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1:密かな楽しみ39~孝史と香奈~
投稿者:
瀬名
───あの・・・さっきの人・・・神村っていう人で・・本田さんの奥さんの───
『・・・アイツがそうだったのか・・。』 仕事を終え家に帰った孝史は、居間のソファーに深々と座り煙草を吸いながら先刻の出来事を思い返していた。 家の中は真っ暗で、台所の流し台には幾つかの食器が積み上げられている。 『そろそろ片づけなくっちゃな・・。』 立ち上がった孝史は台所へ向かい流し台の前に立ったが、何だか気分が乗らず横にある冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、また居間に戻ってソファーに座り込んだ。 『よりによってあんな男と浮気するなんて・・・そんなに寂しかったのだろうか?』 孝史は陽子の顔を思い浮かべてみた。 しかし、ウマくその顔を描く事が出来ない。 『・・結局、長い間一緒にいても、俺も陽子もその程度しか分かり合え無かったんだな・・。』 自嘲するように笑みを浮かべると、冷たいビールを一気に流し込んだ。 陽子は一週間程前に子供達を連れて出て行った。 孝史が帰宅したときには、荷物は運び出され「実家に戻ります。」と書かれた紙切れが居間のテーブルに置かれていた。 陽子の実家を訪ねてみたが、両親がすまなさそうに出てきて「会いたくないと言っている。」と言うだけだった。 孝史は、しばらく放っておく事にした。 子供達に会えないのが寂しかったが、無理に陽子に会うのも面倒な気がしてしまい、未だに連絡をとっていない。 『やっぱり、もうダメなのか・・・そりゃそうだな。陽子も引け目を感じたままこの家に居続けるのは耐えられないだろうし・・・。』 孝史は、煙草をくわえると火をつけて、深く吸い込んだ。 拳が少し痛い。 赤く腫れている。 なんであんなヤツについて行ったんだ陽子? お前は頭のいい女じゃないか。 やっぱり俺のせいだったのか? 孝史は、過ぎてしまったどうにもならない事と解っていながらも考える。 考えなければいけない。 考えない方がおかしいと、半ば脅迫的に自分を追い込んでみる。 しかし、一向に集中できないばかりか、別の事を考えてしまう。 「陽子」では無く「香奈」の事を。 「あんなヤツについていった陽子」では無く「香奈」の事を悔しがっていた。 あんなヤツと関係を持った妻である陽子では無く香奈に嫉妬した。 もちろん、香奈のあの様子から見て、無理矢理関係を持たされたのだろう。 あの魅了してやまない魅力的な顔を、唇を、乳房を、体を、あんなヤツに弄ばれたかと思うと殺意さえ芽生えてくる。 香奈の顔は鮮明に思い浮かべる事が出来る。 胸を締め付けるような感覚に陥る。 孝史は、この懐かしいような気持ちは何だろうと考える。 『・・?・・ははっ・・アハハハハハハハッ・・・・オレが?・・・もうすぐ34になるオレが?・・・高校生を?・・・・・ウソだろ?・・・・・いや・・そうか・・たぶん・・忘れてたけど・・・そうか・・こういう気持ちになるのか・・・。』 孝史は確信した。 紛れもなく恋をしている。 陽子にさえ抱かなかった淡い感覚と、激しい嫉妬を感じている。 恐らくは、孝史の今までの人生で一番深く、淡く、醜い程の恋心が芽生えたのかもしれなかった。 しかし、同時に決して成就する事のない思いを抱いてしまった事も確信してしまった────。 『みんな今頃楽しんでるのかな・・。』 香奈はベッドに寝ころび、黒い天窓に貼り付いては消える白い粒を眺めていた。 終業式が終わり、冬休みに入った。 香奈は退部届を出し、部活を辞めた。 何もする気が起きないし、暫くは誰とも会いたくなかったから。 終業式の日にクリスマスのイベントに誘われた。 クラスの男子が企画して友人達を集め、カラオケでパーティーをやるらしかった。 香奈は行く気は無かったが、みんなのいる前で誘われた為、頷いてしまった。 一時間前に由美から『まだ来ないのか』とメールが来た為、お母さんが風邪で寝込んでいると嘘をついて返信しておいた。 そんな気分じゃない。 そんな気分になれるわけが無かった。 香奈の心や体に残された爪痕は、やはりそのまま香奈を暗闇に留めさせていた。 ───汚されてしまった。 その事実が香奈を解放してくれない。 もう神村からは逃れられたが、汚された事実は消えなかった。 そして、目を逸らす中村の姿が脳裏を常にかすめ続け、追い討ちをかける。 ──あたしはどうすればいいんだろう? ──あたしはどう生きていけばいいんだろう? ──この鬱積した醜い心を、汚された体をどうすれば元に戻せるだろう? そう考えてみるが、それは尚更香奈を苦しめ、孤独に追いやるだけだった。 『・・時間がたてば、忘れられるかな?・・忘れなきゃ・・何もかも・・忘れなきゃ・・この身に起きたこと・・今までのこと全部・・忘れなきゃ・・汚された事も・・紗耶香の事も・・・・・・・・・・・・・・・・中村くんの事も?・・・・・いやだ・・・忘れたくない・・こんなに好きなのに・・忘れるなんて出来ない!・・・無理だよ・・・好きなの・・・中村くん・・・好きなのに・・・好きなのに・・・。』 香奈は枕に顔を埋めて泣いた。 後から後から涙が溢れ出てくる。 悲しみと切なさと後悔が香奈の胸を締め付け、行き場のない、気が狂いそうな程の想いは、香奈の小さな胸を容赦なく引き裂く。 暫く泣き続けた香奈は、ふと顔を上げ、床に置いていた携帯を取って時間を見た。 午後8時7分 『・・・お腹空いた・・・・。』 香奈はベッドから立ち上がり、ロフトの階段を降りようとした。 携帯が鳴っている。 暗い部屋の中で青い光を放っている。 『・・・メール?』 香奈は携帯を拾い受信したメールを開いた──。
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2009/07/02 19:43:32(/0YGcw3L)
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