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1:『無題』二十一(前編)
投稿者:
菊乃
◆NAWph9Zy3c
あれから、何分経ったろう。何時間経ったろう。 あれから、何日経ったろう。何週間、何ヵ月経ったろう。 思い出せない。今、自分が生きているのかどうかも。 病院に行ったり、警察に呼ばれたり、なんだかとても忙しかった気もする。 学校には行きたくなかった。 ついでに、通夜も葬式も行きたくなかった。 死体の回りに、写真だの、花だの、フルーツだの、線香だのを綺麗に並べて、坊主が陰気な唄を唄って。 みんなお揃いの黒い服を着て、下を向いて、いかにも悲しそうな、「葬式用」の表情を顔に張り付けて。 そんなものはみんな茶番だ。 馬鹿らしい。死んでしまった体に、いくら手を合わせたって、健ちゃんは救われない。 その茶番にしたって、健ちゃんの場合は、かなり小規模で、ひっそりと行われたという。 もちろん、お父さんも、お母さんも、連絡がつかなくて、遠い親戚が葬儀を取り仕切るから、ということもあっただろう。 しかし、一番の理由は、おそらく別にある。 世間は、健ちゃんに冷たい。 それは、生きているときも、そして死んでからも。 「自殺」という死に方が、世間に与えるイメージ。 「弱い人間」というイメージ。 健ちゃんが、どんな苦しみに耐えてきたのか、知りもしないで。 テレビで、健ちゃんのことを報道しているのを、たまたま見掛けた。 美人の女性キャスターが、全くの無表情で原稿を読んでいる。 画面には、「中三男子 自宅マンションの屋上から飛び降り自殺」と短いテロップが付いていた。 この番組は、健ちゃんを含め、四人の人間の死を伝えた。 明日は何人の死を伝えるのだろう。 そうやって、毎日、たくさんの死を消費してゆく。 合間合間に、コメンテーターが世間を代表するように、当たり障りのない意見を述べる。 世間はいつも勝手なことばかり言っている。 何とでも言えばいい。 インターネットでも、ワイドショーでも、批判するしか能がないなら、死ぬまでケチばかりつけていればいい。 もう、何も無い。 失ったあたしは、幽霊のようだった。 生きているのか、死んでいるのか。 きっと、今あたしの身体は、薄ぼんやりと透けていよう。 一層、このまま闇に溶けて消えてしまえれば、どんなにか楽だろう。 失ったあたしは、幽霊のようだった。 だけどそんな幽霊にも、行かなければならない場所があった。 まだ、やるべき事があった。 久しぶりの外出だった。 バスに揺られていた。 かつて、健ちゃんと二人で座った座席。 今はもう、あたし一人。 もう、独りぼっちになってしまった。 赤信号でバスはゆっくりと止まった。 ふと見た窓の外には、晴れた空、幸せそうな老夫婦、笑いながら走り回っている子供たち。 灰色に、輝いている。 その全てが、あたしにはまぶし過ぎて、顔を上げていられなかった。 世界は、終わったはずなのに。 以前と何一つ違わぬ様子だった。 ただ色が違うだけ。 瞳を焼き潰すような眩しさから目をそらして、自分の爪先を、じっと耐えるように見つめていた。 青信号になって、バスは再び走りだした。 あたしは一生、眩しい青空から、目をそらして、下を向いて、暗い曇り空の中を生き続けなければならないのだろうか。 健ちゃんのいない、灰色の世界で、幽霊のように生きていかなければならないのか。 バスはあたしを隣町へ運んだ。 目的の場所は、バス停から歩いてすぐのところにあった。 図書館だ。 あの暑い夏の日、健ちゃんと二人で宿題をした、あの図書館。 あの日は二つあった影が、今は、一つになっていた。 図書館の中には入らずに、裏へとまわった。 敷地内にある、大きなクヌギの木。 その木の根元、一ヶ所だけ土がこんもりと盛り上がっている所があった。 一度堀り返され、その土を元に戻した跡だろう。 健ちゃんが生きていた跡が、こんなところにも残っていたのか。 あたしは狂ったように土を掘った。 目的のものは、案外すぐに出てきた。 ビニールに包まれた、ブリキ缶。大きな熊の人形が付いた、えらくファンシーなブリキの缶。 時間が止まっていたように、あの日のまま、変わってなかった。 あたしたちが、変わり過ぎたのか。 あたしも、健ちゃんも、何一つ変わっていなかったのに。 ただの子供だった。 二人でいられたら、それだけでよかった。 青空の下、二人で手を繋いでいたかった。笑っていたかった。それだけでよかった。 それは欲張りだったろうか。 それは贅沢だったろうか。 蓋を開けた。 中には、小さく折り畳まれた原稿用紙が一枚、同じ様に折り畳まれたレポート用紙が一枚、小さな巾着袋が一つ、入っていた。 まず、一番上にあったレポート用紙を開いた。 最近書かれたものだろう。 もしかしたら、今までの出来事は、全てジョークだった、と書いてあるかもしれない。 綺麗な文字が並んでいた。 「夢ちゃん へ 約束を、果たせなくてごめんね。 あなたはとっくに気付いていたと思うけど、俺、いつからか、意識と身体が、ちぐはぐになってたんだ。 閉じ込められることより、皮膚を切られることより、そのことが一番、恐かった。 嫌だ、痛い、と思うのに、身体は喜ぶんだ。 それが恐かった。 いつか、意識も盗まれるんじゃないかって、恐くて、恐くて、たまらなかった。 あなたはもしかしたら、泣くかもしれない。 でもね、俺が壊した身体は、俺が壊すずっと前から、もう壊れてた。狂ってた。 あなたを愛さない身体なんて、あって何の意味があるだろう。 壊してはじめて、飲み込まれかけてた俺の意識は、自由になれる。解放される。 こわいことも、かなしいことも、ないよ。 泣くことでも、ないんだ。 俺は、消えて、無くなって、終わったんじゃないよ。 自由になっただけ。 荷物を軽くして、また始まるんだ。 あなたには、何度だって 出会うよ。必ず、見付けるよ。 姿を変えても、形を変えても、何度だってあなたのところに行くよ。 今は何だか、遠足の前日みないな気分なんだ。 きっと今までより、素敵なことが待ってる。 もしまた、同じ人生なら、何度だって繰り返して、何度だって、あなたを愛すよ。 わがままを、許してね。 約束は、必ず、果たすから。 それじゃ、また、ね。 健」 あたしには言っていることが一つも理解できなかった。 ただ一つ、分かったのは、これがジョークでもドッキリでもないということ。 嘘ばっかりだ。もう、会えるはずない。 また会えるなんて、ありえない。 もう、会えないんだ。 もう、会えない。 嘘ばっかりだ。 目の前が真っ暗になった。 地面から、「健ちゃんは死んだ」という悪夢のような現実がフツフツと湧いてきて、それが足の裏を通して、身体中に広がっていくのを感じた。 どうせなら、一緒に死なせてくれたらよかった。 したら、ずっと一緒にいられた。 健ちゃんが、また再び会いに来るのを待っていたら、あたしは多分、会える前に、自分を失ってしまう。 この世界のどこにも、もう健ちゃんはいないなら、この世界のどこにも、もう居場所など無かった。 もう理由も無かった。 缶を胸に抱いて、駅に向かって歩き出した。 あたしが健ちゃんに会いに行こう。 健ちゃんのところへ、行こう。 涙を流しながらも、何だか嬉しくて嬉しくて、笑みが溢れる。 もう最高におかしくて、声を上げて、ゲラゲラと笑った。 嬉しくて、おかしくて、笑いながら走り出した。涙がボロボロ溢れた。 心が、割れるのが分かった。
2007/09/21 00:15:45(MrB9Izz.)
投稿者:
たぁ
私もあの行間が好きです!私は間がなく画面にびっちり文字があると、何故か目眩?がしてしまうのであの行間は正直助かりますf^_^; 他の読者さんのよぅにイィ言葉で励ますことは国語が苦手な私にはできませんが、あの行間も全て含めて菊乃さんの作品だと私も思います。その作品が私も大好きです(^O^)/落ち込む気持ちもすごくわかりますが、こんなにたくさん応援してる方もいます。頑張ってください(>_<)文が下手でごめんなさぃ。
07/09/26 03:58
(0uqsIspS)
投稿者:
菊乃
◆NAWph9Zy3c
夢兎 さん、たぁ さん、書き込みありがとうございます。
全ての人に、良い と言って貰いたいというのは、贅沢過ぎるのでしょうね。 まぁ、この話もあと少しなので。 こんなにも沢山の方々が応援して下さるので、それに応えられるよう、頑張りたいと思います。
07/09/26 20:44
(2FQMIZoX)
投稿者:
ゆー
私も、菊乃さんの小説の雰囲気が大好きです。
携帯で見ているのですが、読みやすいですよ(*^o^*) もう少しで終わりだなんて、寂しいです。 何も力にはなれませんが、最後まで楽しみにしていますね。
07/09/29 00:12
(fDSQjihy)
投稿者:
ゆう
書くことで自分を追いつめてしまう‥
今回の事が菊乃さんにとって良いことへ繋がるように祈っています。
07/09/30 23:26
(/pSzA8.t)
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