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1:後悔11
投稿者:
まさ
◆72/S7cCopg
別荘に戻ると、まずいつでも眠られるように床の準備をしてから、居間の
ローテーブルに酒肴を並べて、小さな宴会を始めた。健介は酒が好きだっ た。成人する前から、酒の味は覚えていた。二日酔いを経験したこともあっ た。なので他の四人よりも飲み慣れていて、ぐんぐん飲んだ。直人は、明日 も運転だから残すわけにはいかないと言って、控えめであった。朝香は、カ クテルなんかを少し飲んだ。AとBは、健介に負けじと飲んだ。が、やはり 最も多く飲んだのは健介であった。仲の良い友達と酒を飲むのは楽しく、自 然と酒は進んだ。コップが空になると、朝香が酌をしてくれるのも非常に愉 快であった。決して弱い体質ではないが、量が多ければ、当然酔う。やたら 陽気になり、声が大きくなり、タガが外れたかのように喋りまくる。だんだ ん、呂律が回らなくなり、話に前後の連関がなくなってくる。意識は朦朧と し、言葉を発しても、ほとんど意味を成さない。喋っている本人も何を言っ ているのか理解していない。やがて、それまである程度高い位置で興奮状態 を保っていた意識が、おもりをぶらさげた糸がぷつんと切れたかのように急 速に落ち込み、それに伴ってずしんと睡魔がのしかかって、目を閉じれば最 早抗う術なく、健介は眠りに落ちた。ちょうど日付が変わった頃であった。 尿意のために、健介は、午前三時頃に目を覚ました。他の皆はもう全員眠 っているらしく、明かりはなく、静まり返っていた。健介は依然、酔いの中 にいて、動きはほとんど夢遊病者のそれであった。柱や壁など、あちこちに 体をぶつけながらも、かろうじて便所に辿り着き、電灯を点けて、用を足し た。それらの動作は、頭で考えたのではなく、小便は便所でするものだとい う、人間としての本能がさせたものであった。電灯のスイッチを叩くように きって、ドアを、開けたというよりは、ノブを掴んで倒れかかった。転がる ように便所を出た。立ち上がろうとして顔を挙げると、朝香がいた。健介 は、奇跡を見るような気持ちで、思わず、 「朝ちゃん」 と言った。 朝香は、四つん這いの体勢になっている健介に寄り添うようにしゃがみこ むと、 「大丈夫?」 と言いながら肩を抱き、立ち上がらせようとした。 「どたばたと音がするから、もしやと思って見に来てみたら……」 朝香は力をこめ、健介も立ち上がろうとしたが、泥酔しているため足元覚 束なく、二、三歩踏み出しただけで、つんのめって倒れた。 「ほら。しっかり」 朝香は抱き起こそうとしたが、健介はうめくばかりで起き上がろうとしな かった。それでも肩を掴んでえいと上半身を起こすと、健介はその勢いに従 って、朝香の体に寄りかかるようになった。揺れる意識の中でも、朝香の体 の柔らかさは感じられた。 「朝ちゃん」 健介はそう呟いて、体を捻って、顔を朝香の方へ向け、胸に埋めた。ふん わりとした感触と、優しい香りを感じた。母の胎内にいるような気がした。 朝香はそっと健介の背中に腕を回した。健介は大きな安心を感じ、全てを 委ねた。急速に夢の世界に接近した。 完全に眠りに落ちる寸前、健介は、唇に、何か、温かく柔らかいものが触 れたのを感じた。 健介はそこまでを思い出した。と言っても、酔った後のことは、健介本人 はかなり断片的にしか覚えていない。夜中便所に行ったとき、朝香と遭遇し たような気がするが、夢だったのかもしれないという風に思った。さらに、 便所の後、どのようにして布団まで戻ったのかも覚えていなかった。思い出 してみようと、少し努力したが、そのためには頭痛が甚だしくて、すぐにや めた。辺りを見回すと、AとBが同じ部屋で眠っていた。直人と朝香はロフ トの上で眠っているはずである。何の気配も感じないから、恐らくまだ目覚 めてはいないのであろう。時刻は七時頃であった。一人で活動するのはつま らないし、眠っているのを無理に起こすのも悪いと思ったので、皆が目覚め るまで無精に寝転んでいようと了見を決めた。外から射し込んでくる日の光 がきらきら輝いていて、外の散歩など気持ち良さそうだったが、起き上がる のも億劫な体にそこまでさせるのは酷であった。 彼はいつの間にか、再び眠っていた。次に目覚めたのはおよそ一時間後で あった。AとBは、相変わらず寝そべっていたが、覚醒はしていた。二人と も、前夜の酒が多少残っているようであった。健介の頭痛もまだ健在であっ た。 台所の方で物音がするので、何とか体を起こし、立ち上がり、そちらへ行 った。朝香が料理をしている最中であった。彼女は台所に来た健介に気付く と、 「おはよう。大分つらそうね」 と言って微笑んだ。その言葉通り、二日酔いの辛い健介は、額を押さえな がら、ああと応えた。 「今、ご飯炊いて、お味噌汁作ってるから、もう少し待ってね」 朝香は微笑しながらそう言った。健介は、無性にありがたく思った。 直人の姿が見えないので、はしごを上って、ロフトの上に頭だけ出して見 てみると、直人はまだ布団に潜って横になっていた。その隣には、朝香が寝 ていたらしい布団が、すでにたたまれて置いてあった。布団を横にぴったり 並べて、寝ていたのである。それを見た健介は、胸が痛くなった。友人たち が下にいるのに、まさか、そんなことは。そう思ったし、実際、それはない はずだった。しかし。健介は、嫌な想像を振り払うかのように、はしごを飛 び降りた。着地した瞬間、頭に衝撃が走った。 「昨日あれだけ飲んだ健くんだってもう起きてるのに、まだ眠ってるよ」 呆れたような口調で、料理をしながら上を見て、朝香が言った。 健介は外へ出てみた。季節の割りに暑くないのが意外であった。日差しは 暖かだったが、日陰に入れば涼しいくらいであった。風はなかった。水の流 れる音と、鳥のさえずりが聞こえた。お誂え向きな風景ではあったが、健介 はいい心持ちになった。外にいても、空気を吸うくらいしかやることがなか ったので、五分くらいで中に戻った。 「外はどう? 暑い?」 と朝香が訊いてきたので、 「いや、涼しい」 と健介は答えた。 それから十五分くらいして、朝食の準備が出来た。朝香の作ったご飯と味 噌汁。健介はしみじみと、良い女になったと嬉しくなった。その時ようやく 直人が上から下りてきた。頗る眠たそうな顔をしていた。彼は食卓につい て、おもむろに納豆の三連パックを取ると、朝香に向かって、 「これ、一つの器に全部開けてくれよ」 と命じた。 「洗い物が増えちゃうじゃない」 と朝香が反論すると、寝起きのためか、ややイラついたようにしながら、 「五人いるのに、三つのままじゃ不便だろ」 と言った。朝香は面倒臭そうにそれを受け取り、体の重たそうに立ち上が り、台所に向かった。健介は、そんなに言うなら自分でやればいいのにと、 亭主関白を気取っているかのような直人が許せないような気持ちがした。ま た、瞬時に、俺がやるよと言えない自分にも腹が立った。 食事は静かにした。喋っても、朝だから皆声が低かった。それでも朝香の 作ったご飯は美味しかった。少なくとも健介はそう感じた。 食事を済ませた後、皆で分担して、掃除をしたりごみを出したりした。そ れから身支度をして、朝香は化粧もして、十時半にはチェックアウトをし た。 その後、富士山へ行った。無論、何の装備もないので、車で行ける五合目 までである。それでも標高は二千メートル以上。気温は低く、空気が薄かっ た。見晴らしの良いところに立つと、眼下に雲が広がっていた。まさに雲海 であった。日光を遮るものは何もなく、いつもより太陽が近く見えた。麓で は絶対に見られないその光景に、健介は神秘さえ感じた。 「また来られるといいね」 不意に朝香の声がしたので、そちらを向くと、朝香も同じ光景を見なが ら、恍惚としていた。健介は返事をしようとした。 「そうだな」 しかし、そう言ったのは朝香の隣に立っていた直人であった。健介はちょ っと失望し、朝香と二人で来られたら最高なのだがと思った。 未練を捨てたつもりでも、側にいると、やはり心が惹きつけられた。この ままでは再び制御できない感情が起こって、これから先の、千葉での一人暮 らしに支障をきたすことになるのではないかと懸念しないではなかったが、 どのみち、すぐに離れ離れになるのだから、それなら、今、この瞬間を心に 焼き付けて、良い思い出として残していこうと、健介は思った。 東京に戻ったのは夜の九時頃であった。皆と別れる際、健介は、 「向こうに行っても元気でな」 などと声をかけられた。 「うん。皆も」 健介は笑って応えた。 朝香は、じっと健介の眼を見つめた。健介も見つめ返した。朝香の、自分 の姿が映っているのが本当に見えるのではないかと思うくらい大きな瞳は、 潤んでいた。しかしそれは、健介の気のせいだったのかもしれない。 「忘れないでね」 朝香は小さく呟いた。しかし健介にははっきり聞こえた。切実らしく響く その言葉は、健介の胸に深く染みた。 「うん」 と応えながら、忘れやしない、絶対に忘れないよと心の内で叫んで、それ が朝香にも届くように念じた。それが本当に届いたのかどうか、朝香は微笑 んだ。 十月になった。健介は予定通り、千葉へ発った。
2006/12/17 08:16:42(2wphzwlX)
投稿者:
(無名)
◆KnFHojOWaA
随分ぢらすねぇ
06/12/17 08:50
(hM.onLz1)
投稿者:
過去視
健介の気持ちに同調して、直人が憎らしくなる。次も期待しています。
06/12/17 15:12
(pBpJCtfl)
投稿者:
(無名)
もう、いいかげんやめろ!
06/12/17 22:53
(qwDYH8.h)
投稿者:
(無名)
わかる!!!わかるよ健介~ 泣
06/12/17 23:29
(SeeeaHv.)
投稿者:
(無名)
すごいです!本とかにしたらなかなか売れるんじゃない?続き待ってます。
06/12/19 23:17
(KMxsZ6eY)
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