荷物を解き,暖炉の灯されたリビングへ降りて行くと牧方氏が隣に座る様に言ってくれた。
「おしゃべりに付き合わせたら可哀想よ。疲れてるでしょう‥お風呂入ったら。」
「そうだ。昨夜も遅かっただろうし‥今夜は早く寝ると良い。」
「はい。ありがとうございます。」
「少し飲むかね。」
テーブルに置かれたワインを注いでくれると,夫人が
「チーズも美味しいから食べてみてね。」
と皿に盛り付けたチーズを勧めてくれた。
「お隣の牧場で作ったのを分けてもらったのよ。」
ゆっくりと‥時間が流れていく‥
東京での生活では考えられない事でした。
父親ほども年の離れた牧方氏と夫人の子供となった様に‥
とても落ち着けて,安心できるのでした。
「長い人生の中で振り返り見つめ直したり,先の事をゆっくり考えるのはとても大切な事だ。ゆっくりすると良い。」
ありがたい提案ではありましたがお二人にそこまでしてもらう理由もないところです。
そのままを話すと
「では,こうしたらどうかな。私も家内も正直なところ,毎日顔を突き合わせて二人だけでいるとささいな事でぶつかる事もある。見た通り,二人共に意地っ張りなものだから一度ぶつかると3日も4日も尾を引いてしまうのが常だ。そこで君に二人の緩衝材になって欲しい。老い先短い人生で3日と言えどもつまらない時間を過ごすのが勿体無いから。どうだろうか?」
「はぁ‥何をすれば‥」
「いてくれれば良いんだよ。もちろん君は時間を好きに使ってくれて構わない。」
こうして,何の血縁も利害関係者もない牧方夫婦の家に居候をする事になったのでした。
最寄りの駅までは一時間以上も掛かる雪深い山の中で‥
就職の世話をしてくれるはずでしたが,一向にその気配もなくたまに近くの酪農家の手伝いをしたりする位しか仕事らしい仕事もなく,牧方氏は自分の子供の様に接してくれるのにいつしか甘えていたのでした。
週に一度ないし二度ほど牧方氏は会社の顧問として出掛ける事がありました。
送り迎えに車を運転する度に
「すまないな。たまには札幌にでも出て遊んできても良いのだよ。」
と優しい言葉を掛けてくれるのです。
「それよりも,仕事を見つけないと‥」
「慌てる事はない。山に囲まれて年寄りの相手じゃ可哀想かな。」
「そんな事は。」
いつも同じ話しの結末になるのでした。
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