minority的な生き方について、個人間ではやはり違うと思いますが、なかすれさん
の生き方には非常に共感をおぼえます。そして、「minorityとこの掲示板の
majorityが交わる部分についてのみ投稿するようにしてみてはどうでしょうか?」
というご意見も理解できます。
ただ、majorityとminorityが交わることは非常に困難であると思います。
交わるためにはminorityがmajorityに組み込まれた上で、自らの存在を主張するこ
とが必要でありますし、またmajorityが自らの範囲の中にminorityというものが存
在するということを認識し共存しようとする意思が大事であると思います。私やな
かすれさんをminorityとするなら、私たちのみでなくmajorityにもある程度私たち
を受け入れる心構え、あるいは努力が必要であると思います。
ですから、なかすれさん。是非私のみでなくここを閲覧する人全てにそういうこと
の重要さを喚起してください。あなたなら可能でしょう。
さて、余談についてですが、戦争時代に国民が戦争を享受できたことはそういった
教育をされていたからというご意見がありましたが、私はそれを否定してはいませ
ん。そういった教育をされたことも事実でしょうし、それによって国民が一種のマ
インドコントロール的なものに陥っていたことは確かなことです。
>戦争当時の人たちは疑問があったとしてもそれが当たり前だと思っていたと聞い
ています。(なかすれさんのレスから抜粋)
それが、私が述べようとしたことです。
「本当は戦争というのはやらないほうがいいのに、世論が戦争肯定に傾いてしまっ
たため、悲惨な状況を産むことになった。」これがさっき私が述べた戦争当時の国
民の動向です。
本当は戦争などやりたくない、どうして戦わなければならないのだ、という疑問が
あったでしょう。家族が離散し、愛する息子が戦争に狩りだされ、空からは悪魔が
降ってくる。しかし、お国のためにはそういったことを度返ししても戦わなければ
ならない。それが当たり前なんだ。そういう気持ちになった原因の一つにはやは
り、当時のそういった教育があるでしょう。
おわかりでしょうか?少しわかりにくいと思いますので、簡潔に述べますと、
なかすれさんのいう、私の「現代の常識で見た考え方」は決してなかすれさんの戦
争に対する考え方と異なってはいないということ。つまりなかすれさんの戦争に対
する考え方も現代の常識的な考えの中に含まれるということ。
現代の常識的な考え方からはずれて当時の戦争について語るのは戦争体験者以外は
ほぼ不可能でしょう。私たちは、まず戦争について知り、私たちの限られた常識の
中で戦争を語り、それぞれが戦争に対する「答え」というものを導き出していかな
ければならないと思います。
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