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1:後悔17
投稿者:
まさ
◆72/S7cCopg
今、直人の頭の中では、様々な思考、憶測、疑念が渦巻いているのだろ
う、健介から目を離さずに、顔を強張らせている。 「お前に、何を言われようが、何をされようが、それは全て覚悟の上のこと だから、これから話すことを、どうかお終いまで聞いてほしい」 健介は緊張している。少し汗ばんでいるように見えるのは、暖房のせいだ けではあるまい。声が震えそうになるのを堪えるために、平生よりはっきり とした口調で話している。 健介は、現在の自分と朝香の関係を、正直に告白した。そうなった経緯 も、なるべく具体的に、しかし誤解を招かぬように、慎重に、言葉を選びな がら話した。直人は、それらを黙って聞いていたが、腕組したり、頬杖つい たり、前髪を掻き揚げたり、落ち着きなく動いていて、動揺しているのは明 らかであった。 話はお終いまで来た。 「お前には申し訳ないことになったが」 と言って、ちょっと躊躇い、続けた。 「どうか、身を引いて」 「申し訳ないと思っているのか」 唐突に、直人が口を挟んだ。健介は面食らったが、言われたことに応え た。 「そうだ」 「悪いと思いながら、事を進めてきたのか」 「そうだ。矛盾かも知れない。矛盾している。けれど、俺はもう黙って見て いられなかったんだよ」 「何を」 何をと言われて、その先を続けるのは勇気が要ったが、どのみち全て吐き 出さなければならないのだから、躊躇していてもしかたなかった。 「最近のお前は、ひどいじゃないか。仕事は愚痴ばかりこぼして、憂さ晴ら しだか何だか知らないが、パチンコにのめりこんで、借金まで拵えて、挙句 の果てには、彼女を殴ったそうじゃないか」 言いながら、健介の表情は少しずつ険しくなっていった。そういう話を聞 かされたときに、直人を強く憎んだのを思い出したのである。直人は弱点を 攻撃されて、流石に決まり悪そうにした。健介は、残酷な喜びを感じつつ、 「朝香は、幼い頃から、俺の大切な人なんだ」 と言った。それで止めを刺したつもりであった。ところが、直人は反って 息を吹き返した。 「それならどうして、高校生だったとき、俺がお前に朝香が好きだと言った ときに、それを言わなかったんだ」 そう言われることを予想してはいたが、やはり手痛いところなので、健介 は目線を落とした。 「しかも、俺がお前に、朝香を好きなのかと訊いたら、お前はいいやと言っ たじゃないか」 確かにその通りであった。健介は、その当時の、愚図な自分を恨んだ。 「俺はその時、自分に自信がなくって、そうするのが正しいと思ったんだ よ」 「今なら自信があるのか」 健介は沈黙した。 「お前は、大した野郎だ」 それは、称賛ではなかった。皮肉をたっぷり含んだ、非難であった。 「俺は、お前よりもずっと前から、朝香のことを好きだったんだよ」 「だからと言って」 それきり、二人はしばし黙した。健介は、二人の関係が、最早修繕不能に なったことを意識した。この際、朝香は頂く、お前は諦めろ、と宣告して、 立ち去ってしまいたかった。だんだん、居たたまらなくなってきたのであ る。直人は、怒りというよりも、嘆きの表情をしながら、話し出した。 「何だってお前はあのとき、正直に自分の気持ちも打ち明けてくれなかった んだ。俺だって好きだ渡さないと言ってくれれば、それで俺と対決してくれ れば、後は朝香がお前を選んで、俺はそれで納得したはずなのに。それな ら、俺はお前を憎むことも恨むこともなかったはずなのに。よりにもよっ て、こんな最悪のかたちを選びやがって」 直人の方でも、こうなった以上、もう健介とは友人同士でいられないとい うことを考えているらしい。その表情は、これまで仲良くしていた友人を、 本心では失いたくないのに、道義的には失わざるを得ない、口惜しさの表れ であった。 「すまない。それは、俺が悪い。けれど、お前にだって悪いところはある」 健介にそのように言われても、直人は怒り出すことはなく、表情を変えな かった。 「わかっている。正直に言えば、俺と朝香はもう駄目だと思っていた。俺が あいつを愛していても、あいつは俺を愛していなかった。プロポーズしたの は、あいつの気持ちを惹くための、窮余の策みたいなものだった。でも、そ れも駄目だ。俺は、借金しているしな」 と直人が話すのを聞いて、健介は、彼が意外に冷静に自己を分析している のに驚いた。奇怪だとさえ感じた。しかし、見栄を張って、嘘を言っている ようには見えなかった。 「だけど」 急に直人が語気を強めたので、健介ははっとして彼を見た。今度は、はっ きりと怒りを露にしていた。 「お前のしたことは裏切りだ」 ぐさりと健介の胸を貫いた。 「例え、俺と朝香が、放っておいてもいずれ自然に別れていたとしても、お 前のしたことは癪に障るし、腹が立つし、憎たらしい。絶交しないわけには いかない」 健介はしょげた。 「しかたない」 「あと、お前から言うことはないか」 「ある。もう、朝香には……」 直人は健介に軽蔑の眼差しを向けた。 「安心しろ。俺が腹いせに朝香に危害を加えやしないかなんて思っているん だろうが、いくらなんでもそこまでしない。潔く身を引こう。それに、今、 現時点で、もう愛情はない」 言い終わると、直人は立ち上がり、五千円札を投げ捨てるように卓に置い た。 「俺はもうお前とは会わない」 そう言い捨てて、足早に去っていった。 残された健介は、お前にはもう朝香を任せて置けないから、俺がもらう、 くらいのことをずばりと言って、多少強い態度に出てやろうと考えていたの に、実際にはどうにも弱気になってしまう自分を情けなく思った。しかし、 一応の解決はついたはずだ。そう考えて、やるせないながらも、一つ肩の荷 が下りた気分はした。けれども、何故か、後悔に似た感情を拭い去ることが できずに、いつまでも、飲み残したビールの泡がぷちぷち弾けるのを眺めて いた。
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2007/01/06 21:01:16(XPL1EAa9)
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