昭和の半ば、私の田舎にも五十過ぎの、そんなオバサンがいましたね。山ん中で三十軒程の集落でその内数軒は空き家、働き手は梺の町に仕事に出るので日中は留守番してるオバサンか、定年過ぎの年寄りが野良仕事してる様な村でした。子供が出払って夫婦二人暮らしの年代になると、旦那からは殆ど相手にもされず、男は仕事に出て外で気晴らしも出来るが、残ってるオバサン連中は毎日が同じ事の繰返し、そら欲求不満も溜まってると思います。
旦那の留守中に唆されたのか、そんなオバサンが誘ったのか定年過ぎて日中に村に居るジイサン相手に、空き家を使ってセッセと励んでるオバサンを自分が知るだけでも三人居ましたね。
当時、学校帰りに空き家から出てくるのを何度も見て あんな所で何してるのかと不思議に思い初めて覗いた時の衝撃は鮮烈でしたよ。
世間から隔離された様な田舎で、子供もとっくに手を離れ夫婦で二人暮らしを淡々と続けてる五十前後のオバサンが、ふと女の欲求に目覚めると、その捌け口って旦那に相手されなければ近所に求めるしか無いですからね。
昭和初期までは、そんな隔離された田舎で夜這い習慣が残っていた地域もある程で、それって倦怠期を迎えた夫婦が公然と行う夫婦交換だったと思います、男も女も相手代わればって言いますからね。
名無しさん年月が過ぎて、八十を過ぎた隣のオバさんを見て当時が懐かしく思えるのは、その時は辛かった出来事も貴方が大人になって其々の要因を理解されたからだと思います。思春期に抱く大人の女性への憧れは、その相手の表面しか見えないと思いますし、内面なんて深く関わらないと現れて来ませんし、まして裏の顔なんて知らぬが仏です。8さんの言われている様に、世間から取り残された様な過疎地での生活は退屈で毎日が同じ事の繰返し、寂しいと思う気持ちも薄れて行くのだと思いますが、旦那様方は外の仕事で気が紛れても留守を家で守る奥様方は何も有りません。子供が幼い間は育児や家事で紛れますが、手を放れて家から出られると野良仕事でもしながら旦那様方の帰りを一人で待つしか有りません。五十前後になると、そんな暮らしが当たり前の様になりますが体は女としてまだ終わっていません、でもその年代になると旦那様方は殆ど相手にしなくなっているのが現実で、奥様方が欲求を抱いても満たされる事無く、平然と毎日が繰り返されて行きます。当時、自分の村や近隣の村でも、そんな年代の奥様方と近所の爺さんがデキてるって話はよく聞く事で、大概は女癖の悪い爺さんから目を付けられるのですが一旦関係してしまうと、逆に仕掛けられた方が爺さんを放さなくなっている事が多い話です。自分が勤めていた林業の先輩方は定年過ぎの方ばかりでしたから、そんな癖の悪い爺さん達とは同年代で、あの家の女房は遣らせるとか、あの女房は激しいだとか、酒の席で良く噂話しを聞かされていたと言います。仕事は炭焼きもして、民家に直接配達もしていましたが自分が十八で免許を持つまでは先輩方がしていました。免許を取って仕事を引き継ぎ配達に出掛ける時に先輩の一人から、お前筆下ろしはまだやろ、あの家の女房は好き者で頼めば遣らせてくれるからとコッソリ耳打ちされました。親方の奥さんとは二年越しの関係で、この間からは家に呼んで遣らせて貰っているとは誰も知るよしも有りませんから、先輩は絶対遣らせるから頼んで来いと笑って見送りました。問題の家への配達は下心も有り一番最後にしました、期待して玄関で待っていると出て来たのは、親方の奥さんよりもかなり歳上の印象で期待外れもいいとこでオバさんとゆうより、どちらかと言えばもうバアさんでした。さっさと炭を置いて帰ろうとしたら、お茶出すから飲んで行けと呼び止められ和菓子まで出され仕方なく頂いていると、あんた見たいな若者が地元で仕事って珍しいなと話し掛けられ、それに山で職人遣ってるなんてと凄く驚いていました。まあ、この歳で地元に残ってる奴は居ませんでしたから、珍しいのは確かですが何かバカにされている様な気がしていると、地元に残って凄く立派だよと誉め称え、でも地元に釣り合う年代の娘が居ないから大変だろうと聞いて来ました。大変?何の事だろと思っていると、アレだよ、アレはどうしてるんだと言って、私で良かったら相手してやろうかと、あから様に誘って来られました。体は痩せ細って服の上からも胸はペッタンコだと一目瞭然、興味も湧かず唖然としていると遠慮せんでええから一発抜いて行けと、玄関入った土間で下着を膝まで下ろして生尻を平然と向けられました。まあ毎晩自分でもしている様な年代ですから、いざ見せられてしまうと股間は勝手に過剰な反応しますから結局は遣らせて貰ったのですが、親方の奥さん以外とは初めてでした。入れた瞬間に相手によって中の具合が違うんだなと感じました、中の締まりが半端無く三擦り半で逝かされました、メチャクチャ気持ち良かったのです。終るとバアさんは、どうだいスッキリしたかと聞いて平日は夕方まで父ちゃんは戻らんから、また溜まったら日中にゆっくり抜きに来たらええよと平然と言って帰されました。職場に戻ると先輩は直ぐにどうだったと聞いて来ましたが、自分はからかわないで下さいよ、歳上過ぎますからと誤魔化しましたが先輩は笑いながら、そうか俺から見たら年下でもお前からすると、もう六十過ぎの婆さんだからなと笑い転げていました。六十過ぎと聞いて驚きましたが、入れた中の気持ち良さにはもっと驚かされ、年齢はあまり関係無いのかと当時は不思議な思いでした。炭の配達に近隣の集落を回っていると、大概は自分を見て驚きながら地元に残っている事を凄く誉めてくれました。それだけ若い働き手は地元から流れ出して戻らず、過疎化の町は住人の半数以上が定年を過ぎた所謂、限界集落が密集した地域となっていました。親方の奥さんが、何とかして自分を繋ぎ止めたいと思っている理由を、配達に回りながら実感していました。配達に訪れた玄関先で炭を渡して、お茶でも飲んでお帰りと中に招き入れてくれる方は、殆ど親方の奥さんと同年代の五十前後の方で自分を子供と重ね合わせて見ている方が殆どでしたが、中には色目遣いで胸元を開いて遠回しに誘って来る方もいて、何度か配達に訪れている間に遣らせて貰える様になっていましたが、自分の若い精力をぶつけてもそれを上回る勢いで迫って来られますから、普段の欲求不満が伺えます。途中で中には絶対に出すなと言って来た方は一人だけて、
...省略されました。