15年前、三流大学を出た私は、そこそこの会社に就職したものの、本社ではなく、支社に配属になり、大学のあった県庁所在地を離れました。
中核市の県庁所在地と違い、人孔十数万人の死者がある街はとてもコンパクトでした。
最初の一年は、とにかく取引先巡りや、統括している店舗巡りで、支社でのデスクワークは勤務時の半分くらいで、とにかく出歩きました。
一年目はくたびれて、土日はゆっくり休んで、遊びに出ることは滅多にありませんでしたし、近所の定食屋で飯食って、自炊もしませんでした。
二年目になると、取引先や統括店舗も把握できて、今度は先輩のアシストしながら仕事を覚えていきました。
取引先には先輩と一緒でしたが、統括店舗への用事は一人で行かされました。
仕事でも余裕ができると、土日くらいは自炊するようになり、近所のスーパーに買い物に行くようになりました。
梅雨空の頃、スーパーで買い物してたら、どこかで見覚えのある後姿の女性がいました。
初めて暮らした街に知り合いなんかいなかったから、誰だっけなと近づくと、その女性が振り向き、目が合って、暫し見つめ合いました。
「勇太君?」
「早苗先生?」
その方は、私の中学時代の恩師、早苗先生でした。
あの頃、30代後半だったな冴え先生は、40代後半ばになってましたが、麻生祐未さんに似た相変わらずの美人でした。
中学の頃、奇麗で色気のある早苗先生に秘かに憧れていたのを思い出しました。
先生は、お子さんが大きくなったので、家族を置いて単身赴任して、この街の中学にいました。
懐かしくて、連絡先を交換して、交流が始まりました。
先生も赴任二年目で、知らない街で知り合いに会ったものだから、土日は二人で街を散策するようになりました。
そして、梅雨が明けて暑い日差しに汗ばむ頃、先生とビアガーデンに出かけました。
ビールっ腹になって帰る途中、雷がゴロゴロしt来て、足早に帰りましたが、あと数百メートルで先生のアパートというときに、土砂降りに遭ってしまいました。
ずぶ濡れで先生のアパートに着きました。
「それじゃ、俺、ここで・・・どうせ濡れちゃったしこのまま行きます。」
「止めなさいよ。濡れるのは構わないけど、雷の中は危ないわよ。少し休んでいきなさい。」
と言われて、先生のアパートに上がり込みました。
先生は、教え子の私がいつまでも子供だと思ってるのか、自分が四十路後半のおばちゃんだから平気なのか、濡れた服を脱いで素っ裸になり、ジャージに着替えました。
さすがにこちらに背を向けてましたが、中学の頃に憧れた美人先生の裸ですから、後姿でも股間がヤバくなってました。
「勇太君も、脱ぎなさい。息子が泊まりに来た時用のジャージがあるから。」
と言って、脱がせにかかりました。
上はまだしも、ズボンはヤバくて、自分で脱ぐと、パンツが思い切りテントを張ってました。
「あら、どうしてそんなことに・・・」
「憧れの先生の裸見たら、こうなります・・・」
見つめ合う二人、先生は、私を抱き寄せると、キスしてきました。
そして、私のパンツのお尻の上あたりに左手をかけると、反時計回りに手を回しながらパンツを下げ、肉棒を握りました。
「硬いわね・・・先生に入れて・・・」
先生は、ジャージとパンツを脱ぎ捨てると、壁に手を当てたので、立ちバックで挿入しました。
何もしてないのに、先生は激しい濡れで、ニュルンと入ってしまいました。
私の腰の動きに反動するリ動きで、先生が腰を振りました。
暫くすると、凄いコリコリ感がとても気持ち良かったです。
先生の肉穴の中は、凄く熱くて、大学卒業以来のセックスに、
「先生、ヤバい、出そうです。」
というと、一旦離れて、先生は上も脱いで全裸になると、四十後半とは思えないムッチリボディ度ベッドに横たえました。
足を開くと、使い込まれたドドメ色のビラ肉が濡れ光り、正常位で再び挿入、絶叫にも近い喘ぎ声で早苗先生が仰け反りました。
久しぶりのセックスに、抜いて先生の身体にかけました。
先生とお風呂でシャワーを浴び、二回戦はクンニから、ドドメ色のビラ肉を押し広げて肉穴を舐め、そして、旦那さんに食われて剥け切ったクリ肉を舐めました。
あの、麻生祐未さんに似た美人先生が、教え子に恥ずかしいクリ肉を舐められ、喘ぐ姿は信じ難いものがありました。
憧れの早苗先生が、教え子のしつこいクリ肉攻撃に痙攣してイキました。
透き通るような白い肌は、やはり日ごろから仕事をしてるから代謝がいいのでしょう、実家で専業主婦してる母とは違いました。
次に早苗先生がフェラしてきました。
あの、グレーのスーツで教壇に立つ早苗先生が、舌なめずりしながら教え子の肉棒を舐める姿は、とても興奮しました。
先生は、舌なめずりを終えると、かなりの量の唾液青まぶしてのバキュームでの激しい往復運動で、カチカチになりました。
「おお~~」
と唸らされたと思ったら、先生は肉棒を握って跨ってきました。
髪を振り乱して、やや垂れかけた乳房を揺らして、腰を振る様は、まるでロデオでした。
今まで、10代20代の女性としか経験がありませんでしたので、40代の女性がこんなに破廉恥だなんて、初めて知りました。
先生は、激しく腰をグラインドさせ、
「イクーーーッ!」
と叫ぶと、バッタリと私の上に倒れ込みました。
私は一度射精してたので、今回は長持ちしてまだ射精してませんでした。
目覚めた先生を抱きしめ、キスしながら回転して正常位になり、ガン突きしてヨガらせ、二発目の射精を先生にかけました。
シャワーを浴びた頃、雷も雨も止んでるのが分かり、帰ろうとすると、
「勇太君・・・今夜は一緒にいて・・・」
美人先生が可愛く感じました。
その夜は先生と一緒に寝ました。
四十路のおばさんでも、女性と寝るのはいいものですね。
しかも、憧れのマドンナ先生ですから、たまりません。
こうして始まった先生との恋、週末のデートとお泊り、まるで母子のような二人は、どちらかが転勤になれば終わる有限の不倫愛だからこそ、その瞬間を大事にしていました。
月に一度、先生は県庁所在地の家に戻ります。
金曜の夜、学校から直接家に向けて車を走らせ、高速を使って約1時間半、夜8時には到着して、きっとご主人に抱かれて来るのでしょうね。
日曜の夕方戻って、翌日から仕事ですから、大変です。
年に何度か、週末と先生の安全日が重なるときがあります。
そんな時は、週末、温泉旅館にお泊りセックスします。
勢いよくパンパン突きまくり、先生はヨガリ狂います。
突いて、突いて、就きまくり、愛液が白く泡立って飛び散って、
「あっーーっ!イキそう・・・」
「中に出してぇーーーっ!」
舌を絡めてキスをしながら、先生の肉壷にドクドクと精液を注ぎ込みました。
「あああ・・・出てる・・・教え子の若くて活きの良い精子で、孕まされそう・・・」
「先生、僕の赤ちゃん、産んでください・・・」
旅館では、抜かずの3発を決め、その日は旅館のバーで飲んで寝ました。
もちろん次の朝は、朝起ちに股型先生がロデオ大会、隣室や廊下にまで響き渡るようなヨガリ声で、教え子の精液を搾り取るのです。
その後、朝食バイキングに行けば、当然好奇の目で見られました。
40代後半の美熟女と20代男、母子?いや、不倫だろう・・・みたいな視線が突き刺さりますが、まさか、恩師と教え子とは思わなかったでしょう。
私があの街にいたのは4年間、先生と過ごした2年半が終わりました。
引っ越し荷物をまとめた部屋を眺めて、ドアを閉めて先制の部屋で最後の時間を過ごしました。
「このおちんちんも、見納めかあ・・・」
「このオマンコも見納めです・・・」
最後の精液を先生にかけて、先生の部屋を後にしました。
「そろそろ、トラックが来るので、俺、行きます。」
「元気でね。今度は、お嫁さん探すのよ。さよなら・・・」
「早苗先生、さよなら・・・」
玄関のドアを閉じました。
そして、アパートでトラックを待ち、あの街を後にしました。
次の勤務先も支店、やはり初めての街でした。
その支店で、可愛い田舎娘と仲良くなり、結婚して、県内を転々としました。
一度も本社に行くことなく、さりとて営業所経験もなく、支店を渡り歩きました。
そして昨年、10年ぶりに先生との思い出の街に戻りました。
あの頃いた社員は一人もいなくて、あの頃私が座ってた席には、若いOLが座ってました。
いるわけなかったけど、先生の住んでたアパートに行ってみました。
もちろん他の人が住んでて、でも、懐かしく思い出しました。
「早苗先生、先生は今、どこの中学校にいるのですか・・・」
そう呟きました。
この街には、あと何年いるか分かりませんが、先生との思い出がいっぱいあって、少し、切なくなる時があります。
再びこちらに来て2年目、今年、先生は還暦を迎え、教師人生を追えます。
この街で愛し合った先生、直接伝えられず残念ですが、長い間お疲れさまでした。
先生の定年をねぎらって、先生との思い出を書き記します。