>>ひろさん
あまり大袈裟にしたくなくて敢えて身内には入院を言わない、というのもたしかにありますよね。
それでも聞いてしまうと「なんで?」と言いたくなるのも身内の情ですよね。なまじ知識があるとついつい言いたくもなるでしょうし。その辺りは素直に感謝と共に受け取るしかないですね。
その前のレスの「タダマン」話題なんですが、これも時代なのかなあと感じる場面もしばしばなんですよね。サイトでお相手を探していると、地方なんかは半数近くはいわゆる割り切り、表現が変えられてはいますが援助交際とか売春なのが現実です。私も過去に言われたことありますし、今のネット環境だと手軽だからリスクも責任も希薄なので普通の人が普通に持ちかける事も増えていますよ。こちらはそのつもりが無い前提で会って、事が終わった後に「少し助けて欲しいんだけど…」なんて経験もあります。トラブルが嫌なので「あ~、そういこと」と渡したりしますが、そういう趣味もないので次はありませんよね。デート代と割り切って考えるのも手ですが、後から来る虚しさといったらもう…。
昭和の男なんで遊ぶ時の費用は基本的にすべて自分持ちが当然と思っています。割り勘という発想自体無いですし、お相手がどうしても出したいと譲らない時以外は出させません。
援助を条件とした出会いそのものは時代のなせる業という面もありますし、バツや独身の女性が生きていくための処世術の面もあるのでまるきりの否定も出来ない部分がありますよね。
でも男としては自分を求められていない、というのが寂しいところもありますから、財布としてしか見られていないのなら無理というものです。
品のない表現ですが、金銭抜きで自分のために股を開いてくれる、そういうのがないとな、と思うのです。
考え古いんでしょうねえw
ではでは!(^^)
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