高校一年の夏休みにアルバイトした缶詰工場に、当時51歳の可愛らしいおばちゃんがいた。
今でいうと、磯野貴理子みたいな感じで朗らかな人で、すごく仲良くなった。
夏休みが終わりに近づき、バイトの最終日、そのおばさんに誘われて、叔母さんの住むアパートにお邪魔した。
そのおばさん、経緯はわからなかったけど一人暮らしだった。
高校生が、自分の母ポ屋より年上のおばちゃんとセックスなんて考えられなかったけど、
「まだ女を知らないんだろう?おばちゃんで良けりゃ教えたげるよ。」
と裸になられたら、ヨボヨボをイメージしていた50代の裸よりずっと若々しくて、色気がハンパなくて勃起してしまった。
もう、誘われるままに裸になって、閉経してるからゴムいらないって、黒ずんだビラビラのエロいオマンコに生入れ中出しで童貞を卒業した。
50代の熟女でも、一度女を知ってしまうとクセになった。
学校から早めに帰れるときは、おばちゃんのアパートに寄ってたし、休日に入り浸ってたこともあった。
顔に小じわがあったり、おっぱいもちょっと垂れかけてたり、下っ腹が少し出てたりしてたけど、ちゃんとクビレはあるし、明らかに女体だった。
カチカチに痛いくらい勃起したチンポをおばさんは嬉しそうに握って、黒ずんだビラビラを掻き分けて温かいオマンコに入れた。
ヌチャヌチャと愛液が溢れて、イヤらしい匂いに包まれた。
生で味わうオマンコって、死ぬほど気持ちよくて、3分くらいでドッピュルル~~ともの凄い勢いで射精してた。
おばちゃんは、一回くらいでは抜かせないで、そのまま二回戦だった。
二回戦は長持ちしたけど、愛液と精液が混じったものが吹き出てブチュブチュ音がした。
休日は、おばちゃんとお風呂に入って、クンニのお勉強をした。
黒くてグロテスクだけど、オマンコを舐める乗って興奮した。
フェラもしてもらった。
クンニしてフェラしたら、もう、あまりの興奮でチンポがビクビク脈打って痛かった。
そういう状態で生挿入して腰振るから、射精の勢いが凄すぎて、射精中に尿道がちょっと痛くなったこともあった。
休日は、勃起すれば入れて腰振りを繰り返し、1日10発くらい出してた。
出して出して出しまくってたけど、萎えることとなく抜かずの4発なんてこともあった。
高校2年になると、おばさんから、
「若いから回数をこなすのもいいけど、イクの我慢して女の子を満足させる技も覚えなさい。」
と言われ、腰使いとか、相手の女が感じていることを確認しながらのセックスを仕込まれた。
セックスは、男が女を満足させるためにするものだと教えられた。
高校を卒業するまで、狂ったようにさせてもらった。
今思えば、高校生の性欲ってすごかったと思う。
高校を卒業して、進学で上京するとき、おばさんに連れられてラブホで最後のセックスをした。
「こういうホテルがるんだよ。覚えときなさい。」
と言われ、この日はご休憩2時間で、射精を我慢しつつおばさんをのたうち回らせて、合計3発中出しして、おばさんと別れた。
東京では、セックスに自信があったから、綺麗な先輩を口説いて、
「キミ、先輩を口説くなんて生意気ね。」
と言われたけど、俺のクンニでアヘアヘしてた。
初めてコンドームつけてセックスしたら、生より刺激が少なくて長持ちした。
先輩、俺のチンポでヒイヒイ言って、気に入られて付き合い始めた。
なにしろ、若い女の身体が瑞々しくて、オマンコは綺麗で、嬉しかった。
俺、おばさんにそのことも報告しようと、大学1年の夏休み、東京土産を持っておばさんのアパートを訪ねた。
おばさん、引っ越していなくなってた。
勤めてた缶詰工場にも行ったみたけど、辞めてた。
何だか、すごく寂しくなって、家に帰って泣いちゃった。
あれから20年以上の時が流れた。
俺は40歳になって、女房と小学生の子供2人と4人家族になっている。
女房が俺に首ったけなのも、俺が女房を逝かせまくれるからだと思う。
だから、今でもまだ残っているおばさんが住んでたアパートの前を通るとき、
「おばちゃん、ありがとう。」
と呟いている。