結局レイとの関係を克服出来なかった私は、エレナの勧めでとある病院に来ていた。私には、こういう精神系に詳しい医者とか学者とかの知り合いがいなかったので、彼女の知人の医師を紹介してもらうことになったのだ。気を利かせてくれて、時間外に診察してくれた医師の口からは、「性依存症の疑い」という言葉が飛び出した。私はその言葉を聞いて、ある種のショックに陥った。ただし、それは、その病気にかかったことに対することではない。自分とレイの間には、性処理以上の関係が無かったという事実が露呈したことに対してだ。私は、レイに依存している間、つがいになりたいだとか大そうな言葉を吐いていた。だが、それは、結局、レイを不安を払しょくするためだけの性処理道具に使っている自分を正当化したいから吐いていた言い訳だったのだ。自分はQさんの様にレイを愛していなかった。そして、Qさんの様に修羅の道を往くことも実はしていなかった。その事実は、私の心に衝撃を与えるには十分すぎた。ショックで放心状態の私を、付き添いのエレナが慰めてくれた。流石に、一般的な思考を持つ医師の前で、犬とセックスしているとは言えないので、彼女に口裏合わせをお願いしていたのだが、その彼女がこの場にいてくれなかったら、私はどうにかなっていたかもしれない。親族などくらいしか普通は付き添わないけれど、私は、彼女を付き添いに選んで良かったと思った。
彼女のおかげで落ち着きを取り戻した私は、医師と相談の上、カウンセリングや治療を受けることになった。幸い、症状は軽く、まさに「疑い」程度のものであったため、夫が帰ってくる頃にはだいぶ良くなっていた。
レイの方は、Gさんに診察してもらい、投薬などの治療を受けさせた。ただ、「犬の分離不安症」で、私との交尾に依存しすぎたレイを正常に戻すのは容易ではなく、まだ時間はかかりそうだ。特に、交尾を我慢させる治療には大変な困難を今でも擁している。交尾の回数を適切なものに戻すために我慢させるのだが、今まで依存状態でほぼ毎日のように交尾していたので、レイは我慢が出来ない。しまいには、怒りだし、猛犬のように吠えてくる。だが、私も耐えて耐え抜いてレイの要求を無視する。お互いが普通の生活に戻るために、必死で耐える。私も治療中であるがために、時々、あの強烈な快感が頭の中に蘇る。瘤の感覚を思い出して下着を盛大に濡らし、ふらふらっとレイを求めようとしてしまう。甘美な時間の記憶が私をレイの下に導こうとするが、ぎゅっと拳を握りしめて突き放した。ここで欲望に負けなかったのは、きっと、レイを性処理に使った罪悪感が、私をしっかりさせたからだと思った。自分のためにおかしくなったレイを元に戻す。その思いが私を強くした。
しかし、交尾を一切しないわけではない。節度を持って適切な回数を行うのだ。交尾の時間は、普段は別々に闘病している私たちが、唯一一緒に治療する時間だ。レイには適切な回数を覚えさせる時間であり、私は交尾に心を完全に奪われないように心を鍛える時間。我慢に我慢を重ねたレイのピストンは強烈で、私はすぐに達してしまう。瘤まで入って射精が始まれば、もう息も絶え絶えだ。これでは今までと変わらないが、すべて終わった後に気をしっかりもつことで雌犬へ堕ちるのを防いだ。最初は、エレナに付き添われてコントロールしていたけれど、時間が経つにつれて、自分一人でも交尾後の気持ちをコントロール出来るようになっていった。そのおかげで、今では、私がおかしくなる前とほとんど変わらない生活が送れるようになってきた。もう二度とあんなことにならないよう、強い心を持って生きていきたいと思う。
今回で私がいなかった時の妻とレイの記録は終わりです。文章では簡単に治ったように書いていますが、私が帰国するまでの数ヶ月間、苦しい闘病生活を妻もレイも過ごしたようです。せっかく取り戻した三人の生活を壊さないよう、私も努力せねばと思いました。
またお会いしましょう。