先日、YAHOOのトピックスにも取り上げられていましたね。
コメント欄には、案の定、否定的な意見が多かったです。
しかし、ほとんど読んでもいない、偏見だけで書かれていたのが残念でしたね。
勿論、肯定的に捉えられる話ではないでしょうけど、本の内容とかけ離れた動物虐待と言いたいだけの様な、結局、ただただ、上から自分の意見を言いたい人の集まりなのだなと思いました。
本の内容ですが、単に獣姦を語っているわけではなく、動物性愛とはなんなのか。深く考えさせられる内容ですね。
それと先のYAHOOのトピックスに寄せられたコメントの中で、動物虐待だという意見に発情の処理云々の話が出ていたのですが、処理するために交尾の相手をする人に対し、去勢すればいいと言ってくる人がいて、動物が人に発情することは無いし、去勢すれば問題ないと、動物の意思を無視して獣姦をするのが間違いだという意見を見て、じゃあ、去勢される動物の意思は、どこにあるんだろうと、去勢は虐待に当たらないのかと考えさせられました。
人と共に生活する以上、ペットは、ある程度、抑制された生活を余儀なくされると思います。
それでも、犬は、野生の狼から飼われる犬へと進化(?)し、人と暮らし、人の役に立つことに喜びを覚えているのだと私は感じています。
だからこそ、芸を覚えたり、仕事をしたりするのだと。
そういった調教は、虐待には当たらない、人との生活の為に本能を抑えるように躾けることは、虐待ではないと言うのに、人に欲情する、もしくは、人と交尾するようになった動物は、虐待の結果だと、一概に決めつける人が、結構、多い事が悲しかったです。
勿論、それで、動物性愛者が正当化されるなんて言いません。
でも、一方的に否定される存在でもないと思いますし、本著を読めば、動物性愛者=獣姦をする人と、一方的に動物に情愛をぶつける人の事を書いているわけではないことが、判るのに自分の常識こそ、正しいと盲目的に言っている人ばかりだったのが、怖かったです。
LGBTの性的マイノリティが、漸く公でも議論されるようになった昨今でも、まだまだ、動物性愛者は、その議論の土壌にも上がれない虐待者扱いなのが。
認める認めない以前の虐待者とされてしまう、ただ、動物を飼うという行為が、そもそも、動物の本能を殺す虐待と違うのかと思いました。
※元投稿はこちら >>