久古さんがトライした選択肢は、セックス前提の人たちが集まる”サービス”を選んでいるように見受けられます。
そうではなく、久古さんが今までにやってみたいと思っていた、打ち込めるもので、例えばですがバンドとか登山部とかチームスポーツのような他人が自分の行動に関わる趣味、あるいはボランティアのような他人と交流が生まれるような活動、それらから始まる人間関係です。
セックスのセの字もないような事柄によって形成された人間関係から、(古い倫理観ですが)順当にセックスに到達してみてくださいということです。
セックスありきではなく、人間関係ありきで、その人との関係性を醸成させてみてください。
なぜならば、セックスできることが決まっている状態では、その女性に治療やリハビリの意思がない限り久古さんのトラウマにアプローチできないと考えているからです。
仲良くなる人の中にはもちろんセックスに至らないことはあるでしょう。でもそれはセックスをしない良好な人間関係、友人が残るはずです。
セックスを克服したい気持ちはわかりますが、そのエゴ、そのトラウマを通して見た世界ではなく、フラットな久古さんが接した世界から、一緒に居て楽しい女性と出会えるまでを試行してみてほしいという思いでした。
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