もうレスつけなくてもいいから読んでくれてたらうれしいです。ふぅさんと私、ふぅさんの旦那さんと私の旦那はそれぞれ同一人物なんじゃないか(笑)と思うくらいそっくり。私も気分によっては旦那がいるとイライラするときあります。でも逆に帰ってくるのが遅くなると不安になることありませんか?「愛されるのを待つのをやめた」とふぅさんは書いているからもうそんなことはないのかな。ふぅさんは「旦那さんを憎むふぅさん」にさらに煽られてるところがあるんじゃないかなぁと思ったりしてます。負の自分を消して一回いろんなこと(旦那さんの嫌なところだけじゃなく良いところ(人前で優しいところも良いところに入れてあげよう)とか、想像できる範囲で離婚に伴うエトセトラ(子供の預け先、仕事先)など)を考えてみたらどうですか?その時は雰囲気の良いカフェとかレストランとかで一人で。嫌かもしれないけどちょっと旦那さんに甘えて(ふぅさんに甘えられたらOKしてくれるよ!)子供見ててもらって。出先から必ずこまめに連絡入れて、帰ったら「ありがとお~」って満面の笑みで言ってあげて。もっと素の自分が分かると思います。
ふぅさんは「何かに縛られて生きていきたくない」って書いてたけど、私もすごくそう思ってたし、今でもたまにそう思う。それってふぅさんは今まである程度全部自分の思い通りになってきたからこその思想だと思うの。私も子供ができる前も好き放題やって急に子供ができて産みたくて産んで。だから私もそんな風に人生やっていける気がしてたの。でも最近はその私の陰で自我を殺した(おおげさかな、我慢してくれたってことだよ)人もいたんだろうなって。親も、友達も、そして旦那も。旦那も家族を持ったことで私と同じくらい沢山のことをあきらめたと思う。昔同じように遊んでた旦那の独身の友達と旦那はもう違う世界にいるもん。ふぅさんの旦那さんもきっとそうだよ。みんなはもっと前から我慢することを知っているのにはずかしながら私はつい最近やっと知ったよ。でも我慢や人を優先させることは屈辱や愚かなことではなく、さらに賢く強く美しい人間になるということだと思う。ふぅさん、ここで我を通して「何にもしばられない道」を選んでも今度はお子さんが「パパのいない人生にしばられて」生きることになるかもよ。ふぅさんはしっかりしていて頭もいいと思う。うまい息抜き法をみつけて発想の転換ができること祈ってます。
一緒にがんばろう。
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