結婚する前、まだ、妻とは恋人だった頃、母校だった大学のある土地に出張したとき、卒業で帰郷するために止むを得ず別れた元カノと3年ぶりに再会し、一緒に飲んだ流れで抱いた事があります。
元カノにも彼氏がいたのでダブル浮気でしたが、3年ぶりに私に抱かれた元カノが、
「あぁ・・・この感じ・・・ああん・・・懐かしい・・・」
と喘いでいました。
元カノに、
「俺のチンポが懐かしかったの?」
と尋ねたら、
「うん・・・昔、毎日のように抱かれてたときに刺激された感覚、今の彼とは違ってて、なんだか懐かしい快感だった。今の彼も気持ちいいんだけど、あなたのもまた違う気持ち良さがあるみたい・・・」
と言ってました。
元カノが言うには、あまり日を置かずに違う男性に抱かれたから違いが判ったんだろうって言ってました。
でもそれは、元カノの膣が私の陰茎に刺激された感触の記憶が残っているのだと思いました。
そういう私も、当時の恋人だった妻と元カノの膣の違いをはっきりと感じていましたから、なるほどなと思いました。
つまり、非処女の膣は前の男の陰茎の記憶が残っているということになります。
私は大学時代に処女だった女子高生と付き合っていたことがありますが、初めてのセックスでは陰茎に対する免疫がなくて、触れるのも恐る恐る、まして舐めることには抵抗を感じていたようです。
それでも、歯の浮くような愛の言葉を並べ立てて、フェラをしてもらいました。
そして、今でも忘れられない破瓜の瞬間、初々しい16歳の体を震わせた女の子が、初めてのセックスで涙を流して、
「私・・・一生忘れない・・・」
と言ったあの女の子のことは、私もいまだに忘れられません。
初々しかった女子高生も、1年後にはクンニに喘ぎ、喜んでフェラして、騎乗位でヨガるようになりました。
つまり、それは慣れたということです。
股を開いて陰部を晒し、膣校を除かれたり陰核を舐められることにも慣れ、勃起した陰茎も見慣れて、しかも、セックスが気持ちいい行為だということを知ったから、恥じらいより快感を選んでセーラー服を自分から脱ぐようになったのです。
妻との交際は、妻からの告白でした。
妻は大人しくて可憐な23歳のお嬢さんで、目立たない存在でした。
あまり会話した記憶もなかったのですが、バレンタインチョコに添えられた手紙に感動して、交際を受け入れました。
そんな大人しくて可憐な純情乙女の妻も、23歳で処女ではありませんでした。
裸になって華奢な身体を開き、陰部を晒してクンニに喘ぎ、潤んだ目で私を見上げながらフェラをして、陰茎の抽挿にヨガりました。
普段目立たない大人しくて可憐なお嬢さんが、私の陰茎を受け入れて華奢な身体で悶絶する姿は、なかなか想像できない光景でした。
それはつまり、いくら可憐なお嬢さんでも、23歳までにクンニもフェラもセックスも、それに慣れるまでの回数をこなしてきたと言う事です。
本音を言えば、結婚するなら処女が理想でした。
でも、なかなかそうならないのが現実で、正直、普段は目立たなくて大人しい妻を初めて抱いたときには、
「こんな可憐で可愛い顔して、あんな事やこんな事をしたりされたりできるんだ・・・」
と思いました。
妻が非処女であると言う事は、きっと私の元カノだった女子高生のように、処女を捧げたあの瞬間のことやその元彼の事は、絶対に忘れていないと思います。
妻に何人の元彼がいたか知りませんが、元彼に抱かれた記憶も残っていると思います。
結婚して10年過ぎて、私も妻も30代です。
今まで倦怠期というものが無く、新婚時代のように毎日ではありませんが、週に3~4回はセックスがあります。
でも、正直に思うのは、私に抱かれてアクメに身を委ねている妻を見て、過去に妻を抱いた男は、いったいどんなことを若かった妻にしたのだろうかということです。
妻は、どれだけの快楽にヨガッて、淫らな姿をその男に見せたのだろうかと思います。
妻は、セックスを重ねて感じやすくなったのか、それとも夫婦になった安心感からなのか、ものすごく乱れます。
普段は優しい母であり、大人しい妻ですが、セックスでは愛液を噴きながら、時々昼間と違う女なのではないかと思うほど可憐な身体で悶絶します。
そして私は、激しく逝ったあとの妻の幸せそうな表情を見ると、幸せを感じるのです。
同時に、何人の男がこの表情を見てきたのだろうという嫉妬も感じるのです。