若者にとっての性教育が、AVに頼り過ぎるようになると、そのAVで行われている行為が、全ての手本になってしまいます。
ですから、AVが普及した頃の恋人同士の間で、「顔射」なる行為が流行ってしまった!
これをテレビに出て来る「知識人」と呼ばれる人たちは眉を顰めたものです。
そもそも、「顔射」と言うのは、モザイクが大きく、実際にはセックスをしていない疑似セックスを録画していた頃のAV監督が、苦肉の策として映像化した産物です。
つまり、AVで女優さんはセックスをせず、演技をしているだけなのですから、「中出し」なんて映像は作れません。お腹の部分やお尻に精液を掛けるようなシーンもありましたが、それでは面白くない。
AV女優さんが、絶頂に達した!と言う体の顔をしているところへ、射精をした方が、映像的に価値がある!そう判断しての撮影法です。
ちなみに・・・この射精も、当時は偽物です。
勃起した男性器は本物であるにしても、その下に管を隠し、そのチューブに繋がった注射器のシリンダーを一気に押すことで、乳白色のローションを噴き出す。
性のおける快感の深み・・・。
セックスにしても、プレイにしても、人格を持った人間同士が行うことなのですから、お互いの間で信頼関係が出来ていなければ何も始まらない、と言うのが、本当のはずです。
私は、これまでに何人もの女性とSMプレイをしてきましたが、早くても一カ月半、遅ければ三か月ほど、SMの話だけではなく、過去の性体験の話をしたり、オナニーの話をするなど、お互いのことを知り合う為に、多くの時間を費やしていました。
そして、相手を信頼することが出来るようになれば、初対面であっても、お互い、他人には話せないような秘密を知っている!そんな親近感を抱きながら、プレイに入って行けます。
セックスにしても、アナルセックスにしても、SMにしても、相手を信頼していればこそ、快感に対して素直になれるものですし、そうした素直に快感を受け入れることが出来れば、最高の幸福感が得られます。
アナルセックスでは、気持ちをリラックスさえしていれば、太い大便を出した際の感覚に近いほど楽に、男性器を受け入れられます。
また、SMと言う被虐的な世界であっても、お互いが信頼し合っているからこそ、「プレイ」(名詞で「劇」、動詞で「遊ぶ」)に没頭することが出来る!
恋人関係、夫婦関係、不倫関係であっても、どんなプレイをするにしても、全ての原点は、お互いが信頼関係を築けるかどうか!?の問題だと思いますよ。
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