東日本大震災での姉との思い出 その後僕と4つ違いの姉貴(裕〇)と東日本大震災のボランティアに行って、早くも2年が過ぎました。大変な大災害でしたが、僕にとっては睡眠薬という卑劣な手段を使ったものの憧れの姉貴と初めて結ばれた日でもありました。(前回に投稿)そして今年4月末、再び願ってもないチャンスがあったので、久しぶりに報告します。父と母がGW を利用して2人で旅行に行く事になり、姉貴もその前日にお寺に1泊で修行体験とかで出掛けました。そして父母が出掛けた後の夕方に戻ってきて気分が悪そうなので、゛どうしたの?゛って聞くと座禅、長い廊下の拭き掃除と慣れないハードな修行のうえに瀧行修行があり、どうやら白装束で冷たい瀧水に打たれたのが祟ったらしく風邪をひいてしまったらしい。僕は、こんなチャンスめったに無いので内心喜びました。急いでいつも準備してある粉にした睡眠薬を温かいコーンポタージュに溶かし温まるからと姉貴に飲ませました。20分くらいして姉貴の部屋を覗くと、普段着のままベッドに倒れるように横たわっていました。父母が暫くいないし姉貴も暫く会社に休みを届けていると聞いていたので、睡眠薬の量を多めにしたせいか、パジャマに着替える時間がなかったような倒れ方でした。いつかこの日がくる事を待っていた僕は、兼ねてから、したい事を考えていて準備もしていた。前回は、はじめて姉貴の全裸を観た事で興奮して正直、細かく観察は出来てなかったように思う。今回は前回より更に恥ずかしい体位で姉貴を隅々までじっくり観察、そして医療の導尿を施し間近で姉貴がオシッコをする瞬間を観察したいといつも夢にみていた。それが遂にやってきたのだ。すでに専門書を調べ器具等を闇ネットで揃え準備は整えていた。まずは服とスカート、パンストを丁寧に脱がし上は薄いセーターのまま、下半身はパンティだけにしベッドで姉貴を俯せ状態からお腹を持ち上げて両膝立ちにさせ前につんのめるような体勢で両足を開かせた。お尻は天井に向け高く突き出すような体勢で少しずつ両足を大きく開脚させていく、これ以上ない程に卑猥で恥ずかしい体位だ。早速、行動に取り掛かる。セーターを少し捲りあげ、ブラのホックを外すとポロンと、小振りで形のいい乳房がこぼれ出る。暫くお乳をゆっくり揉んでみる、張りがあり柔らかい。揉む内に次第に乳首は意識なくとも立ってきた。次に背後からパンティの両脇に手を掛けた。僕の気持ち一つで、一番恥ずかしい部分全てを弟の眼前に晒けだされてしまう、、この寸止めが堪らなく興奮し僕の心臓は既に破裂寸前で下半身もMaxだ。。そして遂に指で太股の中程までパンティをずらした。眩しい程の御開帳!僕の眼前には、お尻の割れ目の間に小さく形良く萎んだ肛門が見える、その下は汚れを知らない程、綺麗な小さ目のパックリ開いた割れ目、更にその先に薄めの恥毛。最近特段、陰毛を手入れしているのか、ほぼパイパンに近い、、。あの東北大震災以来の興奮が蘇ってきた。背後からお○んこを指で押し広げ淡いピンク色のクリトリス、尿道口を確認、膣口も押し広げじっくり隅々まで暫く観察する。膣口を指で掻き回し、ねっとりしたヒダヒダの感触が伝わる。次にお尻の両端に手を掛け割れ目を少しずつ押し開き顔を近づけて舌で姉貴のアナルに触れるとピクンとお尻全体が反応する。ゆっくりとアナルから性器へと舌を這わせる、お尻が小刻みに震えるのが伝わってくる。次第に愛液も溢れてきてツツーと意図をはじめとする引く。今度はいよいよ僕のそそり立ったものを姉貴のお○んこへあてがい押し付け、ゆっくり挿入していくと姉貴の口から微かに″うっ、あん、、、″と声が漏れ、お尻全体がブルッと震えた。大きく脚を開かせた背後からの生の挿入は姉貴の小さなお○んこにも係わらずスーと呑み込まれていく。気持ちいい快感の中、ゆっくりピストンを繰り返すと次第に姉貴の口からは微かな艶めかしい声が連続して漏れはじめた。更に膣内から、おびただしい愛液が溢れてきて気持ち良さと締め付けで思わず中出ししそうになる。快感に必死で耐えながら静かにピストンを繰り返す。もう限界だった、、慌てて抜き、間一髪のところで姉貴のパンティに放出してしまった。危なかった、、中出し寸前だった。前回は挿入後で鮮血が付着し姉貴は処女だった事が判明したが、今回は鮮血はなかった。今度は人差し指に唾液をたっぷり付けて姉貴のアナルに沿ってゆっくりと円を描くように揉みほぐしながら、少しずつアナルに挿入してみる、、姉貴のお尻がブルッブルッと小刻みに震え″あぁっ、、″と微かな声が漏れる。暫く人差し指の根元まで挿入したままにしていると、ねっとりした粘膜が強烈に指を締め付けてきた。指を一周回して内壁の感触を確かめる。
...省略されました。