14さんへ
前記した通り就職はオーナーの会社です。
学生の頃から会社に出入りし手伝ったりしてましたのでスムーズに
仕事をしていました。
加えて物件の電気製品を総てうちの実家に注文してもらえてたので大変助かりました。
病気がちだった母もいましたが、就職して2年目で父が交通事故で他界、
母も後を追うように半年後に亡くなりました。
僕は実家の電気屋は親戚に任せて、オーナーのマンションに同居しました。
残業もなく春季以外は時間に余裕の有る生活でした。
4時か5時くらいには会社を閉めて買い物に行き、帰ると一緒に風呂に入り、スイッチが
入ると風呂からベットに場所を移してセックスしてました。
オーナーは長年の余白を取り戻すかのように、僕は若さと呪縛から解き放たれたように
毎日お互いを求め合いました。
暖かい時期にはベランダや屋上でも抱き合いました。
休日はというと、オーナーは何でも運転するのが好きで、車はもちろんバイク、船など行動的
でした。
元々バブリーな感じなのでいろんな遊びを一緒にしてました。
仕事柄別荘なども扱っていたのであちこちに泊りにも行きました。
一緒に暮らし始めて6年目、僕が28歳、オーナーが73歳の時に癌が見つかり翌翌年の桜の満開の時期に
息を引き取りました。
闘病生活も沢山の友達とふれあってました。
相変わらずオーナー不在でもホームパーティーは続いてました。
僕がいない時にいつもの3人がお見舞いに行き、自分が亡き後は皆で僕の面倒を固くお願い
してたみたいです。
葬儀後も毎日のように3人で遊びに来てくれました。
喪が明けて最初のホームパーティーは偲ぶ会的に催しました。
みんな70代に突入していましたが、同年代の人よりは遥かに
若々しく見えました。
韓マ「ねぇ、これか先えっちゃんに新しい彼女が出来るまで私たちでえっちゃんの全部の面倒みるからね!」
僕「全部って笑」
ブマ「全部よ~!
こんなおばあちゃんになっちゃったけどA子なんかに負けないわよ!」
僕「怖いな~笑」
化マ「だってA子にお願いされてんだもん!」
僕「分かりました!
じゃあお願いします笑」
その夜4人でベットに入りました。
みんな寂しかったんだと思います。
女性陣は僕よりも女性同士の裸が恥ずかしそうでした。
そんな生活が今も続いています。
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