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(1つ前の「悪魔と契約」から読んでください)
「こんばんは、心実(ここみ)ちゃん。今日で君が誕生して13706日。約束どおり魂をいただきに来たよ」 私の前に現れた美しい男は悪魔だと名乗り、わけのわからないことを言った。 悪魔? 造り物みたいに美しいのに、微笑むと天使のように無垢にも見える。 だけど目が。 私を見てるのに、私を通してなにか他の物を見てるような。遠くて捉えどころのない目。 そうだ、あれに似てる。 水の中から空を見てるような感じ。 …確かに、悪魔なのかもしれない。 彼が言うには、前世の私の名前は寧々というらしい。 願いを3個叶えて魂をもらう約束をしていていたけど、叶え損ねたまま寧々が死んでしまったので、生まれ変わりの私のところに現れたんだって。 寧々の3個目の願いは、普通の女性として生きること。 悪魔は寧々の代わりに私を守り、私が寧々と同じ時間を生き終わった今日この日に現れたんだって。 だから、私の魂で精算させるつもりなんだって。 こんな理不尽な話ってある? だって、私は一つも願いを叶えてもらってないのに。 「だけど、君はとても幸せに生きていただろ?ちゃんと愛されて育っただろ?」 少し困ったような顔で目を細めて、悪魔が言う。 「だけど、私は宝クジも当たったことないし、特別いい家庭に産まれたわけでも、美女に産まれたわけでもない。 悪魔の力で幸せに育ったなんて思えないもの」 私がそう言うと、悪魔は呆れたような顔をした。 「なに言ってるの?そんなことしたら幸せに生きてこれないだろ? 大きなお金は価値観を狂わせて、幸せを感じる心を奪う。 君の両親は君が笑っているだけで幸せを感じるくらい、君を愛してた。 それに、飛び抜けた美人に産まれてきたら、普通の恋愛ができなかったと思うよ」 確かに、そうかも知れない。 悪魔って口が上手いって言うのは本当なのね。 「悪魔の僕が言うんだから間違いないよ。人間はだいたいそういう願いごとをしては、本来持っていた幸せを失って破滅するんだ」 そして、貴方が魂をいただくわけね。 なんだかどこかで聞いたような話。 でも確かに、説得力はある。 「いいね、さぁ、今度は君が約束を守る番だよ」 私は寧々という女の願いが何だったのか、聞いてみたいと思った。 悪魔は教えてくれた。 それはとても醜悪で、理解し難い物語。 その女の過去を私は知らないけど、かわいそうな人だと思った。 それから。 悪魔は彼女に執着していて、それが恋に似た気持ちだったことも感じた。 彼女を救えたら自分も救われると思ってたとか。 未知で独創的な彼女に魅了されたとか。 彼女の闇に融和したとか。 ただ、彼女が欲しくてたまらなかったとか。 彼自身が自覚してないだけで、なにかしら特別な感情があったんじゃないかなって。 寧々の話をする表情を見て、思った。 ああ、そうか。 『かわいそうな人』なのは、貴方も同じなのね。 悪魔と寧々は、どこか似てる。 「ねぇ、悪魔さん。 やっぱりいきなり魂を持っていかれるのは納得できないの。私にも3個の願いをさせて? 何年も何年も待っていてくれたんでしょう? だったらあと少しだけ付き合ってよ」 私は契約を持ちかけた。 そして、悪魔は了承してくれた。 「願い事をするね。でもその前に悪魔さんの名前を教えて?」 悪魔に名前なんてあるのか知らないけど、私は聞いてみた。彼は『詩音』と答えた。 いったい、誰が彼に名前を与えたんだろう。 彼は誰かに愛されたことがあるのかな。 彼はどれだけの魂を喰らって、どれだけの月日を独りで過ごしたのだろう。 「ひとつめの願い。 人の心がなくて人の心がわからない詩音に、心を与えてちょうだい」 願われた言霊を、拒否することができないんでしょうね。 彼は少しだけ目を細めて。 私をまっすぐに見て。 その瞳孔が開き、真っ黒い穴のような眼差しになり。 それから、突如、天を仰ぐように反り返る。 自分自身をすべて吐き出そうとするかのような、狂おしい叫びをあげた。 ノドが破れそうなほどの叫び声。 私は、生理的な恐怖を感じて鳥肌がたった。 頭を抱えるように耳を塞ぎ、胸の痛みに耐えた。 前世のことなんて、貴方のことなんて、覚えてないはずなのに。 何かが私の胸をかき乱していて。 切なさで張り裂けそうになる。 込み上げるこの苦しさは、私のものなのか、それとも寧々の魂が感じてるものなのか…。 どれだけ時間が経ったのか。 詩音の叫びは、声にならない、絞り出すような頼りないものになって。すすり泣きのように震えていた。 彼は、小さく小さく体を丸めて、床にうずくまったまま動かない。 乱れた髪に隠れて、表情は見えない。 「ねぇ詩音、貴方は悪魔だからわからなかったのね。だから仕方なかったのよね。 だけど、今は感じてるでしょう? 貴方が魂を奪ってきた人たちの痛み。 それから、寧々にしたことの意味」 貴方が寧々にしたことは間違ってる。 だけど貴方はきっと、好きだったんだよね。 目の前の願いを叶えてあげることしかできないなんて。 彼女を死よりも不幸にしてしまうことを想像できなかったなんて。 願いを叶えることで彼女を壊して、失ってしまったなんて。 かわいそうな悪魔。 そして。 自分の望む通りの彼女を手に入れるために、彼女の魂が宿る私を待ってたなんて。 感情があるのに、それを感じる心がない貴方は、本当に悲しい生き物。 でも、心があっては悪魔ではいられないものね。 わからないということは、悲しくて残酷。 わかるということは、辛くて苦しい。 貴方が私にしてくれたように、私も貴方に普通の幸せをあげたい。幸せも苦痛も感じられる心をあげたい。 記憶を奪ったり、自分自身であるための大切なものを奪ったりしても、意味がないのよ。 貴方でなくなってしまうから。 だから、私は奪わない。 貴方に「心」をあげるの。 なくなってしまいたいかのように、これ以上小さくなれないほど体を丸めている彼を、私は抱きしめた。 おおいかぶさって、母猫が子猫をお腹の下に隠して守るように。 暖めるように。 私の中に吸収して、胎内に還すように。 想いを込めて包み込み抱きしめた。 「ふたつめの願いよ、悪魔さん。 貴方の1番望んでいることを、叶えてあげる。 悪魔をやめてもいいし、何かを消してもいい。 さぁ、どうしたいのか願って」 「僕は…」 悪魔は顔を上げて私を見ると、言葉を止めた。 その目は私を見ているのに、それを通り越してもっと遠くを見ているみたいで。 だけど、もう水の中ではなくて。 そこには感情的な、揺らぐ色があった。 人のようだった。 両手で彼の頬を包み込み、おでことおでこをつけて。 「大丈夫だよ」 と言ってあげる。 幼い頃、泣いている私に母がしてくれたように。 それから「ありがとう」と伝えた。 悪魔は目を伏せた。 何かに耐えるような顔。 それから、一瞬ふわりとゆるみ、微笑んだように見えたのだけど。 確かめることはできなかった。 なんでって。 彼が霧のように消えてしまったから。 手の平で受け止めた綿雪が、一瞬にして体温に溶かされた時のように。 滲むように、溶け込むように。 詩音はいなくなってしまった。 消えたのか、還ったのか、巡るのか。 「さようなら、詩音」 気がつくと、頬が濡れていた。 これは私の涙? それとも寧々。 あるいは詩音。 《おわり》
2016/04/08 12:35:05(/JrK9hMe)
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