病気で倒れた義父から銭湯を引き継いで以来、定休日を除く毎日、開店後の2時間と閉店前の1時間半、番台に座り続けてきた。
店を引き継いだ38年前、近隣の店舗や住宅、アパートに風呂の設備は普及していなかったので銭湯の需要は非常に高く、商売として十分採算が取れたうえに役得で随分いい思いができた。
地元商店街の女将や嫁、近所の主婦やその娘、近隣のアパートに住む20歳前後の女子大生、20歳代から30歳代前半の独身OL、出勤前のホステスやママなど数えきれないほどの女体をお金まで貰って拝ませて貰った。
番台からは素人女のヘアヌードが見放題だった。
1990年代まではヘアヌードはご法度で、週刊誌のグラビアなどではポルノ女優でも両手で陰毛を隠すポーズだった。
銭湯ではタオルや手で前を隠すのは少数派で、目の前には下腹部にタワシをぶら下げた女の群れがいた。
タワシの濃淡はそれぞれで、黒々とした陰毛からタンポンの白い紐が垂れている女もいれば、陰毛が薄くて縦筋の一部が顔を覗かせている女や、たまにラビアの一部が縦筋からはみ出している女も見かけた。
2000年頃までは皆、茫々と陰毛を生やしていたが、そのうちに長さを整え、ビキニラインの外側を処理した女が増えた。
やがて縦筋の周囲にだけ陰毛を残している女や、陰毛を全て剃り落として子どものように縦筋が丸見えの女も現れるようになった。
形が良い豊かな乳房の持ち主は少なく、多くは貧乳か垂れ乳だった。
胸の膨らみが全くなく、乳首だけが飛び出ているロケット胸も結構いたし、陥没乳首もよく見かけた。
パンティを脱ぐときや湯上り後のカラダをバスタオルで拭うとき、上体を深く折り曲げる無防備な女は多く、ラビアがチラッと見えることもあった。
番台に座り始めた当初は、生々しい乳房、乳首、乳輪、陰毛、縦筋、尻を目の当たりにして、勃起し通しだった。
パンツはガマン汁にまみれ、番台を交代すると溜まりに溜まった精液をオナニーで抜いて、欲望を発散させる日が続いた。
女の裸に免疫ができてからも、好みのタイプや美人だと勃起したし、思い出しオナニーすることもあった。
2010年代以降は利用客が激減。
若い客もたまに見かける男湯と違って、女湯を利用してくれるのは高齢者と中年の女性ばかりだ。
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