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1:『無題』十一
投稿者:
菊乃
◆NAWph9Zy3c
あの頃、夏がだいすきだった。 夏休み という言葉を聞くだけで、わくわくした。 あれは、小学四年の夏。 健ちゃんのお母さんが、再婚してから、一年ほどが過ぎていた。 健ちゃんが一人で泣いている姿も、滅多に見なくなった。 うまくいっているのだろう と、あたしは、そう思っていた。 再婚してから、健ちゃんのお母さんは、以前にも増して、笑うようになり、明るくなり、本当に、幸せそうだった。 父親を知らず、母親とも、あまり顔を合わせないあたしは、隣の家の家族を、幸せを、羨ましく思っていた。 だから、 「健ちゃんは、いいなぁ。超~幸せぢゃん?」 などと、よく言ったものだった。 その、まがい物の幸せの為に、それを、守るために、 彼が、どれ程の痛みに耐えているのか、知りもしないで。 あたしは、何時も、勝手な事ばかり、言っていた。 それでも、健ちゃんは、にっこり笑って、 「そうだね。」 と言うだけだった。 夏休みの始め、隣町の図書館で、二人で宿題をやった。図書館は、涼しい。 わざわざ隣町まで行ったのは、同じクラスの連中に会わないようにする為。 幼馴染みといえど、二人きりでいるところを見られたら、間違い無く、からかわれる。 ひゅーひゅー などと古臭い合いの手など入れられたら、堪ったもんじゃあ、ない。 学校が始まってからも、厄介なことに、なりかねない。 出来るだけ、面倒は避けたかった。 健ちゃんは、とにかく頭が良かったので、宿題は、はかどった。 真剣に、ドリルを進める健ちゃんの横顔は、童顔のくせにかなり鋭く、ドキリとするほど、格好よかった。 だから、あたしは、しばしばちょっかいを出した。 不意に、健ちゃんの耳に息を吹きかけてみたり、脇腹をつついてみたり、健ちゃんのノートやドリルの端に、「うんこ」と書いてみたり。 すると健ちゃんは、笑う。 大袈裟に溜め息をついて、笑う。 あたし達は、うるさい、と、よく、注意された。 そうすると、二人で顔を見合わせて、ばつの悪そうな顔で、笑う。 二人一緒ならば、健ちゃんと一緒ならば、怒られる事すら、楽しかった。 あたしは、どちらかというと、八月二十九日あたりから焦り出す、いわゆる『カツオ型 まる子派 』であった。 だけれど、健ちゃんのお陰で、大方の宿題は、七月中に終わらすことが出来た。 その日、決めていた分の宿題を終えたあたし達は、相手に見えないように手元を隠しながら、原稿用紙に向かっていた。 作文を書いていた訳ではない。 あたしは、二十歳の健ちゃんへ、 健ちゃんは、二十歳のあたしへ、 それぞれ、手紙を書いていた。 あたし達は、普段、恥ずかしくて言えないこと、言いたいこと、を正直に書いた。 手紙を書いている、健ちゃんの横顔は、ドリルをやっている時よりもずっと、ずっと、真剣で鋭かった。 書き終えた手紙を、持参した缶に入れた。あたしは、チョコクランチの缶に入れた。 健ちゃんは、随分可愛らしい缶を持ってきていた。 でかい熊の人形が付いた、えらいファンシーなブリキの缶だ。 二つの缶をビニールで包み、図書館の敷地内にある、大きななクヌギの木の根元に、埋めた。 なにしろ暑い。穴を掘るのだって、一苦労だ。大体、敷地内に穴なんか掘ったら、図書館のオバサンが激怒するのではないか、とも思った。 呆れるくらい、蝉が騒いでいる。 木々の葉の隙間から、真っ赤な太陽が、射す。 あたし達は、Tシャツをびっしょりと濡らしながら、スコップで穴を掘った。 サラサラの、健ちゃんの前髪は、汗でおでこに張り付いている。 土にまみれた、手。 汗で濡れた、Tシャツ。 とても濃い、蒼い空。 ふわふわの、大きな、大きな、入道雲がそびえ立っている。 焼けたアスファルトの表面は、液体のように、そこだけ空気がゆらゆらしている。 暑いけど、楽しかった。 土を掘る、健ちゃんの手首に、ロープのようなもので、きつく絞められた為に出来た、赤い痣があった。 あたしは、その事に、気付きもしなかった。 手紙を埋めて、手を洗って、近くのコンビニでアイスを買った。 図書館の入り口にある、コンクリートの階段に座って、アイスを食べた。 冷たくて、美味しい。 葡萄のアイスを食べた健ちゃんの舌は、紫だった。それを、いちいち、あたしに見せるのだ。 あたしの口の端には、チョコミントの痕跡が、残っていた。 それを、健ちゃんが、自分のTシャツの裾で、拭ってくれた。 まくり上げる形になったので、健の白くて、細い、お腹が見えた。可愛いおヘソのとなりに、小さな、赤い痣も、見えた。 帰りのバスでは、疲れて、二人とも眠ってしまった。 健ちゃんの手には、透明なビニール袋が、しっかりと握られていて、中には、たくさんの蝉の脱け殻が、入っていてた。二人で集めたのだ。 大合唱を続ける蝉たちに対し、脱け殻は、バスが揺れる度に、カサカサと微かな音を立てていた。 バスの乗客はあたし達だけだった。二人とも、すぅすぅと、寝息を立てて、よく眠っていた。 お陰で、マンションから一番近い停留所の、二つも先まで、乗り過ごしてしまった。 今も、あのでかい熊の人形の付いた、えらいファンシーなブリキの缶が、小さな鏡台の角に、ひっそりと置いてある。 もし、地震が、火事が、起きたとても、あれだけは、絶対に持っていくだろう。 何が、あっても。 健ちゃんも、あたしが書いた、あの手紙を、持っていってくれた。子供の、汚い文字で書かれた、拙い手紙を、持っていってくれた。 あれは、あの頃のあたしの、二十歳の健ちゃんへの、精一杯のラブレターだった。 結局、二十歳の健ちゃんに、出会うことはなかったけれど。 一緒に、居てくれるだけで、よかった。 隣で、笑っていてくれるだけで、よかった。 二人一緒ならば、あたしには、それだけで十分だったのに。 呆れるくらい、蝉が騒いでいる。 今年も、夏が、来たことを、知った。
2007/05/20 01:24:36(Nya29USS)
投稿者:
久美
◆AaG7b5qL9Q
毎日更新していないか楽しみにチェックしています。
甘酸っぱい青春…切ないですが懐かしい気持ちにさせてくれます☆
07/05/22 22:17
(S0L3MTMN)
投稿者:
'A`)
前回レスしそびれて冷や冷やしてたぜ
缶って1話目にちょっと書かれたてたやつか。 あれがここで繋がるのかよ。 どんだけ壮大なんだとw
07/05/23 17:01
(Ok8Fa91M)
投稿者:
菊乃
◆NAWph9Zy3c
幸さん、久美さん、
そして、('A`)さん。 ありがとうございます。 やっぱり、書き込みがあると嬉しいものですね。…興奮してしまいます(笑) 有難いことですね。 「えらいファンシーな缶」の件に気付いた貴方の脳年齢は、かなり若いと言えましょう(笑) これからも、読んで頂けたら嬉しいです。
07/05/23 20:37
(eeIy4xGA)
投稿者:
トモ
毎回楽しみにしています!できる事なら書籍化してほしいくらいです!
あまりレスできませんが、頑張って下さい!
07/05/23 23:00
(s3tfq1Dk)
投稿者:
たぁ
自分もこの作品大好きです(>_<)いつもすごく楽しませてもらってます☆これからも頑張って下さい(^O^)/
07/05/24 15:22
(0CL/Owt.)
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