病死した母の三回忌が過ぎて間もない頃、父から再婚したい人がいるとい
う相談を、僕は唐突に持ちかけられた。
　中堅の商事会社の役員で、五十三才という年齢からしても、まだ老け込む
年代でもないのは理解できたし、大学まで行かせてもらってる息子の立場と
しても特段の反対理由はないので、僕は素直に了承した。
　そして新しい母に初めて対面した時、僕は思わず声を上げそうなくらいに
驚いた。
　何とその人は、僕が高校で生物化学を習った教師で、年齢差はかなりあっ
たが、大人の女性として心密かに焦がれたことのある人だったのだ。
　名前は野村佐知子といって、年齢は僕が高校当時で三十八、九才だったか
ら、いまで四十代前半くらいに違いなかった。
　確か僕が高校二年の頃、その先生が離婚したとのことで、男子生徒の間で
かなり衝撃的な出来事になったのを、いまでもはっきり覚えている。
　小柄で華奢な体型をしていて、色白で目鼻立ちがくっきりと整っているの
が印象的な先生だった。
　肩まで伸ばした髪を薄く目立たない程度に栗毛色に染めていて、毎日着て
くる服装のどれもが派手でなく地味でなく、どことなく気品のある容姿風貌
に見事に調和していて、大人の女性として男子生徒大半の羨望と注視の的だ
ったのだ。
　そして数年後のこのような奇遇の対面で目の当たりにした石井先生は、少
し痩せた感じに見えたが、しとやかな気品のある容姿風貌の淡麗さは、年月
を過ぎてもあの当時のまま、何一つ変わることなく僕の目と心を捉えて離さ
なかった。
　「初めまして…って挨拶しようと思って、私も驚きました」
　ホテルのレストランでの父と一緒の対面の時、石井先生は僕にそういっ
て、淡麗な顔と細い首のあたりを赤く染めていた。
　事情を訊いた父だけが、単純に嬉しそうに顔をほころばせていた。
　…そうしてその後、事は順調に進み、二ヵ月後に父と石井先生は晴れて夫
婦としての入籍をすませ、結果として彼女は僕の義母となって、一つ屋根の
下に同居することになったのだ。
　父は新しい妻を迎えて単純に喜んでいたが、僕のほうはそうではなかっ
た。
　清楚で綺麗な義母ができたのは素直に嬉しいことだったが、気持ち的には
毎日が気もそぞろ状態の連続で、正直、家の中では素直に落ち着いていられ
ることはほとんどなかった。玄関、廊下、台所、居間とどこで会っても、僕
は義母の顔を正視することができなかった。
　義母のほうからいつも気遣いを見せて、優しく声をかけてくれるので、多
少のぎこちなさはあっても表面的には、何気ない会話にしても普通の親子の
関係はそれなりに保てていた。
　しかしそれを根底から覆すような出来事というか、ある事態に偶然にも遭
遇してしまってから、僕の心の電極は瞬時に＋から－極に変化したのだっ
た。
　出来事は二つあった。
　義母がこの家に来てから、トイレの隅に小さな蓋付きのゴミ箱が置かれる
ようになった。
　初めの内は何となく見過ごしていたのが、ある時ふとそのゴミ箱の蓋が外
れて床に落ちていた。
　何気なく拾って元へ戻そうとした時、ゴミ箱の中身が僕の視線の中に入っ
た。
　薄いピンクのトイレットペーパーで幾重にも包まれた束が幾つか見えた。
　母の生理の時の汚物だとすぐにわかった。
　その時、僕の心は急激に大きくざわめいた。
　無意識にペーパーに包まれた束の一つを取り上げて、中を開いてみた。
　薄い水色の生理用品が出てきて、赤い血の模様が細い線のように走ってい
るのが見えた。
　頭のてっぺんに血が一気に昇り上がるような気持ちだった。
　義母は義母であって、そして女なのだということを、僕はその時熱く興奮
しながら痛感した。
　高校時代の恩師が義母としてこの家に入ってきた…これまでの義母に対し
ての妙なこそばゆいような違和感とかぎこちのなさは、憧れに対するただの
眩しさのせいだと思っていたが、実際はそうではなかったのだということ
を、僕はそのトイレの出来事で実感させられたのだった。
　もう一つの事態は、風呂の脱衣室にある洗濯機の中だった。
　トイレの出来事があってから数日後の、雨の降る深夜だった…。