これは昨年の話になります。実話です。
昨年の9月、仲の良かった女友達が白血病で亡くなりました。
発覚から2ヶ月で死亡するという悲しい結末でした。
僕らは翌年2月に大学入試を控え、高校3年生の春からは受験勉強に必死でした。
亡くなった彼女の名はT。
「かわいい」というより「美人」と表現した方がぴったりで、頭も良く、お金持ちのお嬢様でした。
一学期に始めに席替えをしてからは、隣同士になり仲も良くなった。
スクールバスの中でも話すようになり、僕も彼女に惹かれていった。
Tには彼氏はいなく、男に対してあまり興味がなかったようだったが、僕や僕の仲間とはよく話をした。
7月の初頭、彼女に元気がなかった。そして機嫌が悪かった。
僕は女性特有の生理が来たのだろうとばかり思っていた。なので、そっとしてあげた。
だが、1週間を過ぎても彼女の顔色はさえず、僕は「最近、元気ないね」と声をかけた。
すると「なんか、ずっと気分悪くて…。吐き気もするし。」とTは答えた。
僕は恐る恐る「あ、あの、女の子特有のアレじゃなくて??」と聞いたら、Tは「なんか、違うんだよねぇ」と困ったようす。
彼女は夏休みに入るまで、ずっと顔色が悪かった。
夏休みに入り、いよいよ受験モード。一日10時間の勉強で早稲田を狙っていた。
僕はTがスッカリ元気になっているだろうと勝手に思いこみ、自分のためだけに勉強した。
過酷な夏休みはあっというまに終わりが来た。そして8月31日、模試を受けに行った。
しかし、そこにはいるはずのTの姿がなかった。
一緒に模試を受けると言っていたのに、彼女は最後まで現れなかった。
試験後、連絡を取ろうと思ったのだが、まだ携帯の番号を交換していなかったことが分かった。
ちょっと情けなく思ったのだが、放課後、担任と進路について面談する予定があったので、面談室に駆け込んだ。
「将来の生活は海外で」という僕の希望を伝えたり希望校への合格率なども、いろいろ話し合った。
その後、担任に「ところで、Tは来なかったですね。アイツ、模試受験するって言ってたのにサボりですよ~」
と話したところ、担任の顔が曇った。
すると、担任は「アイツはアイツなりに頑張ってる。今、闘ってるんだ。」と言った。
僕には意味が分からなかった。意味を尋ねたところ、担任は目に涙を浮かべ言った
「Tは入院しているんだ。余命は半年……白血病だ。」
目の前が真っ暗になった。
僕は急いで都内の大学病院に駆け込み、Tと面会した。
Tは感染を防ぐため隔離されているのかと思ったが、すでに一般病棟に移されていた。
僕はその時、治る見込みがあるのだと思い込み、嬉しくなった。
僕は毎日のように学校が終わると病院へ行き、勉強は電車の中で必死にやった。
予備校も病院に近い校舎があったので、そこに籍を移し、Tとの面会後に通い、毎晩、家に着くのは12時を回っていた。
ある日、僕はTに言った。
「元気になったら、映画行こうよ。面白い映画やってんだよ、今。ラブコメディーなんだけどさ。いいだろ?俺、Tの事好きみたいだよ。元気になってデートしよな!」
Tの答えには期待しなかった。けど、Tの返事は「OK。でももし私の病気が治らなくて、もしもの事があったら、さっさと私のことを忘れて新しい彼女みつけること!いいね?」だった。
9月末に前期期末テストがあるため、テスト期間中は面会を避けた。
そしてテスト最終日の26日。試験終了と同時に校内放送が流れた。
「全校生徒、及び全教職員の皆さんにお知らせ致します。静かに聞いてください。今日、12時34分3年生のTさんが白血病のため都内の病院で息を引き取りました。これより哀悼の意を表すため一分間の黙祷を捧げます。」
僕の目には涙があふれた。
僕以外の皆にはこの白血病の事実は伝えられていなかったらしく、Tの強い要望で僕だけに事実が伝えられたのだという。
彼女とのデートは果たせぬまま恋は終わった。
葬儀が終わるも、未だ信じられぬ彼女との死別。
彼女が言った「私のことを忘れること」を実行すべく、10月の秋休みを利用し韓国へ一人旅に出た。
入試が間近なのに、旅行に行くなんて馬鹿なことだった。勿論、家族や周りの友人にも止められた。
しかし、僕は周りの反対を押し切り韓国へ飛んだ。
韓国語は一応勉強していたので、話すことはできた。ホテルも自分でチェックインしできた。
一面、ハングルの看板が立ち並び、少し緊張したが、一日目はなんとか終了した。
2日目、ホテルをチェックアウトし、荷物を全部持ってソウル市内を観光した。
が、昼になってから道に迷い、街の外れに来てしまった。
仕方なく、民家にお邪魔して道を尋ねることにした。
呼び鈴を鳴らすと、同い年くらいの女の子が出てきた。道を尋ねると、
「ちょっと待って、お母さんに聞いてくる」
と言って、奥の方へ消えた。するとお母さんと出てきたので、僕は改めて聞いた。
「日本から観光できてるんですが、道に迷ってしまったのです。昼食もとってないので、この辺で食事のできるところは知りませんか?」
すると、お母さんはニコニコして、
「レストランは、ここから少し遠いわよ。これからお昼の準備するから、よかったら食べて行きなさいよ」
と言ってくれた。始めは迷惑になるといけないと思い断ったのだが、「韓国の文化を知って帰って」というお母さんの強い説得に折れて、お世話になることになった。
同い年くらいの女の子はムンジュ(仮名)と言い、やはり同い年だった。
ムンジュにはお兄さんもいて、とても優しそうなお兄さんだった。
食事後、僕が韓国に来た理由を話すと、皆涙してくれた。色々なことを話していると時間は6時を回っていた。
するとお父さんが帰ってきた。お父さんは僕を歓迎してくれて、「もう外は暗いから泊まって行きなさい」という。
「さすがにそれはできない」と断ったのだが、泊まるホテルも決めていなかったため、泊まることになった。
夕飯後、客間に案内されて、寝転がった。8時を過ぎるとムンジュが来て言った。
「歌番組やるから、見にきなよ」
僕は、一日中韓国語を話して疲れ切っていたが、ムンジュは「来ないと許さない」と言った表情で僕を見ていたので、仕方なくリビングに行った。
一時間の歌番組を見終え、僕は「疲れたのでもう今日は寝る」と言い、就寝した。
翌日、朝6時。ムンジュが起こしに来た。
僕は9時まで寝るつもりだったので、3時間も早く起こしに来たムンジュに「もう少し寝かせて」とつい日本語で言ってしまった。
ムンジュは韓国語で「なに?もう少し寝かせて欲しい?ちゃんと韓国語はなしなさいよ。」と強気にでた。
腹立たしく思いながらも、ダイニングに連れて行かれると、家族みんなが待っていた。お父さんが
「今日は、休みだから観光案内してあげるよ。」と言ってくれた。
この日は「ナンデムンシジャン」や「チョンミョ」などを観光し、韓国の文化に直に触れた。
家に着くと、お父さんが
「いつまで韓国に居るんだ?」と質問してきた。
「あと3日くらいですねぇ。学校もありますし。」と僕は答えると、
「3日なら、泊まって行きなさい。ホテル代も浮くだろ。」と言ってくれた。
既に家族とは仲良くなっていたので、僕は逆に、お辞儀をしてお願いした。
この晩、Tの事を思い出してしまい、涙が止まらなかった。
ムンジュが気を遣って僕のいる部屋に来てくれて、つらい胸の内を聞いてくれた。
すると、ムンジュは僕にキスしてきた。
そしてムンジュは「スキデス」と日本語で話しかけてきた。僕は「日本語はなせるの?」と聞くと「勉強中」とムンジュは答えた。
このときピンときた。「だから、一昨日の朝、僕の日本語が通じたんだ」と。
ムンジュはTとは正反対で「美人」というより「カワイイ」子だった。背もそこそこ高く、水泳をやってるため体つきはガッチリしていた。
僕とムンジュはこの晩、僕のいる客間で関係をもったのだった。
童貞の僕に処女のムンジュ。お互い初めての体験だった。
ディープキスを交わし、胸を触ると「もっと強く揉んで」と言ってきた。
舌で胸を舐め回し、だんだん下へと下がっていく。服と下着を脱がせマンコを舐めた。
初めてだったので、AVを思い出しながらのクンニ。ムンジュのマンコはグチョグチョに濡れており、ヒクヒクしていた。
ムンジュに自分のモノをしゃぶってもらい、初めてのフェラに感激した。「クチュクチュクチュ、チュパチュパ」という音がイヤらしく、更に感じる。
とうとう我慢できず、ムンジュの口の中で果てた。
そして、ムンジュのアソコへ僕のモノをインサート。
ムンジュは「ハァ、ハァ」と言いながら、僕を受け入れた。
痛そうな顔をしていたが、一切「イタイ」とは言わず、次第に慣れてきたのか、顔の表情がゆるんできた。
正常位から始め、騎乗位を試した。僕が下になり、ムンジュは僕のモノを支えながら入れた。
「にゅるにゅるっ」と入っていく瞬間がたまらない。「あっ、あっ」と喘ぎながら、最後に正常位に戻して中だし。
もちろん、コンドームは使っていなかった。学校でコンドームを着用するように習ったが、まさか旅行カバンにコンドームは入れてこない。
生のままムンジュの中に出してしまった。
「大丈夫かな」と僕が聞くと、どうもピルを使っていたらしい。
結局、帰国までに6回のセックスをした。
帰国の時、ムンジュに日本語で言った。「好きだ!」。
ムンジュはニコニコして、ムンジュの両親と兄がいる前で「気持ちよかったよ、君とのセックス。いつかまた会って、おもいっきりセックスしようね。」などと日本語で話しかけた。
韓国語で会話してたら、すごい事になっていたが、日本語を勉強しているのはムンジュだけだったので、こんな大胆な発言でもバレることはなかった。
ムンジュは現在日本の大学に留学しており、僕との関係は続いている。
僕は残念ながら早大には落ちたが滑り止めには何とか受かり、その大学に通っている。
Tの死が思わぬ幸運を呼び、僕は現在幸せな大学生活を送っている。俺はTの遺言を守ったのだ。Tを愛するために。