを仕舞って、ごちそうさまでした、と会釈する。
ストーカーは害悪そのものだが、あの記事でドリフトというスポーツがこれまで未獲得だった層に届いたのも事実だ、炎上上等。
広告事業をしている以上は、話題になってしかるべきである。
そのあたりの意見は森下と一致している。

「えー、じゃあ、飲みます、ビール。」
別にクマができてるとか、うっかり居眠りしてしまうとか、実害は出ていない。
学生の頃から深夜はあちこち走り回っていたから、ショートスリープの慣習には耐性があった。
帰り道、すっかり熟睡していたので、寝不足、という感覚はすでにない。
目を覚ましたとき少しよだれが出ていて焦った程度の弊害である。
それにしても。
いくら眠かったとはいえ、自動車の挙動に敏感な女が目を覚まさないレベルには、運転が板についてきたということか。
スン、と冷めた顔をしている光世を盗み見る。
「ミツヨさんも、車、買った方がいいですね、そのほうがわたしをちゃんと監視できますしね。」
それはジョークではある。
「まあ、1台あったら便利は便利よな。」
征羽矢がジョッキを手渡してくれる。
「よそから機材借りる時とかさ、ちょいでかめのDIYするときとか、レンタカーだからな。」
「待って、それだと業務用ぽいワンボックスになっちゃいます!」
ゴッゴッ、と喉を鳴らして半分ほどを一気に流し込んだ女が、慌てて征羽矢の言葉を遮った。
「だめですよ、だめだめ、わたしの中でミツヨさんはもうドリ車のイメージなんです!」
わざとらしく身震いするような素振りをしてみせる。
「オートマのワンボックスなんて、涜神…」
征羽矢には女の言っている意味が分からないが、とくしん、が、つまり、自分の趣味じゃない車両に乗らせないよ、という強い意志の現れだということは確かだ。
「カリーナ似合うからイチオシですけど、AA63なんて今頃…ビートもロドスタもよかったけど、体格考えると1台で長期楽しむにはちょっと…」
ぶつぶつと独り言を並べながら、ジョッキを空にする。
「S14…15ってかんじじゃないですもんね…チェイサーは、まぁいいかも、スープラも違うし…この際ブルーバードとかが、いいっちゃいい…」
それはまるで呪文だ。
「…ぶるーばーどという、車が、あるのか…」
光世は自分で用意したバーボンをストレートで舐めている。
今日は休みの扱いなのだが、皆が労働している中でのんびり座って酒が出てくるのを待つ気分ではなかった。
「興味あります?4WD…アテーサ切るかぁ…いや、ドリフトするんじゃないんだったっけ…いや、いずれは…」
「兄弟は、鳥が好きだし詳しいんだぜ?」
征羽矢が横から口を挟んだ。
「辞めちゃったけどさ、大学、理学部の生態科学?科?で、鳥類、研究してたんだぜ。」
「なるほど、そういうインスピレーションめちゃ大事です、よし!U12ですね!」
「…ど、だ、どうして、そうなる…?まだ、決めたわけじゃ…」
と、光世はうろたえながら、ゆーじゅーに?ぶるーばーどと言ったはずだが?と頭の中にぐるぐると疑問が巡る。
「まーまー、見るだけでいいですから、でもそうなったらわたしが買っちゃいそうですね…四輪のままでも…ふふ、練習しないといけませんね…」
まだ見つかってもいないどころか探してもいないマシンにうっとりと想いを馳せている。
少し興奮気味に口角を上げる表情は、すっかり普段通りだ。
昨夜のトラウマに引きずり込まれきっていなくて、ほっとする。
女が、スマホで検索して画像を見せる。
古くさい形のセダンだ。
かっこいいかと問われると、光世にはなんとも言い難い。
渋い、がいいところだろうか。
それはそうと、いつまで経っても征羽矢がビールのおかわりをくれない。
言葉にすると、征羽矢は眉をつり上げた。
「あした!走るってゆっただろ?今日はこれでおしまいだ!上がって寝てくれ!」
女はむくれるが、とうとう、店のマネージメントにとどまらず、女のスケジュール管理にまで気を回すようになってしまった、と気まずく思う。
おとなしく言うことを聞いておいたほうが良さそうだ。
支払いを済ませ、光世から部屋の鍵を受け取って、いちおうこっそりめに裏口から出ていった。
「…俺さ、部屋、出ようと思ってて。」
征羽矢が切り出した。
光世はグラスを置く。
日曜の夜は客はまばらだ。
「伊藤サンには相談済み!もう後には引けねーな。」
タンブラーの中のハイボールを、ぐい、とあおった。
自身を鼓舞するかのように。
「物件、いくつか、目ぼしいとこ、見繕ってもらってっからさ、決まったら、出るから、そしたら、けっこん?してもいいし、さ。」
「…そうか…」
引き止めたほうがいいのかどうか、決められずに、それだけ答えて、会話は続かなかった。

連日、弟にばかり仕事を押し付けて申し訳ないと思ってはいるのだが、カウンター周りのことは正直苦手だ。
「邪魔だから帰れよ。」
罵られつつ、店をあとにした。
「俺ほんとにこっちで寝るから、シャワー明日浴びるから。」
背中にそう声をかけられ、頷くしかできなかった。
あんなに何から何までに気を回さないと生きられない性分が、痛ましいとまで感じる。
そうさせてしまってきたのは己のせいだと思い当たる節もあるから、余計につらい。
そしてそれを、本人があまり自覚していないところがまた、兄にとっては心配の種でもあった。
昔はそんなに聞き分けのいい子どもではなかったように思う。
光世よりずっとやんちゃでケンカっ早く、そうだ、高校生のときには濡れ衣ではあるのだが、停学も食らったことがあるほどだ。
引っ越すにしても、手厚くフォローすることを心に誓い、玄関の扉を開けた。
思いがけず、女はすでに休んでいた。
光世のベッドで、アンモナイトのように身体を丸めて、すうすうと寝息を立てている。
電気くらい消せよ、とため息混じりにリモコンを操作すると、ぴっ、という電子音とともに世界はオレンジ色に包まれた。
さらにいえば、征羽矢は今夜は帰らないと知っているのだから、むこうで寝ろよ、と口をへの字に曲げる。
起こそうとしたんじゃない、光世が弟の寝床で眠ればいいだけの話だ、抱き上げて移動させようとか、そういう意図は皆無だ。
寝顔を、見たかった、ベッドに手をついて、壁側を向いている女の顔を覗き込もうとして、腕に体重をかけた。
ぎし。
安物のパイプベッドが軋む音は大きい。
女の手が、光世の顔を叩いた。
「やめて!こないで!いや!やめて!やめ…」
見開かれた瞳に、どす黒い恐怖が映っている。
息は荒れ、シャンプーの匂いがするのにひどく汗をかいていた。
すぐに、殴った相手が光世だと気付いて、慌てて手を引っ込めた。
「うわっ、ごめんなさい!寝ぼけてて…」
…トラウマに引きずり込まれきっていなくて良かったなんて誰が言ったんだ?
光世は愕然とする。
迷ったけれど、抱きしめずにはいられなかった。
「…すまない、また…怖がらせてしまった…」
まだ悪夢の中の触手に片脚をとらわれているのか、ぼうっとした声で再び女が謝罪した。
「ごめんなさい、寝ぼけてたんです…」
しかしその身体は、汗ばんだ肌とは裏腹に、真冬に外に放り出された子猫のように震えている。
キャミソールの肩紐が片方落ちて、生白い首に、骨と筋肉が細く濃い影を作っていた。
こんなときに、生唾を飲み込むものじゃない、光世は自身を律した。
女はおぞましい記憶に怯えてなお戦っているのに、自分ときたらなんと欲深いことを…!
あの狂気の動画を鑑賞しながらセックスしたときも、震えて泣いていたけれど、征羽矢も言った、次の瞬間にはケロっとしていて、どうしてやればいいのか、その情緒を鑑みることができなかった。
今は、違う、気がした。
その関係が異常だと、知らないわけではないのだろうが、惰性で、十数年も犯され続けて、恐怖と性的興奮の境界が分からなくなっていったのもおそらく事実だ。
救うなら、好機だ。
「…こんな、言い方は、ひどいと思うかもしれないが…あんたが、昨晩、あの男に、怖いと、感じることができて…良かった…」
語弊があるのは承知だ。
良くなんてない、1ミクロンも。
「…前も言ったが、投げやりに抱かれたり、絶対に、するな…」
短い髪を、うなじから刈り上げた流れに逆らって、ざわり、と撫で上げた。
また、ふわ、と、フローラル系のシャンプーが匂い立つ。
「…そんなことをしなくても、大丈夫なんだ、誰にも咎められない…殴られたりしない…もう、大丈夫なんだ…」
ぱた、と女の目から涙が一粒落ちた。
「…俺が、いる…兄弟も、頼りになる…あんたが恐れている全てを、俺たちは、切れる…」
動揺した精神で聞いていても、切れる?ワードチョイスが引っかかる。
ああ、刀の、話か。
どこか他人事で状況を俯瞰して見ているのは、もはや習慣なので、すぐには直らない。
だが、普段、言葉少なな光世の、とつとつと紡がれるやさしい説教は、心地よく女の氷を溶かしていくようだった。
包み込む腕の力は強すぎず、耳の後ろあたりで囁かれているので、びりびりとしびれるように鳥肌が立っている。
「…どこへも行かぬよう、縛り付けたいのは、本音だが…あんたを…守りたい、だけなんだ…」
ふ、と身体を離して、光世は女の頬に触れた。
「…あい、して…」
る、と言ったかどうか、判別できない。
そっと唇が重なった。
とてもプラトニックなキスだった。
「…もう、寝ろ…俺も、シャワー浴びたら、寝るから…」
ぽんぽん、と子どもをあやすように頭を軽く叩き、シャワールームへと姿を消した。
結局、流れた涙はたったの一粒だけ。
もっと、過去にとらわれて付けられた傷を、こんなにあたたかく舐め取られて、わんわん泣いてしまうかと思ったけれど、まだそれはできなかった。
タオルケットに潜り込む。
あんな口づけじゃ、足りない。
一度歪められた嗜好は簡単には変わらない。
今こそ、あの忌々しい体験を上書きさせるような、殺意のこもった愛をぶつけて欲しかった。
殺意。
そう、自殺したいんじゃない、いつ死んでもいいと思ってると、解釈していた、けれど、これは、こういう、愛のある、殺意で、殺されたいという願望なんだな。
「…わたしも、あい、し、」
誰も聞いてはいない。
でも最後までは、言えない。
胸の高鳴りをこらえて、目を閉じた。

「…くっそ…!」
シャワーを全開で出しながら、自身を慰めている。
すでに2度ほど熱を放ったのだが、止まらない…!
女の肌のもっちりとした感触、抱き心地、息の匂い、汗の匂い、心臓の音、怯えて震える肩、全てが光世を掻き立てる。
危なかった…!
あそこで切り上げなければ、十中八九、押し倒して服を剥ぎ取っていた…!
「…く…っ!」
また吐精する。
「はぁっ…はぁっ…っ!」
雨に濡れて固まったまま乾いてしまっていた長い黒髪に湯を通す。
そのまま顔面にシャワーを浴びて、冷静さを取り戻そうと足掻く。
自分の言葉は、少しは女に響いただろうか…?
話すのは上手くない、自覚がある、だから自信がない。
手早く髪と体を洗い、すぐに乾かして寝巻きに着替えた。
自信がないのだ。
光世が眠っている間に、また行方を眩ませるのではないか、と思えてならない。
小言を口うるさく繰り返され、うんざりだと、荷物をまとめてどこかへ行ってしまうのでは。
ゾッとする。
さいわい、女はさきと同じ場所で、同じポーズで寝息をたてていた。
抱いたまま眠りたい衝動に駆られるが、またおぞましい記憶を呼び起こさせてしまってはいけない。
借りるぞ、と声に出せずに宣言して、弟の寝床へと入った。
朝になったら、バスの時間を調べて、女の自宅へと行く。
2人、カリーナに乗って、シオハマサーキットへ行く。
走行練習をするかもしれない。
そして女はハチロクを積んだキャリアカーを、光世はカリーナを運転してノースガレージの工場へ。
そこに置いてあるビートを女が回収。
店の2部が始まる時間までに、光世はカリーナにて戻る。
こんなところか。
一度運転した道だ、そんなに余裕をみなくても、ゆうゆうに帰ってこられるように思えた。
走りたい、と女は言う。
かつて、いのちのじゅうでん、とも。
光世だって、悲しいことがあったり、腹立たしいことがあったときは大ボリュームで音楽を聴いたり、ギターをめちゃくちゃにかき鳴らしたりする。
女は、心が生気を失ってきたら、走るんだな、と、理解した。
明日、ぎりぎりまで走ったらいい。
今日、サーキットの予定を入れていて良かったのかもしれない。
あんな夜を孤独に越えて、自分たち兄弟に助けを求めることもできずに部屋に引きこもっていたら、きっと、なにか、ダメなことが起こっていたに違いない。
誰の名前を呼ぶときより、愛しげに、甘く呼ぶ、ハチロク、ハチ、ハチくん、嫉妬するのも阿呆らしいが、これは嫉妬。
だが、感謝、している。
あれの、切れそうな命の灯を、長い間、きっと、ずっと、充電してくれていて、ありがとうと、思う。

バスに乗る。
始発なので混んではいない。
疲れた顔のサラリーマンの他には、部活用の大きなバッグを持った学生がちらほらいるくらいだ。
サーキットに走行枠の空きがあるか問い合わせるのは、営業時間が始まってからのほうがいいだろうから、途中どこかで電話する、と女はあくび混じりに言った。
今日は晴れそうだ。
店から自宅まで、車だとほんの十数分なのに、バスだと小一時間もかかる。
煩わしいと思いつつ、運転手のハンドルさばきに見惚れている。
1台積みの積車くらいが限界だ、4トンを超えるトラックやバスなど、車長と車幅と内輪差と外輪差を理解できる気がしない。
車重の軽い小さな車ばかり所有してきた。
山を走るなら下りがいい、軽さが、武器。
内装を引っ剥がして後部座席を取り去り、ボンネットの素材をカーボンやFRPに換え、ホイールを換えた。
油にまみれて自力で作業していた時代を、なんとなく懐かしむ。
バスを降り、さらにそこから10分ほどを歩いて、ようやく辿り着いた。
敷地に入る前に、隣家の生垣の陰で、光世が女の腕を掴んた。
「…待ってろ…」
昨日の今日である、本当に通報されて警察に連れて行かれたのだとしたら、さすがに今朝は自粛するだろう。
ちなみに女は男が離れた隙にすぐに出かけたので、家を警察かなにかが訪ねてきたかは知らない。
「…いない、車も、ない…」
緊張した表情を和らげ、光世が手招きした。
念の為、とでも考えたのか、勝手口の方へとまわり、視界から消える。
しかし。
女は察する。
逆に、車がないということは、もう自由の身となっているということでもあるのでは。
それはそうだ、家の前で騒いでいたくらいで、それが脅迫とか恐喝になる可能性があっても、即刻丸一日以上拘束するのは、ほぼ無理な話だ。
車、ある、ない、のトリックに、光世は気が付いていない。
嫌な予感がする。
無意識に、手を伸ばした。
「み」
肩を叩かれて、呼ぼうとした声を失った。
どくん、どくん、どくん。
心臓が破裂しそうだ。
「きみ、ここの家の人?」
そう威圧的に問うたのは、制服姿の警察官2人組だった。
見れば、赤色灯をつけてこそいないが、パトカーが奥の家の敷地との間に隠れるように停まっている。
光世が血相を変えて飛び出してきた。
一瞬でも目を離したことをとてつもなく悔いていたが、水色のお揃いを着込んだ公務員の姿に、ほっと胸を撫で下ろした。
「…はい、そうです。」
色のない音階で、ぼそり、と答えた。
「お名前、聞いていい?」
「…空知、由希…大空、知る、自由の由に希望の希…」
警察官はバインダーに挟んだ紙にせっせとメモを取る。
「免許証、ある?」
「…」
無言で、ケースごと差し出した。
なめ回すように表面を見て、それから許可も取らずケースから出して裏面を一瞥する。
「一昨日の深夜、家にいた?」
「…いました。」
別々に返される免許証とケースを、忌々しげに受け取りながら、頷く。
「誰か、来なかった?」
「…なんか、外、うるさいなって思ってました、でも爆音で音楽聴いてたから。」
それは、嘘だった。
光世がソワソワと不安げにしている。
大型犬みたいだな、と女は思った。
「…中川稔って人、知ってる人?」
「…はい、大学時代の、OBで、まあ、お世話になった人、です。」
指導コーチではあったわけだ、世話になったと言うのが組織としての筋かもしれない。
警察官は、半拍、ためてから、また質問をする。
「恋人じゃない?」
「ちが」
「違う!」
光世が、女が言い終わる前にしゃしゃり出た。
睨みの一つでも効かせてやればいいような凶悪な顔の作りをしているのに、なんとも泣きそうな面持ちで。
女が、ちらりとスマホの画面を見た。
時間を確認する素振りである。
「…仕事で出なきゃいけないんですけど、時間、かかります?」
「ごめんねぇ、一昨日さ、この、中川さんね、ここで、ずいぶんと大きな声でね、あなたのこと探してたみたくて、ご近所からご相談があってね?」
探してた?
そんなオブラートに包む必要がどこにあるんだ?
殺すと、繰り返し罵っていたんだが?
「とりあえず同行いただいて、お話聞いたんだけど、恋人が急にいなくなって家の鍵も勝手に変えられて、他の男と浮気してるんだって、」
まあ、そうくるよな、という、想定の範囲内の設定だ。
「…学生時代の体育会所属の、師弟関係にあったので、それなりに親しく、自宅に来ることもありましたが、交際していた事実はありません。」
すらすらと、テンプレートのように喋る。
後ろに控えているもう1人が、こそこそと無線を使って管轄の署に連絡している。
「…今からお仕事?もうちょっといろいろ聞きたいんだけど、お願いできないかな?」
「今は、難しいですね。明日の朝なら。」
バッサリと切り捨てる。
こう、妙齢の女性というのは、警察に聴取されるのにこんなにも慣れていて物怖じしないものなのか?
光世の思考がバグる。
「…そう、連絡先、教えてもらえる?あとお勤め先、そしたら明日でもなんとかなる、かなぁ?」
携帯番号を伝え、ノースガレージの名前が入った名刺を渡す。
「アマチュアなので所属はしていませんが、仕事のことはノースガレージの職員に尋ねてもらえれば、分かるかと。では、失礼します。」
光世のTシャツの裾を引っ張って踵を返した。
カリーナの鍵を開ける。
「ねえ、その車、車検、通ってる?」
不快感を煽る粘ついた声で、そう畳み掛けてくる。
「…通ってますよ、ご覧になりますか?」
グローブボックスから車検証を取り出して見せた。
ふぅん、とつまらなさそうに視線を滑らせたあと、それを乱雑に投げ返され、当然カチンと来た。
「そっちは?」
青い車へとあごをしゃくる。
女といえば、思いっきり怒りが顔に出てはいる、隠す気がないともいう。
「通ってますが、今鍵がないので、ステッカーの確認お願いします。」
フロントガラス側へとぐるりとまわり、シールが貼ってある箇所を指さした。
「…通ってるなら、いいよ。」
その一悶着の間、もう1人の警官は光世に名刺を出させていた。
一気に、女の憤りが爆発する。
「その人は関係ない!」
聞いたこともない大声で、そのへんをちょこちょこと歩き回っていたスズメが一斉に飛び立った。
光世は静かに首を振った。
「…いいんだ、関係なくは、ないだろ…?」
なだめすかすような物言いに、苛ついてしまう。
「…もう、いいか…?約束の、時間が、あるんだ…」
打ち震える女の背中に手を添えて、カリーナに乗るように促した。
ぺこ、と心のこもっていないお辞儀をして、自分が運転席に座った。
またこんな荒ぶったメンタルで運転されたら、同乗者のほうがたまったものではない、と判断したのだ。
「…ほら、乗れよ…」
女は、酷い目つきで二人組みを睨み付けながら、助手席へと滑り込んだ。
「…失礼する、明日の、朝に、伺う…」
バタン、とわざと仰々しくドアを閉めた。
なかなかにかっこいいシチュエーションだ。
ただ、敷地から大通りに出るまでの道がとても狭いので、驚くほどのゆっくりの速度でその場を離れる。
ぷ、と女が吹き出した。
「締まんないなぁ、シャッと走り去ってくださいよ?」
そんな事を言われても、できることとできないことがあるのだ。
光世はふてくされて、またシフトノブを強く握りしめていた。

「…な、ぜか、クラッチ、つながるところが…」
光世が少し慌てている。
「そりゃそーですよ、車によって違いますよ。」
往復4時間を超えるロードスターの運転に良くも悪くも慣れてしまったところ、ペダルの硬さも繋がるポイントも違うカリーナをあてられて、困惑しているのだ。
どうしても変速のときに、かくっ、と、車体が不格好に揺れる。
「こればっかりは感覚、あとは丁寧に、としか。」
楽しそうに笑っている。
さきほどの獰猛な肉食獣のような目線はどこへやら、である。
「どこかで代わりますから、コンビニかパチ屋か寄ってください、ミツヨさん、帰りも運転ですよ?」
「…障りない…きのうも、平気だった…」
しかし通勤ラッシュの時刻である。
日曜日の混雑とはまた様子が違うが、初心者は神経をすり減らすだろう。
「無理しないのも上達のコツですよ、まずは車を好きに、運転を好きに、ならないと、です。」
「…」
現役のレーサーが言うのだ、間違いない。
格好つけて事故でもしたら目も当てられない。
素直に従うことにする。
「この先、左側、コンビニがある…そこへ、寄ることにする…」
ついでに朝食と飲み物を買おう、と考えている。
予定になかった警察官との押し問答に、緊張した喉はカラカラだ。
「…えらく、警察とのやりとりに、余裕があったじゃないか…?」
「普通ですよ、と言いたいですが、学生時代に港や峠で幾度となく摘発されていますからね、ベテランですよ。」
ふふん、と得意げに鼻を鳴らす。
自慢できることじゃない。
「…てっ、摘発…!?」
物騒な単語が飛び出してきて光世は大いに驚く。
「ドリフトって、サーキットじゃないところで練習してたら『集団危険行為』っていう犯罪になっちゃうんですよ。」
「…ぜ、前科者…」
「言い方!」
女が左右の足を組み替えた。
目標のコンビニが近づき、ウインカーを出す。
木庭に習った通り、なるべく鋭角に駐車場へと侵入した。
「おっ、こじゃれたことするじゃないですかぁ。」
嬉しそうにはしゃぐ。
ただ駐車はとても苦手だった。
入ったコンビニは狭くて、いきなり頭の中はパニックだ。
「このへん、出入りあって駐車しにくいですよね、あっちの方へ。」
女が指さす。
店舗の横側に2台分だけ、向きの違う駐車スペースがある。
ひとつはすでに埋まっているが、ゴミ置き場との間の1台分は空いている。
「両サイドあるとビビるかもですが、カリーナは意外と車幅ないので、最終、右ラインに合わせれば問題ないです。スペースに対して、こう、斜めに。」
指示通りに、スペースを通り過ぎる形でやわやわとハンドルを切り、リアを振る。
「こんくらいで、いけると思いますが、自分が不安だったら何回でも切り返してくださいね。ダサいけどぶつけるよりはダサくないので。」
ダサい…
そんなこと絶対に言われたくない…
苦渋の表情でギアをバックに入れた。
サイドミラーを睨み付けている。
「窓全開にして、顔出して、目視が楽かもですよ?」
なるほど、いったん停止してレギハンをぐるぐると回した。
ひょい、と後ろをのぞくと、たしかにタイヤとラインの距離感、輪止めとの距離感などがミラーで見るより断然頭に入る。
情報としては同じはずなのに、不思議な現象だ。
ちょっと右寄りに、だが一発で決まった。
ダサくない…!
息巻いて女の顔を見た。
「はいはい、じょーずにできました。次回のレッスンはとことん駐車訓練ですね。」
ぽん、と、ひとつだけ頭を撫でて、ドアを開けて店へと入っていってしまう。
エンジンを切って窓を閉めて、光世も外へ出た。
女を追って入店するが、女はもうレジで会計をしている最中である。
菓子のような携行固形食品とペットボトルのコーヒーとスポーツドリンクとミネラルウォーター。
あまり健康的と思えないラインナップだ。
「…なんか、もっと、食えよ…」
光世は冷蔵の棚からたまごとレタスのサンドイッチをひとつ手に取り、一瞬考えて、もうひとつ、ハムとチーズのものも取った。
あとはブラックの缶コーヒーと、1リットルの麦茶。
暑くなるだろう。
光世が車へと戻ると、女は運転席に座ってコーヒーを飲んでいた。
「…ん…」
光世が、ハムチーズサンドを手渡すと、くるり、と目をまわして、光世を見上げて、それから手を出した。
「たまごのがいいです。」
勝手な女だよ、そう口をついて出るのもやむを得ない。

年季が違うのだ、仕方のないことだ。
女が運転するときのチェンジアップは鮮やかな滑らかさだ。
それも平坦な道ならとてつもなく早く、速い。
ローで発進して5秒も経たぬうちに4速に入っている。
リズミカルでいい、と光世は思った。
几帳面に考えるからまどろっこしいのかもしれない、得意のリズムにならって、すー、とんとんとーん、くらいの手業だな、と、ドア側にある左手が空中を前後する。
「…わたし、ミツヨさんが好き」
女が唐突に話し始めて、光世は飲んでいたコーヒーが気管に入りかけて盛大にむせた。
「…!?」
「…大丈夫ですか?」
ゴホゴホと咳をしながら片手で口を押さえ、もう片方の手を軽く上げた。
「…ミツヨさんが好きなこと、なんか教えて欲しいって思ってて。」
光世の顔が真っ赤になる。
急に好きなどと告白されたかと勘違いしたのだ。
誤魔化すために、しばらくわざと咳き込み続ける。
「…大丈夫?水ありますよ?」
女はなんとも思っていないようだ、こういうところに関しては鈍感で助かる。
「車、とか、ゲーム、とか、ま、ちょっとイッちゃってるプレイとか、すごい巻き込んでるので、ミツヨさんがどんなことしたら楽しいのかとか、知りたいし、体験したいなって。」
そういうことか…
恥ずかしくて死にそうだ。
穴があったら入りたいとはこういう気持ちなのだな、火照る顔を両手でごしごしと擦った。
「…俺の、好きなこと…」
戸惑って口をつぐむ。
「音楽は外せないかなって。ディスク?とか?回してみたいです。」
「…スクラッチ…ゲームの、やったと言ったじゃないか…」
どんな筐体かは知らないが、ゲーセンバーで言っていたのを思い出す。
「じゃなくて、本物。やっぱ素人が触ったらダメな感じですか?」
「…いや、そんなことは、ない…どんな伝説も初めは素人だ…」
「あとー、意外だったんですよね、鳥、好きなの。バードウォッチング?行ったりしますか?」
光世の口元が、ふわり、とほころんだ。
懐かしい景色を思い浮かべている。
黄色っぽい早朝の光、高く澄んだ空、風の感触、木々のざわめき、川のせせらぎ。
「…昔は、よく…今は、なかなか朝が、な…」
ゆるり、と頭を振る。
「あ、朝かぁ、確かに。」
ほぼ毎晩深夜まで酒を飲んでいる女にとっては難しい時間帯だ。
うまくすれば節酒に繋がる趣味になり得るかもしれない。
「…そうか、そう、思って…」
光世は、そのノスタルジックな朝日のように、ふ、と微笑んだ。
「…それは、もう、ビジネスカップル、じゃないぞ…?」
「そうですかね?」
照れさせてやろうとドヤ顔をしてみるけれど、女の視線は正面とサイドミラーとルームミラーとタコメーターを行ったり来たりしていて目が合うことはないから、どうにも効果はない。
「ミツヨさんが、どんなこと考えてるか、なににどんなふうに感じ入るのか、知りたいですよ。」
そう普段通りのローテンションで言われて、反対に光世のほうが照れてしまう。
それはもう、普通の恋人の感情に近しい?
「…そうだな、こんど…営業後にでも、ブースに入って、みるか…?」
想像する。
ターンテーブルの前に立つ女の後ろから、その手を重ねる。
女の跳ねた短い髪が喉をくすぐるかもしれない。
だが、女は横目で光世をちらっと見た。
「それはちょっと恐れ多いです。部屋にあるやつで上等ですよ。」
「…あんなの、おもちゃだ…」
誰もいない閉店後の、薄暗い、だだっ広い空間の、閉じられた一角だから、いいのだ。
今は叶わなくとも、いずれは早起きして並んで山歩きもしたい、と、心から願う、そんな、ふつうの、恋人同士のような、日常を、夢、見る。
-------------------------
〜13に続く〜
 
レスを見る(2)
2025/09/25 21:55:24(onYA8KLD)
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