私は、44歳で息子と二人暮らし。
妻を亡くして10年になります。
当時、息子は、10歳で少年野球をしていました。
妻は、32歳と若かったのに…
息子の野球のお手伝い中に脳梗塞に倒れて、そのまま…
それが夏休み最後の日曜日の出来事でした。
私は、当時34歳でした。
別に妻とは普通の夫婦仲で結婚11年もするとセックスは、月一とか二回程度、子供が大きくなると段々減るもので
しかし急な妻の死は、ショックでした。
その時は、息子の野球チームの手伝いをしてたのですが、監督さんから『正式にコーチになって野球を息子さんとする事で悲しみを乗り越えませんか?』と誘われて、少年野球のコーチになりました。
そして10年…週末は、少年野球に一生懸命に取り組み汗を流してきました。
息子も高校を出て就職し、今は、仕事の合間に私と少年野球チームの手伝いをする様になりました。
妻を亡くしてから、五年ぐらいは、子供の事でいっぱいで性欲とか考える事もなく、会社も男ばかりの職場で出会いもありませんでした。
少年野球は、母親とのコミュニケーションは、ありましたが、皆さんお母さんだったし私も『女性』として意識して見る事は、ありませんでした。
しかし…数年前から、男としての本能が再び盛んになり始め、息子の学校やクラブの用事の合間や仕事の帰りに風俗で性欲を発散し始めました。
『自分もまだまだ男だな~』と密かに嬉しく感じてた
そして、今年の五月に野球チームに一人の一年生が入ってきました。
その母親に私は、異常なまでにドキドキしました。
初めて子供達の母親にドキドキしました。
小さくて少し太めで、愛想よくて柳原可奈子ちゃんの様な明るいお母さんでした。
野球の手伝いや子供の送り迎えから話す様になり、野球以外でも会えば話せる様になりました。
私は、年甲斐もなく、そのお母さんを想像しながら一人射精を繰り返す様になりました。
『オナニーなんて中学生以来かな?』なんて情けなく感じながら…
そして夏休み前に、偶然、焼肉店でお互い親子で会いました。
ウエイティング中からお互いの事を話しをし
私が妻が居ない事や彼女が離婚協議中だった事、彼女が死んだ妻と同じ32歳だと言う事
そんな事からメールをする様になりました。
彼女とのメールは、毎日、朝から夜中まで何回も
野球で会っても秘密な仲でした。
夏休みの八月に入った頃、彼女から『離婚協議は、終わりました。』とメールが来た。
夏休み最後の日曜日…10年前に妻を亡くした日曜日に、いつも野球に使う学校の草毟りがあり、夜は、父兄会とコーチで飲み会になりました。
その帰りに彼女と一緒に彼女の住む団地へ
一年生の息子さんは妹さんに預かってもらっていませんでした。
彼女は、私に金曜日に正式に離婚した事を話し始めました。
私は、彼女に求愛し迫りました。
酔っ弾みではなく、一目惚れから話す様になりメールを始めて、私の彼女への思いは、ピークに達してた。
近づいても拒まない彼女に唇を合わせ、抱き寄せました。
彼女も私に両手を宛がい
そのまま倒れ込み激しいキスから絡み合い始めました。
緩やかに彼女の体を触りながら手を服の中へ忍び入れて柔らかい肌に触れると
酔っていてもしっかり勃起しました。
彼女もまた私のお尻から手を入れペニスを触ったりし始めた。
私は、彼女の乳房を触り揉んで、服を脱がせた
白く柔らかい体に大きな乳房…少し大きめの乳輪。
吸い付き激しく吸いました。吸いながら彼女のマンコを触り指で掻き回した
彼女も私のペニスをしっかり握り、でも優しく柔らかく触って
彼女は、起き上がると私のペニスに口を当てフェラを始めました。
風俗の女性のソレとは比べものにならない、感情のこもったフェラでした。
やばかった…フェラで逝きそうだった
私は、慌てて彼女の口からペニスを離すと
彼女を倒してスカートもパンツも脱がせ
勃起したペニスを彼女のマンコに沈めた
何も断らずに、流れのままに
10年ぶりのセックスしかも生…
温かい。柔らかい。色んな思いの中で
あっという間に出そうになり、私は、ペニスを抜ことしたら彼女は、抜く事を嫌がりました。
そして私は、一人だけで頂点に達して、彼女の中に射精しました。
彼女を満たせてあげてない罪悪感もあり、また私がもっとしたいエッチ心もあり
中出しの後も絡み続けました。
そして朝までにお互いに何回もエクスタシーに達し
五回私は、彼女の中に射精しました。
朝…一つの布団の中、二人裸で朝を迎え
入籍出来る時期が来たら結婚しようと約束し
今月から子供と一緒に私のマンションで暮らし始めました。
妻には先日、墓参りに二人で行き報告しました。
多分…了承してくれると思います。
今朝…彼女に生理が来た事で
入籍までは妊娠に気をつけて毎日セックスしようと約束しましたが
始まったらどこまで気をつけてセックス出来るか心配です