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1:後悔16
投稿者:
まさ
◆72/S7cCopg
それからの一週間は、果てしなく長く感じられた。何せ目が届かないか
ら、自分がこうして千葉にいる間に、直人が強引に朝香に迫っていやしない かと考えると、健介は居ても立ってもいられなかった。仕事を終えて、夜に なると、毎日電話をかけた。朝香はいつも明るい声で電話に出るので、健介 はその度に安堵した。彼は毎回必ず、何か変化はあったかと問うたが、彼女 は毎回決まって何もないと答えた。それは良かったが、何もないのが反って 不気味であった。このまま、何もしないでも、何事もなく過ぎ去ってくれれ ばどんなに楽だろうかと考えたりした。 不安な心持ちのまま、健介は直人に電話をかけた。携帯電話を持つ手がや けに震えた。友人に電話をかけるだけのことで、かくも緊張している、その ような状況になってしまったことを悲しく思った。しかしそれは自ら作り出 した状況でもあった。健介は、前に進むしかなかった。 直人は友人らしい明るい態度でもって応対した。健介は、朝香が自分に知 らせずに勝手にことを進めやしないかと、心配しないではなかったが、直人 のその態度で、それはないと知れて安心した。 次の土曜日に飲まないかと言うと、快く承諾した。しかし、それは彼が何 も知らないからで、自分の本当の用事は、彼にとって最も残酷な宣告をする ことなのだと思うと、健介の胸は痛んだ。 その電話の後、朝香にも電話をした。彼女もまた、恋人らしい明るい態度 で、そうして本来の彼女らしい快活さで応対した。胸の痛みも忘れられるか のようであった。健介は、土曜の夜に直人に話をする旨を伝えた。朝香は落 ち着いてそれを聞いていた。そうして、やはり自分がその話はするべきでな いかと念を押した。が、健介はそれを許さなかった。すると朝香は、 「二人一緒に言わない?」 と提案した。健介は、その場面を想像した。二人並んで、その対面に直人 が居る。かくかくしかじかで我ら二人交際することになったから、君は身を 引いてほしいと告げる。健介は携帯電話を握ったまま頭を振った。その時 の、直人の感じる、惨めさ。もしそれが自分であれば、きっと耐えられま い。話自体は収まるかも知れないが、相手の気持ちを考えると、却下せざる を得ない案であった。 「そいつは駄目だ」 健介がそう言うと、朝香も、自分で提案しておきながら、同様のことを考 えでもしていたのか、素直にその案を引っ込めた。とにかく、元々決めてい たように、土曜の夜に健介が言うことで落着した。 「面倒かけてごめんね」 「いいさ。次の日は休みだから、その時どうなっているかわからないけれ ど、会いに行くよ」 「うん。楽しみに待ってる」 それで通話を終了した。健介は、携帯電話を折りたたむと、 「万事終わる」 と独り言を言った。 土曜日。何となくそわそわしつつ、急いで仕事を終わらせて、東京行きの 急行へ乗り込んだ。東京へ着くと、中央線で新宿へ。新宿で京王線に乗り換 え、実家の最寄の府中は通過し、聖跡桜ヶ丘へ。駅で待ち合わせだったが、 直人はまだいないので、電話をかけて到着したと報告すると、 「俺ももうすぐ着く」 という返事が返ってきた。 待っていると、冷たい風が肌を刺し、寒気が衣服の中に忍び込んできた。季 節は冬であった。あまり長く待たされるのは辛いなと思ったら、直人は言葉 通りにすぐに着いた。 直人の姿、様子を見ての、健介の印象は、前回会ったときと変わらなかっ た。やはり険しい顔つきをしている。こんな表情をするようでは、人を殴る ようにもなるのかも知れないと、そういう顔にならざるを得ない直人の現在 の境遇に、些か同情の念を湧かした。とはいっても、殴ったことを許すわけ にはいかなかったが。 二人は近くの居酒屋へ入った。 「今度は、何か用事があって帰ってきたのか?」 席へ着くなり、直人がそう言ったので、健介は、いきなり本題に迫られた かのように錯覚した。 「まあちょっとな」 流石に、本当のことを話しだすには心の準備ができていなかったので、は ぐらかした。直人は、プライベートなことだとでも思ったのか、追求はして こなかった。 「この頃はどうだ? 仕事とか」 と直人が訊くので、健介は、 「まあ、相変わらずだ。それなりに楽しくやってるよ」 と答えた。すると直人は、 「それあ良い。この季節になると、スタッドレスを買いに来る客がえらい増 えるから、俺は大変よ」 とやはり自分の仕事のことを話し始めた。健介は、ちょっとうんざりしな がらも、それに付き合った。けれども、話したいことは全く別のところにあ るのだから、いつそれを切り出そうかということを常に注意していて、直人 の話に対してはやや上の空であった。 しばらく話をして、お互い、何となく言葉が途切れた。健介は、意を決し て話を切り出そうとした。が、先に直人が喋りだしたので、健介は口をつぐ んだ。 「朝香のことなんだが」 不意打ちのように感じた。自分もそのことを話したくて来たのだから、健 介の全神経は直人の言葉に集中した。 「プロポーズしたんだ」 直人は、健介がそのことを知らないつもりで話をしている。健介は、知っ ているとは言えず、といってわざとらしく知らないふりをすることもでき ず、真顔で黙っていた。もっと驚くものと直人は予期していたのかも知れな い。健介の様子を伺うように、一瞬、間を空けた。 「でも、それ以来、向こうの態度が急によそよそしくなったというか、電話 しても出ないことが多いし、会おうって言っても、何だかんだと言って、ど うも避けているみたいなんだ」 直人は、やや言い辛そうにしながらも、真剣な表情で話している。それを 見ると、健介は申し訳ない気持ちがした。 「浅川、お前は何か、心当たりが」 と言いかけて、ふっと自嘲気味に笑い、 「あるわけないか」 と勝手に判断を下した。健介は依然、真顔である。 健介は、まさにそのことを、直人が今話したことの原因を、告白するため に、ここに居るのだから、うまい具合に談判が落ちたと思った。この機会を 逃す手はなかった。 「ある」 表情を変えずに言った。直人は、逸らしていた目をかっと健介に向け、驚 愕の表情を見せた。 「俺も、そのことを話しに来たんだ」 外では雪が降り始めていた。二人の席からも、ガラス窓越しに外の様子は 知れた。けれども、二人ともそのことには全く気付かなかった。
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2007/01/04 21:04:57(zj/3dhOs)
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