間もなく30歳になる妻子持ちです。
妻は8歳年上、結婚して丸9年。子供を2人産んでいる身体ですが、飽きやマンネリ感など微塵もなく、ほぼ隔日のセックスが激しさを増してきた今日この頃です。
何故なら僕は強度の熟女マニアなのです。少年期の頃の性体験が僕をそんな性癖の男にしました。
最近徐々にむっちり熟してきた妻の身体が、僕を少年期の頃に連れ戻すのです。
勿論妻は益々愛してくれていると思っているようです。先日も「3人目、ほしいの?」と聞かれてしまいました。
少年期の頃の相手とは、義祖母の玲子(仮称)です。年齢差33歳。
備忘録的に少しソフトに書いてみます(部分的に過激?)。拙い文章ですから、お気に召さない方はパスしてください。
中学に通い始めて間も無くの頃、親父が再婚しました。
僕の継母になった女性は25歳の凄い美人だったのですが、化粧も服装も少し派手気味であまり僕の好みではありませんでした。
彼女が僕の家に入ると、当然それまでの殺風景な暮らしが一変。
継母一人居るお陰で家の中がとても明るく華やかになったのは勿論ですが、最も大きな変化は夜な夜な継母の喘ぎ声が聴こえてくるようになったことと、ナイトクラブの雇われママさんをしている継母の母親玲子が頻繁に僕の家にやって来るようになったことです。
玲子と僕は戸籍上祖母と孫ですが、血の繋がりはありませんから義祖母としておきす。
この義祖母玲子はとても快活で天真爛漫な性格ですが、上品さも感じさせる大人の婦人でした。
その上継母の母親だけあってなかなかの美人でスタイルも良く、然も仕事柄なのか実年齢よりかなり若く見えました。
但し仕事用に派手な化粧をした彼女の顔は好きではなかったですが。
一見気位が高いように見えても実はとても優しく細やかで、不思議と話が合うこともあって継母以上に親近感を覚える僕でした。
翌年継母が娘を産むと玲子は出勤前に毎日のようにやって来るのでした。
というより学校から自宅に戻ると玲子が居るという感じでした。
容姿は和服姿が多いのですが、たまに少し露出の多いドレス姿の時もありましたから、中学生の僕にはとても眩しく目のやり場に困りました。
更にその翌年夏前、親父が急に海外勤務になってしまうと、継母が娘を連れて親父の後を追い、僕の面倒は玲子が見てくれることになったのです。
幸い夏休み直前だったため慌てることはありませんでしたが、玲子の家からでは通学時間がそれまでより1時間近くも多くかかる距離になってしまうことが唯一不安でした。
玲子の家に入った初日、「今日からあたしがあなたの母親よ。だからお婆ちゃんじゃなくて、お母さんて呼んで」と申し入れてきたほどですから、一緒の生活が始まると玲子は本物の母親のように接してくれるのでした。
頻繁に僕の家に来ていたため既に打ち解けた関係にはなっていましたが、事実上の母親と息子の関係になると益々心の距離が縮まって親密さを増していきました。
玲子が息子同然に僕に接してくれるには理由があったのです。
親の反対を押し切ってまで早くに結婚して子供2人を産み育てていた31歳のとき、当時5歳だった息子を水難事故で亡くしてしまったのでした。
それが原因で翌年離婚し、知り合いの勧めもあって生活のために今のクラブにホステスとして働き始めたとのこと。
玲子にとって僕は失った息子の代わりのような存在だったのです。
玲子の家は江戸時代から続く旧家とのことで、広い土地に林立しているやや背の高い木々が豪壮な日本家屋の建屋を隠しており、通りからは殆ど見えません。
最寄駅まではやや遠く、バス停さえも近くにないため通学には不便ですが、玲子と僕が密かに愛し合うには絶好の環境でした。
引っ越した当初は周りに学友が居ないことに少し寂しさを覚えましたが、新しくなった生活環境のすべてに興味津々。
玲子がママさんをしているナイトクラブにも連れていってくれ、若くて凄い美人揃いのホステス嬢達にも紹介されました。
露出の多い彼女達の姿は中学生には眼に毒でしたが。
その年の暮れ近く、事件が起きました。
玲子が乗ったタクシーが追突され、病院に担ぎ込まれたのです。
左横から追突されたらしく、まだ後部座席のシートベルト着用が義務付けられていなかった時代で、玲子が咄嗟に身を倒したために軽傷で済んだのです。
車内にガラスの破片が飛び散っていたと聞きましたから、身を倒さなければ綺麗な顔に大怪我を負うところでした。
それでも玲子は腰を打ち、左腕から肩に数箇所のガラス片による傷を負いました。
傷の治療もあって1週間余り入院していた玲子でしたが、普通に歩行できたことから退院するとすぐに仕事に復帰。
何事もなくいつもの生活に戻ったのですが、暫くすると玲子が背中や腰の凝りを訴えるようになったのです。
玲子は帰宅すると僕にマッサージを求めてくるようになって、リビングで手早く和服の帯を解き、或いはドレス風の洋服を脱いでショーツ一枚の裸になってソファの長椅子にうつ伏せに寝た玲子の背中からショーツまでの腰を揉んでやるのが僕の仕事になりました。
透き通るように白く手のひらに吸い付くような柔肌の玲子の背中を直に触るのですから、思春期真っ只中の僕には最初の頃は鼻血が出るほどの興奮でした。が、毎日のようにやっているうちにマッサージの腕が上がるとともにそれほど興奮しなくなっていきました。
それでもこのスキンシップが一線を超えてしまう大きな要因になったことは間違いありません。
ある日気づいたことですが、腰のある部分を親指でギュッと押すと玲子は痛いのか気持ち良いのか判らないような声を上げて少し仰け反るのです。
これをしてやった時の玲子の顔は眼が潤んだようになって妖艶な表情に変わるのでした。
後に聞き出したところでは、痛みが女の部分に届いて快感を感じていたとのこと。
そのうちに玲子自ら「あれ、して」と求めてくるようになったのでした。
いよいよ運命の日がやってきたのは、高校受験を終えて間もなくの頃でした。
珍しくかなり酔って帰宅した玲子はいつも通りマッサージを求めて、少しよろつきながらその場でドレスを脱ぎ捨てて「あたしの裸なんて見たってもう興奮しないでしょ?」というとまったく隠す仕草をみせずショーツ一枚の裸になってうつ伏せに寝ました。
茶ピンクの乳首が僅かに下がり気味ながら重そうに揺れる巨乳が一瞬目に飛び込んできたのです。
僕の幼いペニスは一瞬で勃起してしまい、それを必死に隠しながらいつも通りマッサージしていると、「早くぅ、あれしてぇ」と玲子がなやましい声で求めてきました。
それではと左右の腰のある部分を強く押しました。
すると玲子ははっきりと快感の声をあげて仰け反り、「痛いぃ・・もっと」と催促する彼女に応えて何度も強く押してやっていました。
そうしてるうちに、それまでになく息を荒くして喘ぎ始めた玲子を見て手を止めた時、彼女は急に身を起こして僕を強く抱き寄せ、唇を押し付けてきたのです。
口内を強く吸われ、痛いほど激しく舌を絡め合うキスが続きました。それが僕の初キスです。
驚きと興奮で細かな記憶は飛んでしまってありませんが、この時玲子の手が僕のパジャマのズボンに入り込んできて勃起し尽くしている幼いペニスを握りしめました。
彼女に導かれてかもしれませんが、僕の手も玲子の豊かな乳房を揉んでいました。
気がついたら僕たちは玲子のベッドで互いの身体を貪り合っていました。
僕はこの日、玲子に幼いペニスを貪られながら二度彼女の口内に射精し、玲子が女性器を丸くなるほど開いて隅々まで見せてくれながら性教育を施してくれ、彼女の手に導かれながら身体を繋ぎ、童貞を卒業したのでした。
玲子48歳10ヶ月、僕は15歳と3ヶ月のこと。
30歳以上も歳が離れていても、所詮血の繋がりのない異性です。こうなるのは自然の流れだったと言えるでしょう。
女の色を商売にしている玲子ですが、自身はずっと性欲に蓋をしてガードを固くしていたとのこと。
ところが息子同然の僕にはガードが緩く、酔った勢いから図らずも性欲に火が点いてしまったのでした。
でもそれはきっかけであって、玲子の本心は違うのです。
玲子は僕を息子として愛しているうちに、純心無垢な僕が他の女と関係する前に自らの身体で男にしてやりたいという願望をいつの頃からか秘めるようになったとのこと。
でも早くしないと女の魅力が無くなってしまう、拒否されたらどうしよう、と内心やや焦りながら、僕に裸を晒して反応を観ていた、と後に告白しました。
そしてその念願を、アルコールの力を借りて叶えたのでした。
続きはそのうち