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江戸時代に描かれた漁師とエイですが、その時代から農耕や荷運びに使われていた牛や馬とも関係があった様ですね。
大阪から江戸へと長距離に至る荷運びの従者は好んで牝馬を選び、貧乏な彼等は僅かな食料で夜は野宿をしながら長旅を続け、溜まった欲求を牝馬の陰部で癒していたそうで、牝馬と交わる男は馬戯けと呼ばれていました。
農耕に使われる牛も、開けた村では力強い雄牛が求められる反面、奥地の村では雌牛が好まれ農作業と女の代役を勤めていました。
人里離れた山村や農村では若い女は町へ出稼ぎに行き、残った僅かな中年女は人妻であっても村人の夜這い対象となり共有され、女の少ない村では老女までもが夜這いを受けていました。
ある村では色気付いた若者が夜這いを始めるには、その村の長老の妻の許可を得る事が必要で、それを求めて来た若者に妻は自ら筆下ろしの相手となり吟味したうえで許可を出していました。
長老の妻は村で一二の高齢でありながら、村の一番人気で相当な名器の持ち主だったのでしょう、老いも若きも関係無く男達は毎晩の様に誰かしら長老の妻へ夜這いに訪れ、多い日は一晩に四人の相手をこなしたとあります。
その噂に別の村からも希望者が現れると、長老は村外の者からは酒や米などの貢物と引換に妻を与え、貢物の内容で一度の行為から一晩中の行為まで許していました。
夜這い風習のある村でも人妻への夜這いは、その日の夕方に亭主へ酒を渡す事が合図とされている事が多く、受け取れば了承した事になり亭主は酒を飲みながら隣の部屋で夜這いが済むのを待ちますが、女房のヨガリ声が上がりだすと壁を蹴って怒ったそうです。
そんな村でも亭主の居ない昼間などに、許可無く女房に近付き迫る事は禁止されており人妻も受け入れる事は無く、もし交わったなら二人とも罪に問われ追放もあったとされますが、夜這いで特に相性が良く満足させられた男とは亭主に内緒で密約を交わし留守を狙って呼び寄せ、聞き耳を立てる亭主を気にする事無く男と楽しんだとあります。
同じ様な村の状況で、夜這い風習の無い村に住む男達の欲求は貧乏で牛や馬を所有する事ができず必然と犬へ向けられたとあります。
雌犬の飼い主は、外で繋ぎ止めていると夜な夜な交わりに来る男達が後を断たず、夜は家の中へ隠してしまう者も。
また独り者の男に女房が襲われる事を心配する者は、わざと納屋に雌犬を繋ぎ男が交わりに来るのを黙認していたそうです。
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