子供の時はオネショに対して虐待される辛い思いしか感じませんでした。
ところが、大人になって今の自分に幼少の頃の記憶を重ねると年齢的なギャップで倒錯的、背徳的なものを感じてしまいます。
きっとそれが性的な興奮につながっているのだと思います。
おそらく「2(無名)」さんが「小柄な成人女性に性的興奮」されるのも同じようなことではないでしょうか。
娘のオネショはよくある失敗として受け入れられるのですが、自分自身のオネショには性的に興奮してしまいます。
オムツも幼児には単なる夜の下着ですが、私が身に着けると脚を通すだけで濡れてきます。
娘も最近はオネショから卒業しつつあって、オムツをつけるのを嫌がるようになりました。
もうじきオネショシーツもオムツも私専用になるのだと思います。
娘はどんどん卒業していくのに、私は反対に退行から抜け出せなくなっています。
主人と娘には罪悪感を感じつつも、この妖しい儀式の魅力に私は引きつけられます。
昼間一人でいると突然子供の頃の虐げられた記憶がフラッシュバックする感じです。
オネショでオムツを濡らす私。
濡れたオムツを下げられ赤くなるまでぶたれる私。
取り替えられず濡れたままのオムツで立たされる私。
幼児服でオシャブリ咥えさせられ外に出される私。
全部忘れてしまいたいはずなのに、一つ一つを思い起こし性的快感に変えて体を震わせて濡れていく今の私。
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