なぜその時,初めて会った男に話す気になったのか‥
今でもわからない。
「北海道のどこへ?」
それさえも決めていなかった。
ただ憧れに近いものを感じていた小樽と言う街を見てみたかった。
「小樽と言うところを‥」
「そうですか。何か困った事があったら連絡をしてきなさい。」
そう言って名刺の裏に連絡先の電話番号を書いて渡してくれたのだった。
「私は‥」
その時になって免許証しか身分を証明するものを持ち合わせていない事に気づき,恥ずかしくなりながらペンを借りて備えてあった案内の紙の裏に携帯電話の番号と名前を書いて渡したのだった。
「あれには‥」
初老の男がこぼす様に漏らす言葉に耳を傾けていた。
意味ありげなカップルと思っていた夫人とは3度目の再婚相手である事。
成人した子供達からは反対された事を聞かされたのだった。
男も旅先の気安さもあったのだろう。
初めて会った私に愚痴に近いものをこぼしながらも,夫人への愛を語っていた。
「良かったら朝食を一緒にどうですか?」
遠慮をしていると
「携帯電話を鳴らさせてもらいます。つまらない話しに付き合ってもらったお礼をしないと。」
断るより先に男は立って出て行ってしまったのだった。
差し出された名刺には聞いた事のある乳製品メーカーの会長職となっていたのを見て驚いた。
景色の中に横に流れる雪が映り始め,何もない大地が白く染まっているのが時折見える街路灯に映っていた。
個室に戻り,本を読んでいるうちにいつしか寝ていた。
うとうととしながら青函トンネルに入るのを車内アナウンスに流れたのをおぼろげながら覚えている‥
失業してから早起きする習慣もなくなっていた。
列車の揺れに何度か目を覚ましながら旅をしているのだと思い起こされては眠りの中にいた。
そして‥
携帯電話の呼び出し音に起こされて見ると見覚えのない主からの番号が執拗になっていた。
「牧方です。まだ寝ていましたか?」
牧方‥?
間違い電話かと思い返事をしようと思った時,昨夜の男からの誘いを思い出した。
「いえ‥大丈夫です‥」
「失礼とは思いましたが‥いかがです。30分後に予約してあるので。」
図々しくも朝食をご馳走になる事にして,約束された時間に食堂車へと向かったのだった。
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