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家庭内不倫
カテゴリ: 官能小説の館    掲示板名:人妻熟女 官能小説   
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1:家庭内不倫
投稿者: 若返りオバサン
 私は神戸 久仁子(仮名・43歳)です。私の家庭は4人家族で、コンピュータ関係の会社を開いている主人・昌和(46歳)とOLの美和(22歳)と浪人生の陽一郎(19歳)がいます。主人はベンチャー企業の社長ですが、毎日が忙しさの連続で家に帰ることは週に1度の日曜日ぐらいでした。しかし、その日は終日寝転んでばっかりで、このような状態が2年ほど続いています。最初の1年くらいは、仕事に疲れているのだろうと思っていたのですが、1年を過ぎてもこの状態で何だか不思議に思いました。不思議というか、女の勘というか。残りの1年は地道な調査を行なって、遂に夫の実態を掴むことができました。
 そもそも夫との出会いは、20代最初に遡ります。夫は機械オタクですが、その容姿は世に言うオタクとは違って、光GENJIの諸星君みたいな感じの好青年でした。短大生だった私は、合コンで彼と知り合いました。合コンでは彼の人気は低かったのですが、物理が得意だった私は彼とすぐ打ち解けました。合コンが終われば、近くのビジネスホテルで愛し合いました。合コンの時期が12月のクリスマスとあって、物凄く燃えました。今思っても、下半身が疼いてきます。今ではオッパイは萎んで微乳となり垂れて体型が崩れていますが、そのときの私はスレンダーな体にCカップの巨乳でした。合コンではノーブラ・ノーパンだったので、部屋に入って即キスをされてオッパイとアソコを撫で回した彼の反応は股間に反映されてました。ズボンに閉じ込められたチ○ポが出してくれと叫ばんばかりに大きく膨らんだ股間を撫でながらチャックを開けて、巨大なチ○ポを解放してあげました。そして、両手でチ○ポをしごきました。彼の反応は絶大で、エビ反り状態になってました。そんな彼を見て、私は彼のズボンとパンツを脱がせて両手でしごきながらフェラをしました。彼が「ぁー!久仁子ちゃん、最高だよぉー!もうダメぇーー!」と言うと、チ○ポと足が痙攣した後、私の口に射精しました。彼が童貞だったのか、私が処女でエッチが始めてだったのか知りませんが、口の中は精液で満たされ頬が膨らんだ状態でした。その味が吐きそうな程気持ち悪かったので、どうすることもできずに玄関の床に吐いてしまいました。その後、吐き気がしてしまい、しばらくベッドで横になっていました。よく覚えていませんが、泣き出していたらしく、彼は私の横で髪を撫でるしか成す術がなかったらしいです。覚えているのは、玄関で申し訳ないことをしたから、お詫びにオ○ンコを指や舌で愛撫してもらった後に挿入させました。今度は激痛で泣き出してしまったのですが、ここで逃げたら彼は戻らないという意識で痛いのを必死で堪えました。彼に必死でしがみつきました。こうして堪えているうちに、膣に温かいものが流れ込んできました。そのことに気付いたのか気付いてないのかわからないまま私は気絶し、翌朝に彼に起こされました。目が覚めて気付くと、ベッドには赤い尿をもらしたのかと思うほどの血がベッドに付いていることに思わず吐きそうになりました。もう慌てて、ホテルをチェックアウトしました。
 それから2ヶ月くらいして悪阻が起こり、妊娠とわかりました。お互い卒業間近でまだ就職が内定しない状況の中、どうしようか悩みました。結局、このまま中絶せず産むことに決めました。現役警察官である私の父が大噴火だったのは言うまでもなく、彼は父に殴られてばっかりでした。しかし、それにもめげず私と結婚したいことを必死で訴え続けました。私もそんな彼に惹かれ、彼を庇いながら一緒に泣き叫びながら訴えました。そんなことがあって、ようやく結婚にこぎつけました。結婚費用は彼の親が全額出してくれました。新婚旅行は、北海道の病院で出産という情けない旅程でした。産まれた子が女の子で、2人には美しく和やかな表情をしていたことから、一致して「美和」と決まりました。しかし、彼が職探し中だったこともあり、彼の親元で生活する日々が2年ほど続きました。1年目に機械関係の会社に技術職として採用になり、毎日が忙しさの連続で娘の顔を見ることは実質的に月に1度でした。2年目に入ると、忙しさが和らぎ週に1度は娘の顔を見るようになりました。天使の顔に励まされて精力が発揮されたのか、ボーナスが大量に支給され、その資金でマイホームを買おうと思いました。しかし、マイホームの購入はボーナスの殆どを抉り出してしまいかねない程の金額で、結論はマンションの1室を借りることにしました。それでも、2人の部屋ができた喜びで一杯でした。
 娘が幼稚園に入り、育児疲れがほぼ完治した頃、また主人との夜の営みが始まりました。私は娘を寝かせ風呂に浸かり、風呂から上がると、寝巻きを着て蒲団に入りました。すると、主人がいきなりオッパイを鷲掴みしてきたかと思うと、オ○ンコに手を入れてきて、クリトリスを撫でてきました。「イヤぁ~ん。あなたダメぇー」とよがり声を小さく言うと、主人は「もうダメだぁ。我慢の限界だぁー!」と返してきました。私は主人の股間に手を当てると、チ○ポが膨らんでいました。私は片手でしごくと、彼は「両手でしごいてくれ」と言って、69の姿勢になりました。私は「フェラチオはイヤよぉ。口の中で出されたら吐きそうになるんだからぁ」と言うと、彼は「かまわないから早く両手でしごいてくれぇ!」とせがんできた。ぶら下がったニガウリのようなチ○ポを目の前にしながら、両手で必死でしごきました。彼は私のオ○ンコを必死で舐めてきました。イキそうになったのは私で「あなたぁ、もう我慢できない!チ○ポ入れてぇ」とせがむと、すかさず挿入してきました。彼の抜き差しする勢いは凄く私はイキそうになりました。私はエビ反り状態になり、主人はそれに合わすかのように腰を恥骨にゴリゴリ当てながら小さく振り回し、彼の「イクぅーーーー!」という声と共に、お互いの体が硬直しました。その瞬間、膣に精液が流れ出ました。私も同時にイッた為、お互い体をピクピクさせて重なり合いながら余韻を楽しんでいました。それからすぐに寝ました。
 3ヵ月後くらいに悪阻が起き、10ヵ月後くらいに男の子を出産しました。産まれた時が晴れで昼の1時であったことから、主人が「陽一郎」と名付けました。2人を産んでから、主人は毎日精力的に仕事をし、ボーナスを多くゲットして帰りました。しかし、バブルが崩壊した90年代の半ばに、主人は勤めていた職場を自主退職しました。理由は、上司の考え方についていけないということでした。頑固な性格の主人のこと、他の職場が見つけれることを祈るだけでした。退職から3ヶ月くらいして、コンピュータ関係の会社に技術職として再就職を果たしました。給料は今までと比べて減少したものの、機会マニアの意地で昇給を果たし、基本給が上がっていきました。2000年になると、ベンチャー起こすに十分な蓄えができたことから、2001年には退職をし、銀行からの融資もあって、ベンチャー設立に至りました。それに合わせて、マイホームの夢が実現しました。このとき、娘は19歳で、短大1回生になっており、息子は16歳で高校2年生でした。娘の通う短大は家から電車1本だけで、通学には事欠きませんでした。息子も電車1本です。
ここからが本題です。主人がベンチャーを築いてから1年して、短大2回生になった娘は秘書の資格を取り、アルバイトとして主人の秘書になりました。主人の言い分は、娘の実務経験になればということでした。最初は疑うことはしなかったのですが、妙に主人と娘とが恋人みたいな感じで接しているのです。家にパソコンを導入し、パソコンの扱いを教えている主人と教えられている娘が妙に恋人チックなのです。それを疑い始めて半年が経ったある日、私は夕飯の買出しに少し遠くのスーパーへ行ってました。そこはラブホの近くにある所なんですが、ふと見覚えのある車がラブホの裏口へ入るのを見ました。主人の車だと思った瞬間、車の助手席に娘が座っていたのです。2人は私に気付かないまま、ホテルへ入って行きました。入る瞬間、主人が娘のオッパイを揉んでいたのが目に焼き付いています。私は腹が立って急いで家に帰りました。家に帰ると、主人から電話が掛かってきて、営業先との交渉に時間がかかって帰りが遅くなるとのことで、夕飯はいらないとのこと。晩御飯は、私と息子の2人分を作りました。食事を終えて、私は息子に先に風呂へ入るよう勧めましたが、勉強の途中との事で私が先に入りました。
湯に浸かりながら私は、主人が娘とホテルでエッチしている光景が思い浮かびました。思い浮かべたくもないですが、処女の娘には主人のエッチがどう感じているのか気になって仕方がありません。なにしろ、私が主人とエッチしたのは娘ぐらいの年ですから。両手で主人の膨らんだチ○ポをしごいていないかとか、バージンの娘に主人の精液はどんな味がしたのかとか想像するうちに、手がオマンコの方へ行きました。あまりの気持ちの良さに喘ぎ声が出てしまいました。しばらく声を出していると、息子が扉越しに覗いているのが見えました。私は息子にオッパイを見せつけるように、縁に腰掛けオ○ンコを見せ付けながらオナニーをしました。息子がズボンとパンツを下ろしながら膨らんだチ○ポをしごいているのが見えました。息子の顔が主人に見えてきて、思わず「あなたぁ、私を抱き締めてぇ」とやらしい声を息子に向けて発した。息子は私に気付いたのか、扉を閉めてどこかへ消えました。もう私に迷いはありませんでした。風呂から上がり、体を拭くと、裸のまま息子の部屋へ行きました。
 部屋に入ると私は「さっき覗いてたでしょう?」と聞いた。息子は黙ったままだった。私は「今夜はあなたに抱いて欲しいのぉ。優しく童貞を破ってあげるぅ!」と言うと、椅子に座っている息子を力ずくでベッドに押し倒し、ディープキスをした。童貞でエロビデオをまだ見たこと無いとわかった私は、息子を全裸にしてフェラチオをしました。私はフェラでチ○ポが適度に湿るのを確認すると、オマンコに挿入しました。
陽一郎「うわぁー!」童貞が破られた瞬間である
私「陽一郎、これが初エッチの瞬間よぉ。はぁはぁ。あなたの大きなチ○ポが私の子宮に当たったわぁ。」夢中で腰を上下させたり、時計回りに回したりしていました。
陽一郎「お母さん・・・」息子の顔が快楽でゆがんでいました。
私「陽一郎、もう何も言わないでぇ。お母さんがたっぷり教えてあげるぅ」気持ちよくなってきた私は、今度は腰を前後に振りました。私の喘ぎ声は息子の部屋中に響き渡りました。
私「なんて素敵なのぉ。お母さんが先にイッちゃいそぉーーー!」
陽一郎「お母さん、もうダメぇ。イッちゃうよぉーーーー!」彼の体が硬直し、足が攣りそうなくらいなのを感じました。すかさず、私は腰を上げてチンポをフェラしました。すぐに口の中に精液が流れ込みました。その量はあのときと同じでした。しかし、私は大量の精液を飲み干しました。私は彼の体の上に倒れこみ、余韻を楽しんでいました。余韻が吹っ切れると、私と息子は一緒に風呂に入りました。このとき、息子のチ○ポを丹念に洗いました。そして、このことは2人だけの秘密にしました。
 それからというもの、息子は受験よりも私とのセックスに夢中になり、大学を滑ってしまい、娘は短大を卒業して主人の秘書として働いています。そして、私は主人が出張で長く家を空ける日は、息子と旅行に出ています。勿論、主人は娘との、私は息子との愛を深めることが目的です。しかし、いつかは私と主人は子離れをしなければならず、娘と息子は親離れをしなくてはなりません。しかし、娘に何でも買い与える主人、そして彼女を作らずマザコン状態の息子を溺愛する私、果たしてこの関係がいつまで続くのか。不安な毎日を私は過ごしています。
 大変長くなって申し訳ありませんでした。長い文章を書いている間、私はオナニーを息子が寝ている近くで何回もしていたのです。朝になったら、息子と朝立ちセックスをします。主人は娘と出張でハワイに行ってます。
 
2004/08/11 02:41:56(Q/M4xulH)
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