やっぱり熟女、良いです。
一応妻と子供を持つ35歳ですが、妻に隠れて元継母の寛子ともう20年関係を続けてきました。
寛子も既に50歳になりましたが、身体は全体的にムチムチ感があって、乳房と腰回りの充実ぶりが素晴らしく、抱き心地満点。ダイエットばかり気にして細身の妻とは大違いです。
酒を飲んでは暴力を振るう親父から寛子を護ってやっているうちに親密さが増して、いつしか愛し合うようになったのは僕がまだ15歳の時でした。
そして寛子は翌年、家庭内暴力が警察沙汰にまでなったのを期に離婚を決意。間もなく離婚が成立したのですが、その翌月になって妊娠が判明したのです。寛子は僕の子であると確信していましたから、そのまま産みました。女の子でした。
まだ高校生の僕は密かに寛子と娘の許に通う日々をおくるようになって、大学生になってやっと半同棲生活になりました。
僕は寛子と娘を家族として生涯を送る決意を固めていたのですが、ある日寛子が僕に言ってきたのです。
自分は結婚してやれないのだから、他の女を見つけて結婚しろと。
僕は勿論拒否しました。が、寛子の僕への大きな愛には逆らえません。
大学卒業と同時に寛子の許を離れましたが、夫婦同然の関係は継続され、毎週末の逢瀬が続けられました。
寛子が居るためもあってなかなか新しい彼女などできない僕でしたが、27歳の時、遠方勤務の辞令が出てしまい、ついに寛子との関係を終わらせざるを得なくなったのです。
遠方に移り住んで半年後、勤務先から更に派遣された大学のとある研究室で妻と出会いました。
最初はいけ好かない年増女に思いましたが、議論を戦わせているうちに互いに気持ちが通じ合うようになって、自然と付き合い始めました。
そして出会いから半年後に結婚を誓い合い、身体を繋いで愛し合いました。この時妻は33歳だったのですが、何と処女でした。
女になってからの妻の内面の変化には目を見張るものがありました。
僕は父親とは絶縁状態でしたから両親とも他界ということにして、妻の両親に挨拶に出向いて間もなく入籍しました。妻が妊娠していたもので。
それでも僕の心の底には寛子への慕情が燻り続けており、毎月の様に海外拠点を往き来する生活が数年続いた中で、機会をみつけては寛子と娘の家に出向くようになりました。
寛子は決して僕を拒否せず、家庭を壊さないようにと言って承け入れてくれるのでした。
そして昨年夏前、やっと辞令が出て戻ってくることができました。僕に併せて妻も新しい大学に転任しました。
それから1年、十日に一度平均ですが妻に隠れて元継母寛子を抱く生活が続いています。寛子と身体を繋ぐと堪らない満足感や幸福感で満たされますから、まるで男としてリフレッシュしに行く感じです。
寛子も妻も心底愛し満足させてやっているという自負がある所為か、僕には妻に対して罪悪感や後ろめたさめいた感情は不思議とありません。