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健介が、当初の思惑とは裏腹に、直人に対して強気に出られなかったの
は、直人が存外、落ち着いていたからであった。もっと逆上してくれていた ら、それに抗しようと張り合いが出たはずだし、もっと幼稚な態度をとって くれていたら、自分は逆に落ち着いて、上から見下ろしながら口論ができる はずであった。ところが、意外にも彼が大人らしく落ち着いて、理屈でもの を言ってくるものだから、元来直人に対しては気後れしがちな健介は、やは り思うような話し方ができなかった。 とはいえ、結果的には、望み通りになったのだから、それは喜ぶべきはず である。直人との絶交も、覚悟していたことである。それなのに、健介は、 どこか釈然としない、暗鬱とした気持ちを抱えている。それは、話をしてい る間、終始直人がとっていた鷹揚な態度や、引き際の潔さに、昔、自分が畏 敬の念を抱き、信頼を寄せていた、かつての直人を見たからであった。この ところの直人の行いや言動から、単純に、彼は変わってしまったと判じた が、人の本質的な性格など、そう簡単に変わるものではないのではないかと いう気がしだした。とすると、朝香を奪ったことは、あまりに軽率なことだ ったのではないかという不安が生じた。 「お前のしたことは裏切りだ」 それは言われないでも解っていることであった。その裏切りも、正しいこ とと信じてしたはずであった。しかし、改めて、しかも厳然たる態度ではっ きり言われると、やはり過失だったのではないかという気になった。 店を出て、駅へ向かう間、健介はそのようなことを必死に考えていた。雪 はまだ降っていた。夜の東京は冷え込んでいた。しかし、健介の頭は思考の ために、熱を持ち始めていた。 彼の頭脳は考えることをやめなかった。 この事態を招いたのは、他ならぬ健介自身が、優柔不断で曖昧だったため である。今、当時と全く同じ状況に陥ったら、もう少しましな結末を導くこ とが出来るか、たった今現在の健介からすると、少々不安である。またして も同じことを繰り返すかも知れない。彼自身そう感じている。が、当時のこ とを振り返ると、やはり後悔せずにはいられない。もう少しはっきりしてい ればどんなものだったろうかと思う。しかし、それを言うなら、当時の、朝 香の態度はどうであったろうか。健介は不意にそんなことを考え出した。そ んなことを考えるのは全く初めてのことで、突如湧き出たその考えに、自ず から当惑した。今まで、朝香について悪く思うことなどなかったのだから、 そんな考えは打ち消すべきだと思った。けれども、彼の脳は働くことをやめ ない。 よくよく考えると、当時の朝香の態度には問題があるように思われる。健 介を好きだったのなら、それを自分から言わないにしても、本意でない相 手、すなわち直人と交際をするべきではなかったはずである。もちろん、彼 女からすれば、健介は中々自分に接近してきてくれないし、直人に告白され た時にも、目一杯信号を送っているつもりで、どうすればいいかと聞いたの に、はっきりしない調子で、自分で決めろという意味のことを言うのだか ら、それならもういいと思ってしまうのも無理はない。それは理解、同情し て然るべきである。しかし同時に、そこはやはり、自分の本当に好きな人と の関係を進めるよう努力すべきなのも道理で、健介を好きにも関わらず、直 人と交際を始めたのは、自分を好きと言ってくれる男を打っ遣るのはもった いないから、とりあえず手の内に入れておいたという見方が出来ないではな い。無論、朝香はそんな姑息な打算をするような女ではない。健介とてそれ はよく知っているはずである。が、今の健介は、あらゆる方面に思考が進み すぎて、考えたくないことまで考えてしまうのである。 電車を下りて、家へ向かうときも、依然雪は降り続いていた。健介は傘も 差さずに歩いていた。さほど強い雪ではなかったから、歩くのに難儀はしな かった。頭に落ちてくる雪は、冷たかったが、火照った頭にはちょうどよか った。 家に着くと、わずかだが肩に雪を積もらせた息子を見て、健介の母は驚い た。すぐにお風呂に入りなさいと命じ、健介は命じられるままに風呂に入っ た。熱い湯に浸かると、緊張していた体がほぐれた。そうして同時に、頭の 中もぼんやりしてきた。そうなると、それ以上ものを考えることが大儀にな ったので、風呂からあがった後も、その心持ちのまま、床につき、眠りに落 ちた。 翌朝は快晴であった。携帯電話は、朝香からのメールを受信していた。メ ールの内容は、昨夜の直人との話し合いはどのようだったかという質問であ った。健介は、そちらに行くから、会って話すという返事をした。 健介は、昨夜のように色々と深く考え事をすることはなかったが、気分は 晴れていなかった。罪悪感の余韻みた様なものが残っていた。こんな心持ち のままで、どうして朝香に会えようかと思ったが、会えば気は晴れてくるの ではないかという気もした。昨日のことは、どう話せばよいものかと考えた が、考えたところで答えが出ないので、事実をそのまま話すしかあるまいと 決めた。 相手は女性なのだから、朝っぱらから会いに行くのは流石に迷惑だろうと 考えて、昼前くらいに行った。玄関の呼び鈴を鳴らすと、身なりを整えた朝 香が出迎えた。 「いらっしゃい」 と言って微笑む朝香の顔はほんのり紅く、健康的である。一週間前よりも 明らかに血色がよく、活力が漲っている。生きている人の感じである。それ を見て、健介は失いかけた自信を取り戻した。 「自分が、朝香にこれだけの元気を与えているのだ。川上にはできなかった ことだ。自分こそが、朝香を幸福に出来るのだ」 そう思って、健介も微笑んだ。 朝香は、健介を中へ導いてコーヒーを淹れると、すぐさま昨夜のことを聞 いた。そのときばかりは、眉を顰めて、不安げな表情であった。健介は解決 のついたことを話した。それでもまだ朝香は心配そうな顔をして、何か危な いことはなかったかと問うた。危険人物のように言われている直人を哀れに 思いつつ、何もなかった、ちゃんとわかってくれたと健介は話した。それで も尚、朝香は表情を変えなかったが、やがてふっと緩ませると、 「良かった」 と幸せそうに笑った。 二人はその日も、激しく愛を貪った。健介はこの上ない快楽を感じはした が、朝香が、意外に性欲の強いことに驚いた。直人としたときも、こうだっ たのだろうかと想像すると、嫉妬を感じずにいられなかったが、それは想像 に過ぎないし、朝香からすれば、直人の臭いを自分の臭いで消そうという気 でいるのかも知れないと考え、とにかく、朝香の欲求を満たすことに努め た。 その日二人は、幸福のままに別れ、健介は千葉へ戻った。 帰りの電車の中、健介は一物に朝香の感触が残っているのを感じながら、 またしても思案にくれていた。けれども、今度は後ろ向きなものでなかっ た。といって前向きなものでもなく、いわば投げやりな思案であった。 「裏切りだってなんだっていいではないか。俺は川上と競争をして、勝利 し、意中の女性を手に入れたのだ。川上は朝香の心を引き留めておくだけの 器量を備えていなかった。その点、俺は勝っていたのだ」 そう考えるのは、どうにも失せてくれない罪悪感を誤魔化すためだったの かも知れない。健介は、電車を下りると、殊更歩みを強めて、ずんずん歩い た。その時ふと、駅前の書店が目に付いた。そうして、そうまでして奪った のだから、思い切り二人で楽しんで、誰よりも幸福になってやろうと決意し て、書店に入り、観光雑誌やグルメ情報誌などを物色し続けた。
2007/01/08 22:43:24(g.TaMnZg)
投稿者:
しゅん
まささんお疲れ様でした。確かに尻切れ的なのは否めませんが、三人とも不幸になるよりは全然良かったです。 青春の味わいが随所にちりばめられて凄くよむのに一喜一憂していました。
健介は好きな人、朝香を手に入れる事により、今後は朝香心根をさぐったり、女の部分に苦しみを味わい続ける事になるのでしょうね。それも踏まえての青春ストーリーですね。
07/01/09 05:03
(JIiIWaGi)
投稿者:
めだか
人生の中には白黒はっきりしない事や、自分自身が抱えるモヤモヤに決着をつけられない事を幾つか人は心の中に持って生きて行かざるを得ないんだと、全部読んで感じました。
それでもこの二人が一緒に居たいとこの先感じたら良いなと思いましたし、いつの日かこの時の感情をお互いに話せる日がある事を心から望みます。 長編お疲れ様でした。また!期待しています。
07/01/09 07:46
(6QHcy5s.)
投稿者:
鉄
途中から読んで気になって初めを探して最初から読んでしまいました。大変面白かったです。ぜひ次回作を。
07/01/09 08:46
(e/Eekik4)
投稿者:
(無名)
の3人の未来について簡単でもいいので書いてくれませんか?レスに書くだけでいいのでお願いします。
07/01/09 12:41
(UTPzp5d7)
投稿者:
達也
俺は最初、つまんねぇ~と感じていました。でもなんとなく続きが気になり3話ぐらいからこの面白さに気付きました。終わり方には少し不満ですがこの話はこれでいいのかなぁ~とも思います。出来たらこの続きは書かずにまた新たな物語を書いて下さい。
07/01/09 18:52
(.7YOUDbs)
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