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1:忘れ難き記憶
投稿者:
デブねこ
◆YtiwlyVsoc
祖父からの告白
昭和19年、当時、僕は15歳、近くの道路整備と整備工場で働いていました まだ集中空爆は無いものの、住んでいた地区には 南へと向かう戦闘機の補給・整備基地があった為 学徒勤労動員で労働力として大人と変わらぬ作業をしていました 滑走路があると空爆される恐れがある為 国道の直線路を整備してそこで離発着させて 機体を雑木林に隠して補給・整備を行っていたのです 庄屋の納屋を改装して休憩宿泊施設にして 軍隊長などが視察に来ると村の若い娘達を差し出して 兵隊さんには夫が出兵した者などが世話をしていました 自分と歳の変わらない若者が数か月の訓練を受けた後 逝くと分かっていて南へと飛んで行く 結婚どころか性体験すら未だの若者達を慰める為 一夜一度でも女をと その役目を自分の母がしているなど、その時は知りもしませんでした 夏の終わり頃でした 飛行訓練の後、南へとの命令が届きました 特攻予備兵として飛行訓練を受ける事になったのです 数組に分かれて二人乗りの戦闘機に乗って少年飛行訓練学校へ 丁度、今頃の季節だったと記憶しています 父も兄達も既に出兵して家には10歳の弟が一人残るだけ その弟は前年に親戚の家へと預けられて家には僕一人だけで 母は殆ど帰宅する事も無かったので 僕も工場に寝泊まりするような生活でした 迎えの戦闘機が到着した晩の事でした 将校に呼ばれて宿泊施設に行くと豪勢な食事が用意されていて 初めて酒も少し飲んだ後でした 二階の部屋へと促されて行くと母がいました 火鉢で暖められた部屋に布団が一組敷かれていて 長襦袢姿の母が布団の上に座っていました 一気に酔いが醒めて正座して 「母様、飛行訓練の後、立派に使命を果たして参ります」 思い付く精一杯の言葉で生み育ててくれたお礼を言うと 母に思い切り抱き締められて、僕は母の胸に顔を埋めて 母の胸で声を殺して大泣きしていました (立派に戦って…) 言葉にならず泣く母 生きて帰ってきてと、僕にはそう聞こえていました 正確な戦況は知らされませんでしたが 前線へと送られた父や兄達は既にと分かっていたのです 暫く泣いて落ち着くと、ふうっと母が一息吐いてから (賢三、目を閉じてここに寝なさい) そう言われて、僕は訓練生の飛行服を脱いで 布団に仰向けに寝転がりました シュシュッと衣擦れの音がして、母も布団に入ってきて 僕の身体に触れ始めて身体を固くしていました 褌を解かれると柔らかく温かい母の手が握り締めてきました 性教育というものが有りませんでしたから 何をされるのか分からないまま そこが硬く大きくなってきて驚きました 着替えや風呂の覗きくらいはしていましが 性的興奮で勃起するなど体験していなかったし エロ本なども見た事も有りませんでしたから初心なままで 何が起きているのだと内心、慌てていました (賢三は父さんや健一よりも立派ね、一番大きいわ) 「な、何が…ですか」 (これよ、チンポの事) 「お、大きいとはどういう事なのですか」 (男として自信をもって良いって事よ) 不意に掛け布団を捲り上げて、母が僕の顔を跨いで 正反対に向いてきました 食われるのか、噛まれるのかと思っていたら ヌルッとした温かい何かに包まれ扱かれ気持ち好くて 耐え切れなくなって目を開けて見ると 初めて見る女性のそこが目の前に見えていました 母のそこにナメクジかイソギンチャクがいる 初めて見た女淫は僕にはそう見えたのです 大きな真っ白な双尻がクネクネと動いて その毎にそこから何か得体の知れない汁が溢れ垂れ光って その奥に何やら化け物の口のようなものが パクパクウネウネと動いて見えていました (賢三、ここを優しく舐って、指で擦るのも好いわ) 「こ、ここ…ですか」 (あっ、ああ、そう、そうよ、上手いわ) 「母様、チンポが痺れて、どうにかなりそうです」 射精などした事が無い、いえ、夢精をした事が有りましたが 寝ている間の事で起きて何か臭いモノが溢れ染みていて 病気か?と誰にも相談出来ないままで こうされて射精するのは初めての事で 背中から腰が自分ではどうする事も出来ない感じがして それが何か分からなくて踏ん張って耐えていました (あっんん、はあ、凄い、こんなにパンパンになって、んん) 「は、母様」 (賢三は女泣かせになるわね、傘もこんなに開いて凄い) 母が何をしているのかは分かりませんでしたが 何かに吸い込まれキツク締め付けられた瞬間でした 全身が震え電気が腰からチンポに走り抜けて ビクンビクンッと制御出来ない痙攣がして 熱い何かがチンポの芯を走り抜けたのを感じました 「うッあッ、母様、母様」 ゴクリッ、ゴクリッと母が何かを喉を鳴らして飲み込んでいました 『面倒臭いので理解している今の言葉で書きます』 萎えないままのチンポを母は暫く舐め吸い続けてから 体勢を戻して僕の隣へと仰向けに寝転がりました (賢三、女のそこは今見たわね?) 「は、はい」 (今度は全身を良く見て、触って) 「は、はい」 10歳くらいまでは一緒に寝て触っていた懐かしい胸 手の平からはみ出る大きな真っ白な胸を揉み 薄い色の少し大きい乳首を摘み転がしていると 母が顎を跳ね背を反らし始めました 母の手が僕の手を引いて導いて (ここがこうして濡れ濡れになったら迎える事が出来た証拠) 「な、何をですか?」 (チンポをここに挿入れるのよ) 「こ、ここにですか?」 (そうよ、そうして動かすと女も男も気持ち好くなるの) 「は、はい」 (そうしてさっきのように精を噴き出すと子供が出来るのよ) 「そうなのですか、知りませんでした」 (それ以外にも、女も男もこれをしたくなるものなの) 「は、はい」 (賢三、もう欲しいの、これをここに欲しいのよ) 「は、はい、でも、宜しいのでしょうか」 (良いのよ、好きなだけして良いのよ) 「は、はい」 立膝に開いた母の脚の間に位置して母の手で導かれながら 恐る恐る腰を突き進めて沈めていきました 「は、母様、温くて柔からで締め付けられて」 (はッ、あッ、好い、凄い) 動き方も分からず母が腰を振って締め付けていました ヌッヂュヌッヂュと音がして吸い付くそこは気持ちが好くて 不思議なもので次第に腰を前後してスライドさせていました (はッうッ、ん、あッ、んんッ、逝く、逝くッ) 「は、母様」 (強く、強く突いて、逝くッ、ううッ) 締め付けが強くなり吸い込まれ搾られるような感じがして 母が全身を痙攣させて昇りました 後に他の女性と行為を体験して 母が何故この役目を任されたか、母の身体の凄さを知りました ニュルニュルと吸い込み搾られる女淫 一度射っていたせいか長く耐える事が出来ました (あ、貴方は、ホントに、あッんんッ、女泣かせになるわ、あッうッ) 初めての行為で小一時間は沈め突いていたでしょうか ついに耐え切れなくなって痺れが背中から腰に伝わってきて 「は、母様、出そうです」 (あッうう、逝く、射って、射って、ああッ、逝く逝くッ) 「母様、ううッ」 母の奥深くへ射くと頭の中が真っ白になって全身が震えて 母も痙攣した後、二人ともグッタリと脱力していました 僕のチンポは一時芯を無くしましたが抜ける事は無く そのままもう一度、今度はさっきよりも長く沈めていられました 二発目を深くに射って疲れてそのまま寝入ってしまって 外が明るくなり始めた頃に目を覚ますと 母も隣でスウスウと寝ていました 朝勃ちしたチンポを女淫を探って突き込むとヌルッと刺さって 根元まで突き立てると母も目覚めて抱き付いてきました 朝飯も食わずに昼前まで、僕は母とし続けていました 五回目か六回目の射精の後休んでいると (もっと賢三とこうしていたいけど、次の兵隊さんが来るから) 「は、はい」 (日が沈んだら出発するのね) 「はい」 (辛らかったら母を思い出して) 「はい、あの…母様」 (何?、どうしたの?) 「無事に戦って戻れたら、またこうしても良いでしょうか?」 (うん、良いわ、賢三の好きなだけさせてあげる) 「はい、ありがとうございます」 何と酷く辛い事を母に告げていたのだろうと今は思いますが 実際、突撃した兵隊さんから母宛てのハガキに 貴女様を思い出しながら突撃しますと 何人もの方から、そんな言葉が送られていたと聞きました 検閲されて真っ黒になったハガキでも 筆圧で何が書かれていたか分かったそうです 夕方、日が沈み始めた頃、闇に紛れて離陸して 月と星とコンパスを頼りに低空飛行で飛びました 母の女淫を絹のハンカチに染みさせ形見にと褌に仕舞い込んで 握り締めて母を思い出しながら過ごしました 飛行訓練から半年後、突撃隊への配置が決まり 移動する船で攻撃を受けてギリギリ命は助かりましたが 救助されたのが米艦でそのまま終戦を迎えました 昭和21年の春 シンガポールの捕虜基地から船で日本へ帰還 故郷へ帰れたのは五月の末頃でした 「母様、恥ずかしくも無事に戻って参りました、お許しください」 既に父と兄達の悲報が届き、疎開した弟も畑の手伝いをしていて 数機の戦闘機から銃撃されて亡くなっていて 僕の行方だけが不明とされて諦めていたと (賢三、賢三、良くご無事で、ああああああ) 縋り付いて泣き崩れる母と共に僕もへたり込んで大泣きしていました 村は変わり果てていました 軍と密接だった庄屋は連れ去られ土地も何もかもが押さえられ 僕同様に無事に戻ってこれたのは三人だけ 婆様と母同様の夫や子供を亡くした女達が数人に子供達 何処から流れて来るのか数か月すると見知らぬ大人の男達が数人居着いて 何軒かはそんな男と夫婦になったりし始めましたが 僕はそんな男達は寄せ付けず直ぐに畑を耕し野菜などを作り始めて 毎晩、母と行為を続けました ボス猫作です
2015/11/24 02:51:49(mzl7ooDX)
投稿者:
gokun
戦時にありそうな事ですが・・・戦中を生きてこられた方の貴重な体験記ですね。
当時は女性との接触も儘ならず、そのような雑誌もなかったし・・・春画もなかったし・・・ですね。 平和な今があるのは、戦争に命をかけてこられた方々のおかげかと思います。 軽く言っているつもりはありませんが、命の重さを大事にしたいですね。
15/11/24 05:43
(/yW7OeDv)
あ、まあそんな重い気持ちで書いてみたモノでも無く
親父が無くなった時、顔見知りの親父の知り合い達が懐かしんで 初めは開拓村で大変だったとかの話しだったんですが その内、農作物が上手く育たなくて子供にお乳もやれなくて ウチのお袋、ふっくらしてて乳デカいんですが、飲ませて貰ったとか そんな話から戦中、敗戦前辺りの話しになって色々と聞かされて 中継、補給基地があったのは事実で、まあ大尉とか来たときの話しも そんな中、特攻慰安婦…の話しが少し出まして、フィクションしてみました 出撃基地の周りでは実際にあったような…ですね 戦後も酷かったみたいですよ、後家さんだらけですからね、農村部落はね 市街ではパンスケもいたらしいですし、港も地区にはありますからねえ 無法地帯みたいなもんだったんでしょうねえ 色んな意味でね ボス猫でした
15/11/24 15:13
(F6hiQHSD)
む、変換ミスってますね
無くなった=亡くなった ですね
15/11/24 15:16
(F6hiQHSD)
投稿者:
喜助
僕が昔、親戚のおじいさんから聞いた話です。
昭和19年、太平洋戦争で日本が敗戦濃厚になった頃、おじいさんに 召集令状が来た。おじいさんの両親と兄嫁(兄は結婚した後、出征 して戦地に行っていた)と三者会談が続いた。 おじいさんがこのまま戦死するかも知れない。 まだ女を知らないまま一生を終えるのは可愛そうだ。 兄嫁におじいさんとセックスして欲しいという両親の 頼みだった。兄嫁は承知した。 おじいさんは兄嫁にリードされて女を知った。 出征までの数夜、毎晩兄嫁と交わった。 生まれて初めての女体、その甘美な味わいに酔いしれた。 兄嫁もまた兄が出征してからの3年間の空閨を満たす おじいさんとの交尾に燃え、声を上げて痙攣した。 出征の前夜は朝まで一睡もせずに抱き合って何回したか 分からなかった。 昭和20年終戦、そして、おじいさんは生きて帰って来た。 兄さんは生死不明。結局、おじいさんと兄嫁は両親黙認の もとで兄嫁と事実上の夫婦生活をしていた。 二年後、兄が突然帰って来た。 そのあと、どうなったか・・・おじいさんは話してくれなかった。
15/12/26 13:08
(JzJimH5C)
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