社会は責任を取らないし、取れないと思います。
社会とは一つの枠の中にいる人々の集まり。
法律とは人々の集まりである社会の最低限のコンセンサスです。
個人が個人を殺し、社会が犯人を法律を基準に死刑にする。
そのときどきの時代により基準は変わるが、犯人が罰を受けることは当然だと思います。
基準たる法律は人々の集まりである社会が決める。
死刑にするのは社会でも法律でもなく自分を含む人々の集まりの共通の意思です。
主さんがためらっているのは死刑執行のボタンの一部を自分が押すことに対するためらいだと思います。
積極的に押したいボタンではないですが、社会の一員としては社会の存続のため仕方ないのではないでしょうか?
もちろん事前に十分審議されることが前提ですが。
人は人とのつながりでしか癒されないと思います。
社会が個人に出来ることは少ないと思います。
被害者にも遺族にも加害者にも加害者の家族にも。
被害者と遺族の方々にお悔やみ申し上げます。
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