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背徳の加算 ②
カテゴリ: 官能小説の館    掲示板名:SM・調教 官能小説   
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1:背徳の加算 ②
投稿者: 司馬 名和人


 帰りの籠の中で多江は籠に揺られつつ、今日までの猪市とのことをはんすうしていた。

 柴田多江は江戸北町奉行所の与力を代々勤める家に生まれた。そして16歳の時に江戸南町奉行所の与力であった柴田兵六のもとに嫁いだのである。
 その翌年には長女の由香が産まれ、それから十年余りの間は次の子に恵まれなかったが、三十歳の声がかかる直前に待望の嫡男である修理を生んだのである。夫の兵六も無愛想であるが優しい人物でまずは多江は穏やかな人生を送っていた。

 そのような多江が武井猪市と出会ったのはいまからおよそ、八年程前のことで多江は34歳、猪市は二十六・七歳くらいの頃であった。その頃の猪市は勿論、まだ勾当でなく、その下位の座頭の位階の一つである衆分の位にあったのである。

 多江の最初の猪市の印象は余り良い者ではなかった。服装も余り上等とは言えず、それこそ、その辺の街中を笛を吹いて練り歩くあんまの印象そのものであったのである。

 それではそのような猪市と八丁堀の与力の妻である多の間になぜ江がかかわりができたかと言うと、それは猪市が柴田家の屋敷の離れに間借りすることになったからである。

 その頃の八丁堀に屋敷がある町方与力及び同心らはそれぞれの自分の屋敷や敷地の一部を医者、学者、易者等の者らに貸して賃料を取るのが普通であった。それで柴田家でも知り合いのある旗本の紹介でこの猪市を離れを貸すことになったのである。

 猪市はそれまで自分の師匠である花岡徳市検校の屋敷に住んでいたが、今般、柴田家の離れに移ることになったのである。

 猪市が柴田家の離れに引っ越した時には猪市の師である花岡検校も同行して、たまたま非番であった兵六ともども多江にも弟子のことを宜しくと頭を下げたのである。

 花岡徳市はただただ検校と言うばかりではなく、その当時、天下随一と呼ばれた国学者であり、その主催する塾である国学講義所や彼が推進している総書集成と呼ばれる各種分権の収集及び出版事業はいずれも幕府の援助を受けている人物であった。そのような高名な学者が自ら挨拶に訪れたのでさすがに兵六、多江夫妻も今日sy区しきりであった。 しかし、多江は猪市自身に対しては先述したようにさえない人物であると言った印象であった。


 そのように猪市自身には余り良い印象は無かったが、だんだんと話して見ると猪市が見栄えの印象とはだいぶ違う人物であることが判ってきたのである。

多江がまず最初に驚いたのは猪市が学問・教養がかなりある人物であると感じたのである。それまで街中で見かけるあんまの類の座頭からの印象で座頭と一般に呼ばれる盲人たちは花岡検校等の例外を除いて皆無教養の連中であるとの偏見があったのであるが、猪市と話して見ると勿論、書物を読むことはできないものの、読み聞かせればかなり困難な文章の意味を理解できる様子であり、長い文章はともかく、署名等の短い文章ならば書く場所を示せばちゃんと文字も書けるのである。

 そして多江は猪市にその素性を尋ねたところ、奥州の小藩のある武士の家に生まれたとのことで13の年に病で目を患うまではその藩の藩校で武家としてもおおよその教育をうけたとのことであった。

 多江が猪市の教養の深さに驚いたについてはこのようなことがあった。
 猪市が柴田家の離れに引っ越した当初、仕事などで夫である兵六が不在の時に猪市はたびたび多江のもとを訪れてはいろいろな書状、書物を読んで貰えぬかと持って来たのである。多江は目が不自由な猪市に同情してできるだけ猪市に代わっって読むようにしていたが、次第にその書物や書面の内容の高さに感心したのである。一応、武家に育ち、女ながら一応の教養を身につけている多江であるが、そんな彼女でも意味が判らないような書物もあったからである。
 多江からその話を聞いた夫の兵六は猪市と話し込み、その学識・教養の深さに敬服して、次のような話をしたのである。
 それはその頃、ようやく文字を覚え始めた。夫妻の長男である修理にいろいろと猪市の学識の一端でも教えて欲しいとのことであった。
 その兵六の願いに多江も驚いたが当の猪市自身もとんでもないと断ったが、やがて兵六の熱心さに負けて簡単な中国の古典等の話ならばできるかもしれないとその話を引き受けたのである。
 こうしてやや風変わりな家庭教師が誕生したが、息子の側で猪市の話を一緒に聞いていた多江は驚いた。それは猪市が簡単な幼児にも判る簡単な説話に近い中国の古典の話などを講義するのであるが、それを猪市はほとんどそらんじていたのである。
 それだけではない。猪市は中国の古典、それはとくに史記等の歴史所が多かったが、それと同時に古事記などの日本の歴史書も講義するようになり、やがて修理が興味を持つだろうと平ら家物語、太平記等の軍記物語りも講義するようになったのであるが、それもほとんどそらんじているのである。その話し方も上手く、修理はいつも目を輝かせて聞いているのであった。
 猪市に話をあとで聞くと座頭になった当初は琵琶法師の修行もしていて、その際に琵琶の才能は無かったものの平家物語等はは暗記したとのことである。
多江がその話を夫にしたところ、兵六は「うむ、さすがはあの花岡検校殿のお弟子のことはある」と簡単したのである。

 こうして猪市は毎日、柴田家の離れから鍼灸・あんま等の療治に出かける傍らで修理に講義する日々が続いたのである。こうしておよそ、三年の月日が平穏に過ぎたのである。

 そんなある時に、猪市が突然に柴田家の離れから姿を消して行方をくらましたのである、どうやら兵六はおおよその事情は知っている様子ではあったが、多江の問いかけには「座頭殿はどうやら惣禄屋敷の御用で旅に出られたらしい。座頭殿が直接、奉行所にわしを訪ねてこられてそのように言われた」
  「ええ、惣禄様の? それはどのような」
  「座頭殿も詳しくは申さなんだが、まあ心配することはなかろう」
 惣禄屋敷とは江戸・本所に当時あった関東における盲人を統括する役所でもあり、そこに関東惣禄検校がいたのである。

そのようなことがあって間もなく、柴田家も慌しいことになったのである。

 その頃、九州・長崎においてかなり大掛かりな抜けに、つまり密貿易事件が発覚し、その事件は長崎ばかりではなく、江戸の豪商らもどうやら関わっていくらしく、幕閣の首脳部より、南北両町奉行に対して長崎奉行や目付け方とも協力して事の解明にあたれとの厳命が下ったのである。そのために両町奉行所より数人の与力・同心らが長崎に派遣されることになり、吟味方与力であった多江の夫である兵六もその一人として長崎に行くことになったのである。

 こうして多江は夫の兵六を長崎に旅出させて約十日ぐらい立った日の、昼過ぎのことであった。

 その頃、多江、兵六の娘であった由香は既にある旗本の屋敷に行儀見習いの瞑名目で奥女中として芳香に上がっており、長男の修理も毎日、街中の学問塾や剣術同情に通うようになっており、昼間はいなかったのである。

 その日、多江は下男らに指図して屋敷の花壇の草花の手入れを行っていたが、その時に背後から突然に声をかけられた。
  「フフフフフ、いい匂がしますね」
 その声に覚えがあった多江はゆっくりと背後を振り返った。そしてやや驚きの声をあげた。
  「あああ、座頭殿、いや猪市殿」
 そこにはニコヤカナ笑顔を見せる猪市の姿があったのである。

  「御内儀殿、長い間、留守にしておりまして、誠に申し訳ありません」
 猪市はそう言って頭を下げるのである。
  そそれは良いのですが。そのおだいぶお姿がお変わりになられましたので」
 多江はそう言って言葉を濁したのである。

以前に柴田家に寄宿していた時にはこの猪市は白っぽい直垂と言えば聞こえが良いが余り上等でもないうらびれた五月人形と言えば良いような格好をしていたが、いま多江の目の前に現れた猪市の身なりは一遍していた。
 上半身を黒衣、下半身を白袴とまるでどこかの大寺院の立派な僧侶のような身なりになり、それに頭には茶色の頭巾を被り、そして手にしている杖も以前よりは立派なものに代わっている。
  「ああ、この身なりですか、まあこれにはいろいろと訳がありまして」
 猪市はそのように呟くと背後を振り返った。なんとそこには猪市の供らしい男がいた。
 その男は年は二十歳前と思われる町人らしく、どうやら猪市の荷物を背後に背負っている様子である。
 猪市はその男に向かって口を開いた。
  「健吉よ。こちらがわたしがお世話になっている。柴田殿のご内儀だ。ご挨拶せよ」
 

  健吉と呼ばれたその町人は背負っていた荷物を下ろすと、多江に向かって丁寧にお辞儀をしながらこう言ったのである。
  「ご挨拶が遅れまして、申し訳ありません。わたくしめは勾当様、いや武井様の手代をすることになりました。健吉と申します。柴田様の御内儀様には今後とも何かとお世話になられると存じますので、宜しく願います」

 
「座頭殿、こちらがあなたの手代」
  「まあ、中間、小物と申しても宜しいのですが、目が不自由なわたしにとって、この健吉はいわば目や手の代わりでございますので、まあ手代ということにしております」

  「そうですか?、それはそれは」
 多江はそのように言いかけたがいま猪市と話しているのが屋敷の庭先であることに今更のように気づくと「これはわたしとしたことが、まあとにかく、猪市殿、それと健吉殿奥にに上がって下さい」

  「判り申した。健吉よ。とにかく上がらせて貰おう」
 その猪市の言葉に健吉も頷いて下ろしたばかりの荷物を背負うと多江、猪市のあとに続くのである。

 多江は奥の居間に二人を案内してから女中に言いつけて茶を持ってこさせると早速、猪市から話を聞こうと意気込むのであった。

  「実はですね。京に行っておりまして」
  「京の都に、それも惣禄屋敷の御用のために」
 「惣禄屋敷の、まあそうとも言えるかもしれませんが、まあとにかく京の職屋敷に行っておりました」

  「色屋敷にまあそれは惣検校様のところにですか」
 「まあそうですね」
 前述したように江戸・本所には惣禄屋敷が置かれて、そこにいる関東惣禄検校がいて関八州の盲人を統括していたが、京の都には職屋敷がおかれてその長たる惣検校が関八州や東国を含めた全国の盲人を統括しているのである。

  「実はですね。その職屋敷で勾当の位を貰いに行ったのです」
  「勾当の位を?」

  「はい」
 「確か、勾当の位とは?」

 「勾当の位は座頭の上の位です」
  「それは検校の位のようなものでしょうか」
  「いやいや勾当は検校の下で座頭・衆分の上の位です」

 盲人の官位つまり、盲官には大きく分けて検校、別当、勾当、座頭の4段階があり、更に座頭の中でも衆分等に細かく分かれていて全部で73段階に分けられると言うのである。

  「まあその仲でも別当と言うのは名目的な呼び名で既に検校位と一体となっておりますから、まあ勾当と言う位は検校様と普通の座頭との間の位と言うことになりますかな。まあ自分の口から申すのも何でございますが、座頭全体の中でも勾当の位を得られるものはおよそ一割にも満たないでしょう」

 そのように語る猪市の口ぶりは何となく誇らしい様子である。

  「それはそれはおめでとうございます。それで御召し物がお変わりになられたのですね」
  「左様です、いまわたくしが身に纏っているものは勾当の正装です」
  「なるほど、しかし、最初にお声を掛けられた時はどこかのお寺のお坊様かと思いましたよ。まあ知らない人が街中で見かけても杖が無ければお坊様と思うかもしれませんね」
 多江がそのように微笑しながら呟くと匂市も苦笑して「まあ、もともと検校等は寺院の官職だったらしいのですが、それゆえか検校にしろ、勾当にしろ、僧侶の服装に似せているようです。検校になると紫衣を着ることになりますから」

検校が紫衣を纏っていることは多江も承知していたが改めて黒衣姿の猪市の服装を見ながら口を開いた。
  「先ほど、勾当の位を得るために京に上ったと言われましたね」
  「はい、職屋敷に行って参りました」

  「しかし、それならば本所の惣禄屋敷を通じて手続きを取れば済むこと、わざわざ今頃、京の都くんだりまでいかずとも、宜しいのではありませんか」
 そのように多江が腑に落ちないというように尋ねると猪市は感心したように言った。

 「なるほど、よくご存知で、まああ惣禄屋敷を通じても良かったのですがね。まあ一日でも早く勾当の位に着きたかったこととこれを機会に京や上方の方を旅して見ようと思いましてね。江戸を発つ時には既に昇進することが決まっておりましたので、江戸でこの健吉を雇って京に上った次第です」

  「そうですか、それでわざわざ京に、それで勾当におなりになると失礼ですがいままでとはご身分もだいぶ違ってまいるのですね」
  「えええ、いろいろと、しかし、なんと言っても嬉しいのはいよいよわたくしも身幼児を名乗ることが出来るようになったことです」
  「ええ、身幼児を、それでは武井と言うのは」
 多江は先ほど、健吉が猪市のことを武井様と呼んでいたことを思い出しながら言うと猪市も頷くのである。
  「左様、武井とはわたくしの実家の姓です。十五歳で座頭の世界に入ってからは一度も名乗っておりませんが、今後は武井猪市または武井勾当と称することになりましょうか」

  「武井勾当殿 それではご身分の方もこれまでとは」
  「そうですね。まあこれでようやく士分格となったと申しても差し支えありますまい」
  「士分に」
  「はい、惣検校様は十万石の御大名の格式、普通の検校は将軍家のお目見得の視覚があると申します。まあ勾当はそれに順ずる視覚があると申せましょうか」
  「それではこれまでのように貴方様を軽々に扱ってはなりませんね」

  「いえいえ、そのようなご気遣いはご無用です。それにだいぶ留守にしておりましたが今後もこれまでと同様にお宅にはお世話になるのですから」
  「ええ、今後もこの屋敷の離れに住まわれるのですか」
   「はい、そちら様の方で何か不都合なことでもおありで」
  「「いえいえ、そのように身分が上がられたのでもっと立派なところへ、引っ越されるのではないかと思いまして」


 その多江の言葉に猪市は手を大きく左右に振りながら「とんでもない。いくら昇進したと申せ。そのようなことは考えてはおりません。それに」
 そこで猪市はやや意味ありげに微笑みながら言葉を続けるのである。
  「それに近頃は何かと物騒なのでいかにどのような慮外者でもまさか町奉行所の与力殿の屋敷にまで変なことをしないでしょうから。アハハハハハハハ」

 こうして匂市こと武井猪市勾当は以前と変わらぬ様子で八丁堀の柴田家の離れに住むことになった。猪市が戻って来たことに多江の息子の修理も大変に喜び、再び以前のように猪市に軍記物語を語るように迫るのであった。
 そのような状況の中で約半月程の日々が過ぎた。長崎に行った夫の兵六には猪市が戻ってからすぐに便りをだして彼の昇進の次第を知らせたが、その夫から折り返し返事が来た。 それには猪市の昇進を喜んでいる様子が書いてあり、兵六は多江よりも勾当と言う今度猪市が任官した盲官についての知識も持ち合わせているらしく、検校とはいかないまでも勾当ともなるとたいしたものでこれまでのように座頭殿と気軽に声を掛けられないので多江にも猪市に対してはいままで以上に丁重な態度で接するようにと記されていた。そして長崎での仕事はなかなかはかどらず、まだ数ヶ月から半年はかかるものと思ってくれと書かれていたのである。

 そのようなある日の夜半の時である。
 その日、一日の予定を終えてそろそろ寝ようと多江は夫婦の寝室となっている部屋に戻り、寝巻き用の長襦袢に着替えた時のことである。突然に部屋の外から声を掛けられた。
  「御内儀殿、夜分だが宜しゅうござりますかな」
 
 その明らかに聞き覚えがある男の声にやや繭ねを寄せながら多江はすぐに襖を開けたのである。その襖の向こう側には予想したようにあの武井猪市の微笑した顔があった。勿論、既に勾当の正装は脱いでやはり部屋着用の浴衣に着替えていた。

  「これはこれは勾当殿」
 そのやや咎めるような多江の口調にさすがに猪市もやや弁解するように「これはこれは御内儀殿、このような夜半に申し訳ないが、少し話を聞いて貰えませんかな」と小さい声で言うのである。
  「ええ、いまこのような時にですか」
 自然と多江の口調も小声になったがやはりなぜこのような時刻にと非難の口調が露になった。
 その多江の様子に猪市はますます恐縮したように身を屈めて「はなはだ失礼とは存じますが、何しろ、やや急ぐことゆえ、どうか、それにとにかく、このままでは話もしにくい。どうか、そちらの部屋に入れて貰いたいのですが」と哀願するような口ぶりで言うのであった。

 

 そこで多江としては当然、その猪市の願いを撥ね付けてキッパリと断って彼を追い返すべきであった。しかし、その時の多江の脳裏には夫、兵六からの便りで勾当となった猪市には丁重に摂氏よと記されていたことをがあり、猪市の願いを邪険にするのを躊躇われたのである。それに多江には盲人である猪市に対する油断があったのである。
 そのような状況の中で多江は渋々ではああるが「それでは少しの間だけですよ」と言いながらついに猪市を自分と夫との寝室に入れたのである。

  「それでわたくしにお話とはどのようなことでございましょう」

 多江はこれから自分が寝ようとしている布団のすぐ横に猪市を座らせるとすぐにそのように尋ねるのである。

  「はああ、それなんですが、そのおお、実は誠に申し訳ないことですが、そのお御内儀殿にすぐに読んで頂きたい書状がございまして」
  「ええ、わたくしに読んでもらいたい書状ですと」
  「はい」

 多江はなんだと言う気持ちになった。これまでも目が不自由な猪市に頼まれていろいろな書状や書物を読んで聞かせたが、しかしなぜいまこのような時刻にと次第に怒りが出てきた。
  「勾当殿、そのような願い、なぜこのような夜半に」
 その多江の怒りの口調に気が着いた猪市は当然のことに今恐縮したように頭を下げながら口を開いた。
  「御内儀殿のご不興、誠にごもっともと存じます。しかし、ままわたくしの話も聞いてくだされ」
 それこそ、猪市は平身低頭のていで多江に弁解するので多江も態度を和らげて「それではそのお話とやらをお聞きしましょう」と言ったのである。

 それから猪市が切り出した話は次のようなことであった。

 江戸を発して京の都に着いた猪市はすぐに職屋敷に出頭すると取次ぎ約の検校に猪市を勾当に昇進させたい旨を記した関東惣禄検校らの推挙状や昇進に必要な金子と一緒に提出したのであった。実は、そのの盲官は一定の金子を納めることにより取得できたのである。つまり、早い話が金で官位を買うのである。官位を取得できる金額はその官位によって決まっており、検校の官位を得るには約700両の金額を必要としていた。勾当の場合はそれほどでも無かったろうが、それでもある程度の金がかかったのである。その為に講義つまり幕府は盲人・座頭に金貸しをすることにより官位を買うための蓄財をすることを許していた。それは座頭貸しと呼ばれいわば公儀公認の高利貸しとも言えた。
 それはともかくとしてそのように推挙状と金を出した猪市に対して取次ぎの検校はしばらく待つようにと言ったので猪市は座頭らが京に上るときにいつも定宿にしている宿やに戻って職屋敷の沙汰を待つことになったのである。 そこで猪市は江戸を発ときに師である花岡検校から頼まれていた用事を済ますことにしたのである。



  「実は、花岡検校様より、総書集成を編纂するための資料を探してほしいといわれましたのでそれで花岡検校様の手紙を頼りに京の都のいくつかの公家、寺社らを訪ねたのでございます」
  「そそれで総書集成とは?」

 「はい、検校様がお若い頃から取り組んでいられる事業でして、確かご厚誼の援助もうけていたと存じます」
  総書集成とは古代以来の公的、私的を問わず、多くの文書の類を筆者してそれを体系的に分類収集すると言う編纂事業であった。既に収集を始めてから数十年にも及んでおり、一部の物は既に木版刷りで出版もされているのである。最初は花岡検校個人の事業であったが林大学頭を通じて幕府の援助も受けるようになっていたのである。

  「何しろ、古い文書の類と言いましたらなんと申しましても京は専念の王城の地です。まだまだ収集すべき文書がが残っておりますので」
  「それで公家や寺院を回ったと」
  「はい、そうでございます」

 それで今回、花岡検校に特に以来されたのは各公家や寺院にある私的な手紙などの類で興味がありそうなものを筆者してきてほしいと言われたので、猪市は手代の健吉を引き連れてそれらの公家等の屋敷を回り、結構な数の手紙の類を筆者したのである。 そのような中で職屋敷から呼び出しを受けた。そしてその席で猪市は正式に勾当に任官したのである。



 それから、猪市は各方への挨拶を済ませてから筆者した手紙の写し等を抱えて江戸に戻ったのである。

  「それからはこの江戸においても各方へのあいさつ回りに忙しくて例の筆者した手紙の類はそのままでした。一応、整理してから花岡検校様に提出すると伝えていましたので」

  「それで、いま読んでもらいたいと言うのはその写した手紙の類の一つなのですね」
 さすがに多江もこれまでの話の流れからそのようなことではないかと察してはいたが、それだけではこのような夜半に寝床にまで押しかけることの説明になっていないのである。

  「はあそのことなんですが。実は検校様には戻った際のご挨拶のおりに少々気になった手紙の文章について話したのです。それで後ほどに整理してお送りすると申し置いて、それがですね」
 猪市は一端、言葉を区切ってから先を続けた。
  「実は今日になって急に検校様からお呼び出しを受けまして、それであることをお聞きしたのでございます」
  「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
  「検校様が言うにはその文面が真実ならばその手紙は容易ならぬものだそうで、学問的にも重要なものであると、それでその話を大学頭様に申し上げたところ、大学頭様も拝見したいともうされたとのことです」
  「ええええ、大学頭様が」
 大学頭はいわば幕府の文部大臣に相当する大物で町方与力の妻である多江などから見ればそれこそ、雲の上の存在であった。
  「ええ、それで明日にでもその手紙の写しだけでも持ってきて欲しいとのことでございます。それでわたくしは承知しましたとご返事したのですが」

 そこで猪市は急に顔を曇らせて言葉を続けるのである。
  「先ほど、わたくしはここの離れに戻ってからそれらの手紙類の整理を始めましたその問題の手紙のしまった場所は覚えておりましたが、どうせなら他の手紙類も整理しようと思ったのです。そそれが」

  「それで」
  「ええそれでついついうっかりしてそれらの手紙類を筆者した書状の類を整理しているうちにその肝心の文書の見分けがつかなくなってしまったのです。それで紙の特徴等から五通ほどの書状を特定しましたがその中でその肝心の文書がどれか判りません。あとは誰かに直接読んで貰うしかないと」
  「そそれでわたくしにそれを読めと」
  「はい」
  「しかし、そのようなことなら明日の朝にでも健吉殿に読んでもらえれば」

 猪市の目の代わりとも言える健吉は離れには同居せずに本所の方から通っているのである。
  「それがそのお健吉には明日、別の用事朝から用事を言い付かっているので明日の朝には参りません」

  「そんな、それならばその五通を全部検校様に提出すれば」
 その多江の言葉に猪市は悲痛な表情になり口を開いた。
  「そそれだけはお許し下さい」
  「何故です。あなたは目が不自由なのですから別に恥になることは」
  「わたくしが盲人だからこそ、それだけはご勘弁下さい」
 その訴えるような表情の猪市の顔を眺めながら多江はややため息をつきながら言った。
  「仕方がありませんね。それではそれらの書状を読んで聞かせましょう」

 その多えの言葉に猪市は喜色満面になり、すぐさま懐から五通程の手紙と思われる書状を取り出すとそれを多江に渡すのである。
  「そそれでは御内儀殿、宜しくお願い致します」
  「それで猪市殿、その問題の書状とはどのような類のものですか」
  「はああ、それが艶所、つまり恋文でして」
  「何ですって、恋文ですって」
  「いえいえ、ただの恋文ではございません」
  「それは?」
  「はい、はるかの昔、平安の御世の頃、ある若い大納言がある女人に出したもので」
  「それが本当に貴重なものなのですか?」
 
 多江は手渡された書状の類を手に持ちながらやや疑わしそうに猪市の顔を眺めた。その様子は目が余り見えない猪市にも判ったらしく、汗を拭きながらやや弁解するように言葉を続けた。
  「その若い大納言はともかくとして、そのお相手が問題なのです。実は、その相手の女人とはその当時の帝のご寵愛の后の一人でして、そのお方がお生みになった皇子がのちにご即位されているのです」

  「ええ、天使様のご后様で、のちの帝の母様の」
  「はい、それでその手紙が書かれた時期とその問題の皇子がお生まれになられた時期がなんとなく、誠に恐れ多いことながらなんとなく符号が遭うのです」
  「そそれでは猪市殿、まさか、その皇子の実の父親はその大納言であると言う訳では」
  「実はその疑いがあると花岡検校様は申しておられるのです」

 その猪市の頼みを渋々聞き入れた多江であったが、いまの猪市の話を聞いているうちに次第に興味がわいてきたのである。
  「それでは順々に読んで参りましょう」

 こうして、多江はその手渡された五通の書状を順々に読み始めたのである。
 最初の二通は単なる事項の挨拶状ですぐに読むのを止めたが、三通目を読み始めてすぐにそれが恋文であることが判ったので「猪市殿、このお手紙では」と言うと猪市は首を左右に振りながら言った。
  「いえいえ、恋文はかなり多く筆者致しましたので、単に恋文と言うだけでは、とにかく先を続けて下さい」

 結局、多江はその書状を最後まで読んだがやはり別の手紙であった。そして次の4通目の手紙を多江は読み始めた、それもどうやら違ったものの用であった。そして最後の一通が残ったのである。

  そしてついに多江は最後の手紙を読み始めたのである。

 その五通目の手紙は他の4通よりはかなり長文であった。そしてそれがその問題の書状であると多江にはすぐ判ったが、側で聞いている猪市が何も言わずに黙って目を粒って聞いているので多江もそのまま読み始めたのである。
  
 そして読み進むうちに多江の顔は次第に朱に染められ始めたのであう。それはその書状が単なる艶所・恋文の類のものではなく。男女の交わりの様子がそれこそ生々しく綴られていたからである。

 その余りの淫らな内容に思わず多江は朗読するのを止めたがすぐにそれに気が着いた猪市が「御内儀殿、そのままそのまあま」と促すので、仕方がなく多江は読み進めるのである。

 その書状のあなりにも淫らな内容に多江は何か身のう内側に何かがほとばしるような感じをうけるのである。そしてそのような気持ちを多江が感じている最中に、突然に多江は自分の背中に何かが置かれた様な感じを受けたのである。

 そして、それが人の手であると多江が気が着いて間もなくさっきまで多江の正面にいた筈の猪市に突然に背後から抱きすくめられたのである。

  「うう猪市ど殿ななにをなさるのです」

 突然のことに多江は思わず大声を上げそうになったがすぐにその口を猪市に塞がれたのは言うまでもない。

  「多江殿、お静かに、ここで大声を出されると奉公人らだけでなく、修理殿も目を覚ましますぞ」
  「ウウウウウウウウ」
 この柴田家には下女、下男、小者らの使用人らとともに多江の息子である修理も住んでいた。今年18歳になる娘の由香は先述したようにある大身の旗本家に行儀見習いのために御殿芳香していて不在であった。

 本年、八歳になる修理はつい最近までは母親の多江とともに寝ていたが七歳になった時に夫の兵六から男女七歳で同席せずの例えでいかに母親といえども別の部屋に寝るべきとの方針で屋敷内に一間を与えられて、別に寝ていたのである。

  「ヘヘヘヘヘヘヘ、大騒ぎになってもわたしは別に良いんですよ。わたしは多江殿、当然にあなたと示しあってここで密会したと言い立てるだけですよ」
  「ううううううう、そそんな」
 多江は手で口を塞がれながらも喘ぐように言ったが猪市は構わずに続けて言った。
  「良いですか、あなたは長襦袢姿で夫婦の寝床にわたしが入るのを許しているのですよ。それにわたしはこのように盲人だ。フフフフフふ、誰が見てもあなたがこのわたしをこの寝床に誘っていると見るでしょうよ」

  「うううううう、そそんな」
 多江はそう呻いたものの、確かにそう言われて見れば誰からもそう見られると思い、戦慄した。
  「奉公人らに対してはともかく、息子の修理にだけはそのように思われたくない」

  そのようなことを多江が思いあぐねていると彼女の耳元に猪市の甘い声音が聞こえてきたのである。

 
  「多江殿、前々より、わたしはあなたをお慕いもうしあげていたのです」
 猪市はそのようなことを囁きながら背後から多江の長襦袢の胸元から手を差し入れて彼女の胸を弄るのであった。

  「ウウウウウウウウウウ、おおおやめくださいいいい、い猪市ど殿おおおお」
  「フフフフフフ、やはり、想像したような子供を二人も生んだとは思えないまだまだ張りのある乳房ですね」
  「ううううう、ややめてえええええ」
  「フフフフフフフ、京の都への旅の時でもわたしが考えていたのはいつもあなたのことばかりですよ」

 それから猪市は引きずるように多江を側に敷いてある布団の上に多江の身を運んでいくのである。

  そしてその布団の上に多江を仰向けに寝かせるとすぐにその上に覆いかぶさるのであった。

 その段階に至ると多江も既に抗う気力も無くしたように猪市のなすがままであった。
  多江の体に覆いかぶさるとまずは多江と唇を合わせて舌と舌とを絡ませてゆくのである。

  「ピシャアピシャアアピシャアア」
  「ピシャアアピシャアア」

 かなり長い接吻のあとでようやく唇を離した猪市は多江の着ている長襦袢を肌蹴て胸を露にすると左右の乳房を揉み上げ始める一方で多江の右側の耳元から首筋にかけて舐め始めるのである。
  「アアアアアアウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ」
  「アアアアウウウウウウウウウウウウウウウ」
 主意に憚るように押し殺しながらも多江は喘ぎ声を出しながら身をノケゾラしはじめたのである。
 

  3、

 そうして、その日は朝型近くまで多江は猪市に弄ばれ続けたのである。

 その日の朝まで結局、多江は何度も猪市の手によって快楽の頂点に上らされたのである。
 それは長年の夫、兵六との夫婦生活では得られないものであった。

 多江の夫である兵六は男女の交わりについては淡白な方であったが、それでも多江は二人の子供を生んだこともあり、それなりに満足していた。しかし、心の奥底ではどうやら満ちたらぬものを感じていたのである。
 猪市との情事はその多江が感じていたものを気が着かせたと言えた。現に最初は確かに猪市に無理やりに寝床に押し倒された亜のであるがしまいには自ら腰を動かして猪市を受け入れたのである。
 多江はその時の事を町籠に揺られながら思い出していたが自然と顔が赤らんで体全体がほてるのを感じた。 結局、猪市との情事はその一度だけですむ筈がなく、その後も密かに続けられたのである。


 

 猪市との最初の情事があってから約半年後にようやく長崎での任務を終えた多江が江戸に戻って来たが、兵六は仕事の疲れからか、間の無く、病勝ちになるようになった。そのためにもともと、男女の交わりに淡白であった兵六は体のせいもあって、全全く、妻である多江を抱こうとはしなくなったのである。
 兵録画戻ってからはさすがに多江を誘うことを控えていた猪市であったが、それを見越して再び多江を情事に誘ったのである。多江は一応は抗いながらも夫の目をかすめて猪市と密会を重ねるようになったのである。

 それから五年程の年月が過ぎたのである。多江の夫である兵六はますます病勝ちになり、ほとんど寝たきりの状態になった。そして夫に代わってまだ14歳と年少の修理が見習い与力として町奉行所に出仕するようになっていた。
 その間にも兵六や修理の目をかすめて多江と猪市は密会を重ねて互いの体を貪り続けていたのである。ことに最近になってある旗本に嫁いだ娘の由香がある事情から実家である柴田家に戻ってからは今日のようにあのような待合茶屋で密会するようになったのである。

  「わたしは結局、なんて罪深い女であろう」
 籠に揺られながらそのように思うのである。しかしであるいつも猪市との火のような男女の交わりのあとでいつもそのように後悔するのにまた自分が猪市からの誘いに乗るだろうことも判っていた。
 そのようなことぉ多江が考えている間に、多江が乗っている町籠はどうやら柴田家の屋敷がある八丁堀のすぐ近くまで着た様子である。
  「ここで降ろして下さい」
 多江は前の方の駕籠かきにそのように声をかけると「へい」と言う返事とともに籠が地面に置かれた。その籠から尾こそ頭巾を被った多江が姿を現すと「ご苦労様です。これは」
 多江は小さい声で声を掛けた駕籠かきに何かの紙包みを渡そうとしたがその駕籠かきは苦笑しながら「いえいえ、籠代はお連れのお方に十分に貰っておりますので」と受け取りを拒むのである。
  「そうですか、しかし」
  「なああに、奥様、あっしらはこんな商売ですので口だけは堅いですから、ご心配なく」
 そう言って相棒と顔を見合すのである。
  「そうですか」
 それから多江は少し歩いて自分の屋敷に戻ったのである。


2017/07/25 16:55:24(AzMxb889)
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