ごめんなさい。
語弊があったのであれば謝ります。申し訳ございません。
これは私が16歳の時、足の手術のために入院したある日の出来事です。
確かに上に書いたような事はありましたが、自らその看護婦さんに対し
「裸を見たいんじゃないのかな?」ということは思いませんでした。
これは本当です。
自分の体を洗って頂いている時は、勃起をさせまいと自分の理性を総動員させまし
た。よく考えてください。私は最後に
「その看護婦さんのことが大好きで、おねーさんと呼ばせて頂いていたほどです」
と書いていますよね?
そこまで慕っている看護婦さんに対して、たとえ入浴の介助とはいえ
自分の裸を見られるのは恥ずかしいですし、股間を洗ってもらうのもかなり
恥ずかしいものです。
だから必死で勃起をこらえました。理性を総動員させて正気を保ったんです。
そこには「自意識の過剰」はなにもないはずです。
私が看護婦さんになぜ謝ったか?
それは私自身が、その看護婦さんを「女性」として意識していたことに対しての
謝罪です。
(勃起しそうになったり、それで怒られたり、たとえ偶然でも下着を見てしまった
り。。。に対するものです)
本当にその看護婦さんに対し申し訳なく思い、入浴後に着替えを手伝って頂いてい
る時に「ごめんなさい」と自然に口からその言葉が出ていました。
一瞬「何が?」という顔をした看護婦さんでしたが、すぐに意味を理解して
くれました。「気にしないほうがいいよ」という看護婦さんのその言葉は
そういう意味であったと私は信じています。
入浴の介助が仕事の一環であることも、またそれがキツイ力仕事であることも、
十分私は患者の立場で理解しているつもりです。
私は看護婦さんの仕事の様子を目にする機会が多いので、実感させられます。
その看護婦さんのこと、私は今も憧れていますよ。
その方は、私との「看護婦は絶対にやめないで」という約束を、
今でも守ってくれています。
私はその看護婦さんのことを尊敬していますし、ひととしても大好きです。
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