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1:『無題』八
投稿者:
菊乃
◆NAWph9Zy3c
遅い。遅すぎる。 あたしが待たされるなんて。 ありえねぇ。 腕時計にチラと目をやると、六時七分。 その後、約一分間、溜め息と舌打ちの繰り返しを、何セットか行った。 すると、遠くに、コートを小脇に抱え、ゼェゼェしながら、全力疾走してくるオヤジが一人。メタボ、かつ、ハゲかけ。 その恐ろしい光景を一目見て、急速に帰りたくなった。 何が悲しくて、あたしは、あんなのと待ち合わせをしてるのだろう。 この世の中は、未知なる事ばかりである。 「ごめん、夢ちゃん。はぁ…はぁ…しんどいわ。。本当、ごめんね、待たせちゃって。」 このジャイアンも、あたしのことを 夢ちゃん と、呼ぶ。 活字にしたら、健ちゃんの呼び方と一緒だけれど、一緒にされたら堪らない。 ジャイアンは、声にまで脂が染み付いているのだ。豚カツの下に敷かれた紙だ。ギトギト声だ。 その声で、あたしの名を呼ぶ。 あたしは、無視すること無く、その声に答える。 何故だ。 この世の中は、未知なる事ばかりである。 「…遅いよ。九分十二秒の遅刻。まじ、ありえない。」 と、あたしが言うと、 「めんご、めんご。でも、夢ちゃん、そんな細かいこと言ってると、ハゲちゃうよ?俺みたいに。はははッ」 と言って、ジャイアンは笑う。 めんごって…。軽い吐き気と共に、殺意すら抱いた。 それにしても、懐かしいやりとりだ、と思った。 「ねぇ、夢ちゃん、食事だけど…マックとサイゼと、どっちがいい?」 と、聞いてきた。 「……。」 何故、その二択なのか。それに、オヤジならばオヤジらしく、サイゼリアと言えばよかろう。 そう思ったので、 「どっちも嫌だ。。あんたのアパート、この近くでしょ?家でいいじゃん」 と、言うと 「あぁ、宅飯?いいけど…汚いよ?それに、嫁入り前の女の子が、一人暮らしの男の家に、上がり込んだりして、いいわけ?」 と、ジャイアン。 宅飯 と書いて、 タクメシ と読むらしい。…だからどうした。 それに、散々ヤっておいて、今更… いいわけ?じゃないだろう。 それなら、責任をとってもらおうか? ダラダラ歩いて十五分。ジャイアンのアパートに着いた。 レトロと言えるほど程、古くもなく、キレイと言えるほど、新しくもない、アパート。 アパートの前には、ひょろりとした椿の木が一本、植えてあった。 盛りを、少し過ぎて、花は散りかけだった。 花は、せっかく美しいのに、すぐに散ってしまう。残念なことだ、と思う。 だけど、全く散ることのない、永遠に咲き続ける花があったとして、そんな花など、本当に綺麗だろうか。 風に舞う、桜の薄ピンクは、はらはら と散るのに対して、 椿は、濃い紅色の大きな花びらが、花そのものが、ぽたぽた と散る。 深紅の絨毯の真ん中に、すっくとそびえる、椿の木。 ぞっとする程、美しかった。 表札には、剛田武 とある。…偽名では、なかったか。 本人は、汚い と言っていたけれど、彼の部屋は、あたしの部屋の数倍は片付いていた。 あたしの部屋と、決定的に異なるのは、とにかくモノが少ないことだ。 殺風景とも言える。 冷蔵庫の中にあった、有り合わせの物で、何か作ろうと思った。 鶏とたまごのそぼろ丼と、三つ葉と海老団子のお吸い物、小松菜とおかかのおひたし。 わりとよく出来た。庶民派の薄い味付け。 ジャイアンは、旨い旨い、と言いながら、モリモリ食べた。 そして、あたしが料理できるなんて、かなり意外だ、人は見掛けによらないもんだ、と、かなり失礼なことを次々に、さらりと言ってのけた。 ジャイアンよりも先に、お風呂に入った。 お風呂はまったくイケてなかった。湯船はかなり狭い。 せっかくなので、泡風呂にした。その上、外に散っていた、椿の花びらの、傷の少ないものを、たくさん拾ってきて、軽く洗って、浮かべた。 真っ白な泡に、深紅が映えた。 ふと、横を見ると、少し曇ってぼやけた鏡に、自分の姿が映し出されていた。 純白の泡と、椿の紅い絨毯の真ん中に、すっと、あたしの裸体があった。長い黒髪を、湯につかぬように結い上げている。 日にあたらないためか、蒼白くて、するりとした、薄い背中に、紅い花びらが一枚、張り付いている。 あの椿の木を思い出させた。 頼りなくとも、一人でも、すっくと立って、一人でも、美しい花を、咲かせなければならない、そう思った。 花びらの美しさに、あたしは、ご機嫌だ。 あんまり綺麗で気持よかったので、 ジャイアンを呼んだ。 一緒に入ろうと思った。 彼は、いつも、明るいところで裸になるのをいやがる。 行為の時は、いつも真っ暗にしたがる。 太っているから、オジサンだから、嫌だ、と言う。 こういう所は、可愛い、と思う。 ジャイアンを誘うと、彼は若干ためらいつつも、服を脱いで入ってきた。 「あんまり、見ないでくれよ」 ジャイアンは恥ずかしがり屋。なんだか、おかしい。笑ってしまう。 狭い湯船に、二人。何だか楽しくなってきた。 お湯がこぼれて、お風呂場一面に、花びらが散らばらる。 ジャイアンは、紅い花びらを、両のほっぺに貼って、泡を頭にのせて、少ない髪でモヒカンを造った。 あたしは、ふわふわの泡をたっぷりすくって、鼻の下と顎にくっつけて、チョイ悪なヒゲを造った。 馬鹿らしくて、きゃっきゃと笑った。 あたしたちは、子供のようにふざけ、じゃれあった。 ジャイアンがあたしをくすぐる。あたしが身を捻って暴れるから、さらにお湯がこぼれる。 これが、幸せ だろうか。 湯気の中に、一つに絡まる、二人の男女の裸体があった。 あたしの胸や、首筋、背中を紅い花びらが飾る。 そこに、ジャイアンの舌が這い回る。 湯船の中で、あたしの体が跳ねる。同時にお湯もピチャンと跳ねる。 体がほてる。体の芯が熱い。 ジャイアンが、休み無く、突き上げる。熱い息が、胸に、かかる。 何かに、内側から、絞り上げられる感覚が襲う。 自然に身体がのけぞり、切ない、というより、悲痛な声を、途切れ、途切れに、漏らす。 甘美 とか、そんなやわらかいものでは、無い。もっと、ずっと、激しくて、強くて、速いもの。 これが、幸せ だろうか。 あたし達は、お互いに、相手の何かを奪い合うように、身体をくねらす。 汗と、お湯と、泡で濡れた肌を、風呂場の蛍光灯が照らし、二人の皮膚は、粘膜のよう。 曇った鏡は、この世で一番なまめかしく、淫らで、下品で、汚く、美しい塊、を、映し出していた。 足の指先が、背筋が、こわばる。 終わって、果ててしまえば、あたしはまた、一人ぼっちだろうか。真っ暗闇に棲む怪獣に、食べられてしまうのか。 嫌だ。…怖い…悲しい。…寂しい。 狂いそうだ。 これは、罰か。そうだ。罰だ。 悲鳴に近い、声をあげた。 お湯の水面の動きが、更に激しく、なる。 ジャイアンも、果てが、近いようだ。 彼の身体に、しがみついた。 あたしを、置いて、行かないで。 「…中で…いいよ…」 ジャイアンには、答える余裕もないようだ。 お湯がより一層、大きく跳ねて、真っ白い泡が、ピチンと弾けた。 タオルで、髪の水滴を拭いながら、缶ビールのプルトップをプシュと開けた。 「夢ちゃん、今日、大丈夫だったの?…安全日? 」 と、缶ビール片手にジャイアンが問う。 「…うん。」 とだけ、答えた。 あたしが母親に、なるわけ、無い。なれるわけ、無い。 子供なんて、出来るはず、無い。 あたしの身体に、幸せ が宿ることなんて、有り得ない。 生理は、止まってしまっていた。 神さまなんていうのが、居たとして、あたしが、幸せの、夢の、希望の、そして、輝かしい未来の集合体を、産み落とすことを、許すはずが、無い。 そりゃ、そうだ。 だってあたしは…。 奪ったから。 …幸せ も、夢 も、希望 も、輝かしい未来も、全部、奪ってしまったから。 これは、罰だ。 そう、思った。
2007/04/22 19:02:10(vT6Q.DkS)
投稿者:
菊乃
◆NAWph9Zy3c
そう言って頂けると、嬉しいです。
ありがとうございます。 自分の中では、もう結末を決めてあります。 今は、書くことが楽しくて仕方ないので、どんどん載せたいです。
07/04/23 22:01
(eqeCy63f)
投稿者:
ケイ
お疲れ様です。
毎回楽しませてもらってます!ホントありがとう! 直接的な表現をしなくても何をやってるか想像できる 文章の上手さは素晴らしいと思う。言葉の選び方が好きです。 結末が既に決まってるんですね、当たり前ですが いつかこの話が終わってしまう事を実感してちょっと辛いっす。
07/04/24 11:30
(C6Cs.l89)
はじめて読みましたが、すばらしい。
すばらしい言葉の並びと、なんとも言えない表現力に感動すら覚えた。 詩人になれるのでは? 内容的に始めて読んだので、環境がよく分からないが表現はすばらしい。 また読みたい。
07/04/25 18:26
(Us27QipZ)
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