私のオネショは中学生になる頃にはしなくなっていたのですが、あんな屈辱的な思い出は消える筈がありません。
高校生になっても布団に入るとあの頃の記憶が度々蘇ってくるのです。
「もしも今晩してしまったら、きっと又あの頃のようにお仕置きされてオムツをさせられてしまう」そんな風に思うと不安と恐れで益々あの頃のことを思い出してしまいます。
濡れたオムツを下げられて腫れるまで叩かれ、取り替えることを許されず濡れたオムツをまた上げられ、口にはオシャブリを咥えさせられてベランダに立たされます。
おしっこがオムツから漏れてどうせパジャマを濡らすからと、いつも上着しか着せてもらえないのでオムツ丸見えのスタイルです。
さすがに小学校の高学年の頃は恥ずかしくて情けなくて、オネショの治らない自分が嫌でなりませんでした。
学校のある日は短時間なのですが、夏休みとかは罰の時間が長くて地獄でした。
そんなことを眠る前に思い出していると何故かわかりませんが体が疼くのです。
いたたまれなくなる程の下半身の疼き。
あの頃の恥ずかしさを思い出すほど強く体に走る疼きというか、下半身にうねるような快感を感じるのです。
恥ずかしい幼い日々。
小学生になっても赤ちゃん扱いされた日々。
二度とあの頃には戻りたくない・・・筈のに・・・あの頃に戻ってみたい・・・
と言っても高校生の私がオネショをするわけにもいきませんし、オムツがあるはずもなく、最初の頃はただもどかしさにうずうずしていました。
バスタオルを折って股に挟んで脚を擦り合わせてたこともあります。
そのうちどうしても股の間が濡れている感触を味わいたくなって、お風呂で使った濡れたタオルを下着の中に入れました。
そのままでは下着や布団が濡れてしまうので間にビニールを入れ、災害時の簡易オムツのようにしてみたのです。
初めてしてみた日のことは今でも覚えています。
1階の親に音が聞こえないようにドキドキしながら濡れタオルをあそこに・・・
子供の頃の再現だと思ってたことが実は性的な快感につながることを意識した最初の日だと思います。
湿った冷たいタオルが敏感な部分にそっと触れるだけで電気が走るように、下半身に重い快感がジーンと伝わります。
タオルの端を引っ張ってあそこに強くあてたり引っ張ったり。
息を殺しながらも夢中で続けました。
それがオナニーだと知ったのは少し後のことです。
そのうち親が長時間いないときにタオルに本当におしっこをしてみたこともあります。
やはり実際のおしっこの温もりや匂いは私にとってはこの行為に入り込む大事なスイッチなんです。
とっても異常で、こんなことを言うのは自分でも抵抗があるのですが、正直に言うと・・・
私はおしっこで濡れたタオルの匂い、嫌じゃないです。
それに・・・口に含んで吸ったりしたこともあります。
普通は汚くて、そんな行為は絶対ありえませんよね。
でも私にとっては幼い日の忘れらない香りだし、口に含んでもいいぐらいに愛おしいのです。
社会人になって親元を離れて一人暮らしをするようになってもこの性癖はやめられず、ある日とうとうオネショシーツと大人用のオムツを買ってしまったのです。
オネショなんかとっくに治っているのにベッドにオネショシーツを敷いて10年?ぶりにオネショをしました。
もちろんわざとです。
びしょ濡れのパジャマの感触はあの幼いころの恥ずかしい記憶と一緒でした。
背中までひんやりと濡れて衣類がまとわりつく感触。
恥辱にまみれた幼いころの記憶が鮮明に蘇り、オムツを股に挟み込み悶えてていくうちに恐怖に怯る感覚が次第に快楽に変わっていくのです。
オネショのおしっこの匂いが大好き。
たっぷりおしっこを吸ったオムツの感触が、今では快感以外の何物でもありません。
タオルやオムツを開いてその上にしゃがんでまたがりおしっこします。
濡れたオムツの一部があそこに軽く触れるだけでもビクッと電気が走ります。
オシャブリであそこを刺激して、おしっこの付いたまま咥えたりもします。
子供服を着てスカートをおしっこをお漏らしして、床にできた水溜りに座り込んでおしっこでビショビショにすることもあります。
多分の普通の人には想像もつかないような背徳的で倒錯的な方法でこそ私の心の疼きが満たされるのだと思います。
それ以来何度も何度もやめようと思ってオムツ一式を棄てたり、また揃えたりの繰り返しなんです。
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