大学の頃、一学年上の先輩女子大生と付き合っていました。
先輩に童貞を捧げ、セックスを仕込まれ、先輩が生理の時は、ベッドに大の字に縛られて、伝線したストッキングで亀頭責めされて、ヒーヒー言わされていました。
亀頭にストッキングを被せるようにして、左右に動かされると、強烈な快感に見舞われ、でも、亀頭だけだとイケなくて、快感地獄に堕とされました。
もう、足がガクガク痙攣して、腰が砕けて発狂しそうでした。
その先輩とは、高校受験の夏季講習の講師のバイトをしたことがあって、先輩が卒業して居なくなった大学4年の頃、その時の教え子で高校1年になった男の子が下校時に私のアパートに寄るようになりました。
可愛い男の子で、凄く懐かれて、思わず抱きしめて、ズボンの上から股間を握ると、勃起していました。
ズボンを脱がせて、亀頭に先輩が私に浸かってたローションを塗り、亀頭をスリスリ、亀頭責めにハアハアする彼を楽しみました。
手のひらで亀頭をスリスリスリスリ、アへ顔の少年はまだ童貞、やっとオナニーを覚えた少年の亀頭を責めまくると、情けない顔でヨガまくりました。
二人で裸になり、バスルームで彼の亀頭を責め、更に垢すりで亀頭をシュシュシュ、これにはたまらずヒィ~~~、腰がガクガク、亀頭が真っ赤になり、三擦りで激しく射精しました。
そして、射精した精液だらけの亀頭を手のひらでスリスリ、少年は発狂所状態になりました。
少年はすっかりマゾ発狂、チンポ奴隷に堕ち、毎日チンポを苛めて欲しい一審で私のアパートにやってきました。
彼のチンポを苛めていると、彼のアナルがヒクつくのを見て、私のチンポにローションを塗って、ゆっくりと入れてみると、驚いたことに、ズッポリ入っただけでなく、
「ああ~~ん・・・」
と少年がヨガったのです。
聞けば、少年はファイブミニやオロナミンCの瓶でアナルオナニーしてて、私のチンポを嬉しそうに締め付けました。
こうして、私は少年のアナルを犯しながら、亀頭責めで少年をマゾ発狂させていました。
高1少年との性行為、少年のアナルに中出しするとき、
「種付けてやるから、孕んじゃいな。」
とゲイのAVみたいなセリフを自然と吐いていました。
アナルに中出しされると、気が遠くなるほど気持ちいいらしく、ビクビクしながら虚ろな表情でまどろんでいました。
大学を卒業するとき、少年に別れを告げました。
最後に初めて少年とラブホに入り、少年が、
「僕にも、アナルに中出しさせてください。」
と言われ、少年のチンポをアナルで受け入れました。
ツーンとする感覚と、永遠にウンチが出続けるような快感に見舞われ、そして、アナルの奥に熱いものが注がれる独特の感触に、ガクガク痙攣しました。
その後、少年のアナルを犯し、最後の中出しをしてラブホを出て、駅で少年とお別れしました。
「それじゃあ、俺、行くわ。これからは、女の子と付き合って、マンコにチンポ入れるんだぞ。いいな。元気でな。さよなら・・・」
「さよなら。元気でね。さよなら・・・」
少年の目が潤んでいました。
私も後ろ髪を引かれましたが、卒業で終わる関係だからこそ、少年と付き合ったのだから、キッパリとお別れしました。
改札を抜け、階段を上るとき振り向いて、手を振りました。
少年は手を振りながら私を見送り、涙を拭いていました。
大学を出て帰郷して10年が過ぎ、現在、私には妻子がいます。
先日、大学のある街に住む友人が結婚するので披露宴に招待され、10年ぶりに大学のある街を訪ねました。
披露宴だ懐かしい顔ぶれがそろい、その夜は懐かしい居酒屋で酒を酌み交わしました。
翌日、遅い朝食を食べ、帰路に就く前に、先輩女子大生や少年と淫らな行為を繰り広げたアパートを眺め、その足で少年の実家を遠くから眺めました。
新幹線までまだ時間があったから、ボーっと少年の家を眺めていると、一人の青年が出てきて、その後に青年よりも明らかに年上の女性が出てきて、車に乗り込みました。
二人の左薬指には、シルバーのリング、彼は、年上の女性と結婚したようでした。
きっと、マゾっ気のある彼は、若くして年上の女性に下半身を囚われ、亀頭責めにマゾ発狂しながら、ディルドでアナルを犯されているのだろうと思いました。
私の目の前を走り去った車の助手席の女性は、切れ長の目をした美人でしたが、その眼にはサディストの光が見えたような気がしました。
「幸せにな・・・」
走り去る車に一言かけて、帰路につきました。
駅で、改札を抜け、階段を上がる前に振り向き、10年前、あの少年があそこに立って手を振ってたっけなあと、過ぎ去った青春時代に思いを馳せました。
新幹線のホームから、多分、もう、二度と訪ねることはないであろう街並みを眺め、懐かしい街なみにお別れしました。
何も哀しいことなど何もないのに、目が潤んできて、涙もろくなったなあと、新幹線の窓に映る33歳になった自分の顔を眺めました。
青春時代を過ごした街を後にして、一度しかない青春時代が貴重な時間だったと、思い知ったのでした。