30年以上前、当時の私は病院廻りの営業職で恥ずかしながら22歳にもなって童貞でした。都内S区のとある個人医院の受付に恵子さんというほがらかで上品な檀れいさんを50代半ばにした感じの美熟女。
週3の訪問時にはまだ若く不慣れな私に積極的に世間話や、寝違えて首が曲がっている私に笑いながらいたわってくれたり。
その医院のエントランスには〇〇恵子と名が入った自転車がいつも停めてあり、そして私もその医院と同じ街にアパートで一人暮らしでした。
ある日曜日、商店街のスーパーの帰り道に「あら 〇〇さんっ」と後ろから呼び止められ振り向くと恵子さんが。世間話の中で「カップ麺やお肉ばかりじゃダメよぉ 今度 私がお料理作りに行ってあげようか?どこに住んでるのぉ?」と。私は商店街の〇〇不動産の傍を入ったアパートの101号と恥ずかしさで顔を赤らめ下を向きながらか細い声で答えました。
仕事で次に医院を訪問時に、帰り際 恵子さんから小さな声で「今度お料理作りに行ってあげるねっ」と言われました。その時は、大人の女性からは当時の私は間違いなく童貞に見えたはずで、からかわれている社交辞令と感じてました。数日が経ち忘れていた土曜日の正午前、部屋のドアがノックされ、出てみるとスーパーのビニール袋を持った恵子さんが「来たよぉ」と微笑んでました。ブリ大根と筑前煮と味噌汁を作ってくれて2人で食べました。私が紅茶を入れ2人コタツで談笑してると「彼女いるの? いないんだぁ?・・・じゃあさ・・・女の人経験あるのぉ?」との問いにもまたしても顔を真っ赤にしてうつむく私に「おっぱい・・・さわっても いいよ・・・」と。
そこから美熟女恵子お姉様の性教育が始まり私はなすがまま。腹に着く程反り返り先端から我慢汁が玉まで溢れている亀頭を柔らかな唇で含まれ舌を使われるとものの数秒で発射してしまいましたが飲まれました。
22年で初の女性器を拡げて見せてくれクリや尿道口や蜜の壺を説明され触り方そして舐め方を講義してもらい、ついに恵子さんが上になり挿入、女性器の熱さ・ぬめり・柔らかさ・肉の包まれ感にまたしても1分と持たずに発射、安全日だから大丈夫と垂れて出てくる私の大量の精液を拭き取り尚もまだ勃起したままの私の愚息を愛おしそうにお口で舐めシゴき、恵子さんの言うがままその次は正常位、まだ勃起を認めると四つん這いバック突きを指導され、最後にまた正常位で4発指導していただきました。初めての女性でしたが、以前より憧れていたこともあり上品でお綺麗な顔にスレンダーだけど極僅かに垂れた程良い乳、しっかりくびれた腰、むせかえるようなムッチリした腰周りに夢のような体験でした。
その後、月に2〜3回 土曜日に訪問があり安全日が重なれば3ヶ月に1度位の確率で生で欲しがってくれました。時間があれば土曜日の朝早くに訪問があり夕方まで汗だく体液まみれになって交尾する不倫に燃えました。私が逢えない時用に履いているパンティが欲しいと言えばくれて、オナニー用に欲しいとねだれば100均で購入した化粧水を入れる用の半透明ボトルにマン汁をくれて最高の彼女でした。
恵子さんとの関係は御主人が千葉に念願のマイホームを建てたのをキッカケに2年近く続き終わりました。
その後、彼女が何人か出来たり風俗にも行くようになりましたが、やっぱり若い女の子のスポーツのようなセックスより、熟女のまぐわう交尾が最高ですよね。