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よくロシア人とはいうものの。
カテゴリ: 官能小説の館    掲示板名:ロリータ 官能小説   
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1:よくロシア人とはいうものの。
投稿者: じょんQ ◆FjOpeTE2Ts
エロのカテゴリでロシア人というのは、彼女たちのもつ美貌、ルックスの良さで一つの人気カテゴリになっていますね。

ただでさえアメリカ人でも程遠いのに、さらに遠く感じるからこそ、そんな雲の上の存在という魅力があるのかもしれません。

ですが筆者は少年のころから、小樽で生まれ、港と主に育ってきたという背景もあり、ロシア人というのは雲の上の存在ではなく、海の向こうの存在という感覚を持っていました。

なぜなら、地域には交易関係で日本に在住するロシア人家庭がいたるところに存在し、どの小学校に行っても必ずロシア人の子供はいるからです。

現在、30歳を迎えた僕ですが、そんな僕が中学校の頃から知っており、なお大学時代に少しの期間ですが付き合った事がある、ご近所さん兼、元彼女でもある「ミラ」さんにスポットを当てて、思い出せる限りの記憶をもとに、ロシア人レポートを書いていきたいと思います。

中学3年の春、ミラはウラジオストックから引っ越してきました。ウラジオストックというのは、小樽民にとって、距離だけで言えば沖縄に行くよりも近いという場所でもあり、けっこう身近な場所でもあります。

筆者もウラジオストックには、簡単に船で渡航できる事もあり、高校の時や大学の時は学校行事として、そして社会人になってからは、仕事関連でということで、本来なら船賃だけで10万以上はしますが、何度か格安でウラジオストックに行ったことがあります。

引っ越してきたミラのお父さんも、日本との交易関係の仕事をしており、会社はウラジオストックにあるのですが、支社が小樽にあるということで、小樽の支店長をしておられる方でした。

この仕事の関係でというケースの場合、ほとんどが父親が単身赴任するのですが、あくまでそれはの子供が本国において成人している場合であって、子供が小学生、中学生などの場合は、「将来役に立つかもしれないので、日本語も覚えたらいい」という感じで小樽に越してくる家庭も多いそうです。ミラの家庭はそんな感じでした。

そして、まず第一の誤解。一般的なイメージでは、日本の中学校に、いきなり背が高く、肌は白く、眼は青い、そして金髪(ブロンド)の女の子が転校してきたら、学校では「おおおー」となるかというとこですが、小樽ではなりません。

なぜなら、先ほども述べた通り小樽ではロシア人は珍しい人種ではないからです。ミラもその例外ではなく、「また外人の子、転校してくるみたいだよ」くらいの話題性でした。

転校してきた外国人の子供って、行動がパターン化されており、最初はすでに移民しているロシア人友達と一緒に行動をし、簡単な日本語を覚え、気が付いたらお父さんの都合で本国に帰っていくというパターンが多いです。

僕にとっても、(なんか、家の裏で工事が始まったな)と思っていたら、あっという間に庭付きの1っ戸建て住宅が完成し、その庭にトランポリンが搬入されていたので、(これは外人の家だな)と思った記憶があります。たまたまその家は引っ越してくるミラの家だっただけです。

しかし、彼女たちは僕たちが考える以上に民族意識が強く、排他的と言われるロシア正教会への帰属意識か、それとも白人至上主義的なものがあるのか、また仕事で引っ越してくるというのは、資産家のパターンもあり、小樽のような漁村の庶民を見下しているのか、ロシア人はロシア人だけでコミュニティを作る傾向があります。

僕たちが小樽の民家でとれたての魚を相手に熱燗のんでワイワイしているとすれば、ロシア人たちはクラシック音楽を聴きながら、シャンパンを片手にスモークサーモンを食べているって感じですかね。

そんな背景があるからこそ、ミラも引っ越してきた当初は「例外なくパターン化された気取った外人」だったのですが、

不肖、小樽の代表的庶民である僕と知り合ったことによって、「庶民化(笑)」していくのでした。



 
2018/03/11 21:17:37(3s8T6xm4)
2
投稿者: 日本茶々!
興味津々なお話です。
若いロシア人の女性とどういうふうに親しくなっていくのか、その詳しい過程が知りたいですね。



18/03/11 21:35 (yB2ft8Uk)
3
投稿者: じょんQ ◆FjOpeTE2Ts
僕が通っていた学校は、外国人の受け入れに慣れている学校でした。もしかしたら、田舎(小樽も田舎だけど)のほうの学校では、外国人の転校生がくるというだけで、大きな騒ぎになるのかもしれませんが、僕の学校ではたくさんの先輩移民ロシア人がいるために、学校も彼ら彼女らの扱いがマニュアル化できているんだと思います。

ミラも中学3年になってからの日本の生活ということで、最初は「あいうえお」の幼稚園児向けのドリルを国語の時間にやっているという光景でしたが、体育や水泳などは語学はいりませんので、持ち前のプロポーションの良さと、運動神経の良さで直ぐに皆と溶け込んでいきました。


ミラの父親は日本酒が好きで、日本酒をプレゼントすると、彼らからはキャビアをくれるという事もあり、僕の漁師である祖父は「日本酒とキャビアはな、日露戦争の時からの定番じゃよ」と語ってくれたのを覚えています。聞くところによれば、日露戦争の時の戦争中、停戦時間というのがあって、その時に日本兵もロシア兵も敵であるにも関わらず、前線ラインで物資の交換をしあったそうです。昔の戦争は、そういった武士道、騎士道がまだ生きてた。と祖父は言ってました。

また家が近所という事もあって、僕が母親に怒られている時の母親の怒鳴り声も相手に聞こえるし、ミラが母親に怒られている時の声も僕の家まで届いていました。そんな翌日は、「昨日怒られてた?w」と通学中に会話するところから、僕とミラはご近所さんの垣根を越えて打ち解けていったのです。

これが小学校時代とかなら、ただの幼馴染という事で終わるのかもしれませんが、ただその時はお互い年ごろでした。

中学3年という思春期真っ盛りで、なお周囲にも「誰それが誰それと付き合っているらしいぞ」という噂が流れ始めるこの頃でした。

僕も今まで外国人の彼女、というものを考えたこともなかったし、想像もしたこともありませんでしたが、その時の僕の周囲で一番仲良くしている女子といえば、ミラの他いなかったということもあって、(こんな子が彼女だったらな・・)と惹かれ始めてはいたのです。

ですが、少しミラと仲良かったとしても、ミラの家族は僕たち家族に対し、父の代から漁師をやっていて、家や倉庫からは漁で使う器具からの独特の磯臭さ、生臭さを醸し出す僕の家は、王侯貴族のようなミラ家からは、「見苦しい庶民」だったのかもしれません。

ミラの父親も母親も、家の近くで会う時は会釈くらいはするのですが、ミラの家族が、他のロシア人家族と街中で談笑している時に、僕たち家族が偶然とおりすぎて目が合ってもミラの両親は僕たち家族に対して知らん顔でした。これが、ロシア人は気取っている。と思われる主要因の一つです。

ただでさえ気取ったロシア人なのですが、特にこのミラ家の両親は、絵にかいたロシア人のステレオタイプのような人でして、お父さんは有名貿易会社の支店長(つまりエリート) お母さんは教育ママのヒステリックな厳しいご婦人。まるでドラマかなにかの構成です。

ですから、よくミラの家からは父親の怒号、母親の金切り声が聞こえてくることもあり、僕の家では「あっそこの家は厳しすぎるよなあ~」「んだなぁ」と良く言ってました。

ミラが引っ越してきたのが中学3年の春先、そしてその事件が起きたのは初夏になる頃でした。

その時、僕は部屋で何か雑誌を読んでいるかなにかしていたと思います。北海道独自の涼しい夏のは入り口で、窓をあけて涼んでいたら、また週に1回2回は聞くであろう、ミラの母親の金切り声が聞こえてきたのです。

僕は慣れていたので(また叫んでるなあのオバハン)くらいに思っていたのですが、その時、ドタン!!!という大きな戸の閉まる音がして、僕は2階の自分の部屋の窓から見渡せる、ミラの家そして庭を見てみたら、外に追い出されてるミラがいたのです。

(おいおい、家まで追い出すのかよ、、小学生じゃあるまいし)とあきれた感じで思っていたのですが、相手はいっても一人娘です。そのうちすぐに家に入れるだろう。と思っていたら、30分たっても家の中に入れてもらってる様子はなく、庭でひとりうずくまって座っているミラがいたのです。

僕は「おーい・・・ ミラー」と小声で彼女を呼ぶと、うずくまっていた彼女は頭をあげて、「ハイ ノ」 と手を挙げてきました。おそらく、(気にしないで。。大丈夫だよ)と伝えたかったのかもしれません。

僕は相手が気が付いたので、そのまま1階に降り、僕も庭に出てから柵ごしに話しました。「家はいれないの?」すると「うん」と答えてきたのです。

初夏といっても夜はまだ肌寒いので、「家こいよ。寒いだろ」と僕は下心のない親切心でミラを家にくるように誘いました。

それに家は祖父も父も漁に出ているし、母は朝が早いので20時には寝ています。世間でいう「親の知らないスキに女の子を連れ込んで」ではありませんが、僕は裏口から家に入って、ミラを自分の部屋に入れてあげたのです。

僕は「なんで家追い出されたの?」ときくと、まだ日本語がそこまで上手ではないミラは、「えーと、、ともだちと電話してた。勉強しないかったので怒られちゃった」

(そんな理由かよ)と思いましたが、ミラもミラで母親に口答えするから余計に母親を怒らせているのかもしれませんし、家庭の事なのでそれ以上はつっこみませんでした。

一方、ミラの両親も、てっきりミラが庭でひとり反省しているとでも思っているのでしょう。玄関先から道路に追い出した訳でもありませんので。とくに探しにくるという気配もありませんでした。

ミラもミラで、怒られ慣れてるのか、、「ドラえもんよんでいい?」と、僕の部屋の漫画の本棚にあるのを指さし、意外とくつろいでいるんです。

「ああ、、いいよ」と承諾すると、「面白いよねこれw」と嬉しそうにドラえもんを取り出すのでした。

(なんかなー・・・。というかこっちが怒られないだろうか、、夜の21時なんかに女の子連れ込んで・・)と思い始めてました。

一人で机に座り、時計を見ながら、(この先どうすんだ。。)と思っていたら、背後で「クスクスww」と笑い声が聞こえてくるので、(追い出されてんだぞ?)とふりかえると、「はははww」と笑いながらミラはドラえもんを読んでいるのですが、

その時僕の目に移ったのは、とんでもない光景だったのです。

僕の部屋の壁に背中をもたれさせて、、両足を(体育座りに近い)立てていたのですが、その時スカートの中からパンツが丸見えだったのです。

つづく

18/03/11 22:50 (3s8T6xm4)
4
投稿者: 日本茶々!
ロシアの上流階級(?)のお嬢様が筆者と愛し合うような間柄になるのでしょうか?
続きを心からお願いします!



18/03/11 23:20 (yB2ft8Uk)
5
投稿者: じょんQ ◆FjOpeTE2Ts
小樽民にとって、いや小樽と同等の条件を持つ地域の少年、青年にとって、「パンチラ」というのは格別なものがあります。

なぜなら、小樽は海と山の間の地域であるために、常に強風が吹くこと。北海道なので基本、寒い事。また、街並みに高低差があり、住宅街なども一歩足を踏み外せば下まで転落していきかねない階段ばかりあること。そんな条件がそろって、、

小学校の頃からは防寒とケガ防止のために長ズボン。中学、高校からはブレザータイプの制服もありますが、防寒の観点からスカートの下にはジャージ、半パン、スパッツ等着用。そもそも通学はヘルメットをかぶって自転車通学なので、学生が生足でミニスカートをはいているなんていう事はありあえません。

ですもので、僕がパンチラ等を目にする機会といえば1年に1回あるかないかであって、その1回は観光客が階段に座りながら何かを食べてる時に、一瞬見えた。くらいのものなのです。

そんな条件下にある少年にとって、家に女の子が遊びにきている(避難だけど)スカートである。パンツ見せている。というのは、どれほど特別であり格別な状況だったかご理解頂けると思います。

そんな子が僕の部屋に、一時的であれ来てくれて、しかも外国人であるというのか、警戒心なく座ってる。そして見える。相手は漫画に夢中である。

僕はあまりのオープンさ、ダイレクトさ、気取ったロシア人の裏にある、大胆さをみたような気がしました。

見えたパンツというのは、まだ日本に来て3か月ということで、おそらくロシアから持ってきたものなのでしょう。日本によくあるデザインのものではなく、それこそ今でいう、洋物動画を見たときに白人女性が履いているような、グリーン!ピンク!などの原色のものであり、ミラもそのとき、クロッチ部の接続線が無い、綿のライトグリーン一色の海外製パンツをはいていました。

クロッチ部がないからなのかわかりませんが、そのパンツはアソコの割れ目にフィットし食い込んでおり、ただのパンチラではなく、もはや誘惑レベルだったのを強烈に覚えています。

結局、僕がとった行動は、僕も漫画を読むふりをして、ミラに対し、90度(真正面ではなく側面にミラがくるように)椅子を回し、漫画を読んでいるフリをしながら、チラチラと目線を右に送り、ミラのスカートの中を見ているという状況が続きました。

結局、彼女はドラえもんの単行本を1巻まるまる読んで、「もう帰る」と言い出し、僕はまた裏口からミラを送ってあげると、ミラは自分の家の庭のドアをあけて入っていったのです。(あれ、カギ閉められてたんじゃないの?)という感じでした。もしかしたら、庭で反省しなさい。くらいだったのかもしれません。

ともかく、それ以来、僕とミラとの距離はぐんと近くなり、その頃からミラも僕の家に漫画を読みに来る事も多くなり、そして僕の家族と一緒に食事をする事も増えてきたのです。ミラの両親からすれば、内心どう思ってたか知りませんが、知らない場所へいくより、すぐ近くにいるほうが安心は安心だったのかもしれません。時折ミラのお父さんも、ロシア産のスコッチウイスキー等を僕の家に届けに来たりしていました。

ミラとの接近は、学校でも影響がありました。例えば、ミラが女友達や先生と何か、会話しているとき、どうしても伝わらない時などに、ミラが僕のところに来て、「〇×▽?◇@^-^」等という奇妙な日本語を伝えてきたら、僕は「ああー、そのことね」と理解し、「先生、ミラは今こう言ってる」とミラ語の通訳をしてあげる機会も増えたのです。

ただそれは、僕がミラとの会話において、外人慣れ(正確にはミラ慣れ)し始めていたという事だけなのですが、このミラ語を理解できるという能力は、よりミラと僕を近くする大きな原因にもなっていました。

結局、外国人なので日本人とは違う感性を持っており、「ねぇジョン(僕w ハンドルネーム)一緒に帰ろう~。イオン行こう~」とか言ってくるようになり、ミラからすれば、大型店舗にいって日本語で書いてる商品の説明を「これなに?」「これなんてかいてる?」と聞くために僕を連れていくだけなのですが、学校では「お前らデキてんじゃね?ww」と周囲からからかわれる状態にもなっていったのです。(学校では仲良く話しかけてくるのはやめてくれ。。。)と思っていました。

そんな感じの中、夏の小樽ではウニの季節の突入していました。ウニというのは基本、漁師ではない(許可を得ていない業者、個人)人々がとれば、それは密漁になるのはご存じだと思います。しかし、小樽で漁師である僕の家ではウニを取るのは合法であり、ウニは船にのらず、素潜りでとりますので、子供の僕たちにとっても、「進んで手伝いたい親の仕事」の一つでもあったのです。

ミラが「ジョン、週末サッポロいかない?ラーメン食べたい」と言ってきたとき、「週末は無理だわ。ウニとりいくから」と断った時、「UNI?」と聞いてきたので、僕は紙にウニのトゲトゲした絵をかいてあげたのです。すると「Oh!!知ってる!」と言い出し、ミラもウニを一緒にとりにいくという事になったのです。

素潜りに必要なのは、ゴーグル、シュノーケル、フィン、ウェットスーツ、グローブ、ダイバーナイフ、あととったウニを入れる網くらいのものです。

僕は前日からミラとのウニデートにドキドキしていました。そもそも、そのはずです。女の体、またはそれに準ずるものを見るにみれない小樽民の僕たちは、合法的にそれに準ずるものを見る事ができるのは、夏のプールの時くらいのものです。

僕はウニデートの前々日から準備し、ミラが着れそうなウェットスーツを倉庫から出して洗っておき、当日を待ったのでした。

ウニデートの日、ミラはTシャツ、ジーンズの楽な格好で僕の家にやってきました。僕はもう他の親の手伝いをしていたので、素潜りする装備でいたのですが、ミラは私服です。僕は「道具用意したから着替えてきて」と一式をミラに手渡し、僕の部屋で着替えるように伝えました。

ミラは受け取った道具で「はーい」と勝手知ったる我が家に入り、僕の部屋で着替えて出てきました。ピチピチのウェットスーツには、ミラの小さくふくらんだ胸、細いウエスト、丸いヒップ、細くて長い脚、すべてが浮き彫りになっていました。

ここにいたのが性欲萎びれた祖父だったからよかったものの、まだ現役かもしれない親父だったらこの場に居てほしくないな。と思いました。それから僕とミラと、祖父の3人は小さな船でウニスポットまで移動し、適当に岩場の中を入っていき、僕がミラに指導をしながら素潜りが開始したのです。

僕たちは小さなウニは捕まえず、そこそこ大きくなっているウニを捕まえました。トゲトゲがあるので刺さらないように注意し、ステンレスの長いハサミ(掃除とかでも使う)あれを使ってウニをつかんで網に入れていくのですが、あまり大漁にはとれませんでした。(それに大漁にとるのは漁業組合の自粛ルールで禁じられています)

そして午前中はウニを捕まえて、昼食は波止場のほうで持参した弁当を食べ、それなりに楽しいウニデートだったのです(祖父の存在が邪魔でしたが)

そして午後も少しだけ潜って帰ろうか。というとき、「ジョン。トイレはどうするの?」と海の中で聞いてきて、僕は「そのままやればいいよwww」と答えました。するとミラは「わかった。。。ちょっと待って・・・」と、二人で海に浮かびながら じー・・・・・ と停止しているのです。

僕は(まさか、、、、今やってるの・・?)と思いましたが、そのまさかでした。するとミラは「おわったw」と言ってきて、僕は(おい、、いくら海の中とはいえ、目の前で女の子がオシッコするなんて大胆すぎんぞ!!)と思って、思わず勃起してしまいそうになりました。

そんなこんなでウニデートは終わり、もう家に帰る時の事です。祖父が「ジョン、せっかくだし、ウニ1個あけるぞ(食べるぞ)スプーンとってこい、あとこの子の着替えも持って来たれやー」と僕に命令してきたのです。

せっかくとったウニなので、1個くらいとれたてのものを、ミラにふるまいたい。という祖父の提案でした。そして着替えというのは、ウェットスーツのまま家には上がれないし、そもそも着替えは船着き場にある更衣室(シャワー付き)があるんだから、そこでしなさい。という事でした。

僕は「わかったー」とひとり船着き場から徒歩2分くらいの家のほうに走っていき、祖父はその日取れたものを船から船着き場にあげており、ミラはそれを手伝っている様子でした。

家についた僕も、もちろんこのままでは家に上がれないので、いつもと同じ、ホースのついた水道水で頭から海水を落とし、そして倉庫で普段着に着替え、(えーっと、スプーンと着替え着替えっと・・・)とせわしなく台所でスプーンや醤油、ワサビ等を手提げ袋に入れ、そして自分の部屋にミラの着替えを取りに行ったのです。

僕の部屋のベッドの下には、ミラの着替えなのでしょう。トートバックが置いていました。(これだな・・)と思って手にとった時、(この中、、ミラのパンツはいってるのか・・・)と思い、僕はまだ時間あるな。。と思い、部屋のカギをしめ、すぐにミラのバッグの中を漁りました。

これは完全なる密漁でした。

バッグの中には、ミラは日本人みたいな、グレーのスポブラ、そして白とグレーのストラップのしましまパンツが入っており・・・僕はミラのパンツを裏返し、すこし黄色いシミがついているアソコがあたる部分を鼻にあてると、、ツーン とあの独特の酸味の効いた香りが漂ってきて・・・・ ムクムクムク!!!!とフルボッキしている僕がいたのです。

すぐにテッシュを取り出し、そのアイテムを鼻に当てながら、シャコシャコシャコ!!と手際よく肉棒を上下にこすると、、ドピュン!!ドピュン!!と勢いのある濃厚な精子が出ていきました。

それから何事もなかったかのように、「じーちゃんとってきたw」と手提げ袋を私、「ミラはこれ」と、ミラにもトートバッグを手渡しました。そして「あの中にシャワールームと更衣室あるから、そこで着替えたらいいよ」と案内し、僕たちはウニを勝ち割って、食べれるように処理をし始めたのです。

しばらくすると、髪の毛を生乾きさせたミラが、来た時のジーンズ、Tシャツの格好で現れ、そして僕たちはしゃがんで、「今年のウニはダメだな。磯の香りが薄いわ」とか祖父がいうのを聞きながら、僕とミラもウニを食べていました。

僕はしゃがんだミラの背中から、さっきのグレーと白の縞々パンツのゴムが少し見えたとき、心の中で(ウニはともかく、こっち香りは濃かったな・・)なんて思いながら、あの時の映像を思い出してムクムク起きてくる息子に対し、無の心を言い聞かせている僕がいました。

18/03/12 12:02 (HTIHogPs)
6
投稿者: ゆう
ブラボー!いや、ハラショー!!
素晴らしいです。続きがあれば是非読ませていただきたいです。
18/03/12 13:04 (mmo.yjbH)
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