カミサンと以外の生中出しセックスと言えば、
一番多いのが、DCの女性
二番目が、ソープの女性
三番目が、出会い系サイトで知り合った女性
となる。
ソープは、まだ若い頃(30代)の話で、殆どが吉原だが、高級店~超高級店の即尺・即ベッド・生中出し3回戦は、一度知ってしまうとはまってしまう極楽の世界だ。
私の場合、いまは別の名前に変わってしまった吉原のSという店のASAMIという名のコンパニオンに通ったのが忘れられない思い出となっている。
行けば必ず、マット・浴槽・椅子プレイ一切省略の、即尺即ベッドからはじまる連続3~4回の生中出しプレイで2時間やりまくった。
中で出した後、汚れた○○ポを口だけで綺麗にしてくれて、そのまままた勃起するまでフェラ、勃起したらまた挿入で‥‥で時間ギリギリ、最後は簡単な入浴で終わり、ってな感じ。2時間じゃ足りないってことになり、都内のシティーホテルに連れ出して6時間~8時間やりまくってしまったこともあった。
40代になると、DC通いに変わっていた。
やはりソープよりは安いのと、若いコンパニオンより、
人妻タイプのほうが安らいでセックスできるためソープからDCに変わったのかもしれない。
通ったのは大塚と鶯谷。
だいたい2時間で2.5M~3M円の相場は、吉原の高級店の半分で、人妻との濃いセックスが堪能できる。
しかもここ数年、軒並み、生中出し可能の店が増えてきた。
レ○○ー新聞や○○○イタイムスの広告を見ればわかる通りだ。
私についた人妻さんの場合、旦那とのセックスレス状態というケースが多く、DC勤めは「趣味と実益」を兼ねている場合が多いようだ。つまり、
かなりのお相手人妻さんが、仕事もそこそこに、自分でセックスの快楽を
求めているのだった。
鶯谷Mという店のAMIというコンパニオンは、小柄で清楚な顔つきだが、バストとヒップ大きい割りに、ウェストは引き締まったセクシーなボディーラインで、自らもフェラチオとセックス大好きと称する、旦那が北海道へ単身赴任中、子どもなしの26歳の人妻。
殆ど旦那は帰ってこれないらしく、週4~5日、PM2時頃~10時までのまさしく趣味と実益のためのDC勤めだった。
前日に予約、当日ホテルに入って店に電話、部屋にくると、衣服を剥ぎ取りながら、ディープキス、すぐベッドに押し倒して、即尺、69、生ハメ、中出し‥‥を時間ギリギリまで3回戦やって、残り5分くらいでシャワーをあびて慌ててホテルを出る。こんな状態が、この1年間くらい続いている。大体週一ぐらいのペースである。この人妻に、はまった(人妻に○○ポをはめてるのは私だが)のは、やるときはいつも本気と分るような体の反応がいいのと、私が中出しした直後の彼女が、体をびくびく痙攣させながら、膣内で私の○○ポを強力に締め付けてくる、その状態が例えようがなくいいためだ。いつも2時間で3~4回戦してしまうので、プレイが終わってシャワーに行くとき、足腰がふら付いて倒れてしまうなどということもあった。
現在も私は彼女にはまっている(はめている)。
最後は、出会い系サイトで知り合った女性との生中出しセックスの話題。
昨年も12月出張で行った仙台で出会った人妻との夜通しセックスについて。
サイトで出会い、すぐメールと電話で、デート方法を打ち合わせ。一晩を私の滞在先のホテルで過ごす約束をした。出張最後の夜、滞在していた仙台駅近くのホテルの私の部屋に来てもらった。
挨拶もそこそこ、この数日メールと電話でHな話を交わしていた私たちは、ディープキス、抱擁と燃え上がってしまって、衣服着用のまま、彼女に生フェラをさせ、立位で彼女のTバックを横にずらして生はめ挿入ということになってしまった。そして彼女が何も言わないので、イキそうになってきたが、このまま中に出していいのかときとよがりながら彼女は肯くので、思いっきり中で出したのだった。
私たちはシャワーも浴びずに、ホテル近くの牛タン屋(仙台と言えば牛タン)に行きビールと牛タンでもり腹ごしらえした。途中彼女がニヤッと笑うので、何と聞いたら、私が彼女の中に出した精液が外にあふれだしてきたというのだった。私は彼女を押し倒してここでやってしまいたいという欲情にかられたがそこは我慢。その後カラオケに行き、夜10時頃ホテルの部屋に帰ると、
時々眠りながら、翌日10時くらいまで、生ハメ、中出しプレイを10回近くやった。もちろん回復がおいつかず、はめたものの出さずにおわったというケースもあるから最初のと逢わせると多分6回くらいしか中出しはしていなかっただろう。彼女は背面騎乗位で下から激しく突かれ、かつその状態でクリトリスへの激しい愛撫をしてもらって始めてイケルというタイプで、わたしの方でかなり消耗したが、中身の濃いセックスだったのは確かだ。少し眠って私たちは、12時頃、仙台駅で別れた。そのあと、何回か、また逢いたいというメールがその人妻から来て、私もそうしたいという返事を出していたが、結局出張先が関西に変わったので仙台に行くチャンスはなくなり、あっていない。
つづく